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謁見②

ようやくの謁見。しかし、そう上手く行く筈もなく……。

 詰問役の宦官が妙に甲高い、耳障りな声を張り上げた。

「そそ、その方ら! オスマン帝国からの使者とと……の事だぎゃ、いや事だが! 何故にわざわざ騎馬民族の支配下にありゅ……いやある陸路をやって来たのか! 何故に公式な海路を使わなきゃったのきゃ!」

 巨漢の迫力にたじろいでいるのだろう、まともに舌が回っていない。アルゲティの視線をまともに受ければ仕方ないのかもしれない。

「ではご返答いたす。まず、我らが陸路を取る事は既に書状にてお伝えしてあるはず。何も不審な点はございますまい」

「たったた……確かにそれは受け取っておりゅ! それの確認じゃ!」

「なればこれでようござろう」

「よよ、ようない! ありゃ、改めて問うぞ! その方らの目的はなんじゃ! 騎馬民族どもとけけ、結託してなんぞ悪事でも働くつもりきゃ!」

「もしそうならば……」

 場がざわめいた。副官は泣きそうな顔でアルゲティの袖に縋りついた。それを振り払いながら朗々たる声で答えた。

「このような少人数で何ができましょう! 国境の遥か彼方とこの北京で呼応して何か為すなど到底不可能! 考えるだけ無駄というものでござろう! 確か、この古き歴史を誇る貴国には――『絹』ではない……『危惧』とも違う……あ――」

「副団長殿、『杞憂』ではありませんか?」

「そうだそれだ! 『杞憂』というものでありましょうぞ!」

 宦官が歯噛みするのが見える。まだまだ疑念に駆られているようだ。

「その方らは魔術師というではないか! なにか連絡を取る方法があるのではないか? だとすれば処刑は免れ得ぬぞ!」

「そんな都合の良い術などありませぬ!」

「ならば無いと証明してみせよ!」

「どうやって証明せよと仰るか! 有るとの証明ならばやって見せればよいが、無いと証明するなどそもそも不可能でありましょう!」

「出来ぬのだな?」

「そのような誘導尋問に引っ掛かりはせぬ!」

「おのれ……衛兵! こ奴らをひっ捕らえよ!」

 衛兵が配置について矛を構えた。アルゲティは両脚を踏ん張って軽く腰を落とし、呪文を唱える体勢に入った。長い呪文を唱える時に必要な体勢だ。

 まさに一触即発――その時、腹の底を震わす声が響いた。声の主は至尊の座の主でもあった。

「待てい」

 衛兵が雷に打たれたように矛を引き、元の位置に戻った。宦官が拝跪した。重臣たちもだ。アルゲティ一行はそれに倣った。

「朕が問う。偽りなく答えよ。その方らの目的は奈辺にあるか」

「我等の目的は二つございます。まず一つは我らの魔術向上の為、貴国の方術――仙術を学ぶ事にございます。今一つは史上唯一、騎馬民族を追いやり王朝を打ち立てた偉大なる貴国の強さの源をる事にございます」

 どよめきが沸き上がった。己が国の強さを識る――聞こえはいいが、そうして識った事を転用し、こちらに攻め込むのではないか。当然の危惧だ。

「静まれい」

 一瞬で静寂が満ち、空気が固体化したかの様な重苦しい沈黙が流れた。アルゲティの背中を嫌な汗が伝う。

「その方名はなんと申す」

「ラス・アルゲティと申します、陛下」

「ではラス・アルゲティよ、汝が魔術とやらを一つ披露せよ」

「畏まりました」

 宦官に大きな花束を頼み、自分は懐から羊皮紙を取り出した。その表面には奇怪な紋様――方陣が描かれている。

 ABRACADABRAの文字が両端に向かって一文字ずつ減ってゆき、上下に三角形が繋がった形をしている。そしてそれが複雑な組み合わせになっており、奇妙な幾何学模様を形成していた。

 それを床に敷き、その上に花束をのせると――瞬く間にしぼみ、枯れ果ててしまった。どよめきを意に介さず、羊皮紙を持ち上げると枯れ果てた花が粉塵となり舞い散った。

「これは魔法陣に花の精気を閉じ込めたのでござる。次にその精気をどなたかに進呈したいと存じますが……」

 アルゲティが周囲を見回すと文官は揃って悲鳴を上げ、情けなくたじろいだ。衛兵達はそうはならず、自分が受けようと言う者が何人も現れた。名をあげる好機と見たのかもしれない。

 アルゲティが最初に名乗り出た衛兵を招き寄せ、方陣の上に手を乗せさせた。するとどうだろう、朧な輝きが掌を包みこんだではないか。その輝きが掌から腕に伝わり肩に達すると衛兵が背筋をブルブルっと震わせた。

 一同が騒めき――衛兵は対照的にその表情を輝かせた。

「陛下、これは……信じられませぬ。確かに気力と申しましょうか、精力と申しましょうか……とにかく充実してまいりました!」

 どよめきが沸き起こった。この国にも同様の事が出来る者達がいる。方法こそ違えどやる事は同じだ。だがそれを魔法陣で、あっという間にやってのけるとは。この男の実力は本物――それも相当のものなのではないか。一同がそんな思いに染め上げられた。アルゲティが詰問役の宦官に向き直った。

「宦官殿。たしかそなたの地位は……ナニを切り落として、男の機能と引き換えと聞き及ぶが相違ござらぬか」

「そ、それが……どうしたと言うのじゃ」

「拙者の魔術ならば……一時的にであれど、それを回復させて差し上げる事も可能でありまするが……」

「ま、真か!」

「真にござる。さすれば今一度……ナニをナニする事も夢ではござらぬ」

「ま……真か……今一度ナニ出来ると……」

 宦官の顔が紅潮している。とうに諦め投げ捨てた筈の悦楽に再び浸れるというのだ、天帝からの祝福を受けた気分になっても当然だろう。

 が、アルゲティが意地悪く唇の端を吊り上げた。

「いやしかし、そこまでの術となればすぐすぐにはできませぬ。継続時間の保証も出来かねまする。途中で効力を失っては目も当てられませぬからな、迂闊な事はせぬが吉でしょうな!」

「な……! いやしかし! 可能なのであろう? そうじゃ、ものは試し、支度出来次第に……」

「いや宦官殿、ナニを復活させてはそなたの地位はどうなるのでござろう。もはや留まれぬのでは?」

 宦官の顔色が青く変わった。忙しい男だ。

 よく考えればアルゲティの言う通りだ。一時的にでも男性機能が復活すれば宦官としての信用は失われる。ならばこれまでに貯めこんだ富を抱えて逃げ出すか。いや、そんな事を許す主上ではない。 ちらりと見上げた階の上に、炯々と輝く竜の如き双眸が見下ろしていた。特に威嚇しているわけではない。なのに宦官は肝の芯まで凍てついてしまった。

「あ、いやいや、私としてもここは冷静にならねばな。うむ、一時の感情に振り回されて己を見失ってはならぬ。折角の申し出なれど、ここは辞退させてもらおう。うむ、それが良い」

 大仰な態度を取ってはいるが、額に滲む汗。せわしなく頬を撫でまわす右手。動揺を隠せていない。

――これで彼奴は二度と強く出れまい――

 アルゲティは確信した。大きく息を吐きだすと階の最上段で玉座に座す天子に跪いた。直接顔を見るのは非礼とされるのだ。

「陛下の御前で非礼の数々、どうかご寛恕賜りますよう……」

 部下達もそれに倣って一斉に跪いた。いくら宦官があらぬ疑いをかけて来たとは言え、こうもやり返しては朝廷の面目は丸潰れだ。特にこの国ではメンツが大切にされるという。非常に拙い事態だ。 しかし何もしなければ宦官の讒言で処刑されかねなかっただろう。ここはアルゲティの人間力と運にかけるしかない。

 沈黙が流れた。そして――

「よい」

 張り詰めていた空気が一気に緩んだ。中には態勢を崩して倒れる者もいた。

「陛下のご厚情に心より、厚く厚くお礼申し上げまする」

「構わぬ。此度の事、先に非礼を働いたのはこ奴よ」

 竜の眼を思わせる一瞥を受け、先刻の宦官が震え上がった。縮こまるばかりで声も出せていない。

「ラス・アルゲティと申したな。その方ら……学ぶならば武当山ウーダンシャンに赴くがよい。彼の地は方術と武術の聖地。その方らが学ぶには格好の地であろう」

「ははーっ! ありがたき幸せ」

「それと一つ申し付ける。心せよ」

「はっ!」

アルゲティが一段と頭を垂れた。

「帰国する前に朕の前で学んだ成果を披露せよ」

「しかと心得ましてございます」

 アルゲティは丁寧な謝辞を述べて退席した。長い回廊を歩いて行く背中には汗の染みが色濃く浮かんでいた。後ろに続く部下達は背中どころではない。全身いたるところが汗で変色していた。

 皇極殿を辞し、午門に向けて歩を進めながら城内を改めて観察する。今更ながらその壮麗さ、そこから醸し出される豊かさが窺えた。見事な浮彫が施された門柱、長大な堀、青銅の獅子や鶴の像。数え上げればきりがない。異教徒の文化がこれ程までに洗練されていようとは。

「是が非でもこの国の強さを学んで帰らねば……我が国にとって最大の脅威はやはり騎馬民族ではなくこの国であろう。邪神(シヤイターン)でも現れぬ限り……な」

 アルゲティの呟きは異国の風に乗って消えていった。

今回登場した皇帝。はっきりと名前は作中に出していません。不敬になってはいけませんから。

一応の設定としては、廟号は武宗帝、日本での呼称は正徳帝となっています。


お付き合いいただいて本当にありがとうございます。次回もよろしくお付き合いのほどを……。

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