参 ーー 二人の存在 ーー (1)
もしかすれば、自分にとって嫌なことが起きるかもしれない、と追い詰められているのに、思いのほか気持ちが晴れていて、逆に清々しいときってありませんか? それって、知らないうちに気持ちが覚悟を決めているからなんですかね。それとも、やっぱり諦めているからなのか……。それなら、覚悟を決めて向かい合う方がいいんですかね。やっぱり……。
1
不思議と、長く感じる日々ではなかった。
書き込まれた日まで、学はごく普通に学校に通っていた。その間、屋上に一度も向かっていないことを除けば。
それでも、意識が呆然とする時間がなかったわけではない。自分の席で頬杖を突きながら、外の流れる雲を眺める回数は増えていた。
時折、教室を眺めては授業中の静けさ、休み時間の賑やかさを、学は傍観者として眺めていた。視線を傾けた先、若林の席は空席となっている。彼女は最近、ずっと欠席になっている。
若林が欠席であることに、少なからず学は安堵していた。彼女と対面して、どんな話をすればいいのか想像ができないでいた。
チャイムが鳴り、どこか束縛された雰囲気から開放された放課後。ざわめきが広がり、みんなが思い思いに動き始めるなか、学はそそくさと荷物をまとめて屋上へと急いだ。
緊張しているはずだった。それなのに心が躍っている高揚感は不思議な感覚で、体はふわふわとしていた。
ようやく由紀に会える。
なぜかは分からない。それなのに、あの投稿が由紀であると、半ば確信的な思いがあった。
屋上に繋がる階段をゆっくりと上り、扉のノブに手をかけると、より心臓が激しく脈打つ。学は一度深呼吸してから扉を開いた。
扉を開いた瞬間、外からの風が一気に流れ込み、一緒に流れてきたほこりが目に入ってしまう。
咄嗟にうつむいて目をこすり、涙目になりながら屋上に踏み込む。
「……ガク」
特徴的な自分の呼び声に手が止まり、視線が上に動き、霞んでいた視界が一人の女子生徒の姿を捉える。
女子生徒は鉄柵に凭れながら、薬品会社のビルをバックに屈託ない笑みを浮かべていた。頬に特徴的な笑窪を浮かべて。
「……若林?」
現れたのは若林だった。由紀に呼び出されたのだと考えていた学は戸惑い、動けなくなる。
「よかった。あの投稿、読んでくれたんだね」
「どうして、お前が?」
安堵した様子の若林に、重たい足を動かし、彼女に近寄りながら問う。
若林は右手で左手の肘を掴み、小さな体を抱きしめるようにして、顔を背けた。彼女の笑みは消え、儚さが漂う。
「あれを書いたの、私だから……」
学の足が止まる。
以前なら、彼女の隣で座ったり、鉄柵に凭れていたのだが、今は若林と一定の距離を保ちたかった。
疑いは持っていた。けれど、突然言われてもどう答えていいのか、歯痒くなる。
「なんなんだよ、それ。大体、お前、由紀を知ってるのか……」
ふと、あの文庫本のしおりが意識を刺激する。
学の動揺をよそに、若林は静かに頷く。
「……あり得ないよ」
弱々しい声が風に流され、学は額を手で押さえながら、何度もかぶりを振る。
「……だって、だって、みんな、みんな由紀を知らないんだよ。忘れてるんだよ。絶対にいるのに。僕だって…… 忘れかけてた…… それなのにっ」
困惑と苛立ちから叫んでしまう。
「なんで、お前は知ってるんだよっ」
「SNSに投稿したのも、前に高原くんにメールを送ったのも、私だから……」
「メールって、あの「ゴメン」って、やつ?」
また静かに若林は頷く。
「なんだよ、それ。なんでそんなこと。そんな回りくどい……」
身を乗り出し、一方的に声を張り上げる学。若林は短く答えながらもうつむいたままで、これでは学が彼女を責めているようにしか見えない。
気づけば息が上がっており、肩を大きく揺らしていた。
「ーー信じて」
混乱していると、若林が重い口を開く。聞き取りにくい小声に、学が「えっ?」と首を伸ばしてみると、言葉とは裏腹に、鋭くそれでいて凛とした眼差しを向けた若林と目が合い、萎縮してしまう。
「今から言うことを信じてほしいの」
「信じるって、何を?」
「お願いだから信じてっ」
強く頼まれてしまうと、嫌なことでも渋々受け入れるのか、それともちゃんと断るのか。どちらを選びますか? 受け入れたくないのに、受け入れなければ、前に進めない。辛い判断を迫られると、難しいですね。




