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鬼花繚乱  作者: 霜月 響
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零桜ノ章 其ノ参

―弐―

 翌朝、玲の姿は警羅隊屯所にあった。

 警羅隊は咲世の治安を守る組織で、最も咲世の情報が集まる場所でもある。

 集まる情報の中には機密情報もあるので、普段は出入りを厳しく制限されるのだが、玲は堂々と敷地内を歩いていく。

そうしていても誰にも咎められず、むしろ挨拶すらされるのは、彼女の表の顔がここの一員であるからだ。

 退鬼師はそれぞれ表の顔を持っている。由紀菜であれば薬師、翁であれば老中など。

 玲がこの隊の監察方を選んだのは、己の強すぎる身体能力を隠すためだ。

仕方なく選んだが、玲はここが嫌いではなかった。強い者を敬うという単純な上下関係は分かりやすいし、何より局長を筆頭に裏表のない性格の隊士が集まっていて、居心地の悪さを感じない。

 稽古場の(きざはし)を上り、気合の声が飛び交う中を覗き込む。

 そして、近くにいた休憩中の隊士の肩をとんとん、と叩く。

 「すまないが、一番隊の隊長を呼んでくれないか?」

 それに彼は笑顔で応じ、奥に向かって声を張り上げた。

 「梗夜(きょうや)隊長!玲さんがいらっしゃいましたー!」

 その声に、奥で指導をしていた長身の男が振り返る。

 男性にしては長い黒髪。背中の中程まで伸びたそれを薄紫の結い紐で一本に括り、前に垂らしている。前髪の合間から覗く瞳は紫色で、つり上がった切れ長のシルエットが冷たい印象を相手に与える。

 彼は笑顔で手を振る玲を認め、こちらに向かって歩いてきた。

 「やあ、兄様」

 「玲、どうした?今日は非番だったろう?」

 低く落ち着いた声音で訪ねる兄に、玲はにこりと笑みを向けた。

 「うん、ちょっと、ね」




 「それで、どうしたんだ?」

 「ん?」

 梗夜に問われ、玲は大量の書物を抱えたまま振り返る。

 今、二人がいるのは屯所内の書簡庫。

 咲世最大の情報量を誇るここは、膨大な敷地を有する。その中にはずらりと棚が並び、様々な種類ごと、また本棚に貼られた年号の札で細かく分けられ、調役(しらべやく)によって管理されている。

 「何かあったんだろ?」

 玲の持つ書物を指差し、重ねて問う。

 稽古場にいた時は、言葉を濁されて聞くことができなかった。

 彼女が抱えているのは、今月――弥生に入ってからの行方不明者の捜索案件ばかり。それを見れば大体想像はつくが、細かい事は聞かなければ分からない。

 玲は指につられて一度書物を見て、それから顔を上げ、注意深く辺りを見回した。

 幸い人は見当たらないが、それでも玲は声を出来る限り潜め、問いに答えた。

 「あっちの仕事だよ」

 あっちの仕事とは、退鬼師の仕事のことだ。退鬼師であることを隠している玲にとっては、聞かれてはならないものだ。

 「今月に入ってから、子供が行方不明になったっていう依頼が多発してるらしい。遺体が見つかってないから、鬼の種の特定が曖昧。だから、オレに回ってきた」

 なるほどな、と梗夜は相槌を打つ。

 「なら、隠れ鬼だろう?」

 隠れ鬼は違う次元に人を誘い、閉じ込めて喰らう種で、骨のみになった遺体を集めるという特徴がある。だから、遺体が発見されない。

 今回のはそれではないか、と梗夜は言っているのだ。

 だが、玲は首を振った。

 「いや、違うと思う。隠れ鬼の仕業なら、次元の歪みが見つかるはずだから」

 「見つかってないのか?」

 「うん、何も」

 「樹木鬼という可能性は?」

 樹木鬼は木に取り付き、人を拐かして生気のみを喰らう種。嗅覚が敏感で腐臭を嫌うので、腐臭を漂わせる遺体を捨てる特徴がある。だから、死体が見つからないということがまずない。

 だが、たまに例外がいるので、玲は樹木鬼の仕業ではないかと目星を付けていた。

 「……それを調べに来たんだよ」

 しかし、確信のないことは言わない主義の玲は、あえてそれを言わない。

 「そうか」

 そこで会話は途切れ、玲は書物のうちの一つを開き、立ったまま読み始める。

 梗夜は頭一つ分以上も違う小さな背に、ふと視線を落とす。

 いつの間にか、彼女からは人のいい笑みが消え、口調もひどく無機質なものへ戻っていた。

 玲は人前だとよく笑い、何より強く頼りになるので人に慕われるが、それが演じられたものだと、梗夜は知っている。他には由紀菜と翁など、片手で足りる程しかいない。

 無理をしている姿を見るのは嫌だが、そうしないと玲が生きていけないことも知っているので、梗夜が口を出すことはない。

 だが、出来る限り力になりたいとは、常に思っている。

 ゆっくりとページをめくり、一つ一つじっくり読んでいた玲は、ふいに首を傾げて梗夜の稽古着の袖を引いた。

 「兄様、この案件の詳細分かる?」

 「どれだ?」

 書面を覗き込み、玲が指で示した部分に目を通す。

 それは、今から二週間前の子供の行方不明案件だった。

 「…ああ、それなら」

 自分が受け持ったものなので覚えている。

 たしか、ここに駆け込む前日、家族全員で花見に行った帰り、気が付けば一番下の子が行方不明になったというものだ。周辺をくまなく探したが見つからず、夜が開けても帰ってこなかったのだそうだ。

 「で、見つかったの?」

 梗夜は、静かに首を横に振った。

 玲はまた書面に視線を移し、ページを一枚二枚とめくる。

 初めのうち、ページの最後辺りにぽつぽつと何件ずつか、似たような案件があった。

 多発という程でもないな、と思っていたが、もう一枚、次の日に書かれたページをめくったその瞬間、ページいっぱいに子供の行方不明案件が記されていた。

 玲は目を見開き、バッと次のページをめくった。そこにもびっしりと子供の行方不明案件。その次の日も、そのまた次の日も、違うものがぽつぽつとあるだけで、他は全てそれだった。

 流石の玲も顔をしかめた。

 何がなんでも多すぎる。これだけ行方不明になっていて遺体が全く見つからないというのも、おかしな話だ。

 ページを戻してもう一度読んでみると、多発し始めた時期は奇しくも桜の開花時期と重なっていた。

 そこで玲は予想は、確かに確信へと変わった。

 やはり、樹木鬼の仕業だ。

 そして、花見ということは桜。桜の見頃ということは、あの場所しかない。

 ――吉雅山(よしがやま)

 「………玲?」

 玲の手が止まったことに気が付いた梗夜は、怪訝そうに玲の顔を覗き込んで、軽く目を見開いた。

 玲の顔付きが、冷淡で残虐な最強の退鬼師のそれに変わっていたからだ。

 「兄様、ごめん。行ってくる」

 玲はそれだけ言って、梗夜に抱えている書物を押し付け、さっさと出口に歩き出した。

 梗夜は別に嫌がることなく素直に受け取って、そして、歩いていく十七にしては小さい背を振り返る。

 「ああ、行ってこい」

 呟かれた言葉は、彼女の耳に届くことは無い。だが、誰よりも優しい瞳が彼女を見守っていた。




 一方、由紀菜は日課である往診に精を出していた。

 本当は玲と共に今回の件を調べたかったが、流石に往診は休むな、と言われたので渋々している現在である。

 「はい、終わりましたよー」

 「いやぁ、先生が来てくれてよかったよ。じゃないと俺ぁ痛くて泣いてたかもなぁ!」

 薬箱に薬品と包帯を仕舞いながら、大袈裟ですよ、と患者である男性に笑みを向けた。

 「階から落ちただけでしょう?木田さんなら、六十過ぎた人とは思えないくらい元気ですから、すぐに治りますよ」

 「そりゃあ俺ぁ、そこらのじじい共と違うからなぁ!」

 豪快に声を立てて笑う患者に、由紀菜も口元を綻ばせる。

 彼は長年大工をしていて、最近階から不注意で滑り落ち、腰を悪くした。歳も歳なので、危ないからそろそろ引退しろと周りが言っても、本人は頑として聞かない。

 だが、これだけ元気なら、無理に辞めさせることもないかもな、とも思う。

 「師匠ー、調合終わりましたー」

 その時、別の部屋で薬の調合を任せていた弟子の莉都(りと)が、薬研と薬瓶を抱えてやって来た。

 「ご苦労さま、莉都。ありがとう」

 彼は先天性白皮症で、白磁の肌に、柔らかく癖のある乳白色の髪。それと血のように赤い瞳を持つ。その奇異な容姿を上着に縫い付けた、大振りで裏地が朱色の頭巾で隠し、黒の手袋を着けて肌を出さないようにしている。

 吉雅山受け取った由紀菜は、しっかり飲んでくださいね、と告げてそれを木田へ手渡した。

 「あと、いくら経験あるからと言っても、もう歳なんですから、無理は絶対にしないこと。いいですね?」

 「おうよ」

 「この人、師匠の言うこと、ちゃんと聞くんでしょうか?いっつも聞いてない気がするんですけど」

 「何おう、くそ餓鬼!?ちゃんと聞いてるだろうが!」

 「そう言って何度も怪我増やしてる人が、よく言いますよ!」

 「こら莉都!やめなさい!」

 莉都は開きかけた口を閉じ、しゅんと俯いた。

 まったくもう、と由紀菜はため息をついた。

 しっかり者で素直なのだが、共に暮らす玲の影響なのか少しだけ口が悪い。患者のことを思ってはいるのだろうが、言葉と調子の選び方をもう少しどうにかしてほしい。

 「すみません、いつもいつも」

 「気にしなさんな、子供が元気なのはいい事だ」

 「ありがとうございます」

 「なんのなんの!」

 がははと笑う木田につられ、由紀菜もくすくすと笑う。

 また子供扱いして、と莉都一人だけがぶすくれている。

 しばらくして笑いが過ぎ去ったかと思うと、木田は思い出したかのように口を開いた。

 「そういえば先生よぉ、最近子供が次々と行方不明になってるって知ってるかい?」

 急な振りに由紀菜は内心ぎくりとしながらも、努めて平静を保ちつつ答えた。

 「いえ、知りませんけど…」

 思わぬ話を聞けそうな予感に、少しだけ鼓動が早くなる。

 「そうなのかい?先生は意外と耳が早いと思ったんだが」

 すみません、と思わず謝る由紀菜に、木田はなんの、と笑った。

 「俺も詳しくは知らんが、聞いた話では桜の枝を花売りから買った後、様子がおかしくなった子供が多かったそうだ」

 「え、じゃあ、その子達が行方不明に?」

 「ああ、そうらしい」

 予想よりも遥かに有益な情報だ、と心の中で拳を握る。

 だが、その桜の枝が本当に行方不明と関わっているとは、まだ断言出来ない。その桜の枝を見てみなければ。

 「だからよぉ、試しにその花売りから買ってみたんだけどよぉ」

 「ふぇ!?」

 驚きのあまり、思わず木田に詰め寄る。

 「ほ、本当ですか!?どこにあるんです!?」

 あまりに由紀菜が一気ににまくし立てるので、木田は笑みを零した。

 「先生も存外好奇心旺盛だよなぁ。ほら、そこの花瓶に刺してあるやつだよ」

 指差された方に、勢い良く振り返る。

 言っていた通り、そこには薄紅と白のグラデーションがかかった花瓶に刺された桜の枝があった。

 さすがだ、と由紀菜は感嘆する。

 木田はとても好奇心旺盛で、こういう不思議な噂があると試さずにはいられないのだ。今までも、この性格に助けられたことが何度かある。

 「あ、あの、これ触れてみても?」

 「おお、構わんよ。ただ、俺ぁ何ともなかったから、噂通りかは知らんぜ?」

 「大丈夫です」

 了解を得て、由紀菜は恐る恐る桜の枝に触れた。

 瞬間、視界が歪んで意識が飛びそうな感覚に襲われて、熱いものに触れた時のように、反射的に手を引く。

 ――おいで、おいで。

 ――おいで、愛し子。こっちにおいで。

 頭の中で、繰り返し声が響く。優しい声でおいでおいで、と繰り返し。何処かに誘うかのように。

 由紀菜はふるふると思い切り頭を振る。そして、感覚が消えたところで、もう一度まじまじと桜の枝を見る。

 ――これは…もしかして。

 温和な顔付きは、険しいものへと変わる。

 「し、師匠?」

 「大丈夫かい、先生?」

 「は、はい、大丈夫です」

 その時、由紀菜の耳朶に小さな羽ばたきの音が聞こえて、弾かれたようにそちらに顔を向けた。

 窓から丁度見える屋根の上に、白い鳥が二羽。灰色の目をじっとこちらに向けている。

 鳥に姿を変えた維祈と紬祈だ。多分玲が、道案内にと寄越したのだろう。

 ――玲も分かったんだ。

 道案内は大丈夫、と心の中で返すと、それが伝わったのか、二羽は飛び去って行った。

 それを見送り、由紀菜は薬箱を持って立ち上がった。

 「すみません、次がありますのでここで失礼します」

 「ああ、そうかい。気を付けてな」

 「では」

 挨拶もそこそこに、さっさと玄関の戸を開け、外に出る。

 早足で立ち去る自分を追いかけて駆けてくる莉都に、薬箱を押し付けて由紀菜は早口に言った。

 「ごめん莉都、仕事みたい。後はよろしくね」

 「えっ?ちょっ、師匠!?」

 莉都の静止も聞かず、由紀菜は仁卯通りを北に走って行く。

 この咲世を統べる帝も感嘆するほどの桜の名所、吉雅山へ向かって。

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