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木蘭と老人①

九星道人達を取り逃がして以来アルゲティは不調だった。そこに二人の人物が……。

 これまでの修行に加えて、皆が寝静まった頃を見計らって深夜にも独自の修行を始めたアルゲティはメキメキと腕を上げていった――はずだった。特に武術に関しては元々得意だった事もあり、一際上達が見られた。だがそれも攻撃――剛の方面だけで、相手の力を受け流す柔の技法――化勁は相変わらず苦手だった。熱心に学んでいるにもかかわらずだ。

 恵まれた体格を持つ自分には必要ないと考えていたのだが、初めての手合わせで宋に文句のつけようがない程に負けて以来、必死に学んでいるのだが。

「ぐはっ……!」

 重々しい音と共にアルゲティの巨体が地面に激突した。これで何度目なのだろうか。どんなに攻撃しても――突きも蹴りも全ていなされ躱され無効化されてしまう。それどころかこちらの体力まで吸い取られているかのように、徐々に体から力が抜けていく。これが化勁なのか。

「全く……拙者の力が通じぬとは……」

「アルゲティ殿、化勁に対して力押しで勝てると思ってはいけません。何度も言いますが剛柔相殺が武術の基本であり根本原理なのです」

「頭では分かっているつもりなのですがな……どうも不利になると……つい……」

「力に頼ってしまいますか」

 頷くアルゲティからはいつもの覇気が感じられない。あの夜、九星道人達を取り逃がして以来この調子だ。間違いなく腕は上がっているのだが、もう一息のところで躓いてしまう。所謂スランプだ。

 何よりも大きいのが化勁の概念がアルゲティ達には無かった事だ。相手の攻撃をいなす事が即攻撃になる。相手の力を利用する攻撃。これまでの価値観にはなかった事を即理解し、身に着けるなどなかなかできる事ではない。ましてやどんな敵も力で打ち破ってきたアルゲティには猶更だ。

 恵まれた体格に恵まれた魔力。どんな敵もこれで打倒してきたが、とうとう限界に来てしまったのかもしれない。今後の事を考えればこれまでにない何かを――より実戦的な何かを身につける必要がある。それがこの化勁だと考えたのだが、先は長そうだ。

「まず化勁を身につけ、しかる後に魔道に応用できれば……と考えたのですが、そう簡単にはいきそうもありませんな」

「可能にすれば理想的なんでしょうが……聞いたことはありませんね」

「…………」

 いつもならここで「ならば拙者が第一号となってみせようぞ!」と高らかに宣言するところだが、沈んだままでいる事が不調の深刻さを物語っている。部下達の心配げな視線にも気づかず修行に戻った。

 アルゲティは日中の修行に加えて夜にも自主的に鍛錬をするようになっていた。皆が寝静まった頃に鍛錬場に赴き、昼間に学んだ事を反芻するようにひたすらに繰り返す。にもかかわらず不調は続く。一体どうすればいいのか。決まっている、快調になるまで鍛錬あるのみ。それがアルゲティが出した結論だ。

 気分転換もいいが、君命を受けて修行中の身ではそうもいかないし、何よりも武当山の中にいても修行くらいしかする事がないのだ。

 いや、無くはないかもしれない。が――

「アルゲティ様。少しお休みになってはいかがですか」

「む……木蘭師姉。いつもこんな深夜に起きて大丈夫ですかな。女性に夜更かしは良くないと我が祖国では……」

「夜更かしが良くないのは男女共に……ですよ。アルゲティ殿様こそお身体を労わらねば。修行のし過ぎは毒です」

「そうは言われても……君命とあれば」

 アルゲティは套路(タオルー:中国拳法の型のようなもの)に戻った。木蘭は心配そうに見守る。頬が少し赤いのは寒さのせいだけではない。

 何木蘭フェァムーランは武当山の女性道士である。普段は男女別々に修行の日々を送っている(やはり色々と問題が起こるから)が時に顔を合わせる事もあり、その場合は様々な出来事が起こるものだ。アルゲティと何木蘭はそのうちの一つである。

 異国の集団が入門してすぐの事。アルゲティ達が水汲みの帰りに女性道人達が質の悪い道士達に絡まれている現場に出くわしたのだ。本人達曰く「口説いていただけ」なのだが明らかに女性道士は嫌がっていた上に色恋沙汰はご法度である。

「全く……どこでも同じか」

「副団長殿、やはり助けるので?」

「当然だ! 義を見てせざるは……あ――何とやらだ!」

「勇無きなりですよ!」

「ならそれだ!」

 巨漢に背後を取られた道士は面白い程に狼狽していた。気配がまるで違うし、頭一つ以上の高みから炯々と輝く目で睨まれるとどうしても圧倒されてしまう。

「な……貴様、異国の大男! な、何の用だ!」

「なに、大した事ではござらぬ。見たところ師姉方はお困りのご様子。難儀にあっている女性をお助けするは何処の国でも同じでござろう」

「どこが困っていると言うのだ! ただ楽しく会話しているだけだぞ!」

 アルゲティがちらりと女性道士に目を向けると、たちまち大きな背中の後ろに逃げ込んだ。

「お助けくださいまし、大きなお方!」

「……との事でござるが?」

「貴様……!」

 そこへサイードが入ってきた。

「まぁまぁ。師兄方もここが色恋沙汰はご法度なのはご存知でしょう。全員の口を封じるのは不可能でしょうしねぇ」

「お前は何が言いたい!」

「要するにこの場は解散しましょうって事ですよ。そして誰も何も言わない。それで丸く収まるんですから。ね?」

 サイードが大袈裟な身振り手振りを交えて説くと、道士達は唾を吐き捨てブツブツと文句を垂れ流しながら去って行った。わざとらしい仕草は人を馬鹿馬鹿しい気分にさせるものである。

「サイード、ご苦労。」

「いやまぁ……慣れたものですよ」

 アルゲティが苦笑で返す。血気にはやりがちな副団長が起こしそうなイザコザを収めるのが副官の重要な役割なのだ。

 女性道士達が揃って礼を述べた。

「あなた方は噂に聞いた異国からの修行者ですね。助けていただいてありがとうございます。この通り、お礼を申し上げます」

「いやなに、人として当然の事をしたまで。礼を言われる程の事ではござらぬよ。それではこれにて失礼致す」

 ただそれだけの事だったのだが、何木蘭だけはそれから何くれとなくアルゲティの世話を焼くようになった。激しい修行の中でほつれたり破れたりした道士服を直したり、差し入れをしたり修行の助言をしたり。

 端から見れば木蘭がアルゲティに入れ込んでいるのはまる分かりだ。だと言うのに当のアルゲティは全くなびく風がないのだ。

 木蘭は若く、涼しげな目元とスッキリとした鼻梁、柳の様にしなやかな体形でありながら出るべき所はしっかりと出ているという、控えめに言っても美人のうちに入る女性だと言うのに。

 本人に言わせれば「異教徒の女子おなごとどうこうなるなど考えられぬ」らしいのだが、団員の中には「実は副団長殿は恐妻家らしい」というまことしやかな噂がある。副官のサイードはちょくちょくアルゲティの家を訪れているので「真相を知っているのでは」と尋ねられるのだが、この件に関しては黙秘を続けている。



今週は仕事の都合で更新頻度が落ちまくる事と思います。

少々お待ち頂けたら嬉しく思います。

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