三十七ノ怪 紺色の悪魔
頃は師走を迎えた、とある日曜日。
大阪に幾つかのチェーン店を展開する、ある有名大型ペットショップに家族で″遊び″に行った時の話です。だって可愛い動物をここで見るだけならタダだし…。その甘い考えが後に大事件を引き起こす事になるのですが…
そして今回の主役、次女のサリはまだ六歳。13歳の長女ヤカは店内展示ショーケースに凄く可愛い芝犬がいたので、貼り付く様にそこへと釘付けに。
赤子の息子ユトは妻が押すベビーカーの上で、太々しくのさばっています。
当然今日は休日だから人が多く。人気コーナーは人口密度が高くて、ゆっくりと可愛い動物見物すら困難な状態にーー
「パパァ〜、何か寒い…」
店内の人気の無い通路で。まだ幼い次女のサリが、自分にそう寒気を訴えて来ました。見た目にも道産子か?ってくらい、凄い厚着してるのに娘は何故かそう訴えてきます。
しかも店内は動物管理上でなのか暑いぐらい。本当に娘は寒いのか…?
「わかった。ちょっと待ってな?」
と、自分の首に巻いていたマフラーを娘の首に巻き付けてあげました。これで大丈夫だ、うん。
…と、そう思って一人安心していたら。娘は突如『違う、違う』と首を左右にフリフリ。今度は顔をプイっと拗ねてしまいました。
(ホワイ…?)
実は次女は泣いちゃうと石の様にかたまり、怒らすと音も立てず自分の腕をガリガリと引っ掻き自傷行為に走る、かなり…どころか…超絶扱い辛い頑固娘だったのです。
「おー、よしよし。ところで……サリ?何処を見てるんだい?」
それでも優しく父親は、娘にそう声を掛けます。するとサリは徐に通路の先を指差し、ジッとその先を見つめているのです。一体その先には何がいるのでしょうか…………って、誰もいないぞ!?謎の寒気といい、まさか幽霊が…!?
(じぃ〜…)
やっぱり、ずっと、今だに、果てしなく誰もいない場所を凝視する我が娘…。その冷ややかな眼差しを見て自分は″ゾッ″とさせられました…
その行動や視線は、まるであの鬼祖母を彷彿させるのです…。でも、この通路の奥には確か…来客者用トイレがあったはず…。この店舗は大きいのにトイレが汚くボロボロなので自分は入った事はありませんが…
…と、そんな流れのまま…
「トイレェ〜…」
トイレ見とったんかぁーい!
…ホッとひと安心、良かった…
娘が見ていたのはユウレイではなくトイレェでした…
…けど今までに見た事がない、あのサリの真剣な眼差しは一体…。しかもトイレまでの短い距離で、一体サリは何に恐怖を感じていたのか?ずっと自分のズボンをギュッと握りしめたままなのです。
「サリ?…く、くっつき過ぎると歩けないよ?」
(……。)
そしてやって来た店内の奥にある男女兼用トイレ。ボロボロドアの和式便器が二つ不気味に並んでいました。
もしかすると娘には霊が見えているのかもしれませんね…。ですが万が一そこに霊がいたとしても。今回、自分にはその霊が全く見えず、対応しようが無いのです…
そうこう考えてる内に娘も我慢も限界だったのか、慌ててトイレへと駆け込み、自分は外で待ちます。
(ガチャ、バタン、ゴソゴソゴソ…)
(キラキラキラキラ…)
※何かすいません…
ふぅ、ひと段落…?霊は大丈夫か?何もしなかったか?ホッ…
そして何事も無く無事トイレを済ませた娘が外へ出ようとした、まさにその時でした…
『キャアアアアアッ!!!』
(!!!?)
まさかの絶叫。幼い娘の甲高い叫び声が店中に響き渡ります。中で一体何が起きたのか?ま、まさか…さっき通路にいた霊がトイレ内で暴れているとか!?
(ガチャガチャ!ガチャン!ガチャンッ!!)
悲壮な声で必死に中から出ようとするサリ、しかしそのドアは全く開きません。
『いゃああああああっ!!』
(ガチャッ!ガチャッ!ドンッ!ドンッ!)
当然『何だ?どうしたんだ?』と店内いちの注目の的に…
(これって…、まるで俺が娘を虐待してる様にも見えないか!?)
自分は必死にトイレのドアを開けようとしますが、ドアノブは内側からのロック式。外からでは全く開きません。しかも
『パパァー!!助けてっ!出たのっ!出たのっ!!店員呼んでぇー!!て、ん、い、ん、呼んでぇーっ!!』
(出たとは?…まさか!?)
「で、出た!?い、今すぐ開けてやるからな?待ってろっ!」
『出た』?…ヤバイって…。当然娘の叫び声が動物より面白いと思ったのか、野次馬的ギャラリーがこの騒がしいトイレの前に集合して来ます。
こんなややこしい時に、ホント鬱陶しいギャラリーたちだ…。娘はぷんすか、ぷんすか…って、きょうび言わないなぁ…。しかも、″店員さん呼んで″ではなく″店員呼んで″と大声で呼び捨て状態。無茶苦茶恥ずかしい…
(ダンッ、ダンッ、ダンッ!!)
『いゃああああっ!!!』
「サリ、落ち着け、落ち着くんだ!えーっと…」
娘はドアをバンバン叩きますが、しかしビクともしません。一刻も早くサリを救出しようと自分も必死にドアノブを回しています。
そんな大混乱する中…。ふと、もう一つ有る隣のトイレが目につきました。そしてその中のドアノブの仕組みを静かに確認すると…
(カチャ…)
「ロック解除の方法は…?あっ…」
その扉の鍵は旧式。外からの鍵穴は無く、ドアを閉めれば自動でロックされる仕組みだったのです。よって解除方法は一つ…
『ぎゃああああああっ!!いるっ!いるっ!!助けてパパァー!!』
「いいか、サリ?よくパパの話を聞け?ドアノブの真ん中にあるボタンを押してみろ!分かるか?真ん中のボタンを押すんだっ!!」
『店員呼んでぇー!!ぎゃああああああっ!!出たの出たの出たーーー』
(カチャ、ぎぃー………)
『ーー…の、ぎゃあ…!?……ぐすっ…??』
今までの叫び声が嘘のように止み、的確な指示が功を奏したのか。ドアの小さな蝶番の潤滑の悪さを物語る錆びた不快な音と共に、ゆっくりとそのドアが開きました…
そしてトイレの中にいた次女のサリはやり処ろ無き両手を前に出したまま、顔は怨霊みたく泣きじゃくったあとで酷い有様に…
『パパッ!!』
(がばっ…)
おい、娘よ。そんな泣きじゃくった鼻垂れ顏で抱きつかれたら俺の服が大変な事になるじゃないか…あははは…はぁ…
…な、感じで自分は別件で顔面蒼白。
『おおーっ!お父さん、やったな?』
(パチパチパチパチパチパチパチパチ…)
しかもギャラリーサイドから、何故か歓声が上がり拍手までされる始末。だから無茶苦茶恥ずかしいんだってっ…
勘弁してくれぇ…。無茶苦茶恥ずかしい…
(ペコリ…)
一応頭を下げますが自分の顔は恐らく真っ赤っか…。急ぎ、そのペットショップから家族を引き連れ逃げる様に脱出しました。そしてその帰り道の車内で
「サリ?『出た出た』って…、一体トイレの中で何を見たんだい?まさか…!?」
そう優しく娘に質問しました。もしかすると…次女も長女に次いで霊感が有るのかもしれないのです。でも…
「うん。″ハエ″がいたんだよ?すっごい大きくてね?ぶんぶんぶぅ〜んって…。すっごく、すっごく怖かったの…」
「あははは…ハ………ハ、ハエ…?」
実は全く違う虫に怯えいたサリ。しかも相手は小さな小さな虫というオチ…。幽霊と遭遇して泣き叫んでいたと思い、必死になって、頑張った娘の救出劇。俺の赤っ恥と心配したあの労力を返してくれ…
…と思いながらも助手席のサリの頭をなでなで。
「ん?次で曲がらないとやばいな」
と、今の車は高速道路下の一般道を走行中。今ここで右折し、高速の高架下を潜ってターンしないと帰り道が更に遠退きます。今はガソリン高いんだよな…
よって、すかさず右にウインカーを出し…
(カッチ、カッチ、カッチ、カッチ…)
「よっ!……………って、あああああっ!!!?」
コーナーでフルにハンドルを回し。何故か、今度は自分が叫び声をあげてしまいました。
しかも既にその表情は酷く真っ青になり、家族まで心配させ…
『ど、どうしたのパパ!?』
皆揃ってそう声を掛けてきました。
自分の視線の先…、歩道には深く帽子を被り紺色の制服を着て不気味に立っている人が視界に飛び込んできたのです。
そして鋭い目つきで此方をずっと見つめていて
『パパッ、何か言ってよ!?』
「ヤ、ヤバい、ヤバいぞ……」
『えぇ!?』
妻は青褪め、ひどく怯えていました。まさか出たのは本当の幽霊か…?その紺色の制服を着た人の横へ車は吸い寄せられるかの如く停車し、助手席側のドア窓をゆっくりと開け…
(ウィーン)
「……やっちゃいましたかねぇ…?」
と、自分の第一声はそれ。
『はい。やっちゃいましたねぇ…』
と、紺の制服を着た人がニヤリと笑いました。
あ″ーっ!!やっちまったぁーっ!!
早い話がこの人は警察官。知らずに″ターン禁止区域でターン″したタイミングで、待ち伏せ検問に引っ掛かってしまいました…。
この場合あまり何もしてこない幽霊なんかよりも、警察官は本当に恐ろしい悪魔と化します…
『止められた理由ですが、ターン禁止区域でのターン。この場合、信号無視扱いになります。よって罰金1万円。今から持ってくる紙を、最寄りの銀行でーー』
「オー、ノォーッ!!」
と、丁度そのタイミングで長女ヤカが自分の肩を指で…
(チョン、チョン…)
「あのね?」
「…うん」
「今日、二十五円の金魚一匹買ったの?だから…」
「………ああ、分かった…」
って、我が娘よ。わざわざ今それを言わなくていいでわないかぁ?後で金は出してやるし、それじゃまるで『一万二十五円で金魚一匹買いに来たみたいだろぉーっ!!』と心の中で激しく叫びながら
『◯◯さん。はい、コレ』
「どーも、すいませんでした…」
(ペコリ…)
『運転は安全を心がけて下さいね?では、お気をつけて』
「……。」
お前らは悪魔だぁ…、はぁ、はぁ、はぁ…俺の金を、血と涙を、小遣いを返せぇ〜、うらめしやぁ〜…。お前ら、みんな亀のノロイに掛けてやるゾォ〜ッ!!
「パパ?二十五円まだ?」
「あ、は、はい。百円やるよ…。お釣りはいらないから。ほら、サリ、ユトにもやる…」
『ありがとう〜!』
「あははは…はぁ……」
我が娘よ、いい加減空気を読め…
金魚一匹に計一万三百円のお支払い、ありがとうございました…
あの場所、あのタイミング、あの紺色の悪魔さえいなければ…!…って、自分が悪いのに心の中でくらい叫ばないとやってられません。
そして金魚は丁寧に丁寧に本当に丁寧に飼い。なんと八年ほど長生きしてくれて、罰金支払いの傷も癒えて少し納得。皆様も車を運転の際、紺色の悪魔にはお気をつけ下さい…
(え?幽霊は?)笑
完。




