木蘭と老人②
年末年始を挟んで間が空いてしまいました。
これからまた地道にupしていきますので、よろしくお願いします。
もしかすると余所者の自分が先輩道士達に羨まれる事になると、揉め事の種になると考えているのかも知れない。そんな事を知ってか知らずか、今日も木蘭は甲斐甲斐しくアルゲティの世話を焼き、時折自分のアピールも忘れず、魅惑的な曲線美を(さりげなく)見せつけ愛くるしい笑顔を振りまくのだった。
套路に打ち込むアルゲティはキチンと話をしながらも視線を木蘭に向ける事はない。
――アルゲティ様……いつも礼儀正しく応じて下さいますが、振り向いてはいただけませんのね……。諦めるべきなのでしょうけど、せめてお傍にいるだけでも……――
乙女心に気付いていないのか、気付かぬふりなのか。汗を流し一心不乱に套路に打ち込むアルゲティの耳に聞きなれない笑い声が飛び込んできた。
「はっはっは。これはまた奇妙な修行者がいたものじゃ。柔の套路が剛になるとはのぅ」
「そなたは……?」
視線の先に粗末な衣をまとった小柄な老人が佇んでいた。
「いやいや、もう一度最初からやってみぃ」
「はぁ……」
アルゲティも木蘭も何故か逆らう気にならない。とにかく套路を最初からやり直してみせた。
「デカいの。お主は何とやる気なんじゃな?」
「何と……とは?」
「じゃから。何と事を構えるつもりで鍛錬しとるのかと聞いておる」
言葉に詰まってしまった。考えてみれば明確な相手を想定した事が無かったのだ。とにかく我武者羅に、ひたすら実力を求めて励んでいたのだ。
「それみぃ。確かに聞こえは良かろうよ。我武者羅に励むというのはな。しかし。ハッキリとした課題をもってせねば無駄な力みが抜けぬのよ。丁度今のお主のようにな。化勁の修行に無駄な力みは禁物。それが妨げになっておるのよ」
アルゲティの目に光が宿った。
「ご老人! 助言に感謝いたす! このラス・アルゲティ、一筋の光明が見え申した!」
「なななな、離さんか!」
大きな手で皺くちゃの手を握り締めて大きく振っては老人にはたまるまい。感謝の意思表示なのだろうが。
「無駄な力み……ならばまず、それを抜くのを課題とせねば」
再び套路に戻ると、それまでとは違う、静かな――流れるような動きに変わった。木蘭が目を丸くしたほどだ。
「ふむ。直線的な発想じゃな。が、時としてそういう奴が最短距離を突っ走る事もある」
「貴方は一体……」
木蘭が振り向くと、もう姿は無かった。足音も衣擦れの音も無く。套路に打ち込むアルゲティは老人が姿を消した事にさえ気付かなかった。
それ以後も老人は時折現れてはアルゲティに的確な助言を送り、上達を手助けするのだが、それは武術だけにとどまらず方術――仙術にも及んだ。遂には武術と方術を融合させるかのような内容にいたるのだ。
「ふぅむ……つまり突きや蹴りに合わせて気を込めると?」
「早い話がそういう事じゃ」
「遅く言っても同じ事でしょうに」
木蘭の皮肉にも動じた様子はない。老人は木蘭にはやや冷淡な印象だった。対して木蘭は老人を快く思っていない。アルゲティとの時間を邪魔されているのだから当然だ。
「確かに出来ぬ事はなかろうが……意識が散漫になってしまわぬか……」
「さればよ。意識せずとも出来るよう修練を積む事じゃ」
「それが簡単に出来れば苦労はしませぬ」
「当然じゃ。修練を積むのじゃから簡単なはずがあるまいに」
木蘭が形のいい唇を尖らせてそっぽを向いた。
「よいか。今はまだ識神(意識)を使こうて気を操っておるが、不識神(無意識)で操れるようになれば……こと実戦において強力な武器になるとは考えぬか?」
「むお!それは……間違いなく!」
老人はアルゲティの握手をスルリと躱し、一瞬で背後の立木の枝に腰かけていた。
「小娘の言う通り、簡単に出来よう筈はない。が、困難と知ってもなお求めるか?」
「至極当然!」
分厚い胸をバシンと叩いた。あの夜からずっと脳裏に渦巻いていた王向賽の言葉。ようやく払拭する道が見えたのだ、まさに頭の中に光明が差し込んだような、実に晴れ晴れとした気分だ。
老人が頷き、枝から飛び降りた。
「危な……い!?」
着地したのかどうか分からない。爪先が地面に接するかという刹那の一瞬でもうアルゲティの目前に涼しい顔をした老人が佇んでいる。
「ご老人……今更ながら貴方は何者で?」
「なに、大樹に育つやもしれぬ苗木に水をかけるのが趣味の閑人よ」
はぐらかされてしまったが、何故かそれでいいような気もした。
「ついでじゃ、お主に必要な術を一つ授けてやろう」
「かたじけない」
大仰なやり取りの割には地味な「身辺浄化の術」だ。これは自身と周囲の空間を浄化し、邪気や瘴気や悪臭、果ては悪心・嘔吐感まで消し去る術である。
「確かに便利。それほど重要ではないかも知れぬが、覚えておいて損はない」
「お主にとって必要となる事が二回あると卦に出ておる。一回目はもうじき、二回目は……ずっと未来じゃがな」
極めて重要な予言だったのだが、すっかり覇気を取り戻したアルゲティは気に留める事はなかった。彼の数奇な運命に関わる重大な――極めて重大な事だったというのに。
「やり方は簡単じゃ。指先に気を集中、清浄な風景を念じ込めて――」
パチンと指を鳴らした。同時に指先へと集まっていた気が周囲に広がり、老人が念じていた清浄な風景に相応しい、さわやかな気が一同を包み込んだ。
「なんと……!」
「まるで初夏の草原で日差しを浴びて……風に吹かれているような……」
深夜だというのに昼間を思わせる空間がそこにあった。相変わらず暗いのにも関わらず、皮膚感覚が今は日中だと告げている。
「やってみぃ」
「承知!」
巨漢が同じくやってみた。結果は――老人には及ばぬものの、幾ばくかの効果は実感できた。かろうじてだったが。
「初めてではしかたありませぬ。アルゲティ様ならば何度か練習なさればすぐに……」
「木蘭師姉、拙者はいささかも落胆してはおりませぬぞ。なぜならば貴女の仰る通りなのですからな。すぐに身につけるという事も! ハーッハッハッハ!」
ようやくいつもの高笑いが復活した。木蘭はそれを好ましく思い、老人は耳を塞いでいた。高笑いがおさまると老人は背を向けた。
「では修練に励むがよい。それが己が道を開く事に繋がろうて。どれほど困難な道であろうとも……な」
「またれよご老人。せめてお名前を聞かせてはくださらぬか」
老人がくるりと振り向き、初めて破顔して見せた。
「儂の事は呂洞濱と呼ぶがよい」
アルゲティと木蘭は拱手して一礼し、感謝の意を伝えた。
「呂洞濱……聞いたことがありませんね。本当にそう名乗ったのですか?」
「間違いござらん。確かにそう名乗ったのですが……ご存知ありませぬか」
「残念ながら」
首を振る宋の後ろにかけられた絵にはあの老人にそっくりな仙人が描かれ、横には「呂八百(八百歳の呂)」と書かれていた。
いよいよ次回からこの物語も最終章に入ります。
よろしければお付き合いください。




