怪文書
さて、本当に来た。
少し前まで母と二人で暮らしていた自宅。
そこへメグとエイミーが、キャリーバッグを引きずって入ってきた。
「意外とキレイにしてるのね」
メグはあちこち確認して回っている。
特に言うこともない、小さな二階建ての家だ。
「使ってないだけだ。家じゃ食事しないからな」
「料理しないの? そんなんじゃモテないわよ」
「余計なお世話だよ」
小さなテーブルが一つ。
ちゃんとした椅子は二つしかない。だから俺は階段に腰をおろした。
「明日は、港の倉庫を確認しよう。父さんが借りてるかもしれない」
「見つからなかったら?」
「北の森を掘り返すしかないな」
「私イヤよ。犬じゃないんだから」
俺だってイヤだ。
するとエイミーが、手紙を抱えてやってきた。
「勝手ながら、郵便物を回収してまいりました。あまり溜め込んでいると泥棒に狙われます」
「ありがとう」
このところ母の葬式などで忙しく、細かいところに手が回らなかった。
修道院の斡旋で、少し前から街の仕事を始めたはいいが、あまりに退屈でずっとぼんやりしていた。
さすがに今日の出来事で目は覚めたが。
俺はなにげなく手紙を眺めた。よく分からないサービスの勧誘、地区のお知らせ、公共料金の支払い、そして宛先のない白封筒。
「キッチンをお借りします」
エイミーが湯を沸かし始めた。
紅茶でもいれるつもりだろうか。
俺は白封筒をあけ、中の紙を取り出した。
内容はこうだ。
夜が来た
四頭の馬が来た
白い馬が来た
赤い馬が来た
黒い馬が来た
色褪せた馬が来た
メグも「見せて」と覗き込んで来た。
怪文書にしか見えない。
このタイミングだ。何者かが俺たちを誘導しようとしている可能性もある。
メグの盛大な溜め息が聞こえた。
「ねえ、エイミー。これどう思う?」
「四頭の馬……。たしかヨハネの黙示録に、このような馬に乗る騎士がいたような」
彼女が得意なのは銃撃戦だけじゃないらしい。
だが俺はこのとき思った。
手紙を送り付けてきたのがエイミーである可能性も否定できないと。
いまは誰も信用できない。
彼女たちはこの戦いの参加者だ。遺産を手に入れるためなら兄弟だってハメる。
俺はあえて尋ねた。
「どういう意味だと思う?」
エイミーはいちどコンロの火加減を確認してから、こちらへ向き直った。
「白い馬は『勝利』を、赤い馬は『闘争』を、黒い馬は『飢餓』を、色褪せた馬は『死』を、それぞれもたらすと言われていますね。もしこれがお父上に関連するものであれば、四人の子供たちを騎士に見立てている可能性もあると……」
「結論は?」
「この手紙だけではなんとも」
そうかもしれない。
このあと二通、三通と怪文書が届くかもしれない。
メグは椅子へどっと腰をおろした。
「勝利するのは白い馬? ならきっとそれが私よ。お兄さまは、次によさそうなのを選んでいいわ」
「まだなにも断定できないぞ。第一、誰が送ってきた手紙かも分からないんだ。敵の誘導かもしれない」
俺がそう応じると、メグはくすくすと笑った。
「敵の誘導? あのベンとボブが、ヨハネの黙示録から引用すると思う?」
「しないのか?」
「お兄さまは知らないからそんなことが言えるのよ。あいつら、信じられないくらいバカなんだから」
これはあくまでメグの感想。
敵をあなどらないほうがいい。
だが、ヨハネの黙示録を知らないというのなら、それは俺もメグも同じだ。知ってたのはエイミーだけ。
俺なんて、修道院のある風地区で育ったのに……。
もっとも、ここの修道院は、武装が立派で、ビールを作るのが得意なだけで、あまりまともな連中とは言いがたかった。
エイミーはテーブルへやってきて、封筒をあらためた。
「差出人は書かれていませんね」
「切手を見る限り、島内から出されているのは間違いない。けど、特定するのは難しいだろう。切手を貼って、どこかのポストに投げ込めば済むんだから。俺でも偽装できる」
そう。
もちろん俺が出したわけじゃないが、彼女たちからすれば、俺の自作自演という可能性もあるわけだ。
なのに、まったく疑ってこない。
やはりエイミーが出したのだろうか? それとも、疑ったら悪いとでも思っているのか?
いや、俺は今日まで、自分の父親が誰なのか知らなかったのだ。
事前にこんなことをするわけがない。
*
その後、エイミーの紅茶を飲んだ。
高そうな白磁のカップだ。
メグがつぶやいた。
「お兄さま、それ、誰のカップかお分かり?」
「君のだろ?」
「そうじゃなくて。いえ、私のだけど。家族のティータイムで使ってたものなの。それ、パパのよ。ずっとしまいっぱなしだったけど、ようやく出番が来たわ」
「……」
なんだか複雑な気持ちになった。
ちっとも嬉しくない。
死んだ父が、俺の母親以外の女と結婚し、作った家庭。そこで使われていたティーカップ。他人の家に土足で入り込んだ気さえした。
だが、メグは満足げだ。
「安心して。ほとんど未使用だから。だってパパ、私たちと一緒にお茶さえしてくれなかったもの」
「どんな人間だったんだ?」
「普通ね。きっと街を歩いていても、マフィアのボスだなんて誰も気づかないわ」
「聖書から引用するような人間だったのか?」
「どうかしら。私の部屋にあった本はぜんぶパパのものだけど……。読んでるところなんて見たことないもの」
平凡なおじさんという印象だ。
俺のイメージとも一致する。
なぜマフィアのボスになれたのかは不明だが……。しかし若いころはもっと荒々しかったのかもしれない。家庭を四つも持っていたんだから、少なくとも慎ましい性格ではなかったろう。
俺はカップを置き、時計を見た。
「エイミー、紅茶をありがとう」
「どちらかへ行かれるのですか? でしたら護衛しますが」
「いや大丈夫。夕方から仕事があるんだ」
するとメグが立ち上がった。
「仕事? なんの?」
「港から街に荷物が運ばれてくるだろ? その検品をするヤツらの監督さ。中にはサボったり盗んだりするヤツがいるから」
「ちょっと待って。莫大な遺産を巡って争ってる最中に、街で検品の監督? お兄さま、本気で言ってるの?」
「なにかおかしいか?」
メグは目を丸くしている。
「信じらんない。街にはベンとボブの手下もいるのよ?」
「昼間だけだろ。それに、中心部からはだいぶ離れた場所だ」
「それに、遺産が手に入ったら仕事なんて……」
「そうかもしれない。だが、手に入らない可能性もある。修道院に斡旋してもらった仕事なんだ。もしサボったらここにはいられなくなる」
「……」
メグは息を吸い込んだものの、言葉が思い浮かばなかったのか、そのまま固まってしまった。
*
もちろん俺は仕事へ向かった。
急がないとマチルダが帰ってしまう。
マチルダというのは、花屋で働いている娘だ。俺は彼女と挨拶するのを日課にしている。挨拶以外はしたこともないが。
仕事は簡単だ。
ただ座っていればいい。
まずは屈強なおじさんたちが荷物を運んでくる。すると商店街に雇われた作業員たちが、その荷物を仕分ける。
俺は眺めているだけ。
作業員たちは無気力だし、仕事も雑だ。
だが監視員がいれば、最低限のことはする。
「なるほど、ここがお兄さまの職場ね」
背後から声がした。
メグだ。
エイミーも一緒。
まさかついてくるとはな。
「なぜ家にいなかった?」
「決まってるでしょ? 退屈だからよ」
それが本心でないことを願いたいものだが。
突然の乱入者に、作業員たちも困惑気味だ。
メグはともかく、エイミーまで一緒だからな。なぜかずっとメイド服のままだ。
メグは耳もとでささやいた。
「で、さっき親しげに挨拶してた女は誰なの? 彼女?」
「いまは違う。だが、いずれそうなるかもな」
「趣味がよくないわね。あんな地味な女、お兄さまには似合わないわ」
「それ以上言うな。彼女は、見た目だけ飾ってて中身がともなってない女とは違う」
するとメグは、また空気を吸い込んだままかたまった。
言いたいことが山ほどあったのかもしれない。
だが、言わなかったことは褒めてやってもいい。
メグは、あまっている椅子に勝手に腰をおろした。
「この荷物はどこへ行くの?」
「細かいのは個人商店。けど、大部分は中心街だな」
「私がホテルで食べていたものも、ここでお兄さまが仕分けしていたのね。そう考えると、なかなか愉快だわ」
「労働の大切さがよく分かるだろ?」
彼女は「ええ」とつぶやいたきり、もうなにも言わなくなった。
*
フィッシュ・アンド・チップスを買って帰った。
こいつにバルサミコ酢をたっぷりかけて食べるのが好きだ。
「お兄さま、明日も仕事?」
「ああ。日曜日以外はな」
「パパの財産を探してる余裕はなさそうね」
「そうかもな」
仕事は三時間ほどで終わる。
港からの荷物は、朝、昼、夕と、三度来る。朝と昼の仕分けは大変らしいが、夕方のはそれほどでもない。六時に始めて、九時には帰れる。
だから時間はある。
しかし、朝からずっと遺産を探し回っているベンやボブに比べれば、だいぶ不利かもしれない。彼らは仕事をしていない可能性がある。
「食後のデザートが食べたいわ」
メグもまだホテル暮らしの感覚が抜けていないらしい。
(続く)