参 ーー 二人の存在 ーー (7)
居なくなることが平穏、当たり前になってしまうのか。それに納得して自分なりの生活へと戻るのか。取り残された孤独感に潰されてしまうのかは、気持ちのあり方次第なのか……。
7
若林から荒唐無稽な話を聞いてから、一週間がすぎていた。学との二人の間で交わされた内容は誰も知らず、ただ静かに日常が繰り返していた。
若林は病欠扱いされ、一度も姿を現していない。
あれから体に異常が起きたのか、と心配で連絡をしようにも、連絡はつかず、音信不通になっている。
彼女の最後の言葉が頭から離れず、不安に苛まれながらも、学は漠然とした一日をすごし、今日も帰路についていた。
家に着き、なかへ入ろうと鍵を探っていると、玄関先に一通の大きな茶封筒が立てて置かれていた。
どうやらポストに入らないので、直接地面に置かれているようだ。
手に取ってみると、A4サイズの封筒で、宛先は書かれておらず、「高原 学様」とだけ記され、裏返しても送り主の住所どころか、名前すら記されていなかった。
不穏な封筒に首を傾げながらも家に入り、自分の部屋に急いだ。
ラフな格好に着替えている間も、チラチラと視界に封筒が入り、気になって仕方がなかった。
着替えを終え、ベッドに放っていた封筒を手に取ると、ふと蛍光灯にかざしてみた。すると、中身が透けて見えた。
ハサミで上部を切り取り、中身の紙を取り出した。
「これはーー」
澄み渡る鮮やかな朱色の空。
柔らかい温もりにほんのりと葉を赤く染める公園の木々。
その狭間に天に上る建物。
悠然と建ちそびえる建物は、目にも鮮やかにその身をオレンジ色に染めていた。
「完成していたんだ……」
描かれていた風景を目にした瞬間、学は安らぎに包まれた。これまで忌み嫌っていた薬品会社が描かれていたのに。
若林が描いた絵。
すぐに理解した。
柔らかいタッチで描かれ、薄く染められた水彩画からは温もりすら伝わり、これまで学が抱いていたイメージとはかけ離れていた。
描き手の気持ち、彼女の優しさが一枚に詰められていた。
しばらく絵に見惚れていると、左手に持っていた封筒が傾き、なかから別の紙が床に転げ落ちた。
拾い上げると、三つ折りにされた数枚の便箋。開いてみると、文章が綴られていた。
高原くんへ。
この前はゴメン。勝手なことばかり言って。
実は、一つ伝えなければいけないことがあって、手紙を書くことにしました。
あのとき、高原くんは「由紀は生きているの?」と聞いたよね。そのことです。
最近は副作用が酷くなって、苦しんでいるけど、安心して。お姉ちゃんは生きているよ。
元気よ、って本当は言いたい。けれど、そうも言えないの。実は、私たちの体はもう限界が近いらしいの。
特にお姉ちゃんの体はもう限界で、今では自分で呼吸をするのも辛い状態になってしまって、最近は昔みたいにベッドの上での生活になってしまっているの。
私も検査を繰り返しているうちに分かったんだけど、急激に成長した体に、今になって負荷がのしかかったみたい。お姉ちゃんと違って、臓器に関しては正常だけど、筋肉や皮膚細胞なんかが急激に老朽化の兆しを見せているのが分かって、遠くないうちに内蔵にも負荷が及んでくるみたい。
まだ十七歳だってのに最悪だよ。お肌のつやはなくなるし、腕には注射針の痕が一杯で。これじゃ、水着にだってなれない。
まぁ、冗談はここまでにして。
それらが分かったのは高原くんに打ち明けた前の日で、検査を受けるためにあのころは学校を休んでいて。それで分かったの。
正直、泣いちゃった。もう涙が枯れてしまうまで泣いちゃった。もう出ないでしょって思っても出てきちゃって。ほんと、「どうして?」って感じ。
分かってはいたんだけどね。ようやく、本来の年齢になって、これから普通に暮らせるって思ったときに言われたから、正直悔しかった……
これまで、きっと会社の人たちが助けてくれるんだって信じていたの。けれど、そうじゃなかった。ただ、淡々と結果を言ってくるだけで。やっぱり、最後まで私たちを“実験台”としてしか扱ってくれなかったのね。
だから、私は会社を裏切る思いで高原くんに全部話したの。高原くん、なんか文庫本のしおりで気づいている感じがしていたから。
そして、それからあとの検査で分かったことを書くね。本当は前にちゃんと言えばよかったんだけど、あのときは詳しいことは分かっていなかったし、私も自信がなかったから。
私たちが助かる見込みが一つだけあったの。それは、お互いの臓器や皮膚細胞を交換すること。詳しいことはまだ聞いてないから詳しく書けないけど、私の正常な臓器の一部を切り出して、腐敗し出しているお姉ちゃんの臓器に移植させて再生化を促すの。
私の場合はその逆で、お姉ちゃんの正常な皮膚組織を私の細胞に移植する。あとの要領はお姉ちゃんと同じで。
信じられる? こんな話が。私は信じられなかった。手術は会社が提携している病院で行うって言われてるんだけど。成功する確率は…… 分かるよね。
本当に悔しいよね。私たち姉妹は会社にとってなんなのって。泣きたいよ、本当に。けど、私たちはそれに賭けるしか道はないらしく、私たちは手術を受けることにしました。
それを高原くんに伝えておこうと、手紙を書きました。
いつかは分からない。けどもし、私とお姉ちゃんが、ううん。正直、確率的には一人だけか、二人とも助からないか。二人とも助かるのは奇跡っていうか。けど、手術成功して、高原くんに会えるようになったら、また会ってください。
文面の最後の二、三行の文字は揺れていた。時折、何かに滲んでしまった字が混じっている。手紙を書いている途中、若林が泣いて涙で濡れてしまったのだろうか。
文面から彼女の心境が痛いほど伝わってきた。
すべてを読み終えた。読み終えると、悔しさと何もできない自分の未熟さ、そして薬品会社の二人への対応への憤りに、全身が小刻みに震え出していた。
……クソッ、クソッ ーー
目頭が熱くなり涙がこぼれ、視界が滲んでいく。悔しさのあまり、手紙を力強く握り締めた。
綴られている言葉は、声にして心に響くのか、目に飛び込んでくるのか。はたしてどちらが辛いのか。心を震わせる強い想いはどちらなのか。




