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オレンジ色の空とキミの影  作者: ひろゆき
7/27

 壱 ーー 遠のく影 ーー (7)

 好みとは人それぞれ。どうして、それが好きなのか? なんで? 問いかけられても答えられない。理由なんてものはないのかもしれないから。

 じゃぁ、その逆は? 嫌いなことに何か理由はあるのか? 好きだから好き。嫌いだから嫌い。そういうものなんですかね?

              7



 目の前に現れたのは、同じクラスの若林望だった。

 しかし、数秒前に聞こえた声が頭をよぎり、瞬きをしてしまう。普段の彼女の様子からは予想外の声にしか聞こえなかった。

 戸惑う学はそれ以上声を発せずに、若林をじっと見てしまっていた。

 目が合った若林も戸惑っていたのか、しばらく硬直して、一度瞬きをしたあと、今度はしっかりとした眼差しを学へと向けた。

 敵意ではないのだろうが、大きな目の強い眼差しに怯みそうになっていると、唐突に若林は右手で学を指差した。

 意味が分からず、首を傾げてしまう。

「ーーいい?」

 呆然とする学に、若林は一言加える。それでも理解できずに黙っていると、今度は学の目線を逸らすように、若林も首を傾げる。

 横にずらした視線の先を考えたとき、「あっ」と短く声を発し、ようやく彼女の主張を理解した。

 若林は屋上へ行かしてほしいと訴えていた。偶然にも、彼女の行く手を阻む形に立っていた。

「あ、ゴメン」

 咄嗟に謝った声は幾分大きくなり、慌てて後ろに下がり道を開いた。

 入口の横に立っていると、若林は何事もなかったように、落ち着いた様子で残りの階段を上ると、扉付近に置かれていたカバンとスケッチブックを手に取り、屋上へと飛び出した。

 勢いよく飛び出した若林は、開かれた扉の前で遠くの景色に向かって満面の笑みを浮かべた。

 どこか優しく見えた若林の横顔に、不思議と見惚れてしまう。しかし、学には気も触れず、小走りに鉄柵へと向かった。

 街の風景を眺める若林の後ろ姿を眺めながら、こちらに一度も振り向かない様子に、話しかけるか逡巡してしまう。

 元々、彼女と話した記憶がほぼなく、どう話したらいいのか分からず、扉のそばから動けずずっと佇んでいた。

「……若林?」

 結局、弱々しく背中に向かって名前を呼ぶしかなかった。

「ーーん? 何?」

 別に呼んだことに意味はなかったのだが、若林が振り返ると、無垢な笑みを献上してくれ、学はまた戸惑ってしまう。

 話の続きを待っている若林に、学は必死に話題を探すのだが、上手く見つからずに悩んでしまう。

「高原くん、まだ帰ってなかったんだ。てっきり、進藤くんと帰ったんだと思った」

「うん。まぁ」

 曖昧に答え、咄嗟にデジカメを持っていた右手を背中に回して隠した。やはり、写真を趣味にしているのは黙っておきたい。

 ただ、このままじっと立ち尽くしているのは不自然に思え、若林のそばに歩いていく。若林は鉄柵に凭れて周りを楽しそうに見渡していた。

「若林はなんで、その、屋上に?」

 ようやく口が開いて言葉を発した。

「ーーん? 私、私はちょっと、絵を描きたくなって」

 若林の足元にはスケッチブックとカバン。おそらくカバンには画材道具が入っているのだろう。

 見当外れな質問をしてしまったと気づいたのは、それらをあらためて捉えたときで、すでに遅かった。

「高原くんは?」

 問い返されて口ごもる。空の写真を撮っていた、とはなかなか言い難くなっていた。

 ごまかそうとしていたが、上手い言い訳も浮かばず、デジカメを持っていた右手に不必要に意識が偏ってしまい、不自然に体で隠してしまう。

 すると、やはり変な動きになってしまったのか、若林は体を傾け、首を伸ばしながら学の背中を気にする。思わず学は足を止めてしまう。

「何? 何か、隠してる?」

 すでに遅し。

 若林は手にしていたビニール袋を地面にポンッと落とすと、ウサギみたいにピョンッと跳ねるように、佇んでいた学のそばに近寄ってくる。目を好奇心に輝かせながら。

 迫られた学は逃げ出すタイミングすら失い、体をまとわりつくようにして目を光らせる若林から、体を捻って避けていた。

「ーーん? デジカメ?」

 必死の抵抗空しく、背中で隠していたデジカメは容易に見つかってしまう。

 肩を落とす隙すらない間に、若林は右手からデジカメを奪い取り、両手で空にかざしてしまう。

「何? 高原くんってカメラが趣味だったの? へぇ~。意外」

 動揺して「ちょ、あ、あ」と声を詰まらせる学。どうにか奪い返そうと右手を伸ばして若林に迫るのだが、右手は宙を切ってしまう。

 若林は器用に学の腕をかわしていく。クルクルと体を回転させて、スカートの裾を風にひるがえし、まるでダンスを踊っているように。

 それでいて、空にかざしたままの腕の先では、デジカメの電源を入れて、学が保存していた写真を確認する動作を簡単に行いながら。

 追うのを止め、腕を下ろすのと同時に若林の動きも止まり、学に背中を向けて立つ。体で隠してはいるが、しっかりと内容を確認しているのは見て取れた。

 恥ずかしさから肩を落とし、額にてを当ててうなだれた。どうも調子を狂わされている気がして情けなかった。

 大きくため息をもらすと、あらためて若林を見ると不思議になっていた。普段の彼女の大人しい姿とはかけ離れた姿だったので。

 まじまじと背中を見ていると、不意に若林は体を反転させ、腰の辺りでカメラを持ちながら、不思議そうな眼差しを学へと注いでいた。

 無言の問いかけに「何?」と無言で返す。

「ねぇ、本当に保存しているのって、これだけなの?」

 デジカメを頭の高さまで持ち上げて問われ、「そうだけど」と答えると、「ふ~ん」と小さく何度も頷く。

「撮ってるのって空だけなんだね。なんで?」

「なんでって。それは…… 好きだからだよ」

 当然の疑問である。けれど、返事もこれしかない。

「ふ~ん。でも、やっぱり意外だな。高原くんがカメラなんて」

「それはこっちもそうだよ」

 納得していないのか、首を傾げる若林に思わず声を発してしまう。すると、若林は目を丸くする。

「あ、いや、若林だって意外だったって思って。なんていうか、こんなに喋るっていうか」

 やや躊躇いはあったが、勢いに任せて彼女のイメージのギャップを伝える。学の困惑に、若林は照れ臭そうに笑い、ようやく学から目を逸らす。

「……タイミングってやつかな。その人と上手く話せる瞬間っていうか。それを外してしまうと、どうしてもちゃんと向き合えなくなるっていうか。私は気にしていないんだけど、それを外してしまうと、どうも人見知りなんだって誤解されるみたいで」

 顎の辺りに指先を当てながら、言い終えると照れ臭そうにはにかんだ。口元に笑窪が浮かび上がる。

 若林の話を聞くと、学も頬が少しほころんだ。意外な一面が見えた気がして嬉しかったのかもしれない。

「ねぇ、でも、それはそうと、好きだからってなんで、空だけなの?」

 緩んでいた頬もすぐに強張りそうになる。話題を戻した若林の発言によって。

 上手く説明できず、首筋を掻いた。

「まったく撮らないってわけじゃないよ。さっきまで街を撮ってたし」

 このまま黙ってもいられず話し、さっきまで撮っていた方角の街並みを、顎を突き出して指すと、自然と鉄柵へと体が向かっていた。ちょうど、若林の背中の方角である。

「なんか、保存はしたくないんだよね。空は残しておきたいけど、街並みは残そうとは思わないんだ。結構綺麗なところは多いのにさ」

 自分でも説明できない衝動。

「そうだよ。もったいないよ。この辺りって、田舎でも都会でもない中途半端だけど、綺麗な場所は多いんだから」

「うん。だよね」

 夕焼けが儚さを醸し出し、惹かれて学の顔が上がる。自分と考えが共感してもらえたのが嬉しく、声も弾んでしまう。

「実は、私もここから見る景色が好きなんだ。だから、ちょっと描きたくなったの。ま、先客がいたのには驚いたけど」

「若林って絵が好きなんだ?」

「うん。ま、下手だけどね。けど、綺麗な街並みを見て、描きながらパンを食べるのが好きなんだ。さっきは階段で落としたら丸くないのに下まで落ちていくんだから最悪だけど」

 そうか。だから、さっき階段で見なかったんだ ーー

 数分前の出来事を思い出したのか、唇を尖らせる若林に先ほどのやり取りに納得がてきた。

「若林が美術部に入っていたのすら知らなかった」

「ーーん? 入ってないよ。美術部になんて私」

「ーーえっ? でもそれ?」

 間髪入れずに否定する若林に、学は彼女の足元に置かれたスケッチブックと、茶色いカバンを指差した。

「あぁ、これ。これは私の私物。美術部の人が使っているのとはまた違うやつ」

 目の高さまで上げた右手で、デジカメを持ったまま振ってみせる。どうやら、まだデジカメは返してくれそうにない。

 若林はそのまま鉄柵に凭れて少し上を見上げた。

「ほんとはね、入部しようかなって思ったの。けど」

「ーーけど?」

 乱暴に扱われるカメラを心配しつつ、学は若林の隣に並び、鉄柵に凭れた。デジカメはいつでも救出できるように心がけて。

「なんか、先輩たちの緊迫した雰囲気を見てると圧倒されて。ほら、美術部の人たちはそのまま美術大学に進む人もいるじゃない。そうしたら推薦とかを貰おうとしていい作品を作ろうって空気が重たいのよ。見学に行ったときの美術部って、なんか、ピカピカって、三年の顔の横を稲妻が走るような。それが、なんか違うなって思ったの」

 そこまで言って、若林は辺りを見渡した。

「私はただ、楽しみたいだけだったの。好きな絵を好きなときに好きなだけ描いてって」

「じゃぁ、若林は美大に行かないの?」

「ーーうん。私はただの趣味の域。それより高原くんは? 写真の学校とか行こうと考えてるの?」

 思いがけない質問が若林から放たれ、学は一瞬、頭が真っ白になった。ややあって、苦笑した。

「考えたこともなかった。僕もただの趣味だし。進路もなんかはっきりしなくて」

「親が聞いたら泣くよぉ~。私たちだって、もう二年なんだし。早い子なんて、入学したときからもう大学のことを考えてる子とかいるんだし」

 もう二年、まだ二年。屈託ない笑い。突っ込む若林におどけてみせたが、内心は複雑であった。

「それに、僕の場合は変なことに偏っているからさ」

 自分の偏った写真を皮肉ってみせたが、進路に対して明確に考えていない呑気さに対しての言い訳だな、と内心毒づく思いもあった。

「もったいないよ。結構、屋上からの景色も綺麗なんだからさ、撮らなきゃ」

 優しく呟く若林に同調して頷き、体を反転さ鉄柵に肘を突き、遠い景色を眺めた。

 入口の正面に面した光景が、屋上から眺める景色で一番好きだった。

「私はあっちが好きだな」

 声を弾ませる若林。つられて視線を動かしたが、瞬時にして学の表情は強張り、険しさが静かに強まる。

 鉄柵から体を離し、うつむいて地面を眺める。胸が締めつけられて痛かった。

 彼女が指した方角は、中心に建物が並び、視界の隅は青々とした緑が生い茂っている。

 近代的な建物と、のどかな緑が共存した、この街の象徴に見える景色であった。

「……嫌いなんだ、僕は」

 ゆっくりと顔を上げ、鋭い眼差しを景色に向けた。それまでとは違う、重い口調の学に驚いたのか、若林は「えっ?」と声を上げて顔を見た。

 戸惑いの眼差しが捉えた学は静かだった。学の視線を追って、若林は視線を動かす。

 その先には、視界を左右二つに隔てるようにして、中心に一本の棒が刺さっていた。それは、十年以上前に建てられたビル。今では街の象徴とも言える薬品会社の建物だった。

 どうしても学が受け入れられない建物は、学校の屋上からも眺められた。時間的に夕陽を浴びて窓ガラスが紅く幻想的に輝いているのだが、学はやはりシャッターを切る気にはなれず、一度もレンズを向けたことはなかった。

「どうして、嫌いなの?」

 否定すれば、理由を聞かれるのは予想していた。学は一度唇を一舐めして、理由を話すべきか躊躇いつつ若林を見た。

「……それは」

 訝しげに眉をつり上げていた自分に対して、儚げな眼差しを注がれていたのに気づくと、学は自然と口が開く。

 この街には不釣り合い。

 大まかな理由を伝えた。

「……そうなんだ」

 理由を聞いている間、若林は一度も割り込もうとはせず、すべてを聞き終えたあと、寂しげに一言だけこぼした。

「……本当にそうなのかな」

 唇が静かに動いたが、はっきりと聞こえなかった。

「……私は好きだけどな」

「ーーそうなの?」

 今度はしっかり届くと、耳を疑い、声を上擦らせる。

「私には、あのビルがこの街を見守っているように見えるときがあるんだけど……」

「……嘘でしょ」

 思わず本音を口走ってしまう。すると、一瞬ではあったが、若林が学を見上げたとき、どこか寂しく、突き刺さるような冷たさが漂っていた。

 一瞬、体が強張り、瞬きをしてしまったが、もう一度目が合ったときには、それまでの穏やかな表情に戻り、ビルを眺めていた。

「ま、人それぞれだもんね」

「……ゴメン」

「なんで、高原くんが謝るのよ」

「いや、なんとなく」

 目を細める若林を見ていると、自分でも理解し難いが謝っていた。若林も目を丸くしている。

「別に謝ることじゃないでしょ。はい、これ」

 突如謝れ、学の不可解な反応に困り、それまで放そうとしなかったデジカメをようやく、学の手に戻した。

 手の平にデジカメが戻り安堵する一方、彼女の一時の複雑な表情が忘れられず声が出ない。

 それなのに、何事もなかったみたいに若林は笑窪を浮かべている。

 デジカメが学の元に戻るのを確認してから、若林は体をクルクルと反転させ、両手を大きく上に伸ばし、背伸びをした。

「さて、私もどうしようかな」

「どうしようって?」

「ーーん? 決まってるじゃん。私は絵を描きたくなってここに来たんだもん。好きな方角を決めないと」

 若林は両手を広げながら言う。それまでとは違い、子供みたいな無垢な笑顔を振る舞いながら。

 校舎は長方形になっており、屋上から眺められる方角も東西南北、四方向あった。西日が沈み眩しかったり、その西日を浴びて紅く建物や屋根を染めるなど、様々な表情を見せていた。

 若林は屋上の中心に立ち、それらの方向に視線を向けて、どの光景を描くべきか思案していま。まるで、子供みたいに好奇心を小さな体から放ちながら。

 そんな彼女を、学は鉄柵に凭れて座り込み、じっと眺めていた。手にデジカメが戻りはしたが、シャッターを切る気にはなれなかった。

 帰ろうともしたが、どうも腰を上げるタイミングを逃してしまったのである。だからと、黙って帰るのも気が引けてしまい、一人で楽しんでいる若林を呆然と眺めている時間がすぎていた。

 彼女を眺めていると、胸の奥に何かが突っかかるものがあった。それが上手く理解できないでいるからこそ、その場に残ったのかもしれない。

 無邪気さは羨ましくもある。子供のように天真爛漫なことも。それでも時折、怖くなることも。自分にはない勢いや、明るさが羨ましい。でも、それは恥ずかしさから素直に感情を表に出せないだけなのか。どうなんだろう。

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