次男
翌朝、また手紙が届いた。
夜が来た
四頭の馬が来た
北へ来た
西へ来た
南へ来た
東へ来た
なにかの暗号だろうか。
それとも父の遺産とは無関係の怪文書か。
エイミーは紅茶を出しながら言った。
「私は郵便局で聞き込みをしてまいります。お二人は家にいてください」
家にいろと言われても、夕方には仕事がある。
メグも不満顔だ。
「私を置いてくの?」
「安全のためです」
「絶対ムリしないでね?」
「ええ、もちろん」
エイミーは簡単に笑顔を浮かべない。だが、自信に満ちあふれている。単騎で乗り込んでチンピラを一掃する腕があるのだ。そうそうヘマはしないだろう。
*
エイミーがいなくなると、メグと二人きりになった。
「お兄さま、退屈よ。なにか面白い話をして頂戴」
「面白い話? 特にないな。母親のアップルパイで吐いた話くらいしか」
「最低よ!」
怒られてしまった。
いや、あれは母親が悪い。
それはべちゃべちゃのアップルパイだった。
俺はいつもウンザリしながら、むりやり胃に流し込んでいた。
そしてついに、あの日が来た――。
体の調子がよくなかった。朝からずっとムカムカしていた。だから、いつもなら平気なアップルパイも、あの日だけは耐えられなかった。
母親は怒った。
人には「怒りをコントロールしなさい」と言っていたくせに。
子供ながらに、世界の理不尽さを知った。
「そろぞろ時間だ」
「えっ? もうお仕事? まだ三時よ?」
「ちょっと回るところがあるんだ」
「ついて行っちゃダメなの?」
普段偉そうなくせに、メグは急に子犬みたいな態度になった。
不安なのだろう。
だが、ここは風地区だ。完璧とは言わないが、よそに比べれば間違いなく安全だ。
「悪いがプライベートでな。君はちゃんと留守番してるんだぞ」
「なによそれ! エイミーに言いつけてやるんだから!」
*
家を出たのはいいが、行くアテはなかった。
あの狭い家で、自称妹と一緒にいるのが耐えられなかった。
そろそろ春だろう。
天気もいい。
散歩するには最高の日和だ。
たまには花でも買って帰ろうか。
マチルダと会話するチャンスだ。
問題は、花を買う予算だが。
「クリス。クリストファー・マイン。止まれ」
停まっていた車から声をかけられた。
俺の名前を知っているということは、関係者か。
後部座席から、金髪の痩せた男が出てきた。
ハンチング帽をかぶり、アーガイル柄のカーディガンを着た、市街地に住んでそうな見た目だ。
「自己紹介が必要か? 俺はベンジャミン・マイン。遺産の正当な相続人だ」
メグの言っていた「ベン」だろう。
ボブの姿はない。
俺は肩をすくめた。
「ご用は?」
「マーガレットと手を切れ」
「なぜ?」
するとベンは、いまいましげに顔をしかめた。
「なぜだと? 言われないと分からないのか? 死んだ親父は、俺の母親も、お前の母親も捨てた。唯一の例外は、マーガレットの母親だけ。つまり、まともに相続してたら、あいつが全部もってくことになる。そんな女に協力したところで、お前の取り分はゼロってことだ」
法律のことはよく分からないが、この男の主張にも一理あるような気がする。
だが詭弁だな。
「で、メグと手を切ったら、俺になにかメリットがあるのか?」
「慰謝料をやる。百万リブラだ。それでこの件から手を引け」
一生遊んで暮らせる額、とまでは言わないが、少なくとも働く必要はなくなる。
それでも俺は首を縦に振れなかった。
「いまいち信用できないな」
「信用できないなら、死ぬまで風地区にこもっていればいい。あそこには組織も手を出さないことになってるからな」
薄々気づいてはいたが、どうやらそのようだ。
だから母親は、俺を連れてあそこに住んだのだ。
俺をマフィアから遠ざけるために。
俺はいちおううなずいて見せた。
「分かった。話は理解した。だが、受け入れるかどうかは別だ。気が向いたら連絡するよ、ベンジャミン」
「ああ、もちろんだ。生きてるうちに連絡をよこしてくれ。手遅れになる前にな」
こちらへ指をさし、強い口調でまくしたてながら、彼は車に戻った。すると車はすぐに発進。街のほうへ走り去っていった。
*
花屋へ寄ったが、マチルダはいなかった。
だから俺は街をぶらついて時間をつぶし、それから仕事へ向かった。
職場の様子はいつも通り。
みんな無気力ながらも、淡々と仕事をこなしてゆく。
九時に仕事を終え、フィッシュ・アンド・チップスを買って帰った。
家では、すでにメグとエイミーが夕食を終えていた。
「あー、やっと帰ってきた。妹をほったらかして、どこでなにしてたのかしら?」
メグはこちらも見ずに、嫌味ったらしい様子でそんなことを言ってきた。
「仕事だよ」
「ウソ。きっとデートよ。あのマチルダとかいう地味な女と、陰でこそこそ会ってたんだわ」
「もしそうならよかったんだがな」
俺もテーブルについた。
夕食を食わなくてはならない。
エイミーが紅茶の支度を始めた。
「もうしわけありません。クリストファーさまのお夕食も用意するつもりでしたが、マーガレットさまに止められてしまい……」
するとメグが横から「当然でしょ」と割り込んできた。
いや、いいのだ。
もともと一人暮らしだった。食事だって自分でなんとかする。
「俺のことは気にしないでくれ。それより、郵便局はどうだった?」
「残念ながらなにも」
「こっちはベンジャミンに会ったよ。この件から手を引けってさ」
するとメグが不審そうな目を向けてきた。
「なんて返事したの?」
「そのうち連絡するって」
「なにそれ? 断らなかったってこと?」
「法律上の相続権は、君にあるらしいからな」
いまならベンとボブが手を組んだのも納得できる。彼らは同じ立場なのだ。メグに危機感を抱いたのだろう。
メグはテーブルをバンと叩いた。
「ちょっと待って! それはウソよ! 親が離婚してても子供に相続権はあるわ! だから四人とも立場は平等なの!」
エイミーも「弁護士の先生にも確認しました」と補足してくれた。
もしそうなら、ベンは俺にウソをついたことになるな。あるいはベン自身が誰かにウソを吹き込まれたか。
「信じるよ。ただ、重要なことを確認してなかった。遺産が見つかった場合、どう分けるつもりなのか」
応じたのはエイミーだ。
「これはただの遺産相続ではありません。そもそも遺産があるかないのかも分からないまま。もしかすると、赤の他人が偶然発見するかもしれません。最初に発見した人の総取りになる。ですので、噂が広まる前に関係者が見つけ出す必要があるのです」
だが、彼女は俺の質問には答えていない。
メグは肩をすくめた。
「そうね。もし私が見つけたら、誰にも渡さないわ。お兄さまにもね」
「ならベンジャミンの言うことは正しかったわけだ」
「でも勘違いしないで。お兄さまの協力次第では、家に置いてあげるから。贅沢させてあげるわよ? 私の機嫌を損ねない限りはね」
「まるでペット扱いだな」
だがこれを堂々と言ってくるということは、宣戦布告に近い。
エイミーは溜め息をついた。
「マーガレットさま、冗談はおやめください」
冗談?
メグも苦い表情だ。
「そうね。冗談。だから怖い顔しないで。もちろんお兄さまと半分こするわよ。だって、そうしないとケンカになっちゃうじゃない?」
「それを聞いて安心したよ」
最初のころは、命さえ助かるなら、金なんてどうでもよかった。
だが、金の話ばかりしていると、金に目がくらんでくる。
次第に値を吊り上げたくなってくる。
いや、これは金だけの話じゃない。
俺たちが、互いに相手をどう見ているかの話でもあるのだ。
同じ努力をするのに、金額に差が出るとしたら? それは相手を下に見ていることになる。
だがあまり貢献していないのに、半額を要求してきたら? 受け入れるほうは、不満を抱えることになるだろう。
努力を数字で表すのは難しい。
だから半分にするというのは、ひとまずは悪くないアイデアだ。
メグはふんと鼻を鳴らした。
「でも、きっとベンは独り占めするつもりだわ。あいつ、ズルいのよ。ボブはバカだから気づかないでしょうけど。お兄さまも、ベンの口車に乗せられちゃダメだからね?」
「気を付けるよ」
(続く)