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魚妖

修行の成果を試したいと願う一行。そこへ舞い込んできた魚妖退治の依頼。

この機を逃す筈は無かった。

 時は流れ、アルゲティ達が武当山にやって来て一年が経とうとしていた。

 そろそろ此処を去らねばならない。そうなるとこれまでに学んだ成果を試す為に何らかの成果を上げたい。そう思うのが人情だ。自分達に何か出来ないものか。なんなら武術や方術の試合などはどうか。いや待て方術の試合などがあるのか。そんな事を話し合う最中、遠方にある珠江沿いの村から魔物退治の依頼が来たのである。

 聞くと夜になると珠江から魚妖が現れ村を襲うのだという。地元の軍は壊滅状態に陥り、中央は端から信じてもくれないのだという。

「副団長殿……」

「うむ、これぞ渡りに船! 我ら全員でこの任に志願しようではないか!」

「その通りです! 恩と名前を売るには絶好の好機!」

「浅ましい事を考えるでない! 天下万民の為に戦うのだ! 学んだばかりの仁と義を忘れてはならんぞ!」

 こうして異国からやって来た一団は宋を筆頭に魚妖退治に旅立つ事になったのである。

 珠江までの旅は順調だった。何木蘭と、彼女を姉の様に慕う趙鈴玉ヂャオリンユーが突然合流した事を除いては。どうやら木蘭が女館長に直訴して半ば強引に同行の許可を取り、後を追いかけてきたらしい。動機は――考えるまでもない。

 こうして異例の男女混合道士団が生まれたのだった。十五人にも上る一団だが、その中に美女が二人いるだけで一気に華やかになっている。木蘭は二十代の美女だが、鈴玉はまだ十代の美少女といった風情だ。しっとりとした木蘭に対してさらりとした鈴玉といったかんじだろうか。顔だちもまだあどけなさが残る。体形も細さが目立つ。

 それでも――いや、それだからこそ一団の中で違う人気が出ていた。木蘭はアルゲティの世話を焼く事に一途だが、鈴玉は周りの男達が彼女の世話を焼くのだった。やれ足は痛くないか、やれ腹は減っていないか、やれ疲れてはいないか等々。若いを超えて幼いとすら言えるからこその事だった。

 そんな賑やかな道中だったが、そこは鍛え上げられた一同である。通常の半分程の日数で現地に辿り着いた。

 村長の屋敷に逗留し、魚妖の情報を集めつつ出現を待つ算段だった。が、そんなに待つ必要もなく、魚妖は早速その晩に現れた。

 日が暮れてから程なく、監視役からの報告により一同は打って出た。

「全く気の早い輩よ。早々に片付けてくれるわ!」

「その意気です。が、アルゲティ殿、油断は禁物です。村長の話を思い出してください。刀も槍も弓も効かぬ不死としか思えぬ連中……どう対処すべきか……」

「確かに……」

「追い払うにも苦労しそうですわね」

 宋と木蘭と並走しながら考えてみても、確かに不死の魔物ならばどうすればよいのか。とにかく武器が通じないのであれば魔術か方術で立ち向かうしかない。取りあえずの結論はそれだ。

 鈴玉はというと、サイード達の心配とお節介を涼しい顔で退け、むしろ誇りを傷付けられたかのような不機嫌顔で木蘭に続いて走り続けた。

 珠江の畔に到着した一同が目にしたのは、まさに異界的な光景だった。人とも魚とも判別がつかない異様な妖物達がそこかしこを闊歩している。

 魚と人間を融合させたとしか思えない頭部。鰭と指が一体化した手足。全身が鱗に覆われた姿は不快という言葉を具現化したらこうなるという見本だ。

 悪夢的な光景をいや増すのはその生臭い、吐き気を催す悪臭だ。そしてそれに最も敏感に反応したのは――豪胆なアルゲティだった。口を押え、膝をつき必死に嘔吐感を堪えている。額には脂汗と血管が浮かび、その深刻さを無言で主張していた。

「アルゲティ様、大丈夫ですか?」

 木蘭が巨漢の肩を抱き、心配を絵にしたような顔で介抱する。その横で鈴玉が不機嫌をこれまた絵にしたような顔で見守る。端で眺めるなら楽しいのかもしれない。平時ならば。

 しかし今は非常時である。宋が魚妖達を牽制しながらアルゲティの前にやって来た。

「アルゲティ殿、どうしたんです?貴方らしくもない」

「ぐぅ……実は拙者、幼少の頃に傷みかけた魚を口にして……体調を崩して以来、どうにも……この類の……臭いが……苦手で……ぐふぅ!」

「人間というものは意外な事があるものですね……とにかく木蘭殿、アルゲティ殿を後方へ」

「い、いや! このまま引き下がるなど……!」

「そんな事を言っている場合では!」

「お待ち下さい宋様! もしかすると……」

 木蘭に何か囁かれたアルゲティの目に生気が宿った。先程までの有様が嘘の様だ。指先に気を集中して――止まった。

「くそっ……この悪臭の中では……清浄な念を作れぬ……!」

「ならば私が!」

 木蘭が同じように指先に気を集中し、念を込め――パチンと鳴らした。

 瞬間。悪臭が幾らか和らいだ。

「おお! これは……?」

「身辺浄化の術です。アルゲティ様が呂老人から手ほどきを受けておられたのを私もお傍で拝見しておりました。おかげで真似事程度ならば」

 確かに便利な術だし悪臭はマシにはなったが、消えたとは言えない。これでは結果は変わらないのではないか。皆がそう思った。だが完全とはいかぬまでも、幾らかは効果があった。アルゲティの体までも。

「木蘭師姉。感謝いたす! これならば!」

 太く大きな指に気と念を込め、バチンと鳴らした。たちまち悪臭と吐き気が消え去り、快晴の草原を思わせる空気が周囲を席捲したではないか。

「おお……!」

「お見事です、アルゲティ様!」

 いつもの高笑いがでないのはまだ回復しきっていないからか。立ち上がり一つ伸びをすると、大きく深呼吸して地面を踏み鳴らして構えをとった。

「さぁ宋殿、木蘭師姉、鈴玉師姉、我が部下達よ! この忌まわしい化け物達を蹴散らしてしまおうではないか!」

 悪臭が消えただけでも有難い。そして戦力も戻った。だが不死の魚妖に術が通用するのか?

「そのような事、やってみれば分かろう!」

 巨漢は体が膨らむ程に息を吸い込み、僅かな溜めから思い切り吐き出した。それは炎に変わり魚妖達を一飲みにしてしまったではないか。

「おお!」

「副団長殿、これは一体?」

「うむ、あの王向賽にあげつらわれて以来、精進してきたのだ。呪文を省略出来る方法をな。それよりも宋殿。先程から同じセリフが続いておりますぞ」

 不識神による気の発動と、連動した呪文の入力。それをものにしつつあるのだ。威力はまだ呪文を唱える場合に比べて弱いが、それでも特性は変わらないし何よりも発動が早い。実戦に於いては大きな効果が期待出来る。

 照れ隠しに頭を掻く宋を他所に魔術の炎は勢いを増していく。

「予想以上の効果のようだな!」

 そう言って景気よく二発、三発と放つ。その間に部下達、宋達も術を発動すべく呪文に入る。

 そこへ聞き覚えのある笑い声が降り注がれた。

「腕を上げたようだな、異国のデカいの」

 魚妖達が左右に分かれ、その中を悠然と歩んで来る男には見覚えがあった。ただ、今回は悪役らしく黒い道士服を着ている。

「忘れようとしても思い出せないその声は……ドジョウ髭か!」

「思い出しておるではないか! 相も変らぬふざけた奴よ!」

 涼しい顔のアルゲティとは対照的に、宋達は警戒心を露わにしている。王向賽のかつての実力を知っている上に、邪な方向への精進を知っているのだから当然なのだろう。

「この妖物達は……貴様の手引きか! 王向賽!」

「師兄をつけぬか!」

「貴様はもう師兄でもなんでもない! ただの邪悪な術師だ!」

 アルゲティが大きな体を寄せて耳打ちする。

「宋殿、『邪悪な術師』ならば『なんでもない』とはなりませぬぞ。奴ならばそこを突き回すかと」

「た、確かに……」

「貴様らは人をなんだと思っておるのだ!」

「言わせるでない。拙者達にも情けはある!」

「その方が酷いわ!」

 不毛なやり取りの間にも木蘭と鈴玉、そしてサイード達が魚妖達を迎え撃っている。が、やはり決定力不足らしい。受けた傷がみるみるうちに塞がっていくではないか。アルゲティが放った火炎はある程度の効果があったが、それでも回復されているようだ。

「全く……忌まわしい奴らよ。貴様の仲間に似合いと見えるわ!」

「ふん、なんとでもほざくがいい。こ奴らは東海の果て、貴様らの知らぬ島にまつわる深き……」

「そんな事はどうでもよい! 貴様もろとも叩き潰せば済む話よ!」 王向賽は鼻で笑い、余裕を見せつけるためか腕組みをしてねめつけた。

「それは不可能だ。こ奴ら『深き者ども』は不滅の存在。人間の手で倒す事などできはせぬ」

「やってみねば分かるまい!」

 ――アリエル・ガブリエル・マサエル・ザン・シリエル・トブリエル・ラザエル・ゾン――

 今度はしっかりと呪文を唱え、更に気を込めて轟! と火炎を放った。驚く程の広がりを見せた烈火は無数の魚妖達を覆いつくし、ジュウジュウと焼き尽くしていく。耳に入ってくる人間の声とは程遠い音は彼らの悲鳴なのか。

 紅蓮の炎の中でのたうち回る魚妖達の姿はまさに地獄絵図。この世の光景とは思えないものだった。

「ふん。たとえ不死身であろうとも苦痛はしっかりと感じるらしいな。中途半端な奴らよ。貴様と同じだ、ドジョウ髭」

 数舜だけ驚いた顔をしていた王は、すぐに薄笑いを浮かべ粘着質な表情に変わった。

「これは大したものだ。我が同志に欲しいぐらいだぞ、デカいの」

「冗談ではない。拙者は魚が嫌いなのでな、心の底から拒否する!」

 キッパリと断られてもまだニヤついている。気持ち悪い事この上ない。

「貴様ら……何故この世に悪が……闇があるか考えた事はあるか?」

「何を愚かな事を!」

「貴様の様な輩がいるからに決まっておろうが!」

 王の目に脂ぎった光が宿る。ある種の者に特有の光だ。

「仮にそうだとしよう」

「仮にではないわ!」

「黙って聞け!」

 狂気にも似た叫びは周囲を圧し、魚妖達も木蘭達もその動きを止めた。

「俺が悪なのは間違いない。ならば何故俺は悪を知った? 俺がこの世に生を受ける遥か前から悪は存在しているではないか。何故だ? デカいの、貴様の国の教えでは唯一絶対神がこの世界を作ったのだな。我が国の教えでは天帝がこの天界を治め、人界はその現身だ。なのに悪がある。陰と陽、正と邪がある。何故だ?」

「それは……この世の法則で……」

「そうとも! 不出来な師弟よ、そうなのだ! この世の法則により、悪も闇も必要なのだ! 正や光があるなら、等量反質の悪や闇が生まれる。それがこの世の法則! いわば悪は『許されて』存在しているのだ!」

 大袈裟な身振り手振りを加えて展開される狂気の主張は、ある意味で人を惹きつける。うっかりすると納得しかねない。未熟な者なら猶更だ。

「世迷言を……」

「ならば聞こう。唯一絶対神が造り給いしこの世界に、何故悪神(シヤイターン)が存在するのだ? 創造主が作ったからこそ居るのではないのか?」

「ぬぅ……」

 確かに考えた事もなかった。居る事が前提になっていた。どうして全能なるアッラーは邪悪な存在を許し給うのか。そんな物が存在しない世界ならば人は皆、平和に豊かに生きていけるというのに。

 思考の迷宮に入り込みそうになったその時。精神防御の術が発動した。自律系の術が便利なのはこの点だ。

 隙を生みそうになった頭の片隅から鮮烈な光が差し込んだかのようだ。

「戯け者が! どんな理屈をつけてこねくり回そうが、弱者を虐げてよい理由になるものか!」

 大音声が皆の迷いを吹き飛ばした。ハッと我に返った一同は目に精気を取り戻し、改めて戦闘態勢に入った。

「王向賽……それ程の才をこんな事に……やはり赦さない」

「そうやって人をたぶらかして……見下げ果てたお人」

 宋も木蘭も決意を新たに、雌雄を決する覚悟を決めた。だがそれをあざ笑うように魚妖はその数を増していく。一体どれほどの数がいるのか。

 人外の群れの中に王向賽の姿が消えていく。

「さらばだ。我が目的はお前達を仕留める事ではない。こ奴らを操る為の訓練に過ぎぬ。縁あればまた会おう。決着を望むならその時だ」

「くっ……邪魔だてをするな!」

 振り下ろした宋の剣が魚妖の頭に刺さり止まった。粘液に塗れた鰭混じりの手が剣身を掴み、そのまま奪い取ってしまった。一瞬の驚愕。王を追うか剣を奪い返すか。僅かな逡巡が反応を遅らせ、魚妖に囲まれ孤立してしまった。

 ――拙い――

 魚妖が襲い掛かってくるその時、大きな拳が魚妖を吹き飛ばし反対側にいた魚妖もろとも跳ね転がって行った。気を込めた一撃だ。

「冷静になられよ、宋殿らしくもない」

「面目ありません……」

 軽く頭を振り頬を一つ叩くと、いつもの聡明な眼差しが戻った。

「アルゲティ殿、これまでで魚妖に有効だったのは貴方の火炎の術だけでしたね。あれはどのような力なのですか?」

「あれは精霊の力を借りたもの。火の界の精霊魔術ならば魚モドキには有効であろうと」

「なるほど。他に同じ術が使えるのは何方ですか」

「今はサイードだけしか……」

「ならばサイード殿、アルゲティ殿と共に精霊の火術を! 他の方々は牽制をお願いします! 私と木蘭殿、鈴玉殿は太乙神君タイイーシェンジュン玄天上帝シュェンティェンシャンディの呪符と武術で!」

 こうなれば鍛えられた者達だけに立ち直りが早い。それぞれに得意な物で魚妖に立ち向かい、術の準備ができ次第に離脱。そこにアルゲティとサイードが精霊の火を放つ。宋達は滑るような動きで魚妖達の隙間に入り込み、剣や刀で切りつけては呪符を貼りつけて動きを封じ、そこにも精霊の火を呼び込む。見事な連携が出来上がっていた。

 対して魚妖達は不死でこそあれ、各々が勝手に動き回るだけな上に動きが遅い。水中では逆転するのだろうが、ここは地上である。不死性以外は彼らにとって脅威とはならないようだ。彼らにとってはだが。

 しばらく戦っていると徐々にだが魚妖達の数が目に見えて減ってきたのが分かった。

「宋殿、これは……」

「恐らくですが、王が去って支配力が弱まったのでしょう。それで化け物達も苦痛から逃げ出した……という事ではないでしょうか」

 頷いたアルゲティが檄を飛ばす。

「皆の者! あと少しで全て追い払えるぞ! 二度と此処へ来る気が起きぬよう、徹底的に叩きのめせ!」

「おおぉぉぉ!」

 鬨の声を上げるや更なる気迫をもって襲い掛かる。こうなれば大勢は決したも同然。焼け焦げた体で緩慢な動きしかできない魚妖達に追い打ちをかけていくだけだ。そして王の支配力を上回るほどの苦い、苦痛に満ち溢れた記憶を植え付けてやるのだ。

 こうして夜が更ける前に全ての魚妖を撃退したのだった。村人達の感謝はひとしおだった。心づくしの料理と酒、そして女性陣には嬉しい沐浴も振舞われた。

 その夜は村長の好意で長の屋敷に宿泊する事となった。疲れもあり、皆早くから眠りについた。だが一人だけ屋敷を抜け出す大きな人影が現れる。アルゲティだ。

 何処へ行くのか。その足が向かう先は――魚妖達が上陸した岸辺だ。そこを掘り返し、何かを埋めた。何事かブツブツと唱え、立ち上がり振り向くとそこには木蘭が佇んでいるではないか。一体どうやって気付いたのか。

「何をなさっておりますの?」

「これは驚いた……拙者に気付かれる事無く背後を……」

「誤魔化さずにお答えください」

 いつになく強い語気。流石に不振に思ったのだろう。

「万が一にも彼奴等が再上陸せぬよう、術を仕掛けていただけ。落ちていた大きめの石に火の属性を持つカルブ・ル・アクラブ――この国では心大星シンダシンと呼ぶそうな。その星の力を借りる呪文を刻み、埋めておいたという事です。ご心配無きよう」

 故無き疑いをかけてしまいました。どうかお許しください」

 木蘭が深く頭を下げて詫びた。その姿には偽りない誠意が溢れている。

「いや木蘭師姉、おやめ下さい。間違われるような行いをとった拙者にも非はありますゆえ」

「ありがとうございます」

 顔を上げたその眼には涙が滲んでいた。

 なんとなく二人とも無口になり、しばらく夜空を見上げていた。再び口を開いたのは木蘭だった。

「もうすぐ……祖国にお戻りになるのですね」

「左様、君命ですゆえ」

「遠く離れても、空は繋がっております。同じ空を……見る事は出来ます」

「はい……と、木蘭師姉……」

「師姉はやめて下さいませ。今だけは……」

「木蘭……」

 胸に飛び込んできた木蘭の細い身体をそっと抱きしめ、そのまま二人は動かなかった。



もう少しで大団円となります。

お付き合いいただけたら光栄です。

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