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六十六ノ怪 おっ、トイレ…

ヒタヒタ…、キュッ…


「……。」


ヒタヒタ…、ヒタヒタ…、キュッキュッ…


「……?」


今は夜。

薄暗く奥まった場所にいる所為か、微かに聞こえてくるコンプレッサーの回転音と流れっ放しの有線放送。それに紛れ、遠くの方から自分ケイジの耳に飛び込んでくる謎の足音。ラバー材の床をゴム製の靴底か何かで「ヒタヒタ」と…、誰かがこちらに向かって歩いてくるのが分かりました。


ヒタヒタ、キュッキュッ…


今いる部屋は天井に裸電球が一つだけの、4メートル四方幅の薄暗い狭小トイレ。

壁側に男性用の立ち便器が一つ。そして屈むとデコを打ってしまう、凄く狭い和式便器の個室が一つ有るだけ。

…で。自分はその中で、大を必死にきばっている真っ最中だったのです…(お食事中の方ごめんなさい)


(だ、誰だ…?今、このエリアで働いているのは俺だけのはず……?)


しかし無情にも、そんな自分の不安は明確な恐怖へと変わっていきます。


ヒタヒタ…スタスタ、キュッキュッ…


やがて足音は大きくなり、こちらへと確実に向かって来ている事が分かりました。ゴム製の靴底で歩いたら、ちょっと踵を擦るこんな感じの音…?とでも言えば分かり易いでしょうか?

そこから自分がお尻全開で屈んでいる個室和式トイレの左手側に扉があり、全く見えない扉の向こう側がやたらと怖い、怖い…。そう言えばバイトで働く自分に対し、中年男性社員の方が


「ケイジ君。実は…ここ、夜になると出るからさ?わはははは、一人の時は気をつけろよ?」


…とか何とか…


…ってか、こんなにハッキリと存在感をアピールしてくる幽霊が普通いるか?『スタスタ』と足音もハッキリ聞こえていて、鳴り響いてるし、あまりにもリアルホラー感抜群だぞっ!?


…ヒタ、スタ、ヒタ、スタッ!!


(し〜ん…)


やがて予想通りに?足音がこの和式トイレの扉前でピタリと止まってしまいました…


(や、やばい…)


『ギィ……』


すると外開きの扉が急に開きかけたので、自分は慌てて左側へと向き、扉に付いている小さなスライドロック式の金具部分を手で掴み、扉を強引に手前へ引き戻しました。それは何故なのか?


『ガチャン!ガチャン!』


「っ〜!?」


実は、この個室トイレの扉の鍵は最初からブッ壊れていたのです…。従業員のトイレだから、経営者側のお偉いさん連中はそれを放置したまま…

だから個室トイレの内側から鍵の金具部分を両手の指でガッチリと掴み、必死こいて扉が開かないように引っ張っているのです。でも反対側には取っ手が付いていて、外向きに物凄い力で引っ張られ、何度も何度も扉が開きかけて…


『ガッチャン!バタンッ!ガッチャン!バタン!』


「…〜っ!!?」


状況はまるで、かのポルターガイストの様相。

しかも今の自分ケイジは超最悪な状態。まさに″アレ″を出している最中でしたから…。あと、残りの25%…。いや、せめて15%は出させてくれ…


『ガッチャン!!バタン!!ガッチャン!!バタン!!ガッチャン!!!』


幽霊?もしくは人間こ!?ますます扉を引っ張る力が強力になってきました。

こいつ…お、俺を殺る気か!?必死に手へ力を入れればケツには力が入らない…。この物理的均衡は神にも崩す事は出来ないからなっ…。うおっ、あふっ、お腹がっ…

これが霊なら、一体俺に何の恨みがあるってんだよっ…!


…と、その時でした…。ついに限界を迎えた自分の握力とケツ筋のパワーバランスが完全に崩壊。その恐ろしき吸引力によってトイレの扉はフルオープンしてしまったのです…


(ガチャッ…、バァーンッ!!!)


「あ……」


『ーー!!?』


………………。



え、えらく…ハッキリと見える幽霊だな…。茶系のすんごい地味な服を着た、こんなに体のラインがクッキリと見えるオ◯チャンの幽霊だなんて…、俺、初めて見た………


『ぎゃあああああっ!!』


左向きに、ポカンと口を開けたままケツ丸出しの自分ケイジに対し、鼓膜が破裂しそうなくらい叫び声を上げた幽霊…。いや、アレは只のオ◯チャンだよ!それに叫びたいのはアンタじゃない、このケイジだからなっ!!


(バタァンッ!!!)


そして、その女性はヤングな自分ケイジのサービスショットをマジマジと眺めきった後。我がでフルオープンした扉を、今度はサイドスロー気味に思いっ切りのフルスイングでシャットアウト。

二度目の強烈な衝撃音を喰らわさせられ、容赦無く鼓膜をまでも攻撃してきました…

そして「バタバタ」と激しい足音を立てながら、その方はこの場から走り去り…


(ギィ〜〜………)


叫び声とズレたタイミングで、思いっ切り閉められた扉は。その反動&惰性で『ギィ〜〜〜ッ』と音を立てながら、ゆっくりと全開します


「…………オ◯チャン。頼むからさ…。扉、閉めてってよ…」


幽霊?かと思っていたら、実はリアルオ◯チャンだったというオチ…。自分のケツ丸出しサービスショットを無料タダで見られた上、出力充填75%〜まだアレを発射している最中だったし…、容赦無く扉は180度外向きにフルオープンしたまんまだし…

頑張って閉めよう……ふぬっ…と、手を伸ばしても…はふっ…。て、手が全然届かない……。って、お〜い。よく見たら紙もちょっとしか無いぞぉ…。どーすんだよ俺っ!


「ペ、ペーパーの芯…、使うしかないぞ…。こうやって、あーやって…くそっ…。後から、もう一度ちゃんと拭き直すしか……ぐす……しくしく…」


ここは大阪の南側、南河内にある。自分ケイジが昔バイトしていた大手有名食品スーパー◯◯◯◯◯。これを書いてる時から三十年くらい前の話になるかな?この時代のスーパーの多くは、客専用のトイレが無い場所も多くて…。希にお客さんが


「″あの〜、トイレ貸して下さぁ〜い″」


…と頼みに来るのです。


「はいはい。この先の突き当たり右側ですので、どうぞご自由に〜…」


そんなやり取りを何度もした記憶があります。「トイレの際、気軽に従業員へお声掛け下さい。」と店内奥の扉に紙で書いてあっても、入り慣れているのか、勝手にトイレを使用しに来ちゃうオ◯チャン連中…


そしてこの後。情けなくも自分ケイジはコソコソと後処理をする事に…


「ふぅ、あの後。誰もトイレに来なくてよかった…。うん、ホント助かった…。しばらくお尻出したままウロウロする羽目になったし…。で、クンクン…、クンクン…。お、俺。今臭ってないよな…?な…?」


一体誰と会話しているのか。

この頃、香水なんて洒落たアイテムを持ってなかった自分。期限切れの廃棄予定だったオレンジやらレモンやらを使い、誤魔化す様に…しくしく…、あとはご想像にお任せします…


「ホッ、これで大丈夫…」


これの何処が大丈夫なのか?臭ってませんか?臭ってませんよね…?

これは、実に己の人生の中で一番恥ずかしかった思い出です…

…ってか、何だよっ幽霊って?約半年くらいここで働いてるけど、一度も見た事無いぞ?あの時、社員アイツは半分笑いながら言ってたし「あの◯◯めぇ、俺を怖がらす為に嘘をおしえたなぁ…」と。小休憩でジュースを片手に、全く聞こえない小声でボヤく小心者の自分。と、そこへ


「ケイジくん、何か言った?」


「はへ?」


屈んで覗き込む感じに声を掛けて来た人。このバイトで知り合った先輩″ミマ″と言う女性です。歳は二つ上で髪は超ショート。肌は色白で顔は誰が見ても必ず「可愛い」と言うとボクは思います。彼女はレジ打ち担当だったので、ここに来たって事は今から休憩に入るのでしょう。すると


「あっ…」


「ジュース、ちょっと貰うね?」


そう言って、持っていたジュースを取り上げ。まだまだ青二才である高三の自分の前で間接キスを披露するミマ。恐らくマイフェイスは真っ赤になっていたかと…


「ありがとう。えへへ…」


そう言って彼女は後ろ手を振りながら休憩室へと入って行きました。

何?俺に気があるの?まさか天然??

過去のトラウマから言葉数の少ないあがり症な自分が嫌になり、凄い恥ずかしくなった瞬間でもあります。しかし他の日にも手をマッサージされたり、後ろから急に抱き付かれた事も数回…

「驚いた?」とか「私、整体師やりたいんだぁ〜」とか彼女は気さくに話し掛けてくれていましたが。こちらの心臓はずっと″バクバク、ドキドキ″…。そして次第にミマの事を意識し始めた頃です…


「あれ…。今日はお休みかな…?」


彼女の事は本名、歳上なのと整体師になりたい…って事くらいしか知らなかった自分。そんな彼女が何故か急に職場へ来なくなってしまいました。


「今日も…、いない?」


知らぬ間に彼女ミマの事ばかり考えている自分がいて、何か彼女を怒らせてしまう様な事をしたかな?それとも何か余計な事を言ったりした?もしくは何処かの病院に入院中とか?まさかこの仕事を辞めてしまったとか??

ミマと正式にお付き合いしようと言われたわけではありません…。それに奥手で気の弱かった自分は、荷受けや品出担当のバイトだったしコミュ症もあったので、社員の方々にレジ担当の「ミマさんはどうしました?」なんて聞ける筈もなくて…


「今日も……来てない…」


この件以外の事でしたが、実は自分はこのバイトを辞めようと思っていました。その理由は社員の方々が仕事をちゃんとこなしても文句ばかり言ってきて、態度も凄く横暴だったからです…

社員なのにずっと休憩室にいて、仕事は全てバイトに丸投げ。他のバイトの方々も怒って何人も辞めている状態で、上の偉い管理職の人が来た時だけ頑張る、全く説得力が無い方々(しゃいん)ばかりでしたから…


今まで頑張っていたのは無意識下でも、多分ミマがこの職場にいたからでしょう…。そこから数日が経過した頃。仕事中に聞こえてきた社員同士の話で、自分は絶望に打ちひしがれる事になります…


『◯◯さん…亡くなったらしいぜ…』


『本当か…?確か事故で入院してたんじゃあーー…』


すると、その肝心要な会話中。いきなり本社から来た上司が作業場に入って来て…


『お前たち…、仕事は?』


『はい、直ちにっ!!』


青褪める社員たち。でも、自分はその鬼上司や社員の事なんて、頭の中は真っ白に綺麗さっぱり消えてしまっていました。そして知らぬ間に職場の冷蔵倉庫に入って、一人、声を押し殺し泣いていたのです…


「うぅ…、ぐすっ…」


後から聞いた話ですが。彼女は実は彼氏がいたとか。あんなに可愛いし…、当たり前か…。でも別れ話を仲の良かった社員の方にしていた様で…。かと言って、彼女ミマに好かれていたって自分の勝手な思い上がりでしょうね…。うん…。しかし心には何か酷くポッカリと大きな穴が空いてしまい…


「うん。もう、辞めよう…」


心がその職場への倦怠感で押し潰されそうになりながら。自分はその二日後、店長に仕事を辞める旨を伝えました。バイトだったので縛りは無かったですが。引継ぎも兼ね、あと十日頑張ってくれと頼まれて…、もちろんそれはOKしましたが…


「明日で…終わり……か」


やがて仕事最終日の前日になり。自分は再び、あのトイレで思い出に耽っていました…。人生で一番恥をかいたのはこの職場、引っ越し三昧で、女性へまともに恋心を抱いたのもこの職場でした…

でも、その女性ミマはもうこの世にはいません。葬式や墓参りの話も聞く勇気が無かったホントに情け無い自分…。やがて天井を見上げ、大きな溜息を一つ…


「はぁ…」


すると…


(ザサ…、ザサ…)


また、コンプレッサーや有線の遠い音に紛れ。床を擦り、誰かがこちらへと歩いてくる音が聞こえて来たのです。


「……?」


今回のトイレでは、お腹は休暇中。よってズボンは履いたままです。しかしここへお客さんが入って来たら交代しないと…。でも、その足音はやたらと早く。もうすぐそこまで近付いていたのです。


(ザサ、ザサ、ザサ…)


「す、すいません。すぐに出ますんでっ…」


明らかに扉の前まで足音が来ていたので、自分は慌てて扉を開けました。


(ギィ……)


「…え?」


…しかし、そこには誰も立っていなかったのです…

それと同時、部屋に一つだけ有る裸電球がチカチカと荒々しく点滅し始めました。機械的な音を除けば、現在この部屋は全くの無音状態。ここで今、一体何が起きているのか…?自分の経験上、これはまさに心霊現象が起こる前触れで…


(カタン…)


「!?」


続けてトイレの壁に立て掛けてあったモップが何故か小さな音を鳴らします。身体には緊張が走り、再び電球がチカチカと点滅し…


「……。」


これが″社員の人が言っていた、あの幽霊″…なのでしょうか?しかし、この職場では一度も心霊現象なんて体験した事はありませんでした。だから定例通り、自分は霊が見えないか足下に視線を落とします。


「……。」


……見えない。でも、代わりに自分の首元へふわりと何か蜘蛛の巣が絡んだ様な違和感が過ぎりました。


「″ミマ……さん?″」


第一声は″それ″…。もちろん確証なんてありません。でも、自然と出た言葉がそれでした…。何か温かく、それでいてとても寂しい感じに…。その後、すぐにこの呪縛から自分は解き放たれ…


「……。」


いつもの遠くから聞こえる、あのコンプレッサーと有線の音…。裸電球の点滅も止まり、あとは只の静寂だけが部屋トイレへ物寂しく残っていて…

さっきのは彼女ミマがやったのか?この現象に対し一切の恐怖は無く、知らぬ間に自分の頬には涙が伝っていました…


「……。」


次の日、自分は何事も無く仕事の最終日を迎えました。憑かれた様な身体への違和感も無く、ただ日常が仕事の無い学業生活に戻っただけでした。家に全くお金が無い為に再びバイトを探す予定でしたが。しかし、この時ばかりは心の傷が癒えなくて、卒業まで全く働けず。完全に喪に服してしまったのは秘密です…


幽霊アレ?はミマさん……、だったのかな…?」


もう遠い記憶になりましたが。あの時ミマは最後に自分へ会いに来てくれたのでしょうか?もしくは只の心霊現象だったのかは分かりません。でも、今でも心霊現象アレは彼女がこの世に存在した証であり、彼女が起こした最後の奇跡だと自分ケイジは信じて疑いません…





完。

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