マザー
翌日は日曜日。
朝から天気がよかった。
例の手紙は来ていない。
安息日のせいか、あるいは「なぞなぞ」のネタが切れたせいかは分からないが。
「お出かけですか?」
俺がバッグを用意したのを、エイミーが目ざとく見つけた。
「ちょっと修道院にね」
「お使いでしたら、私が行ってきますが」
「いや、いいんだ。野暮用だから」
「もし私が代われそうでしたら、言っていただければ……」
やけに食い下がってくる。
バッグにはへそくりの五千リブラ。これで銃を買う。
もしあの銃器マニアたちが吹っ掛けてきたら、これでは足りないかもしれない。
エイミーは不安そうに声をひそめた。
「もしかして非合法な行為ですか?」
「違うよ。たいした用事じゃないから、君は家にいてくれ」
「しかし……」
彼女はリビングへ目を向けた。
ブランチをとっていたメグが、不審そうにこちらを見ていた。俺とエイミーの会話が気になるようだ。
エイミーはさらに声をひそめた。
「クリストファーさまが家を留守にされると、マーガレットさまが寂しがりますので」
「ええ? 小さな子供じゃないんだし、それくらい……」
「時計を見ながら、だいたい五分おきに『まだかしら?』と聞いてきます」
それは小さな子供だな。
俺は溜め息をついた。降参だ。
「銃を買うんだ。これから必要になるだろうし」
「でしたら私もお供いたします。銃器に関してはいささか知見がございますので」
「メグもついてくるのか?」
「もちろん」
拒否権はなさそうだ。
*
レンガ造りのどっしりとした修道院だ。
しかしだいぶ歴史のあるものらしく、いまにも崩れ落ちそうだった。
ドアをノックすると、若い修道女が顔を出した。
「はい? あら、マインさん。後ろの方は……」
「妹とその侍女だ」
「ご用は?」
「じつは……銃を撃って欲しいんだ」
俺が声をひそめてそう告げると、修道女はまずきょとんとした顔を見せた。それから後ろへ振り返り、なにかを確認した。
「どうぞ中へ」
修道女がなにか合図を出すと、ややあって奥からマザー・ベネディクトが出てきた。かなりの高齢で、杖をついている。
「銃が欲しいのかい、クリス?」
目を開けるのも億劫といった様子で、しわがれた声を出した。
「護身用の手ごろなのがあれば……」
「なにを撃つんだい? 鹿かい? それとも狼? 狼男? いや、違うね。人間さ。だいたいね、どいつもこいつも人間を撃ちたくて銃を買いに来る。きっとあんただって例外じゃない」
「う、うん……」
小柄な老人なのに、威圧感がすごい。
「ついて来な。そっちのおチビが腰を抜かすようなのを見せてやるよ」
おチビ?
メグが口をへの字にしている。
*
地下へ通された。
そこは武器庫だった。ピストル、ライフル、ショットガン、それになんだかよく分からない砲弾が棚に並べられている。
射撃レーンまである。しかも奥で、修道女が機械のような精密射撃を見せていた。
「なつかしいだろう、おチビのエイミー」
「はい」
いきなり会話が始まった。
二人は顔見知りだったらしい。
「奥で撃ってるのはゾーイだ。あの子は筋がいいよ。あたしが育てた子の中でもダントツさ。どこかの不出来なおチビとはまるで違う」
「はい」
「なんだい、やけにおとなしいね。反抗期は終わったのかい? むかしはあたしがひとこと言う間に、その十倍は返してきたのに」
「……」
エイミーは恥ずかしがっているのか、鼻の奥から声にならない声を出した。
マザー・ベネディクトはやれやれとばかりに溜め息をつき、今度はこちらへ視線を向けてきた。
「それで? 敵の規模は? マフィアをぶっ潰すつもりなら、ちょっとデカめのがあるよ?」
「いやいや、違うんだ。いちおう組織の連中もいるけど、そこまで大規模じゃなくて……」
「おや、違うのかい。亡くなった母親の遺志を継いで、父親を殺しに行くのかと思ったよ」
この婆さん、父親が死んだことをまだ知らないようだ。
その代わり、違う情報を持っている。
「父はもうこの世にいない」
「おや残念だね。あんたの母親が聞いたらさぞ喜んだろうに」
「そんなに嫌われてたのか……」
「ま、よそに家庭を持ってたらね。けど誤解だよ。あんたの父親は、ただのお人好しさ。マフィアをやってるのが不思議なくらいのね」
母は父のことをあまり語らなかった。
俺がなにかを尋ねても、必ず「遠くにいるわ」でごまかした。
老婆はソファへ腰をおろし、しわだらけの手で膝をさすった。
「マフィアってのは過酷な仕事なんだろうさ。ときには仲間でも手にかけなきゃならない。もしそいつが所帯持ちでもね。残された家族は大変さ。この島で組織に睨まれるっていうのはね。あんたの父親は、そういうのをいちいち養ってたのさ」
美談にも聞こえる。しかし既婚者が、別の家庭をもつのは最良の方法とは言えない。人を救いたいだけならほかにも方法はある。
「それで母が怒ったと?」
「ウィンチェスターを担いで一人でシルバーマンズホテルに乗り込んでったんだから、そうとう怒ってたろうね。けど結局、弾は当たらなかった。いや当てなかったのかもしれない。どっちだか分からないが、最後は話し合いでね、離婚して、この風地区に住むことにしたらしい」
ことによると、母がマフィアを遠ざけたのではなく、父がここへ押し込んだのかもしれない。
俺は思わず鼻で笑ってしまった。
「大変だったんだな」
「けどあんたの父親は、ほかの女には手を出してないはずだよ。なんせ、どの女も子持ちだったからね」
ん?
メグもきょとんとしている。
「子持ちって?」
「別の男の種ってことさ。えーと、それであんたは、いったいどこの娘だったかね……」
うかつだった。書類上の入居手続きは済ませていたが、メグとマザーを会わせるのは今日が初めてだ。
メグはぐっと眉をひそめた。
「お兄さまの妹、マーガレット・マインよ」
しかし老婆は、まったく動じた様子もなかった。
「おやおや。なら血のつながってない兄妹だね」
「ちょっとなんなのよ! よくそんなひどいことが言えるわね!」
「ひどかないさ。事実だもの」
いやひどいね。
気づかいというものが、まったく感じられない。
エイミーも冷淡な目をしている。
「マザー、マーガレットさまに謝罪してください」
「生意気なおチビだね。あたしが反省するのは、地べたに転がされて銃を向けられたときだけだよ」
「ならご希望通りの状況にして差し上げますが?」
「やめときな。その前にゾーイがあんたの頭をぶち抜くよ」
奥のレーンで射撃練習をしていた少女が、じっとこちらを見つめている。睨んでいる顔ではない。しかし一部の隙もなかった。
エイミーは観念したように溜め息をついた。
「マーガレットさま、この女に代わって私が謝罪いたします」
「いいのよエイミー。なんとなく分かってたもの……」
となるとこの自称妹は、本当にただの自称妹だったということだ。
それだけではない。
父と血がつながっているのは俺だけ。
これが事実なら、相続権を有しているのも俺だけということになる。
もし周囲にバレたら、ベンとボブはいよいよ本気で俺を始末しに来るだろう。
マザー・ベネディクトはコツコツと杖で床を叩いた。
「分かった分かった。あたしが悪かったよ。いくらかサービスしてやるから、泣くんじゃないよ」
「泣いてない!」
メグはそう反論したものの、涙目になっていた。
話がややこしくなる前に、俺はこう切り出した。
「いま、父の遺産を巡って兄弟たちと争ってるところなんだ。銃が必要になるかもしれない」
「どこで撃ち合う予定なんだい?」
「それは相手の出方次第で……」
「なら軽い銃がいいね。グロックでいいかい?」
「名前を言われても……」
するとマザーは、ふたたび杖で床を叩いた。
「ゾーイ! ゾーイ! この男に手ほどきをしてやりな。タマの扱い方も知らないトーシロだからね。優しく教えてやるんだよ?」
するとゾーイは、こくりとうなずいた。
*
一通り試射してみて、結局グロックという拳銃にした。
金額は五百リブラ。
弾もたくさんくれた。かなりサービスしてくれたかもしれない。
家に帰ってもメグの機嫌は直らなかった。
「お兄さま、私……」
「気にすることはない。君とエイミーには助けられた。一緒に遺産を見つけて、二人で山分けしよう」
「うん……」
もともとそういう合意だった。
いまさら変更する必要はない。
ここでエイミーを敵に回すのも賢い選択とは言えない。
それにエイミーは、メグのためにキッチンでアップルパイを作ってくれている。
きっとうまいんだろう。
俺も、まともなアップルパイを食べるのは初めてになる……。
(続く)