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君に触れられなくても  作者: 浅葱 レイ
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2

 楓馬が智矢と共に座っていたのは、3列ある机の真ん中で中央よりもやや後ろ寄りの席。その列の間、向かって右側の通路から階段を下っていく。楓馬は時折視線を感じながらも、階段を一段一段歩いていった。前に行くにつれ、座っている学生の数が減っていく。そして1番前列まで行くと、彼女のいる左の窓側へ。

  教授とその彼女はまだ何か話していた。すると先に教授が真っ直ぐに近づいてくる楓馬に気が付いた。教授がやさしい笑顔で楓馬に言う。

「あ、もしかして一緒にやってくれる?」

 教授はすぐに察したようで、楓馬に向かって期待の表情を浮かべながら楓馬に尋ねた。楓馬は頷きながら、

「はい。俺でもいいですか?」

  俯き座っている黒髪の彼女に優しく笑いかける。彼女がゆっくりと顔を上げる。眼鏡の下の目があからさまに泳ぐのが分かった。

  彼女は教授と楓馬を交互に見た。教授がニコニコと彼女に笑いかけている。そして彼女は意を決したように立ち上がって前で手を重ね合わせると、楓馬に深々と頭を下げた。小柄の体がまた一段と小さく見える。

「ありがとうございます。お願いします」

 その声は酷く震えていたが、思っていたよりも低く、落ち着いたよく通る声だった。

「よかった。ありがとね。じゃあ、ここは2人でお願いね」

 教授も楓馬にお礼を言って、教卓前に戻っていった。そして教授は右手にマイクを持ち、左手を高く挙げ、注目を仰いだ。

「大丈夫かな?みんな相手見つかった?相手いないよーって人」

 教室のざわめきが一瞬静まり返る。 すると教授は何かを見つけたように教室後方へ歩いていく。そして後方で明らかに多い人数で固まっているグループに近づき、人数確認をし始めた。また教室が騒がしさを取り戻していく。

 

  楓馬は彼女の右隣に腰を下ろし、机の上に自分のペンケースを置いた。

  彼女を近くで見るとその髪は真っ黒ではなく少し茶色がかっている事に気づく。黒縁の眼鏡のレンズは厚く、少しタレ目な優しい瞳がレンズの間から覗いていた。座っていてもわかる小柄な子で、恐らく普通の大きさのマスクも彼女の顔の大半を覆い尽くしていた。

  水色のブラウスに、指先まですっぽり隠れるほどの大きめの白いカーディガンを羽織っている。彼女を一言で表すなら、李佳などとは対称的な地味な子であった。

  彼女は下を向き、カーディガンの袖から少し見える自分の指先を見つめていた。

(図々しいことをしただろうか)

  彼女のためを思ってペアに名乗り出たが、楓馬に一抹の不安がよぎる。困っている人を見つけたら放っておけない性格は、時にお人好しやお節介と言われたこともある。しかし彼の中ではもう反射的に体が動いてしまっていた。

 

 机には彼女のものであろうテキストの上に1冊の紙のカバーが掛かる文庫本と、水色の筆箱が置かれている。文庫本には栞だろうか、黄緑色のリボンが2本垂れ下がっているのも見えた。

  楓馬は置き場のない不安を和らげるため、そして彼女の緊張を解く為に思い切って声をかける。

「本、読むの好きなんですか?」

 声をかけた途端、彼女の肩がビクッと跳ね上がる。

  彼女が楓馬の顔を横目でちらっと見て、小さく「はい」と答える。

「何て本ですか?」

 優しく語り掛ける。もちろん話題のきっかけ作りでもあったが、一方で楓馬の単なる興味でもあった。こう見えて楓馬も昔から本を読むのが好きで、出先には必ず文庫本を1つは持ち歩いているほどだった。

 彼女は文庫本を手に取り、ゆっくりと紙のカバーを外した。

「階段の殺人!」

 表紙に書かれていたその文字を、楓馬は思わず口に出していた。自分の声が思ったより大きくて慌てて口を手で塞ぐ。彼女はその声と反応に最初びっくりしたようだったが、少し表情を緩めたように見えた。

「あ、ごめんなさい。俺も西川たまきの本好きで。意外っすよね」

 楓馬は少し興奮してしまった自分が恥ずかしくなった。彼女はそんなことないと言うように左右に頭を振った。

「あの」

 彼女が口を開く。そして少し楓馬の方に体を向けて、左耳を触る仕草をすると、

「そのピアス、探偵事務所の…」

 と、か細い声で続けた。楓馬が目を見開く。その言葉に驚きながら、

「え、あ、そうそう。すごいですね、初めて気づかれたかも」

 楓馬も自分のピアスを触る。彼女が少し照れたように体を丸めた。


 楓馬のシルバーのピアスは西川たまきの四葉探偵シリーズに登場する探偵事務所のロゴを象ったものだった。よく見ないと分からないが、丸いピアスに四つ葉のクローバーが刻印されている。そしてその真ん中には緑色のキラキラと光る小さな石が埋め込まれている。大学に入り毎日つけ続けていたもので、「かわいいピアス」と言われることはあったがその事に気づいて貰えたのは初めてで、楓馬は素直に嬉しかった。



  教授が教卓の前に戻ってきて、自己紹介について説明を始めた。

  時間は1人5分程度で行い、3人組のところもあるので計15分間会話をする。2人組の所は最後の5分はフリートーク。5分経過ごとに教授からアナウンスをするということだった。

「じゃあ、よーい、スタート」

  講義室が一斉に騒がしくなる。

  楓馬と彼女は体を相手に向けるように座り直す。自分から話そうと決めていた楓馬は、

「ええと、じゃあ、俺からやりますね」

 と、口火を切った。彼女は膝の上に両手を揃えて置き、ペコッと頭を下げる。

「俺の名前は青杉楓馬です。青いに杉。楓に馬で楓馬」

 右手で空中に漢字を書きながら名前を伝える。

  すると目の前に座る彼女が伏せ気味だった顔を少しあげ、

「ふうま...」

 と呟いた。

「え?」

 楓馬が聞き返す。

  彼女は顔を真っ赤にして顔を逸らし、慌てて両手を左右に振る。

「いえ!なんでもないです。続けてください」

 楓馬は突然の彼女の慌てぶりに驚いたが、自己紹介を続けた。

「えと、人間福祉学部の3年生で、介護福祉士、社会福祉士目指してます。それから…」

 学部や年齢、趣味の話、犬より猫派など他愛ない話も混ぜながら自分のことを伝えていく。彼女は頷いたり、時折相槌を打ちながら、楓馬の話を聞いていた。彼女は楓馬に向き合ってはいるものの、目が合うことはなく、何となく自分の胸元あたりに目を行ったり来たりさせている。緊張がこちらにも伝わってくる。ただ、彼女は表情や声色をよく見て、聞いているようで、話を広げたり、もっと話したい事を感じ取って相槌を打ってきてくれる。要は話を引き出すのが上手いのである。楓馬は会話に心地良さを感じながら、あっという間に5分間の自分の自己紹介を終えていた。


 彼女、水樹杏は今年から入学した1年生で、偶然にも楓真と同じ学部で彼女もまた福祉について勉強しているという。一応後輩にあたる。そして同じく社会福祉士を目指しているようだ。将来は困っている人の相談に乗れるような仕事に就きたいと語った。確かに聞き上手で相談業務は向いているだろうなと楓馬は思った。

  ある程度の自己紹介が終わると、杏は次に言うことを必死に考えているようで顔を顰めている。少しの沈黙。楓馬はそんな彼女を見計らって質問を投げかける。

「そういえば学部一緒なんすね。何で福祉勉強しようと思ったんですか?」

  その質問に杏は膝の上に乗せていた右手を左手で覆ってギュッと握り、

「ええと…」

  と、言葉に詰まる。握る右手の力が強くなる。楓馬が慌てて、

「あ、ごめんなさい。言いづらかったら別にいいからね」

「あ、いえ…。うんと…」

  杏がゆっくりと話し始める。

「困っている人って、こう、態度とか声に出せる人だけではないと思うんです。だから、その見えない問題を抱えている人を、見つけて、助けてあげたいなって」

「へー、なるほど。それすごい大切なことだと思う。偉いなー」

  楓馬は素直に感心して、感想を漏らして笑顔を向ける。杏は少し照れたように体を丸めた。

  声に出せない、見えないニーズを見つけ出すのも福祉の役割だということを、楓馬自身は大学で初めて教わり、そこで意識しだした考えだったからだ。

  杏はそんなことを色々考えている楓馬をチラッと見て、

「ええと、あとは…」

 杏がまた、左手で右手を握る。しばらく目を泳がせていたが、自分の文庫本が視界に入った所で、

「あ、西川先生の本を読み始めたのは2,いや、3年くらい前からで…」

 杏は思い出すように軽く上を向き、左手の指を折りながら言う。

「そうなんだ。んじゃ高校生からか」

「はい、そうです」

  杏が再び下を向いて考える。しばらくの沈黙。

「ええと、あとは…」

 必死に話題探しをしているのが見て取れる。楓馬は助け舟を出そうと口を開きかけるが、

「すみません。自分のこと話すの苦手で」

 と彼女が申し訳なさそうに下を向いたまま肩をすくめた。

 彼女は聞き手に回る方が得意なのだろう。楓馬はそんな彼女に気にする素振りもなく、

「自己紹介ってムズいよね。しかも初対面だし」

 と杏に笑いかける。杏はまた、すみませんと頭を下げた。


  会話することが自然で楽しく、杏が後輩であることもあり、(敬語とタメ口が混ざってるな、まあ、いいか)などと考えながら楓馬はサッと辺りを見渡してみた。皆、試行錯誤しながら自己紹介を続けているようだった。まだ、自己紹介の時間は続きそうだった。

 その中から先程見かけた楓馬達の座る席から3列後方の4、5人の女性グループがこちらを見て何か話しているのが目に入る。その何人かと目が合う。そして彼女らはわっと言う表情をしたかと思うと1人は恥ずかしそうに顔を覆う。大方、楓馬の事について話していたのだろう。

 楓馬は気にせず杏に向き直る。そして杏の本を指さしながら、

「西川先生の本さ、好きな話とかある?俺はね、探偵シリーズはもちろんなんだけど、時代物も好きで…」

 話したかったことが矢継ぎ早に口に出てくる。杏が顔を上げコクコクと頷く。

  小説好きも稀で、しかも同じ作者が好きとなれば、語りたいという、逸る気持ちを抑える方が難しかった。楓馬は話を続ける。

「あれ、事件に妖怪とかが絡んでくる…」

 そこで杏がハッとして楓馬の目を真っ直ぐ見つめる。2人は同時に口を開き、

「陰陽犯科帳!」

 声を合わせて小説の名をあげる。2人の視線が初めて交わる。杏の髪と同じで少し茶色がかった瞳がビー玉のようにキラキラと輝くのが分かる。眼鏡の度がキツイせいで小さく見えていた目は、以外に大きく、よく見ると奥二重だったことに気付く。

  目が合い、声を揃えてしまったことに恥ずかしくなった杏は、急いで目を逸らし下を向いた。楓馬は笑い出す。

「やっぱりか!面白いもんね!」

  杏がコクコクとまた頷く。彼女は少し笑いながら、

「私も大好きです」

 と、杏が答えた。

 楓馬の心臓がギュッと締め付けらる。決して楓馬に対して言ったのでは無いのだが、ふとその言葉を意識してしまった途端、恥ずかしさが押し寄せてくる。


 それが楓馬にとって初めての杏に対してのときめきだったのかもしれない。


  そこから自己紹介の時間が終わるまで2人は本の話で盛り上がり話を続けた。

 杏もだいぶ心を許すようになり、ニコニコっと笑う姿も度々見られるようになっていった。



「お疲れ様でした。今日はこのまま解散にします」

 教授の声と共にみんな一斉に立ち上がり、最初に、自分のいた席へと戻っていく。

「ありがとうございました」

 杏が頭を下げた。

「こちらこそありがとう。またペアとかになったら話せたらいいね」

 楓馬は心からそう思った。

 杏もその言葉に少し照れながら「はい」と目を細めて笑った。

 楓馬は立ち上がると彼女に向かって手を振り、彼女も軽く会釈をしたのを見届けるとその場から離れた。

 共通の話題があったからだろうが、初対面にしては話しやすかったなと、席に戻りながらさっきの会話を振り返る。杏は話も頷き真剣に聞いてくれるし、何よりも時折見せる笑顔が優しく、とても可愛らしかった。こんな気持ちになったのは久しぶり、いや、初めてだった。

「ふーまくん、おかえりー」

 見知った顔がこちらに手を振っている。楓馬は苦笑いをして軽く頭を下げる。

「あの子、知り合い?」

 ここから遠く、小さく見える机の上を片付けている杏を李佳が顎で示しながら言う。

「いや、相手がいなそうだったから…」

「ええ!やさしいー!」

 李佳は食い気味でそう言うと、机に肘をつき両手で軽くパチパチと拍手しながら楓馬を見つめる。そして、上目遣いで立っている楓馬をもう一度見つめ直す。

「あのさ、ふーまくん。この後さ…」

「おつかれぃ!」

 割って入るように智矢が戻ってきて、楓馬の肩に腕を回しくっついてきた。李佳は明らかに不服そうに智矢を睨みつける。一方そんなこと気が付いていない智矢は、

「さっきさ、3人で話してたんだけど、みんな野球部だったの凄くね?」

 と大声で笑いながら楓馬に言う。暑苦しいから肩を組んでくるなと何度も言っているが、今回ばかりは李佳との会話を遮ってくれたので、それに感謝せざるを得なかった。楓馬はリュックを背負い椅子を折り畳みながら、

「3人とも野球部か。何か見えない引き寄せるもんがあるんじゃね」

 と智矢に答える。いつものように「だからくっつくな」という言葉が返ってくると思っていた智矢は、真面目に返答してきた楓馬に一瞬驚いたが、「うむ」と言って腕を組んで語り出す。

「そうかもなあ。ルイは友を呼ぶってやつか…。あ!」

 智矢がニヤッと笑い楓馬を見る。

「俺たちの場合、そのルイは野球のベースの塁だな」

「......。」

 楓馬は智矢に向かって目を細め、哀れみの表情を一瞬浮かべたと思うと、机の間の階段状の通路へと出る。「おい、なんか言えよ、いつもそうやって俺がなんか言うと...」などと智矢はブツブツと呟きながらカバンを片手に楓馬の後を追う。智矢がニヤついてこっちを見てきた時はしょうもないことを言うときまっている。

  李佳がまだ何か話したそうに楓馬のシャツの裾を握ろうとしたが、楓馬はそれを上手くかわした。そして、

「それじゃ、赤月さん」

と笑みを浮かべ手を振る。李佳とその友達がその笑顔を見て顔を見合せ照れていたのを、そそくさと教室から出て行った楓馬は、もちろん知ることは無かった。

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