八十四ノ怪 悲しき招く声
『……い…で………』
ーーさっきから、ボクを呼んでいるのはだれ?
玄関の上り框部分に置かれていたパイプ椅子を床に置き、物音も立てずちょこんと一人寂しく座っている自分。
″ハカくん″まだかなぁ…
真昼なのに外は残念な曇り空。
雨が降る可能性は幼き脳では考慮出来ず、傘は持って来ていませんでした。そして薄暗く静まり返ったこの玄関で、刻々と時だけが流れていきます…
『……おいで…』
「……?」
すると玄関磨りガラス越しに差し込む、曇り空独特の外光とは真逆。かなり年季の入った木目板張りの、薄暗い廊下の突き当たり…
その最奥が見えない漆黒の闇から、掠れ気味に何者かが囁いている気がしたのです…
これは……声?
その″声″は自分の小さな鼓膜ではなく、別の部分から聞こえてくる感じがしました。併せて、徐々に自分の右手がほんのりと痺れ始めたのです。
「右手が何かピリピリする…何故?けど…、ハカくん遅いなぁ〜…」
これは自分が幼稚園に通っていた頃のお話。
友達の″ハカくん″から急に「今日遊ぼうよ?」と、誘われたまではよかったのですが。彼は部屋を足場が無いくらい散らかしたままだったらしくて、ハカくんのお母さんが大激怒。これにより、仕方なく自分はハカくんの片付けが終わるまで玄関で待たされる羽目になった…というのが今回の経緯。
…で、彼のお母さんはそのまま買い物に出掛けてしまいましたが。その後ハカくんはかなりこっぴどく怒られてしまったのか、大泣きしながら長時間部屋の整理・整頓に時間を費やし、なかなかお呼びが掛かりません…
『……おいで…』
「??」
ずっと違うお呼びなら掛かってますが…?
取り敢えず、只の聞き違いかな…?と思っていたのは実は聞き違いではなかった様で…
雰囲気的にも、今ハカくんの家にいるのは本人と自分の二人だけと思うのだけれども………ん?じゃあ、この声の主は一体誰なんだろう…?
『……おいで…』
「だ…、だれか呼びましたか…?」
(しぃ〜ん…)
小さくて可愛らしい男の子?の聞き返し(照)
しかし返事が返ってきません。まさか此方の声が小さ過ぎて聞こえてなかったとか?
「……。」
ですが『おいで。』と語り掛けてくるその声は、とても優しそうな″お婆さん″の声だったのです。恐らく出処は廊下突き当たりの真っ暗な廊下の先。そこで椅子から立ち上がり、廊下の奥をよーく見てみると…
「扉が開いたままの…、真っ暗な部屋…?」
もしそこに人がいるとしたら、大抵は部屋の明かりをつけてる筈。しかし、そこは真っ暗けっけのへやだったのです…
「だ、誰かいますか…?」
(やっぱり、しぃ〜ん…)
此方からの質問に対し反応・応答はありませんでした。
『……おいで…』
すいません嘘をついてました…
この脳へ直接聞こえてくる様な声が″応答″になっているのかは分かりませんが、一応は『おいで。』と″返事?″をしてくれていた?という事で…
「え、えーっと…」
まだ霊的なモノに対して″世間知らず?無関心?ちょっと変態?″とでも言えばいいのか(汗)この頃の自分はかなり鈍感で、心霊現象に対しあまり恐怖を感じてはいなかったのたです……って、誰が変態だっ…! (照)
そしてこの頃の本当の恐怖と言えば、″実兄″タメ兄から日常的に受けていた虐待による″処刑″…の方がよっぽどの恐怖″でしたから…
「激痛」「流血」「病院送り」…な、リアル恐怖に勝るモノなど存在しません。よって幼少期に普段から実家で体験していた心霊現象と並べてみれば、そんなに怖くはなかったのです。
「ハカくんホントに遅いなぁ…。う〜ん…、仕方ない、ちょっとだけなら…」
(スタスタスタスタスケテ……)
首を少し傾げながらも、謎の″誰か?″から呼ばれたみたいなので、子供の小さな歩幅でテクテクテクテクテクニシャン……と、真っ暗な廊下の更に奥の部屋へと足速に向かう自分。
「……。」
やがて部屋に到着し、中を見渡せば八畳ほどの和室が広がっていました。端に一組の布団が綺麗に折り畳まれ、その横の小さなテーブル上には、生活感溢れる急須と茶碗が置かれていて、いかにも「老人がいますよ」的な雰囲気が漂う部屋だったのです。
この部屋の主は今、お出掛け中かな…?
すると再び…
「…い…で……」
「…??」
キョロキョロ、キョロキョロ…
声がまたまた聞こえましたが…。窓側には二重に掛けられた厚手カーテンの隙間からのほんの少し差し込む光だけ。それに部屋は相変わらず真っ暗なままでしたが、当然そこに″人″なんて存在しません…
「へ…?」
すると突然″何かがスーッ″と、自分の身体を通り抜ける様な感覚に見舞われました。同時に右手だけだった薄っすらとした痺れが、今度は左手にも発症。まるで酸欠状態の様です。
そして、その手の平を下げ気味に前へ出し少し俯き加減、ボーッとした表情のまま自分の両手を見つめていると…
「??」
部屋の入り口からカーテン側を向いているスタンスで、その見下ろしていた視界の端の方。誰もいない真っ暗な部屋なのに、誰かが立ち止まって此方を見ている足元の黒い影が見えたのです。
「あれ?部屋に誰もいないと思っていたのに″人がいた″んだ…」
…と。来客者である自分は、その人の方へと慌てて向き直し挨拶しようとしたのですが…
「あっ、こんに…ち………?」
見渡せばカーテンはキッチリと閉まっていて。やっぱり真っ暗な無人部屋のままだったのす…
そこで初めて自分は…
(ゾゾッ…)
少ない人生経験からも、何となくこの家で嫌な気配を感じ取っていた自分。取り敢えず謎の声に対する好奇心より恐怖心が上回ってしまったので、その部屋から慌てて逃げ出しました。
するとその″何か″が先回りしたのか…、再び横にある階段から下へと降りてくる怪しい人影が見え…
「わわわぁっ!?」
「っ!?」
…と思ったら。
「ケーくん。いきなり『わわわっ』とか言ったからビックリしたよぉ」
「あ…、ご、ごめんねハカくん…」
「それより…凄く待たせてごめんね?部屋が片付いたから上がってきてよ?ぐすっ…」
「う、うんっ…」
母親からかなり怒られ、まだ少し泣き加減が続くハカは少し鼻声。
さっき、追いかけてきた幽霊とバッタリ遭遇してしまった……と思ったら、実は友達だったというオチ。いや、オチてない…
やがて六畳一間、しっかりと片付けられたハカくんの部屋に案内されました。
あの時、一時間近く待ったんじゃないでしょうか…?ホント長かった…
「ケーくん。遊ぶのはこのボードゲームでもいい?ずずっ…」
「うんっ」
洒落た″ゲーム機″なんて存在しない時代。続けてハカくんは呟きました…
「これなら″時間的にも丁度いい″と思うんだぁ〜…」
「……?」
実は今回、自分はハカくんから急に遊びに誘われて驚いていました。家に誘われたのも初めてだし、あまり彼と話した記憶も無くて。何故だろう?…と。
それに意味深な「時間的にも丁度…」と言われたのが気にはなっていて
「じゃあ、これでボクの勝ちだね〜」
「うわぁ…、″また″すっごい負けちゃった…。ハカくん強いね?あははは…」
やっと落ち着いたのか、鼻を啜らなくなったハカくん。
しかし…先の真っ暗な部屋での出来事、何故か未だに痺れている両手、更にハカくんの言った不可解な台詞…
それらがやたらと気になってしまい、全く集中出来ずゲームは惨敗。次こそは負けないぞっ…と、そこで気合を入れ直した直後の事でした…
(ガチャガチャ…)
一階の玄関から誰かが帰ってきたのかな…?と推察中…
『ハカくん帰ったわよ〜、ただいまぁ〜』
「あっ、母さんだっ!」
「うん」
ハカくんはあらだけ怒られていたのに、母親が買い物から帰って来たのが余程嬉しかったのか、階段を飛んで降りて行きました。そして再び部屋へ戻ってきた彼の両手には二人分のプリンが握られていて
「ケーくん。これ食べたら今日遊ぶの、もうお終いね?」
「え?……う、うん、わかった」
そしてハカくんはさっさとプリンを食べて、ボードゲームもさっさと片付け始めました。彼は何故こんなに急いでるのでしょう?まるで自分はお払い箱かの様。いや、まるでその通りな邪魔者扱いでしたが…
そして次の日、幼稚園に行くとハカくんが変貌した理由が分かる事になるのです…
「ひぃ…」
でもって…全くついてない男ケイジは本当にタイミングが超悪く、玄関先で狂人タメ兄にバッタリと遭遇してしまったのです。
あれ?タメ兄は片手に木製バットを持ってますね。悪いのはタイミングだけじゃなく、シチュエーションも最悪では?
「オラッ、ケイジテメェッ!!そのまま家ん中に上り込んだら殺してやるからなっ!!分かったかっ!!オラッ!!」
(ゲシッ、バスッ、ドスッ…)
「あゔっ!…いだぃっ!わかりまひぃたぁは…」
今日の格言…「バットは素振りやボールを打つモノであって、人をブッ叩くモノではありません…」
口の中が切れて血だらけになり、ついでに着ていたお下がりの白シャツを部分的に血で赤く染めながら、脱いだ服は濡れた靴の上に置きました。
そして素っ裸になってから風呂へと向かいます…。しかし不運は続きました…
「ケイジ!アンタでしょっ、こんなに床を水で濡らしたのはっ!!」
(ドガッ!!)
その途中、今度は戦慄の鬼姉に遭遇。背後から素っ裸の自分へ思いっ切り飛び蹴りを喰らわせてくれました…
知ってますか?人間は無防備な状態で背後から突然蹴り飛ばされたら、命に関わる危険な転び方をするのですよ?
…その後、右耳の付け根辺りが酷く裂け、右側半分の顔面がみるみる内に腫れ上がってきて…
「こ、これ、ケイジ。どーしたの!?」
「うう…、お母さん…」
「ケイジが一人で勝手に転んだんだよ?だよね?」
平然と嘘を言ってのける実の姉こと、狂言のワカ姉。この頃の自分は小柄でちっぽけな存在でした。救急車は呼ばれませんでしたが一応この後、母親に病院に連れて行かれ耳元を数針縫う羽目になっちゃいます…
そこで医者に言われた一声は、今でもハッキリと覚えます…
『こ、この酷い打撲痕…。身体の彼方此方に見られますが…。こんな小さなお子さんが、普段からよくケンカでもされてるんですか…?』
「え…?」
まるで吸い込まれた感じに、顔面蒼白になった母の顔も脳裏に焼き付きついてしまいました。
この頃は幼児虐待の解決法、逃げ口が全く無いご時世。普段からタメ兄、ワカ姉に受けたバイオレンスな攻撃で全身痣だらけでしたから。今現在の犯行なら、この兄姉は確実に逮捕されていた事でしょう…
「ボ、ボクはケンカなんてした事ないょ…」
「そ、そっか……。今度は糸を抜くから、またおいで?」
「うん…」
後日抜糸に行きましたが、家族から虐待されてないか根掘り葉掘り聞かれる始末…
で、その医者から「傷口が開くから」と体育系等はドクターストップ。お遊戯がサボれるのは密かにラッキーと考えていた自分。変なトコでポジティブだったり。オマケに謎の手の痺れもいつの間にか治っていて…
「からだじゅうが…いたいぃ…」
そして次の日の幼稚園の先生から……
「えー…、ケイジくんはお大怪我をしちゃってしばらくは安静にしていてもらいます。皆んなも気をつけてあげて下さいね?」
ある種。堂々とサボれる権利を獲得…とか思っていたら、まだ話は続き…
「それからハカくんの事なんですが…。祖母であるお婆さんが急遽入院先の病院で容態が悪化し、今日は園をお休みする事にーー」
「……え?」
昨日遊んだ「″ハカくんの、お婆さんは既に入院中だった″」という事を知りました。先日、彼から誘われた時。確かに家の玄関先で″優しそうなお婆さん″の声を何度も聞いた気がするのですが…。もしかして足元の黒い影が見えてた理由も…
すると呆気に取られていた自分の肩をチョンチョンと、突然話し掛けてきた女の子…。
ごめん、名前忘れちゃった…
「わわっ…酷い…。ケ、ケイジくん?耳と顔…大丈夫??」
「う、うん…」
そして、その子がササっと一度周りを簡単に目で確認した後…
「ケイジくん。これは皆んなには内緒だよぉ…?実はねぇ…ーー」
「…え?」
彼女が言うには…″自分がハカくんから遊びに誘われた″のは、彼自身がいつも家にいた祖母が急遽入院し。″一人っきりで家の留守番をするのが怖かったから″…らしいのです。
しかもハカはかなりのお婆ちゃんっ子だったとか?よって留守番の怖さを紛らわす為、他の友達にもたくさん声を掛けていたみたいで、母親の買い物が済んだら用済み扱いだった理由もそれで頷けました。
なんて奴だっ!お陰でボクは、ずぶ濡れ&病院行きになっちまったよっ!!ムキーッ!
「……。」
しかしその二日後。残念な事に、ハカくんの祖母は可愛い孫のいる自宅へ再び帰る事は叶いませんでした…
彼はそこから数日、葬式やらで幼稚園をお休みする事になってしまいます。それはそれでハカくんの事が少し可哀想になっていて…
でも、あのハカくん宅で聞こえて来た″あの声″の主は、本当に彼の祖母だったのでしょうか?危篤となり、自分のナガ兄の時みたく、懐かしの自宅に魂だけが帰ってきていたのかもしれませんが…
そして遊びに来てくれた孫の友達に対し、普段通り優しく声を掛けてくれていたのかも?
…と。普段ならこんな中途半端なオチで、このまま終わってしまうのですが…
「ケーくんっ…。久しぶりぃ〜…」
「ハ、ハカくん。お帰り〜…」
やたらと両手の平を合わせ、必死に摩っている自分。ピリピリ、ピリピリ…
「また今日も、家へ遊びに来ないかな?」
彼は祖母が亡くなり、よほどショックだったのか。数日幼稚園を休んだだけなのに顔が酷く窶れていました。そんなハカくんが再び家へと、お誘いをしてきたのですが…
「ハカくんごめんね?今日も病院に行かないとダメなんだ…。ずっと療養中で…」
「そ、そっか…」
頭に巻きまくっている包帯を武器に、ハッキリと断る自分。それは何故か…
彼は全く無自覚でしょうが。再び幼稚園に戻ってきた彼には、確実に目に見えない何かが取り憑いていました…。それは一体何なのか…?
亡くなった祖母…?もしくは守護霊…?
そうかもしれません…
ただ、彼が自分に近づいて来ると急に両手がピリピリと痺れ出すのです…
更にお誘いを断った後の彼の去り際。視界から消え去る瞬間、彼の足元にもう一つの黒い影を何度か目撃しました…
あのハカくん宅の真っ暗な部屋で見た、あの真っ黒な足元の影が。タイミング的にも彼の祖母の可能性が高いのですが…
交友歴の浅いハカくんの、その″原因・理解″に至る前に自分は、痺れの不調も重なり、怖くて完全に逃げの一手に回ってしまいます。
やっぱり幼き子供は配慮を欠き、彼が原因で手が痺れたり悪寒が走ったりすれば、悪い印象・悪い方へと考え方が変わってしまいますから…
やがて、ハカくんの自宅へ遊びに行った日から徐々に彼の顔が土色っぽくなり、更に激痩せしてしまっていて。その後、彼の安否が不明のまま自分は遠方へと越す事になってしまいます…
改めて考え直すと…
あの家には彼の優しい祖母の霊だけでなく…、他にも悍ましくも恐ろしい″悪しき存在″が潜んでいたのかもしれません…
完。




