救世主が生まれた日
このタイトルは、ある程度話が進んでから初めて意味を持ちます。
そこまで書けるかは別の話。
「んぬぬ・・・ぷはッ!!」
土の中から顔だけを伸ばすような形で、ヨンは地上に脱出した。持っている魔物の肉の燻製はもうとっくに使い切っていた。
正直食料で言えばギリギリだったのだが、何とかヨンは地上に脱出することが出来た。
「さてと、何とか僕は獲物を手に入れることが出来たし、帰らないと」
ヨンは歩き出した。
今『血肉の森』がどんな状況に置けれているか、知る由もなかった。
~・・・~
「な・・・何で?」
森は戦場になっていた。獣人族と粛清騎士たちの戦渦に、血肉の森は異様な熱気に包まれている。
ヨンは物陰に隠れながら何とか逃げようと忍び歩きで進む。
「・・・ヒッ!!?」
身体を切り刻まれ致命傷を負った獣人族の男が目前で横たわった。
血が流れ出て止まらない。恐らくもう助からないであろう。なんてことは無い、別に珍しくもない光景だ。戦場にはつきものだろう。
しかし、ヨンは同胞の血の匂いが酷く苦手だった。
「ウッ・・・おえぇぇえええぇっぇええッ・・・!」
血の匂いは料理で散々嗅いでいるはずなのに、戦の匂いは吐き気がした。
(逃げないと・・・何とかして逃げないと・・・)
よたよたと歩き出す。幸いにも粛清騎士に見つかることは無かった。
順調だった。このまま真っ直ぐ向かえば、無事に安全な場所へたどり着けただろう。
しかし、ヨンは見つけてしまった。
「あッ!アリアさん!!!」
アリアの後姿が見えた。真っ白な美しい髪。見間違えるはずもない。
ヨンは急いで駆け寄った。普段ならアリアに保護してもらうのは最適解だっただろう。
ただし。
「フンッ!!!」
「えいやッ!?」
アリアの魔剣とゲオルグの聖剣が、凄まじい音を立てて打ち合った。
思わず後ろに尻もちをついた。氷魔法の余波が身体全身を凍てつかせるかのように冷たかった。振るわれた剣の圧が、身体を切り刻むかのように重く鋭かった。
目の前で繰り広げられている戦いがいかに異次元か、ヨンにだってわかった。
「あ、え・・・」
「えっ!?ヨン!?」
(マズい!!ゲオルグ兄様にヨンを見られた!兄様なら絶対に勘で察する。ヨンが私にどんな思いを寄せているかなんて!)
ヨンの希望に満ちた声色はゲオルグにも聞こえていた。ヨンを一目見てゲオルグは察した。ヨンがアリアに対し、淡い恋心を抱いていることを。
(魔族風情がアリアに恋をしているだと?)
「ふむ。魔族が戦も知らぬ女に惚れるとは、随分と酔狂なことだ」
アリアと剣戟を繰り返しながら、ゲオルグは何でもないように言った。
だが、アリアは剣の打ち合いの変化にいち早く気付いた。先ほどの攻勢に出ていたような過激な剣とは違って、相手の後退を誘う押し退ける剣に代わっていた。
(間違いない。兄様は戦線から離脱しようとしてる。離脱した後、誰を狙うかなんて火を見るより明らかだ!)
刺すように冷たい殺気が、一帯の空間に満ちる。
ゲオルグのひたすら重い斬撃がアリアを襲う。アリアの力では受け止めきることが出来ず、大きく吹き飛ばされる。ゲオルグが戦線を離脱するには十分すぎる隙だ。
「ヨンッ!!逃げてぇ!!!」
アリアが口を開いたと同時に、ゲオルグは飛び出した。
一足でヨンとの距離を縮める。逃げ足の速いヨンですら反応できないスピードで接近し、断罪の聖剣を大きく振りかぶった。
「ヒッ!?」
「貴様ごときが手を伸ばしていい女ではない。魔族に生まれた自身を呪うんだな」
断罪の聖剣から全てを焼き尽くすかのような光が放出された。直視すれば目が焼けるような太陽のごとき眩さ。魔物を消滅せんとする殺意の光。
「あぁ・・・ぁ・・・」
ヨンは動けなかった。言葉を放つことさえできない程の絶望。
悟る他なかった。今から自分は死ぬのだ。
しかし、
「グゥゥウウウオオオオオオオオッッ!!!」
ズァオス、渾身の咆哮。
引き絞るかのように縮めた肺を、再び限界まで膨らまる。全身全霊の【気闘法】を繰り出す。
「【獣神流気闘法・奥義 金剛獣神】ッ!!!」
それはズァオスの持てる最強の防御にして攻撃。
時間にしてたった一分にも満たない短期間、ズァオスは最強の決戦形態となる。その体は極めて頑強、その力は極めて凶悪。
「【偉大なる誓の十字・五連】」
ヨンを庇い、ゲオルグの光はズァオスに全て直撃した。
一撃で城砦をも粉砕する光を五発、生身で抑え込んでいた。後ろで怯えているヨンに、一切の衝撃は漏らしていない。
全ては我が子を守るため、衝撃を何処にも逃すことなく、100%の力をその身一つで受け止める。
「ゴァァァアアアアァアアアア ァアッ!!!」
光は掻き消えた。
ズァオスの身体には、傷一つ付いていなかった。
「凄い・・・ゲオルグ兄様の攻撃で無傷・・・?」
「随分と背伸びした技じゃないか。獣」
「・・・はッ!負け惜しみとは小さくなったじゃねえか『剣聖』」
「強がりはよせ。【スキル】と言っても所詮は自身の身体一つで行う『技術』だ。さっきの攻撃で随分と剥がれたようだな」
ズァオスは内心で大きな舌打ちをついた。
【金剛獣神】はさっきの攻撃で、もはや維持するのもやっとの状態。後一撃でも大技を食らえば、受けきれずにダメージを負うことになるだろう。
あの調子で受け続ければ、制限時間の一分を待たずにゲオルグに潰される。
(時間がねえ!すぐにケリをつけてやる!)
「アリアッ!!ヨンを連れて逃げろォオ!!」
「わかった!!」
アリアはズァオスの背中に回り、ヨンを抱えて逃げた。
「・・・時間稼ぎとは不快な」
「勘違いすんなよ騎士公。テメェは俺に倒されるんだよ!!」
振り下ろした拳がゲオルグの聖剣と打ち合う。
砂塵が『血肉の森』の遥か上空まで巻き上がる。
「【千乱飛剣・滅】」
「効くかァ!!」
空間を埋め尽くすかのような斬撃の波に自ら跳び込んでいく。全ては固めた体に阻まれて、傷一つつけられずに霧散する。
「オォォォオオオオオオ!!!」
爪の連撃。
ゲオルグは最小限の動きで躱す。ゲオルグの背後は、木々や大地が切細裂きになる。
「・・・大した力だ。最初に挑まれた時よりよほど強くなっている」
ー・・・ー
「ヨン!聞いて」
「あ、アリアさん・・・」
「ズァオス師匠が今命を懸けて時間を稼いでくれてる。でも、もって数十秒」
「そんなッ!」
「私の【神聖魔法】で足を回復させてあげる!次は私が時間を稼ぐから!必死になって走って!!」
その言葉の真意。アリアが犠牲になる事。ヨンはしっかり理解している。
言い返せなかった。「僕の事なんて見捨てて逃げてよ」。その一言がどうしても喉の奥から出なかった。
(死にたくない!死にたくない!死にたくない!)
「・・・」
必死に走ることに集中しているアリア。彼女の顔を除くのは躊躇いがあった。今どんな顔をしているのか見たくなかったんだ。死の恐怖にガタガタ震えている自分を見て、彼女はどんなことを思っただろう。失望されるのが怖かった。
いや、全て無意識のうちでアリアの顔を見なかったのだろう。彼には考える余裕すら残されていなかった。
ー・・・ー
「・・・多少なりとも粘るようになったじゃないか、獣」
「あぁ!?」
ズァオスは死に物狂いで攻撃を繰り出している。ゲオルグから余裕の表情は消えていた。今ゲオルグはズァオスと真剣に戦っている。
(出し惜しみして勝てる相手ではなくなったか。腹立たしい事だ)
ゲオルグは常に怒っている。
魔族領にいるだけで吐き気がする。魔族どもが息を吸うだけでこめかみが軋む。同じ場所に居たくない。一秒でも早く息の根を止めたい。
その尋常じゃない程の憎悪。彼は目に映る全てにぶつけたがっていた。
「・・・忘れたわけではあるまい。我が、未だに聖剣の力に頼っていないこと」
「ッ!!?」
文面から察する。
ゲオルグは聖剣の力を使おうとしている。
(そいつを放たれては、俺の勝ち筋が消える!!)
「させるかぁぁぁあああああ!!!」
ゲオルグの大きく振りかぶった剣を、ズァオスは上へと弾き飛ばす。聖剣を手放さば流石に【聖剣開放】は発動できない。
ズァオスは思わぬ成功に油断してしまった。
「撒餌だ」
「ングァ!!?」
ゲオルグのアッパーカットが顎に突き刺さる。雄々しく地面を踏んでいたズァオスの足が、フワリと羽毛のように宙を浮く。如何に頑強になったズァオスでも、顎に一撃を食らえば脳が揺れて隙が出る。
ゲオルグは頭上から落ちてくる聖剣をキャッチした。
(馬鹿な・・・確かに俺は弾いたはず!何故聖剣が頭上に落ちてくるんだ!)
「・・・【聖剣開放】」
(まさか・・・俺が聖剣を弾いたんじゃなく、アイツが聖剣を投げたのか!?)
魔力が膨れ上がった。
一瞬にしてズァオスの内包する魔力量を上回り、なおも止まらない魔力の上昇。
『罪人に裁きを下さん』
【断罪の聖剣 我は粛清の化身なり】
その効果は如何なる魔法障壁をも打ち砕く。聖剣の力をたった一太刀に込めた、防御不可能の一撃必殺。レチタティーヴォの聖剣のように自身を一定時間強化するような『バフ』のようなものではなく、一太刀分の力を聖剣に宿す『一撃必殺』。
そう、『一撃必殺』である。
「【飛剣】」
縦に一閃、それだけの【飛剣】
北の神聖王国に伝わる魔法剣術の中で、最もメジャーとされる技である。魔力により刃を作り、剣のスイングと同時に放つ、至ってシンプルな技である。
ズァオスの身体に、大きな、ひたすら大きな傷が入った。
「あが・・・ッ!!?」
【飛剣】の軌道上の数百メートル先は、全て木が切り倒され、血肉の森に一本大きな線を刻んだ。
ズァオスは意識を手放した。
「・・・真っ二つにするつもりだったが、流石は四天王だな。鬼や巨人なら両断できそうなんだが」
ドサリとズァオスの獣化した巨体が横たわる。
アッサリと、本当にアッサリと倒されてしまった。ゲオルグは次なる標的をヨンに向けた。
「絶望するがいいアリア。敵に寝返るという事は、かつて大切だった者と今大切な者が命を奪い合うという事。決して傷つくのが自分だけじゃ済まされないという事。貴様の今守るべき存在。貴様の心ごと粉砕してやろう」
「ヨン!!走って!!!」
「うわぁぁあぁぁあああああ!!!」
全力で警戒していたアリアをいとも容易くすり抜けて、背を向けて走り出したヨンの前方に回り込んだ。
(ダメッ!兄様の剣を受け止めるには魔力の充填が間に合わない!!)
アリアは魔剣を手放した。
自分でもこの咄嗟の行動が、何故このようなものに至ったか、アリア本人にも理解できていなかった。体が勝手に動いてしまった。
アリアの『誰かを助けたい』と言う感情が覚醒してしまった瞬間であった。
常軌を逸脱した救いの手を差し伸べる心。それは遥か昔から定められた、魔力の寵愛の子の逃れられない業。
ゲオルグの剣が、アリアの身体を貫いた。
「アリア、貴様ッ!!!」
致命傷だ。
腹にゲオルグの大剣が深々と突き刺さり、口から血が噴き出す。
(アハハ・・・一年前は命のやり取りにガタガタ震えてただけだったのに・・・。いつの間にこんな事できるようになったんだろう・・・)
「・・・ゲオルグ兄様・・・ようやく貴方の顔が歪みましたね」
「ッ!!?」
「なぁんだ。やっぱり私の事も愛してくれていたのですね・・・」
ゲオルグの表情が崩れた。あれ程にまで鉄の顔を保ってきたゲオルグの顔が。
ゲオルグの分からず屋が無双し過ぎてちょっと調子に乗ってたんで制裁です。お前は強すぎて使いづらい。
っと言うのは冗談ですが、鉄仮面のゲオルグでも、実はやっぱり(表情の出やすい)イェレミエフ家だという事を知ってほしかったです。そう思って書きました。
今でこそ彼はこんなですが、いつかこの復讐心を乗り越えてくれることを祈りましょう。元々は優しい兄貴だったので。




