歴史
肉付けがへただ(´・ω・`)
自由隊に助けられたあの日。彼らはたまたま任務通りかかり、自由隊の規則である
〖個性と夢を優先させ全ての不当な宿題を滅する〗
を俺に感じ助けてくれたという。
俺はその後、公立高校から隊立高校に転入した。高3で転入なんて全く変な感じである。そこで公立で学ばなかったことを学んだ。俺が生まれるちょっと前に、宿題の提出が厳しくなり、サボった人が罰せられるのは聞いたことがあった。しかし、出さないだけで捕まるというのは知らなかった。しかも前科もつくのだ。
さらに軽犯罪は全て 軽犯罪 と言う同じ前科がつけられるという法律の改訂が行われたため、就職の際、宿題を忘れただけで万引きと同じ前科がつくというのだ。あまりにもひどすぎるっほんとにぷんぷん…うん、キモイね。ぷんぷんは…ね?
宿題国民成長法は令和27年に可決されたものだそうだ。おれは、それ自体知らなかった。公立の学校では教えないそうだ。さらに大人にも毎月 国家宿題案が届きそれをしないと逮捕されてしまうのだ。
どうりでうちの両親は2人とも毎月届く紙を見て悲壮な顔をしていたわけだ。しかもその内容は、追加で税金を払う。道路整備、工事、有力政治家の車の運転、などの馬鹿げた内容ばかり。
そうして令和31年に誕生したのが自由隊。宿題国民成長法に反対した政治家が事故死として処理され殺されたのだ。目撃者も多数いたのだが何かと難癖をつけ、
宿題国民成長法第4条〖懲役に値する宿題放棄〗
に違反するとして刑務所に入れられたのだ。つまりもみ消されたのである。その時殺された政治家の息子が遺産で作りあげたのが自由隊。詳しい話は自由隊員でも知っている人はわずかであるそうだ。
学校は、国立 公立 私立 隊立があり、自由隊自ら建てた学校もあれば、私立の学校が宿題について反感を覚え、隊立に
改名し自由隊側についた学校もある。さらに公立の学校を買い上げ隊の学校としたものもあるそうだ。
はじめは8校程だったが徐々に増え今では全体の20%が隊立の学校になったとされている。
隊立の学校は宿題による連行は無く、小学校~大学まで個性を尊重した教育であるのだが、その分授業料も、高く給食もあまりない。さらに、時々委員会と自由隊との抗争になる場合もあり危険であるのだ。それをみこして隊立の学校に子どもを入れない親も少なくない。
俺はそんな話を居眠りしながらききつつ、自由隊への憧れについて妄想していた。その時だった。
『当高校にて抗争発生、非戦闘教師及び生徒は非難せよ』
放送でけたたましくなる警報。今、授業している金城先生は業務部 副司令という結構偉い先生なのだろうが戦闘には参加せず生徒たちを避難誘導し始めた。窓の外には戦闘が見えるが敵味方関わらずこちらに攻撃は来ていない。あえて攻撃を向けていないのかもしれない。