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娘の誕生日

作者: またあそぼ

仕事の帰り道、地元の駅改札を出ると、私は自宅とは反対方向へと足をむけた。

150mほど行くと、地元で評判のケーキ屋がある。そこで、ケーキを3人分購入し家路へと急いだ。


自宅に着きリビングへ行くと、妻が夕食の準備をしている最中だった。

私は「いつものところでケーキ買ってきたから冷蔵庫に入れとくよ」と言ながら、冷蔵庫のドアを開けると、そこには既に同じ店のケーキが用意されていた。

3人家族でケーキが6つになってしまったのだ。

いや、正確には2人でケーキが6つである。

我が家は“元々3人家族だった”、というのが正しい。


本来なら今日は、ハタチを迎えるハズだった娘の誕生日なのである。

妻も生前娘が大好きだったケーキを購入していた。


一昨年の9月、平凡で幸せな家庭から「当たり前の毎日」が突如奪われた・・・


その日娘は、いつもの時間になっても起きてこなかったのですが、週明けの月曜日という事もあり、なかなか布団から出られないでいるのだろう位の、軽い気持ちで新聞を流し読みしながら朝食を摂っていた。



しかし、いつまで経っても起きてこない娘を起こしに行った妻が、2階の部屋から私を大声で呼ぶので、新聞と朝食をテーブルに置き、慌てて娘の部屋へと向かった。そこで、私の目に飛び込んできたのは、苦悶の表情でベットにうずくまる娘の姿でした。


ただ事ではないと察した私は、妻に救急車を呼ぶように指示し、娘の背中を擦りながら「大丈夫!大丈夫!」を繰り返した。


その後、病院に運ばれた娘は、そのまま緊急オペを受け、

その間、私と妻は何が何だか分からず、何が起きているのかも理解できず、ただただ恐怖に怯え、祈り、待つことしか出来なかった。


数時間後、医者に呼ばれた私たちは、娘の余命がもってあと1年と宣告された。目の前が真っ暗になり、全ての思考が停止した。

病名は「癌」と後付されたが、そんなことはどうでも良かった。

暫くその場で泣き続けた私と妻は、トイレで顔を洗い、未だ麻酔で眠る娘の病室へと向かった。


呼吸器が付いた娘の顔を見た瞬間、枯れ果てたはずの涙が再び溢れ出し、妻と抱き合いながら声を殺して咽び泣いた。


奇跡を信じることにした私たちは、娘に余命を告げることはせず、また、1秒でも長く娘と一緒に過ごすことを望んだ私たちは、医者に頼み自宅療養の許可を貰った。


娘が通う高校の担任にだけは病状を話し、クラスメイトには内緒にして欲しいとお願いした。

そして、長期間休むことになるであろう事も付け加えたが、いつでもまた通えるように、休学という形だけは取らなかった。


しかし、再び学校に行く日は訪れなかった・・・

自宅療養中、始めは娘も余命宣告されたとは思えないほど体調が良く、一見すると普通の女子高生そのものだった。

しかし、病魔は確実に娘の身体を蝕み、僅かに残った灯火を消す瞬間を伺っていた。


そんなある日、娘は小・中・高と同じ学校に通う親友の有紀と遊びに出かけた。

私と妻は、気が気ではなかったが、残された時間を出来るだけ多くの人と会い、楽しんで欲しかったので、辛くなったら直ぐに病院に行くことと、そうじゃなくても

17時までには帰宅することをお願いし見送った。


結局その日は、娘が外に出た最後の日となった。

次の日から、昼間でもベットで横たわるようになり、

次第に食事もままならなくなり、見るからにやせ細った。


その後、病院に入ることになったのですが、既にどうすることも出来ぬ状態であり、片時も予断の許されない状態が続いた。

しかし、遂に“その時”が訪れ、娘は帰らぬ人となった。

余命宣告の1年を、あと2ヶ月も残した蒸し暑い夏の朝だった。


葬儀を終え、自宅に帰ると1通の手紙が届いており、中には、1枚のDVDが同封されていた。

DVDを再生すると、そこには振袖姿の娘が笑顔で映っていた。


『お父さん、お母さん、私を産んでくれてありがと、今まで育ててくれてありがと。

もっともっと、一緒に居たかったけど、もっともっと一緒に笑って、もっともっと一緒にケンカしたかった。

お母さんみたいな大人の女性になって、お父さんみたいな男の人と結婚したかった。

でも、ごめんね、私きっともうダメだもん・・・。

だからね、ちょっと早いけど、今日は私の成人式なんだ、どう振袖似合う?』

そう言うと画面が切り替わり、再び現れた娘は、ウェディングドレスを着ていた。


『じゃーん!今度は一人結婚式だよ!

「お父さん・お母さん、ワガママな私を今日まで育ててくれてありがとう。今日から私は嫁ぎます」・・・って言いたかったなぁ。お父さんと一緒にバージンロード歩きたかったな。



でも、しょうがないよね。我慢するよ!運命だもん。

最後になるけど、本当に私は今まで幸せでした。

短い人生だったけど、もし生まれ変わったとしても、

もう一度私に生まれたい!心からそう思います。

だから、二人とも泣かないでね、笑ってバイバイしよ。

じゃっ天国で先に待ってるね』


最後の最後まで、笑顔で元気で優しい親孝行な娘でした。


娘のハタチの誕生日の夜、私たちは、そんなことを思い出しながらケーキを食べ、娘の仏壇に手を合わせました。


すると、時計の針が、あと数分で20時を指し示す頃、リビングの電話が鳴り、妻が受話器を取ったのですが、

「はい、どちら様でしょうか?」

それだけ言うと、暫く黙っていた妻のすすり泣く声が耳に入ってきました。

私は、直ぐに妻のもとに駆け寄ると、エプロンで目頭を押さえた妻が無言で受話器を差し出してきた。

そこから聞こえてきた声に、私は耳を疑いました。

受話器の向こうから聞こえてきたのは、紛れも無く娘の声でした。


『今日は、私のハタチの誕生日だよ!忘れてないでしょうねー!!主役の私がいないのに誕生日も何もないよね。

でも、キットお父さんとお母さんなら、いつものケーキを買ってきてお祝いしてくれてるんだろーね?

ありがと。



天国は思いの他、快適なんで心配しないで大丈夫だよ。あっ、でもだからと言って早く来てって言ってる訳じゃないので勘違いしないでね。

ちなみに、この電話と私の葬式の日に送ったDVDは、天国から送ってます。って言うのは冗談(笑)。



自宅療養の時、1度だけ、有紀と出かけたの覚えてる?その時に有紀にお願いしておいたの。ビックリした?

では、有紀の電話代が高くなると悪いからそろそろ切るね。

じゃ、愛してるよ』


受話器を二人で握り締めてお互いの顔をくっ付けた状態のまま、暫く私と妻は泣き続けました。

しかし、もう私も妻も悲しみに暮れて泣くことはないでしょう。

なぜなら、今でも私たちは、つねに3人で一緒なのだから。


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