稟性の玻璃 序章 第一話
諸事情あり、12月24日16時投稿の際、作者名は私、櫛之汲の中の人の氏名にいたしましたが、利用規約14条11項を守るよう小説家になろう運営からのメッセージがあり、そのために私の実名の表記を削除します。本作は星空文庫へ重複投稿しています。また、本作は、著作権登録制度の実名の登録ではない、小説家になろう外部のサイトでの実名の公表と小説家になろうで著作者であり著作権者でもあるわたくしが実名の公表2018年12月24日時点で実名の掲載を済ませた小説です。
序章「情熱的な女」 副題「火蜥蜴」
はじまりは火口であった。
最初に感じたのは、陽光よりも強い光だ。
それは私のすぐ側でぎらぎらと赫き、私の眼を射抜いた。
それにも慣れた頃。視界一杯に、紅く色づいた雲状の濃霧が漂う様子が知れた。所々より、膨れていたなにかが弾ける濁水が泡を吹いたような不快な音が、聞こえていた。私は左右に首と半身を回すことで、空間の全景を見渡すことができた。だけど、この場所で熱に溶けていないものを見れたのは、視界のほとんどを占めた白い霧が、僅か数箇所はれていた場所だけ。
白い煙の先が何か、想像もつかないことであったが、どうにもこの場所は、紅蓮の沼に覆われた地底のドームであるようだった。天井部は、なお一層と白い霧が濃く、雲のよう。その雲の下層部に至るまで、水蒸気が、灼熱との間で盛んに循環・拡散し、終わりが見えない。床はなく、私が浸るそこは溶岩と熱だけだった。また周囲は花崗岩の岨がぐると取り囲み聳える。さらにそれは天井を覆う雲に向かい、長い間隔をおいて巨大な岩場でできた段を形づくっていた。
灼熱のなか、紅蓮の光によって眼を射抜かれるというのに、凍える。
私の体は絶えず震えていた。
そこへ輪をかけて、ゴーという不快な音が地の底から鳴り響いた。しかし、それは大した問題にはならなかった。なぜなら、このときの私は単純な肌寒さから震えていたのだから。
今思えば、それこそ、呆れるほどに、恐ろしいほどに、我が身をかき抱いた。
そのとき足下から何かがせり上がる。
大量の土石と、全てを無に帰す熱現が、うずくまり、震える私を押し上げたのだ。
それと同時に私は、腹の底が煮え立つような感覚をおぼえた。
私を置いて雲よりも、上方へと吹き飛ばされていくのは、真っ朱に溶け崩れていた岩や石だった。時時、私よりも大きな岩盤が両岸から崩れて、私の浸かる紅蓮の沼に呑まれていた。沼に沈まぬうち、それらが疎らにルージュを溶かしたように、紅いジェル状の粘膜をともなって、打ち揚がる。
それもやがて治まると、お次はまるで床ができあがるように、渦をまく沼全体が地の殻へと沈下していった。下を見れば、オレンジ色の口が私を飲み込んでしまおうと、石榴のごとき口唇を大きく開けていた。
読んで字のごとく、その比類のなき朱い沼は、生物を食うように、溶岩を口のなかへ呑み下した。渦を巻いて沈下していく紅蓮の沼の容積は、弾み、踊り、撥ねる。跳ね上がった飛礫のどれもが、しゅー。と虚しい最後の悲鳴をあげていた。
私に残された時間も少ない。
星屑のように煌々とした紅の溜まり場は、気色の悪い赤い粒が幾重にも重なり、まるで砂漠にできた潮の流れのように蠢いていた。そのなかでも、殻の中心に位置した比較的安定した面は、ぶくぶくと不吉な音をたてている。泡のように消えては、またできるそれは、次第に嵩を増して、紅蓮の沼を飲み込んだ分だけ大きくなっていく。大量の湯気が、オレンジの殻から這い上がって、私を被った。何もかもが白で埋まる。
茫然自失だった私の意識も、このときには朦朧とした。
それでも、地の底からのとどろきが終わりを告げる。私は怖くなって眼を閉じた。そうしていると恐怖のあまり、寒さで起きていた震えは止み、竟に、私は限界を迎える。
視界の四隅が黒に浮き上がる。気を失うようだった。
大きな丸太で地面を叩いたような音。私が風によって気がつくと、そこは、青い空と白い雲がある。(正確を期すならば、それだけの世界だった。)
眼下には雲の海原が見据え、白い大洋の広がりがどこまでも。空の蒼とで水平をなし、視界を阻むものは、なにひとつとてありはしない。
いよいよ死後の世界をみた。と思った私が感動したり、泣き叫んだり、それも通り越してなんとかしないとなんて躍起になって、馬鹿みたい。
そんな風に齷齪としていたら、その爾後、私は自分の体のなかに一つのおかしな点を見いだした。それは、自分の真っ赤な両の腕だった。それは紅く色づいた、というよりも、燃えさかった火によく似ていた。爪の先だけが火の衣から露出していたが、私の目測で、一寸もの長さがあった。爪が伸びきっていてだらしがない。混乱の限りを極めた頭ではそんな感想がすぐに浮かんだ。只、冷静に考えればそれはあり得ないことだった。いいや、確か。自分は生まれてこの方、爪を見たことがない筈だ。それどころか自分の躰のことも満足に知らない。とはいえ、そんなに早く伸びるものだろうか。あのオレンジの口が待ち受ける地獄のような場所で、どれほど生きたのかはしれない。生きた心地もしなかったが、それでも、あのとき、私という存在は生きていた。
しかしそれはどうにも、実際に死後の世界にきてみても、私には信じられない夢のようで……。
自由落下を続けていく体は、大気の低温と落下による強い風の抵抗を受けたことで冷え切っていた。あれだけの熱をもって、煮物のように紅色の粘液に浸かっていたというのに、私の腕は、とくに指先にかけては、秋の空のように冷たかった。あれだけの熱を帯びていたからか、そばに誰もいないことが生まれて初めて悲しかった。私の頬を伝うのは滴ではない、どうにも、生前に体全体からずっと生じていた焔であったようだ。けれども眼下にあった雲海が近づくにつれ、私の意識も真に覚醒を迎えていた。
死ぬことがあった筈ないのだ。
雲の高さを越えた蒼穹はどこまでも続いている。眼の眩むほどの大輪が、落ち続ける私よりもさらに上から、光となって降り注いでいた。
生きている。間違いない。それなら、どうして自分はこんな場所にいるのだろう。もし、あのとき、オレンジ口の底へ落ちていたとしたら、私はあの太陽からここまで落ちてきたのだろうか。それともあのあと、かつてみた溶けた岩の飛礫のように、あの白い靄がかった岸を遙かに登り、もうずっと知れぬ、上の層へと打ち上がったのだろうか。
……幾ら内に籠もってみても、考えを巡らせても、そのときを迎えるまでに答えが出そうにもないからと諦めた私は、己の意識を、再び外へと向ける。
もう、すぐ其処に、雲が迫っていた。
それは表面に細い糸くずをつけて縮れたように霧がかっていた。
海水面でさざ波が立つように、霧は収縮を繰り返し、書き消えては糸を継ぎ足されてでもいるかのようにしていたから、私の眼には、雲の綿は呼吸でもしていやしないか?
そのように写った。紅蓮の沼に浸かっていた時、最後にみたのはこの雲と同じ白い気体だった。つい先ほどまでは、それを恐れていたのだと、思い込んでいた。しかし、死の世界をみた今の私に、恐怖の文字はなかった。
絹か、はたまた、羊の綿毛かのような雲海へと、衝突せん。と、私は自分の躰の緊張を解く。この空の下が何であろうが関係ない。一度でも二度でも何度でも背けた眼をひらいてみせる!
だが、衝突の間際になって、私を避けるように雲は掻き消えた。渦を巻くわけでもなく、唐突にだ。あみだに沈んだ雲の海は、さらに大きく、大穴を開いていく。私はさらに風を切り進んで行き、雲海のなかを、より深く抉るようにして突き進む。そうしていると、小さな小さな、雹が、体を痛めつけてきた。気づけば身につけた焔は、一回りも二周りも小さく萎んでいた。
ぶぉおおお、と音をたてて、炎と風と雹とが反応仕合い、触れたものから先にはぜていく。するとそれを機に、私は勇気を無くしてしまう。虚脱感に襲われていった。それを振り払うように、雲にできた円筒形の隧道を横目にした。幾層もの綿織物の生地に包まれているようであった。やがて地層のような雲の視界から、さきほどの天蓋の蒼よりも黄とその鈍さをました青へ。瞬きをしたその一瞬間の内にとって変わる。それに驚き、私は、顔をすぐに引き戻した。
遙かな地平とそれを優に越す海原をみたとき、なぜだか目元からこみ上げるものがあって、涙は止まらなかった。落涙を許されずに、涙の滴は私から離れると、次には上の空に残って、それでも私の後を追うように、引力に従い地上へ落下していた。
暫くすると思い出したように、再び私は緋い焔に包まれていた。もう紅い視界に被われても震えることはなく、只唯咽び泣いた。しかし、今はもう涙が眦から溢れることはない、ただちに沸点を迎え蒸発してしまった為だ。それは、ほとんど涙が枯れてしまったようなものだった。それでも私は眼をこすり、もうすっかり近づいた地上をしっかりと見届けていた。
着地の瞬間には、体から膨大な量の炎の放出が起きていた。
落ちた場所は山間だったので、火は瞬く間に広がりをみせ、山には小刀で肌を裂いたように山火事が起きた。私はそれを止めようとしたが、燃えさかる木々を如何にすべきか、方法がまるでわからなかった。そこでやけくそに、一寸もある長い爪を手近に燃ゆる火に向けて、消えろと念じ、勢いよく振るった。すると、野山を被う火の手は、その瞬間にさっと鎮火してしまった。
最後にはあちこち焼けて炭化した木々を残し、山の広範囲で煤と黒雲とを乗せた風が、昼日の乾いた空へそれらを棚引かせたのだった。
着地と消化で力を使い果たしたらく、私は意識を失い倒れ込む。
これが私のはじまりのすべてであった。
本文文末に作者名をわたくし櫛之汲の実名として掲載していましたが利用規約14条11項のために、私自身の実名を私自らが本文文末から削除いたしました。