三十九ノ怪 二階に潜む闇
これは昔仕事の仲間だった男性から聞いた話です。
既に歳は四十代後半、共働きの奥さんは元同級生で恋愛結婚だったとか。しかし子宝には恵まれず十五年ほど前に買った新築一戸建て、未使用の二階スペースが…結果として全くの無駄になってしまいました。
よって施設から養子をもらうか二人は真剣に悩んでいたらしいのですーー
「養子をもらうにしても二階は十五年間放置したままだったし。倉庫代わりにしてたからなぁ…。溜まった道具とかを全部片付けないと…」
「そうよね…。けど、新築を建てたのに。わたし何かここの二階がとても気味が悪くって…」
「……。」
夫の名は″アサ″で奥さんは″ハナ″としましょうか。
二人は将来、自分たちの老後を見据えた会話をしていました。ですが夫婦共に家の二階から、何かしら不気味なものを感じ取っていたのです。
派手な怪奇現象ではないのですが無人の二階から人の気配がしたり、木の軋む音が聞こえたり。更には誰かが囁いている様な薄気味悪い声がするらしいのです。
新築で事故物件なんて、あまり聞いた事は無いですが。可能性としてはこの土地に元からいた地縛霊か、浮遊霊の通り道だったりするのでしょうか?
この後二人はその本当の理由を知る事になるのです…
時は変わり数年前。とあるお寺で見てもらい『その空間は未成仏霊のたまり場となっている!』と言われ、″ソレ?″の供養という名目で多額の現金を支払わされたとか…
「やっぱりインチキ…、だったな…」
しかもその供養してもらった後も不可解な現象は未だ続いており、一切何も変わらないまま大金だけ失うという目も当てられない状態に陥ります。
しかもその寺へ「何も変わってないじゃないかっ!」と文句を言いに行けば…『新たなる悪霊が入り込んだのです。任せて下さい、私が再びお祓い致しましょう』と開き直り、更なる金を要求してきたとか…
勿論、それを聞いたアサの怒りが大爆発。怒鳴りながらハッキリ断ったらしいです。
だって″前と同じ現象が起きる″のに″新たなる悪霊が原因だから金を払え″と言われても合点いくワケがありません。間違いなく、これは詐欺でしょうね…
よって両者共、揉めに揉め酷く話は拗れたままだとか…。供養、祈祷で″多額の現金″を要求してくる場合は本当に怪しいです。
私は一般的に定額の、大きくて有名な神社等に依頼する事をお勧めします。…と、話は少し逸れましたが…
「わざわさ二階は上がらないし、今は放っておこう…」
「はい…」
このトラブルが起きた時。二人はまだ″自分たち子供″の事をさほど気にはしていなかったのです。しかし実際、子宝に恵まれないまま年月が流れ高齢となった今。真剣に、とある施設から養子をもらおうと考え方を改めました。それにはまず、二階の片付けが必須なのですが…
「月初の◯曜日、粗大ゴミの日だから間に合わせようか?善は急げって言うだろ?」
「え?養子を″あの″二階で寝かせるの?」
「ち、違うよ。将来的に子供部屋にするんだけど…。様子見、俺たちが先に二階で寝るんだ。大丈夫、今まで何も無かったんだから。な?」
「……。」
すると妻のハナが正味の拒絶顔に…。それでもアサはハナを必死に説得しました。しかも夫婦共に両親は健在で事ある毎に「子供は?子供は?」と言われるものですから…
アサは身内から常にお尻を叩かれている状態で、精神的にも参っていました。
「ほ、ほら。俺たちが二階で寝れば怪奇現象の原因が分かるかもしれないだろ?新築だったから居心地の良い天井裏に潜んでいる動物とかが原因かもしれないじゃないか?もしそうなら業者を呼んで対処してもらい、その後何も無ければ二階の部屋を子供に譲ろうよ?」
「…それでも、わたし…。″あの二階で寝る″くらいなら、養子なんかいらない…」
酷く怯える妻…。こんな彼女の姿は初めて見みました。
「ま、待ってよ。養子話は俺たちの両親も賛成してくれてたじゃないか。しかも家のローンがまだ残ってるんだよ?部屋はやっぱり有効活用しないと、ね?」
「……。」
可哀想な話ですが。二人は病院へ行き各々の生殖機能を調べると、子供の出来ない原因が旦那アサにあったらしいのです。専門医曰く、一般男性からしても精子含有量がかなり少ないとか?それが分かったのは子供が欲しいと焦り出したここ最近の話。しかも例の多額のお祓い事件も旦那の発案だったらしく、妻には引け目を感じあまり強くは言えないのでした。
「じゃあ、あなたは二階で寝て?わたしは一階でしか寝ませんからっ」
「え?……………わ、わかったよ…」
そして不用な荷物を纏め。粗大ゴミを出したその日から、アサは二階に二部屋ある片側。取り敢えず今回は洋室の方に布団を敷き寝る事にしました。残りのもう一方の部屋は畳六畳の和室です。
「今日はこっちで寝てみるか…」
しかしながら、読者様の期待も虚しく?…は、無いか…
その日の晩は何事も無く朝を迎えられたのです。ひょっとして爆睡して気付かなかったから?
「…ハナ、おはよう」
「おはようございます、あなた?昨日の晩は何も無かったですか?」
「ああ、洋室では何も無かったよ。快調、快調。だから今日は和室の方で寝てみるよ」
「分かったわ…」
いつもハナが用意する朝食をさっさと済ませ、アサは自分と同じ職場に出社します。そして妻のハナはパートで十時半の出勤。
だから、この後少し余裕をもって出掛けます。やがて時は流れ、アサの帰宅時間と相成りましたが…
「ふう…、これでよしっ…と。…じゃあ、ケイジ。お疲れさん」
「あ、アサさん。お疲れ様でした。明日もよろしくお願いしますね」
「ああ、お先〜」
家には一時間ほど前に仕事を終えたハナが先に帰ってきています。されど一時間。慌ただしくも旦那のアサが帰る迄に、ちゃんと夕食は用意されているのです。
「ただいまぁ〜」
「あなた、おかえりなさい」
決まった台詞、普段と何も変わらない日常。これらマンネリ化した夫婦生活にアクセントを加えるには、やはり養子をもらうしかないのかもしれません。
「子供…欲しいよな?やっぱり…。ごめんな?俺の所為で、お前には苦労ばかり掛けて…」
「それは言わない約束でしょ?ただ運が無かっただけだから、あなたは悪くない…。…あ、今日はわたしも二階で一緒に寝るから、安心してね?」
「えっ?ホントに?」
と、実は二階で一人寝るのが少し怖かったアサ。ここに来て一筋の光が…
「わたしも養子の事、前向きに考えようと思ってさ?だから…」
「ありがとう、ハナ…」
「いいのよ、それと…。はい、これをあなたに…」
「…?」
この夫婦は三十年来の長い付き合い。互いの事を良く理解し合える仲でもあります。しかしハナは、やはり不安なのか神社で夫婦お揃いの、厄除けの御守りを買ってきていました。
そう言えば今日の夕食は簡素なものばかり。時間を取られる神社に寄って来たから、急ぎスーパーで出来合いの食材でも買ってきたのでしょう。
「御守り…?そうか…、仕事や家事で忙しい中、わざわざ買ってきてくれてありがとう…」
「でもオカズは手抜きだったでしょ?うふふ…」
「あの味なら、愛する君の手料理には勝てないなぁ…」
本当に仲の良い夫婦とはこんなものでしょう。羨ましい…(汗)
「もぉ、それは食べてる最中に言ってよね?」
「あははは…ごめん」
「うふふ…」
そんな心温まるやり取りを経て。
二人は早めに風呂を済ませ、二階の和室へと向かいました。その手には、あの御守りをしっかり握り締めて。
そして中に入ると部屋の正面。床柱を挟む形で左側に仏壇が置ける床の間、右側に両開きの襖がありました。ただ、その″床柱″は特注なのか。木目が多い赤黒い漆が塗られた何かおどろおどろしい床柱なのです。
部屋にあった不要な物は全て処分され、この部屋には今。天井の照明器具、床の間に頭を向けた二対の布団、その漆塗りの赤黒い柱くらいしか目立つ物はありません。
「じゃあ、寝ようかハナ。…電気はどうしよう?つけとく?」
「聞かなくても…分かるでしょ?」
「は、はい…。つけときます…」
最後にハナがコソッと二組の布団をピッタリくっつけ準備完了。枕の下に御守りを敷いてからの就寝。やがて時間は深夜の十二時前、そろそろ何か出てきそうな時間帯でもあります……が、期待に反し?一向に軋みや変な囁き声は聞こえてきませんでした。
「やっぱり、動物だったんじゃないか?俺たちが二階へ寝に来たから、その気配を察知して逃げたとか?」
「だったらいいんだけど…」
「隣の洋室でも何も無かったんだし、きっと大丈夫だよ…」
「ええ…」
ですがハナは自分の家なのに、この部屋にいる間は何か全身が不思議な感覚に囚われている気がしました。
地上では無く、何故か冷たい土の中に埋められている感じ?とでも言えば分かるでしょうか?と、そんな事を考えてる傍から…
「……ぐぅ〜……ぐーすか…、ぐーすか……」
「もおっ…」
仕事疲れもあり。アサは朝に向けさっさと爆睡。ハナは「旦那様より先に寝る」という出端を挫かれてしまいました。…え?「でバナ?」狙ってません…よ?
「ん〜…」
何か無性に腹が立ってきたハナは、デコピンではなく。アサの鼻頭に指でビシッっと軽く攻撃を加えました。
「ぐーすか…、ぐーすか……」
(ビシッ!)
「ぐーすぐがっ!?………ん…?」
旦那が起きたのを確認し、すぐさまハナは布団へと潜り込みます。まさに一瞬の早業。遅れて身体を起こしたマヌケなアサは
「スー、スー、スー…」
「あえ…?ハナ?今、俺のハナが何か……?……って、寝てるか…。今ハナのてっぺんに、すっごい痛みを感じたんだけど…、まさか…!?」
(キョロ、キョロ、キョロ…)
しかし旦那の周囲を怖がる動きやマヌケなコメントで、笑いを堪えきれなくなったハナはついに大爆笑。布団から、がばっと半身を起こし
「あははははははっ!ごめんなさいっ、あはははっ!」
「えっ!?」
「あはははっ、だって。あなたの驚き方がとっても面白くって、つい…、あはははっ…」
「ハナ、お前だったのか…ははは…」
「あははは…はは………!?」
しかしです。そんな二人の笑いの場に不穏当な存在が音も無く忍び寄ってきます。
互いに床の間や襖を背に、半身起こした状態。顔は向き合っていて、アサの方を見ていたハナの目には″ソレ″が映ってしまったのです。
「あ、ああ、あなた…うしろっ!?」
「…え?」
あの赤黒い漆塗りの床柱からスー…っと伸びてきた不気味な半透明の双手。それは見ただけで、この世のものとは違う異質の存在だと気づかさせられたのです。
そして徐に振り返ったアサの首を、いきなりその両手で絞め始め…
「キャアアアアアッ!!」
「ぐうっ…!?く、首が絞め……」
その場で叫んだハナ。まるで体温を感じられない不気味なその手。しかし、アサが感じた″首を締める″という言葉に語弊を生み、その霊はまるで″首を掴んで″何かを訴え掛けて来ている気がしたのです。
「な、何…を…」
『…びを……て……、首……して、……返し……首を…』
深夜の静寂に耳鳴り?極小さな物音?そんな、男女とも分からない掠れた声が聞こえてきます。いや、直接脳に語り掛けられてると言った方が正解かも?
そして何度も繰り返されるか細い囁き、それは悲痛、沈痛、悲愴を含め、アサの身体全体に纏わり付いてきました…
「く、首を…探しているのか…!?俺の…、この首は俺のだっ!」
『……。』
御守りを強く握った手でその霊の手に触れ、そう叫んだアサ。すると床柱から伸びていた手の色が更に薄くなり、スー…っと空気の様に消え去ってしまいました。そして和室は再び静寂に包まれます。
その後。アサ、ハナ夫婦は顔を見合わせた後。慌てて布団を担ぎ一階へと逃げる様に降りて行きました。そしてその晩は一対の布団を被る様、夫婦でピッタリとくっつき、一緒に震えながら寝たらしいです…
自分は、その日の朝の事を今でもハッキリと覚えてます。そして職場で
「あれ?今日はアサさん来てないの?」
「あ、ケイジさん。アサさんなら、今日は急用で休みらしいよ」
「へぇー…。あの休み知らずの皆勤男、アサさんがねぇ……?身内に何かあったのかな…?」
朝一、アサが…何かややこしいな…。取り敢えず…。事務の女性社員とそんなやり取りをし、自分の記憶の中でアサが会社を休んだのは後にも先にもその一度きり。
却ってそれが後にその理由を聞いた自分の脳裏に焼き付く事になってしまうのです。
「ケイジ、急に休んで悪かったな…?」
「あ、アサさん。どうかされました?もしかして、初めて会社休んだんじゃないですか?」
「ああ、…そうなるかな?」
「やっぱり…。…で、何かあったんですか?」
「朝は仕事忙しいだろ?昼休みにでも、お前の好きそうな話をしてやるよ」
「え…?」
この手の話は″好きだろ?″とか言われても気持ち微妙ですが…。そしてこの後、アサは自分が体験した心霊現象を語ってくれました。結果として十五年続いていた現象は恐らく″漆塗りの赤黒い床柱″が原因だったと。何故か首を探す手だけの幽霊。理由は全くの不明で、新築を買った時の不動産屋は既に倒産しており。その入手経路、経緯、詳細等は全く分からなかったとの事。
よって後日。リフォームとして床柱を新しいものと交換し、霊の出没する床柱は神社で供養してもらう予定だとか。もちろんどこぞのボッタクリではなく、お安く″定額″で、ですが…ね。
しかしアサの表情はまだ重く
「まだ…、安心してはいないんだ」
「え?床柱が原因だったんでしょ?」
「最近は疑り深くなったのか…いや、なってしまったのか…。リフォーム後に、あの部屋でもう何も″心霊現象が起こらない″という保証は何も無いからな?急ぐ養子の件もあるが。俺は結果が出るまで、まだまだ安心出来ないんだよ…」
「です…か…」
もっともな話でした。ただ、今回は柱を通して霊が現れただけで、原因が他に有る可能性も否定出来ません。
しかしです。この一ヶ月後位にアサは転属となり、自分と違う現場へと部署異動させられてしまいました。
丁度この頃、職場は社長の低能な息子が跡継ぎの様相で、会社全体も過渡期を迎えており。社長一族と親戚というだけでいきなり役職についた男がいました。
要は使い捨ての社員首斬り人です。
それにより色々とトラブルが発生し、社員数十名が自主退社。更に自分は部下数名を一気に首切りした非道な会社へ怒りが爆発。そのまま自分も自主退職に至りました…
ですが。まだその職場に残っている仲の良かった方々とは繋がりがあり。気になるその後、アサがどうなったか?…の話は人伝に聞きました。
『養子を二人もらったらしいよ?』と聞いてホッと一安心。今は予想しか出来ませんが。流れからしても恐らくリフォームし、あの柱を撤去た事で心霊現象は起こらなくなったのでしょう。
しかし悍ましくも首を探す、その柱に取り憑いていた霊は、一体夫婦に何を訴えたかったのでしょうか?凄く気になりますが…
完。




