新しい家族
大きな島ではないが、活気があった。
太陽の降りそそぐ港がひとつ。
島の中央には歓楽街があり、夜になるとライトアップされた観覧車が見える。
街道の脇に並ぶのはレンガ造りの家。
まったく違和感がなかったわけじゃないけれど、少なくとも平和な街だと思っていた。
両親はいない。
母はつい先日亡くなった。父のことは「遠くにいる」としか聞かされていなかったから、きっと亡くなったのだろうと思っていた。
いや、まあ、その父もついに故人になったわけだけれど。
*
歓楽街の中心には「シルバーマンズホテル」がある。
金持ちが止まるような豪華なホテル。
不思議だったのは「誰が泊まるのか」ということだ。
じつはこの島には、なぜか観光客が来ない。立派なホテルがあり、酒場があり、遊園地まであるのに。
だからこのホテルに泊まるのは、必然的に島民ということになる。
島民の「誰か」。
俺はこの島の仕組みを知らな過ぎた。
いや、知ることがないよう、島のはずれの小屋に住まわされていたのだ。子供だった俺は、そのことに気づけなかった。
そして俺はいま、シルバーマンズホテルのプレジデンシャルスイートにいる。
理由は……聞かされたが、それでも分からない。事実だとは思えないからだ。
場所はホテルの最上階。
大きな扉の向こうに、まずはラウンジがあり、そこから寝室と専用のバーにつながっていた。計三部屋。俺の父は、ここに住んでいたらしい。
俺はラウンジのソファでひとり、頭を抱えている。
バーでは黒服の男たちが、ああでもないこうでもないと密談している。彼らは父の「部下」たちだ。個性的な髪型、サングラス、ヒゲ。会社勤めのおじさんたちには見えない。
マフィアだ。
そう。
俺の父は、この島を仕切るマフィアのボスだったらしい。
だが、数日前に病死した。
しかし俺は、後継者として丁重にもてなされたワケではなかった。
この黒服たちは、父の隠した遺産を探すため、息子の俺から情報を引き出そうとして、この部屋へ連れ込んだのだ。
もし俺がなんらかの情報を持っていたら、それを口にした途端お払い箱だったろう。
ところが幸いにも、俺はなんらの情報も持っていなかった。
父の職業はおろか、名前さえ知らなかったのだ。黒服たちは心底ガッカリした様子で、バーにこもってしまった。
父の部屋は、この黒服たちにだいぶ荒らされていた。
存命中はマフィアのボスだったかもしれないが、死んでしまえばもはや関係ないのだろう。
ドアの向こうからは「やはりヤるか?」などと物騒な会話が聞こえてくる。
いったいなにをヤるのかは分からないが、きっとロクでもない内容に違いなかった。
廊下から「失礼します」と声がした。
女の声だ。
「ルームサービスをお持ちしました」
黒服の誰かがオーダーしたのかもしれない。
しかしラウンジには俺しかいなかったから、俺が対応した。
扉を開くと、メイドの格好をしたメガネの女がワゴンを押していた。
言葉遣いは丁寧だが、つめたい表情をした美人だ。歳は二十代後半といったところか。
「奥へお運びします」
「頼むよ」
きっと俺のぶんはないのだろうと思った。
女がバーに入ると、男たちの会話がピタリと止まった。
まあ、知らない人間に聞かせていい会話ではないからな。彼らにも「自制心」はあるということだ。
そして次に聞こえてきたのは、タタタというリズミカルな音と、ガラスの砕け散る音。それから男たちの怒声。
それも三十秒とは続かなかった。
女はドアを開き、カートを置き去りにして涼しい顔で戻ってきた。
「わたくし、マーガレットさまの侍女をしているものです」
「マーガレット?」
俺は壁を背に、警戒しながら尋ねた。
この女、間違いなくヒットマンだ。
きっと隠し持っていた銃で、黒服たちを一掃したのだ。
この俺を締め上げて、情報を引き出そうという腹かもしれない。
彼女は肩をすくめて見せた。
「あなたの腹違いの妹ですよ」
「俺に妹が?」
「弟もいますよ。ふたり」
「ふたりも!?」
まさか四人兄弟だったとはな。
もしマフィアのボスなら、愛人の一人や二人いてもおかしくはないが……。
「わたくしのことはエイミーとお呼びください。奥の部屋でマーガレットさまがお待ちです。どうぞこちらへ」
「……」
きっと拒否権はないんだろう。
従うしかない。
*
完全防音ではないから、先ほどの騒ぎはホテルの従業員にも聞こえていたはずだ。
なのに、すれ違うものたちは、誰ひとりとして慌ててはいなかった。
エイミーが事前に手を回していたのかもしれない。
奥の部屋は、プレジデンシャルスイートほどではなかったが、そこそこ立派な造りになっていた。
豪奢なソファ、テーブルには水差しと果物、大仰な本棚、花瓶と花。
ブラウスとスカートでめかしこんだ少女が、行儀よく座っていた。
「マーガレットさま、お連れしました」
彼女が俺の妹?
だがその妹は、目を細め、まるで安物の腕時計でも見るような顔をしていた。感動の再開といった雰囲気ではない。
「なに? その方が私のお兄さまなの? なんだか頼りないわね」
俺はしかし反論しなかった。
「クリストファー・マインだ。君は?」
「マーガレットよ。メグって呼んで」
「メグ、いったいなにが起きてるんだ?」
俺の質問に、彼女はまず盛大な溜め息で応じた。
「ホントになにも知らないの?」
「そうだよ。なにも知らないんだ。俺はずっと島のはずれで母親と暮らしてたし、父親なんて顔を見たこともなかった。なのにいきなり呼び出されて、お前の父親はマフィアのボスだって……」
エイミーが紅茶を出してくれた。
よく分からないが、高そうなカップだ。
もし割ったら怒られるだけじゃ済まないかもしれない。
メグは肩をすくめた。
「パパは四人の女と結婚して、そのうち三人と離婚した。私のママ以外とね。で、最初の女と作った子供があなた。次がベン、次がボブ、最後が私。で、あなたも知っての通り、そのパパがこないだ死んだ。隠し財産の場所を秘密にしたままね」
「だからマフィアが必死になって探してるのか?」
俺の問いに、メグはぷっと吹き出した。
そして俺ではなく、エイミーに返事をした。
「ね? だから言ったのよ。この男はなにも知らないって」
そのエイミーは困り顔だ。
「しかしほかに手掛かりが……」
「ま、残りのふたりが結託してる以上、私たちも手を組むしかないわけだけど……。でも頼りないわね。役に立つとも思えないし」
失礼なことを言っている。
俺は紅茶を一口だけすすり、カップを置いた。
「なら帰ってもいいか? これまで通り、なにも知らないまま、島のはずれで暮らさないといけないからな」
メグは片眉をピクリと動かした。
「ダメよ。あなたには協力してもらうんだから」
「遺産に興味はない。命のほうが大事だ」
「あなたがそうしたいと思うのは勝手だけれど、残りの二人はそう考えないでしょうね」
俺の命を狙ってくる可能性もある、か。
「なにかプランはあるのか?」
「いいえ。もしあったらあなたには頼まないわ」
「もし手を組みたいなら、最低限の敬意は払ってくれ」
「あら、気分を害したかしら? なら謝るわ。ごめんなさい、お兄さま。私は悪い妹です。それでももっとお叱りになる?」
優雅に紅茶をすすりながら、そんなことを言う。
まったく謝る気がないということだけは伝わった。
だが、彼女の言うことにも一理あるのだろう。
残りの兄弟が手を組んでいるのなら、俺たちも協力したほうがいい。信用できる相手とも思えなかったが、残念ながらほかに頼れる相手がいないのも事実だった。
「分かった。協力しよう。ただ、ひとつだけ約束してくれ。騙し討ちはナシだ」
「結構よ。マフィアって、仲間を大事にするものでしょう? もちろんお兄さまも、私を裏切らないでね?」
「そんなことしないよ。君の侍女に撃ち殺されたくないからな」
するとメグは、ニヤリと笑みを浮かべた。
「あら、そんなこと心配してるの? でも安心して。もしあなたを殺したくなったら、私が自分の手でやるから」
「交渉成立だ。まずは状況を整理したい。俺の質問に答えてくれるかな?」
「ええ、なんでも聞いて頂戴。お兄さまが冷静な人でよかったわ」
(続く)