八十ノ怪 とあるホテルにて…後編
ーーねえ…
カイ…、起きなさい…?
「…?」
もおっ…、やっと起きたの…?
おはよう、カイ……ーー
「んぇ…?…か、母さん?」
真っ暗な意識だけの世界から、朝の目覚めは至ってシンプルに。自分は母親から優しく声を掛けられ起こされました。いつも寝ていた馴染みのふかふか白布団、ゴタゴタするの嫌いだから部屋は全く飾りっ気が無く、そこで寝起きに首をぐるりと一回転。
すると知らぬ間に自分は、台所にあるテーブルの備え付けの椅子に座っていて
ーーご飯を食べて、早く学校に行かなきゃダメでしょ…?
「あれ…?俺…、学生だった……かな?」
…と、テーブル上には母が用意したであろう御飯とお味噌汁。付け合わせに添えられた海苔と生卵にお漬物…、これまた見慣れた素朴な朝食が並べられていました。
″朝食を食べてから学校へ行く″…のは至極、当然の事なのです…
″懐かしいな″…、…ん?一体何が懐かしいんだ?″今が現実″…だろ…?
気付けば衣服も勝手に寝衣から学生服へと着替えており…
寝ぼけているのか、頭が馬鹿になっているのか…は不明ですが。これらは後の記憶にも残らない造形物たち。何故かこの異様な展開にも全く違和感無く、完全に脳内は上の空状態に。
ーー今日はホントに酷い天気ね…。雨に気を付けて行ってらっしゃい…。ホラ…、この″傘″を持ってくの忘れちゃダメよ…?
…と、気の利く母からそう声を掛けられた後。ビジョンは既に玄関先へと飛んでおり、半ば強引に一本の傘を手渡されました。
「恐らく朝食は一つも口に入れていなかったけど、そもそも朝食って何だっけ…?バイキングって何…?ララ…?」
何気に口ずさんだ言葉も、やっぱり気にはならなくて…
(ガチャ…)
「母さん、行ってきます…」
くるり…、キョロキョロ…
「あれ…?」
玄関の扉を開け、すぐ後ろへと振り返ったカイ。
いつもなら見送り際、必ず手を振ってくれていた母が何処へと消え去っており、代わりに何も無い真っ黒な世界が永遠と広がっていました。
そして某アニメみたく、その場にはフレーム枠と開いた扉だけが存在し。己が首を傾げながらも無意識下、カイは脚を一歩前に踏み出しました。でも…
(ザザァーッ!!)
…そこには、いつもの見慣れた実家の玄関先の景色などは存在せず。上空より滝の様に流れ出る流水が、ただただ目の前の地面を只管打ちつけていました。しかしカイは、そんな驚きの光景を目の当たりにしても…
「あ、雨だ…。母さんから渡された″傘″をささなきゃ…」
実際雨と言うよりも、これは完全に滝なのですが…
そこで素直に母親から手渡された傘に目をやってみたところ…
「あれ…?」
しかし、その手に握られていた″モノ″傘ではなく…
「カッパ…?」
小さく折り畳まれた″黄色いカッパ″を何故か握り締めていたのです。
…手渡されのは確かに″傘″だった筈。でも既に傘の色やその持っていた理由についての記憶、興味やらは曖昧に…
「確かにアレは傘だった…かな?別に大した問題じゃないな…」
…と、いつの間にか″そんな事″はどうでもよくなっていて…
「……。」
明らかにおかしな展開。でもカイは少しも違和感を感じてはおらず、まさに深淵へ堕ちる禍々しい悪夢の中へ、ずっぽりと嵌り込んでいる様でした…。ただ…
「そうそう…雨だから母さんに手渡されたカッパを着なきゃ…」
そう口にすると″一瞬でカッパを着てしまっていた″カイ。その彼の視界には、ソレ特有の黄色いフード先端部分がチラホラと見えています。状況的には「雨が降ってるからカッパを着た」という先入観だけで、物事はトントン拍子に進んでいました…
「早く前に進まないと…」
学校に行く予定?だった筈が、もう滝の様な激しき流水に突入する事で完結する気がしていて…
そして気付けば、周囲は流水以外何も無い漆黒の闇へと変化していたのです。そして、まるで引き寄せられるかの如く彼はその流水の中へと入って行きました。
(バババババッ…!!)
当然…″バチバチッ、バチバチッ″…と、カッパのナイロン部分を酷く叩き付ける大雨の音。その上、不吉の前兆なのか、そこでカイは自分の意思とは無関係に変な言葉を口ずさんでしまう事になるのです。
『″もう、生きていても何の意味も無いの…″』
まるで自分の声がエコーの様にハモる″謎の女性″の声。
一応、彼はオカマではありませんでした。…いや、友達連中から絶対にバレない様。実はひっそりとオカマしてたり…?(違)
ゴポゴポッ、ゴポポポ…ッ…
…と、今度は浮かび上がる無数の気泡と共に自分が水中で″溺れている″景色へと様変わりします。ただ、そんな状態でもカイ自身は何故か息苦しくはなく。代わりに、えも言われぬ焦燥感と、激しい動悸に見舞われてしまいます…
(ドッ、ドッ、ドッ…)
「…っ!?」
それでいて身体は全く動かないまま、浮力の関係上。カイは浮遊物みたく、仰向けのまま大の字に水面へと浮かび上がりました。
「激しく打ち付けてくる…、これは…滝……?」
何も出来ず、まるで死人の様に滝の下でその叩き付ける落水を浴び続けていたカイ。滝下に落下したボールの様に、体は滝に自然と引き寄せられクルクルと動き回っていますが。視界は上向きのまま、浮力と水圧の加減で川下には流されずにいて…。しかし身体自体は、相も変わらずピクリとも動きません。
やがて周囲の景色が朝昼晩、朝昼晩…と秒刻みに素早く変化していき。体は腐敗してしまったのか、朽ち果ててしまったのかは不明ですが…。徐々に滝壺の底へと…、その奥深くへと沈んで行ってしまうのです…
すると…
『″寒い…、寒いよ…。寂しい…、◯◯さん…わたし、あなたがいないと凄く寂しいっ…″』
己の意識にだけ届く、掠れ、愬える女性の悲痛な叫び。それ以外は完全なる「闇」が待っているだけでした。
男で生まれたのなら″困っている女性を助けたい″…と、そんな男気が″謎めいた存在″を呼び寄せ″彼に助けを求め、何かを見せ、何かを愬えていた″…のかは分かりませんが…ーー
……
(ガバッ…)
「はぁはぁはぁはぁ…」
ここでようやくホテルのベッドから飛び起き、悪夢から目覚める事になったカイ。
「はぁはぁ…、ふぅ…。はぁはぁ…」
相変わらず心臓はバクバクと激しく鼓動しており、少し酸欠気味で…。これは恐らく″悍ましく奇妙な夢を見てしまった″のが原因。でも起きたから、もう大丈夫でしょうか…?
「はぁはぁ…、あれ…?」
取り敢えず周囲に目をやると、デジタルの時刻はまさに丑三つ時を刻み。窓にはしっかりとカーテンが掛かっており外の様子は窺い知れません。
そして暗い室内は、淡いオレンジ色の補助灯だけが寂しく薄っすらと部屋中を照らしていました。
確か怖がって一緒に寝てほしいと言っていた筈の″あのララ″が?いつの間にか横のベッドで上布団を被る様、一人で先に寝ていたのです。
「ララ…?はぁはぁ…。や、やっと落ち着いてきた…」
それを見て少し安心したカイ。やがて幾つもの疎らだった断片的な記憶が点と線で繋がり、今ここにあるモノは″現実世界″……との理解に至りました。
しかし…、あの怖がりなララが一人で勝手に自分のベッドに戻って寝ていたのは驚きです。そんな事よりも、この後彼は悪夢とは別の更なる怪奇現象にみまわれる事になってしまいます…
(ポチャ…、ポチャ…)
「……?」
心が休む間も無く、何処からともなく聞こえてくる水が滴り落ちる大きな音。可能性からしても聞こえてくるのは風呂場でしょうか?
(ポチャ…、ポチャ…)
いや…、その音は少し遠い位置…。ホテルの通路側から聞こえてきている様でした。ここでようやくカイは、あのカッパを着た女性の存在を思い出してしまうのです。
「まさか…」
思い出したくもない、あの不気味なカッパ姿の女性…
ホテルの通路は一面柔らかいカーペットで、水がポタポタと滴り落ちる大きな音が、ここまでハッキリと鳴るのはおかしいのです…
「ラ、ララ…?いや、起こしたらまた怖がるからダメだ…」
カイは手を伸ばし寝ている彼女を一瞬起こしかけようとしましたが、その手はピタリと止まります。
冷静に考えれば、この件で彼女を起こしてしまうと、その説明や対応の方が後々面倒だと考えたからです。よってこの時カイはララを起こそうとはせずに
「く、くそっ…」
慌ててベッドから飛び起き、裸足のまま出入り口の扉前まで移動したカイ。到着と同時、素早く施錠確認をして…
「こ、これなら大丈夫…、はぁはぁ…」
上下二段式のドアロックはしっかりと掛かっていますが、あの奇妙な音は廊下の方で未だ鳴り続けています。
やがでその存在を知らしめるかの如く、遠くから少しずつこの部屋へと近づいてくる異様な怪奇音…
後は、このまま薄気味悪い″水の滴り落ちる音″が廊下…。この部屋の前を通り過ぎてくれる事を祈っていたのですが…
(ポチャ…、ポチャ…、ポチャッ………)
…しかし。その期待とは裏腹に、その音はキッチリこの部屋の前で鳴り止んでしまいました…
「……!?」
扉がピクリとも動かない様、上下二段式ロックを両手の指でしっかりと固定しながら足はガニ股大の字の、馬鹿みたいな格好で扉にジッと耳を当てていたカイ。
「………あ、あれ?」
無理な体勢のまま約五分ほど。その間は何も起きず硬直しっ放しのままでしたが…
(プルプル…、プルプル…)
「も、もう大丈夫……かな…?」
……否。
陰、もしくは負の連鎖か。カイの全神経はドアロックや通路側へと完全集中していました。しかしその予想とは裏腹に、室内の風呂場から突如鳴り響く激しい流水音…
(ジャァーッ!!)
「!!?」
この音は風呂場のシャワー口からか?蛇口からか?あ、トイレの流水の音かもしれないな…
…って。いやいや問題はそこではなくて…。ドアロックから、ゆ〜っくりと手を離し、抜き足差し足忍び足…。そろーり、そろーり…と…
相変わらず布団に包まったままのララを横目に、中が見えないユニットバスの入り口、アルミ製のドアの前に棒立ちしてしまっているカイ。
(ジャァーッ!!)
「う…」
この異常なまでの怪奇現象を確認する為。ドアを開けるのか開けないのか?…の二択を迫られていました。もし開ければ、かなりの高確率で″アレ″を見てしまう可能性がありました…
しかし、彼に用意された選択肢はそれだけではなかったのです…
(ガッチャン!!ガッチャン!!ガッチャン!!)
「ぬぁっ!!?」
今度はその真横。ダブルロックが掛かった部屋の出入り口扉を無理矢理開けようとする激しい音が、ユニットバス内の流水音と併せて部屋中に鳴り響きました。
(ガッチャン!!ジャァー!!ガッチャン!!ジャァー!!ガッチャン!!ジャァー!!……)
カイも流石に我慢も限界に達し部屋の電気を何度もつけようとしたのですが、まるで停電しているかの様に電気系統は全くの無反応。
まだ室内は補助灯があるだけマシでしたが、次に「ギシギシ」と自分の寝ていたベッド辺りで軋む音がしだし、誰も触っていないのにカーテンが酷く波打ち始め…
「ひぃいい…!?」
まさに状況は分かり易いポルターガイスト現象のオンパレード…
この時カイは腰が抜けた状態に陥り、後の考えなんて全く関係無しに、床へ這いつくばりながら、必死になってララを起こそうとしました…
「ひぃ…、ラ、ララ!ララ!…お、起きてくへっ!」
(ガッチャン!!ジャァー!!ガッチャン!!ジャァー!!ガッチャン!!ジャァー!!……)
恐怖のあまりカイの声にならない掛け声より、怪奇現象の方が大きな音だったのは秘密ですが…
でも、これだけ周囲が煩ければ普通、彼女はとっくに起きている筈なのです…
「ラ、ララァ〜…」
しかしパニック状態に陥っているカイは、そんな当たり前の判断すら出来なくなっていました。しかも伸ばした手よりも先にララの寝ていたであろう上布団が急に捲れ上がり…
「ララ…?」
(ガバッ…)
カイはその布団にいた″不気味な何か″から、右手首をガッ!と掴まれてしまう事になったのです…
ガシッ…
『″◯◯さん…ーー″』
……
……
「……だ、だれ…?」
一体何が起きたのか全く理解出来ずに数秒間硬直していたカイ。
捲れ上がった布団の中から飛び出て来たのはララではなく、あの黄色いカッパを着た見知らぬ女性だったのです。見た目は若くても、その肌は青白く艶が無くて、顔からは感情すら微塵に感じられない完全なる″無″の表情…。まさに幽霊特有の顔そのものだったらしいのです…。やがて…
…
……イくん…
……カイくん、起きて……
「ーーひぃっ!?」
「!?」
次の日の朝八時頃… 。ユサユサと、カイは何かに酷く怯えた状態でララから起こされる事になってしまいました。
「あ、あ、あえ…?…ご、ごめん…」
「もぉっ…、ずっと起きないんだもん…」
「ず、ずっと…?」
「そうだょ…?何時間もずーっと魘されてたし…、わたし一人で、スっごく怖かったんだからね…?」
「な、何時間も…??」
これが本当の現実でした。カイが、さっきまでずっと見ていたのは夢だったのでしょうか?…にしてはかなりリアル過ぎる夢…
でも起床後、カイは難病中みたく全身が酷い倦怠感に見舞われ、二日目のディズニーは行けずに断念する事に。更に当日、この不気味なホテルの宿泊をキャンセルする事にしたのです。
ちなみにカイの母親の死因までは知りませんが、夢に出て来た時は既に亡くなっていたと聞いてます。でも、まるで生きて再び出会えたかの様だったとか?
そして自分が彼からこの話を聞かされたのは、その旅行から数日経ってからでした。
「い、いきなり呼び出してごめんな?…なぁ、ケイジ。俺は幽霊とか全く信じてなかったんだけど、一つだけ…聞いていいか…?」
「何だよ?」
「消えないんだよ…」
「…な、何が?」
「擦っても、叩いても、軟膏を塗っても…。この″痣″が全く消えないんだよ…」
「…!?」
彼の右手首には″女性のか細い手の形をした痣″がハッキリと皮膚に浮き出ていました。旅行から帰宅後、数日間は皮膚に何の異常も見られなかったらしいのですが、思い出したかの様に突如現れた不気味な″痣″…
自分が相談される前日″ソコに痣″が現われたらしくて…。しかも身体の倦怠感はずっと継続中。完全に″何か″に取り憑かれている状態で……って、だから相談しにきたのか…
「カイ…」
「は、はい…」
「神社行け…」
「はい……」
やっぱり他力本願…
結果として素直に彼は自分が教えた某神社でお祓いを受けに行きました。でも彼から相談を受けた時から、自分にはその存在がハッキリと見えていたのです…
(あ、足元が…黄色いカッパ?みたいなのを着た″人″…?)
最初、その女性の性別までは分かりませんでしたが、カイの話を聞いた後に確定…
ちなみにその後も数回、彼から色々と相談されていて、念がかなり濃いのか完全に彼と波長が合ってしまったのかは不明ですが…。例の″カッパを着た霊″は最寄りの神社等では、全くお祓い出来なかったのです…
予想外に、かなり手強いこの幽霊…。もちろんこんなのが憑いていて、ララとの仲が上手くいくはずもなく二人は色々と揉めた後、別れてしまったとか?
「俺は一体どうすれば…」
そんな彼へ少し嘘を混ぜつつ、更なる助言を…
「…カイ。俺に″ソレは全く見えない″けどな?遠くても″二人″で、もう一度そのホテルに行って。ちゃんと自分の足で地元の人から話を聞いた上で、その裏山か何処かのその恐らく″滝壷″であろう場所を探し当てて。
『あなたは亡くなっていて、わたしにはどうする事も出来ません。だから、どうか安らかに成仏してください…』
…と、その女性の霊を心から供養してあげた方が良いんじゃないか?あ、それから…。カイが嫌じゃなければ…ーー」
部分的に善良な″嘘″。だってカッパの女性の全身像は自分には見えないですし、薄っすらと足元が見えるだけだし…
それに自分も取り憑かれたくはない。まったくもって最低な男ですが…
しかし約二ヶ月ほどが経ったある日の事。急にカイから自分の携帯へ″嬉しそうな声″で連絡が入る事になるのです。
「あ、ケイジ?この前はありがとうーー」
本当に夢で見た滝を探し当て、心からの冥福とお祈りをしてきたらしいカイ。
よく頑張った…、よくやった…
「いや…、別に俺は何もしてないよ…」
「いやいや…。『″ララと二人で行け″』…って言ってくれたのはお前だろ…?だから彼女に訳を説明してさ?一緒に…ーー」
結局そのお礼の電話のやり取り以降、彼とは会ってません。しかもララとはちゃんと復縁出来て、ご結婚もされた様で…。結婚式へ招待されたのに行けなくて本当にゴメンなさい。この場を借りて今更ながら…
「ご結婚おめでとうございます、二人とも末長くお幸せに…」
ララさんは…実は凄い美人だったので「チッ」…と、ちょい舌打ち。読者様の期待を裏切って復縁だと?俺がもう一度呪いをかけてやふ…、コンチキショウ。(笑)
今回の霊障が解決に至ったのは、一緒に行ってあげた彼女の愛が全てを跳ね除けてくれたお陰だと思われる一幕。
ただ、カイから聞いたその内容からも…
カッパの女性は愛する男性に捨てられ、何処かの滝壷で自殺された感が強いのですが…。その寂しき幽霊が、その後成仏したか?今も彷徨っているか?…はボクには分かりません…。カイ夫婦のトラブルは解決しても、幽霊は今だに彷徨ったまま解決していない可能性も…
出来る事なら後者にはならずに、今は安らかに召されていると…ご冥福をお祈りしています…
完。




