悪魔の策
立ち込める霧。後ろを振り返る。モーテルとパーミル。金で釣れた2人はしっかりと付いて来ている。他は誰も付いてこない。まぁ、当然か。後をつければ、見張りなどといっても傍からすれば、俺達3人の中に加わった4人目のように見える。
足を止めたのは試練の間から東、早歩きで10分程。入り組んだ森の木々の中に僅か開けた空間がある。ここは第1フェイズ前の散策で見つけた。
「僅かだが、誰かに聞かれている可能性がある。肩を寄せ合うぞ」
2人に目配せをし、3人が密着する。互いの吐息が肌を刺激した。
「この3人で秘宝を復元し合うという算段ですね」
モーテルの顔がにやける。気持ちが悪い顔だ。金に汚い商人、最も軽蔑する人種。本来なら同じ空気も吸いたくない。
「うん、1人、3石か2石復元するのが2人。1人当たり5石復元されることに。これで堕天使がこの内の誰かの秘宝を破壊しても痛くも痒くもない。――――――なんて考えてないよね」
パーミルは笑みを崩さず、瞳の奥底に疑惑の意思を灯す。
俺を試してくるのか――――。
「あぁ、俺が堕天使なら。そうして2人の動きを制限するだろうな。堕天使には絶対的に資格者達に有利な試練を突破する算段があるのだから」
「私はビガラさんを信用しています。堕天使だとは微塵も思っていないですよ」
ニタニタと笑みを浮かべるモーテル。低姿勢を貫く姿勢なのか。
俺の狙い。派閥を作ることには成功した。だが、この2人が堕天使なら、いつか寝首を掻かれる。堕天使がどうやって資格者達の秘宝をゼロにするのかわからないが。今はどうにか尻尾を出させる。2人を引き込み、ある程度大胆に攻めることができる。そして、さっきほどの試練の間での会話は、大いに役に立つ。
「2人ともよく聞け。俺達の秘宝を復元しつつ、秘宝の破壊も決行する」
モーテルの目が見開き。パーミルからは吐息が漏れた。
「秘宝を破壊するということはもう、堕天使が誰なのかわかったということですか?」
目を輝かせるモーテル。薄ら笑いを浮かべる。今から話すのは悪魔の策だ。
「みんな、ビガラの秘宝を砕かないか?」
3人が完全に霧の中に消えたことを確認するとザーリスは重い口調でそういった。
目を開き強張らせる頬をする資格者達。唖然とした表情で揃う。唐突のザーリスの提案。ビガラの秘宝を砕かないか。それは、ビガラを殺さないかと同意語だ。
「なぜかの、英雄殿?」
流石のフーラも見開いた目。直ぐに、元の小さな目に戻し視線をザーリスに送る。意味をわかっていったのかと。ザーリスがコクリと頷いた。それを見てフーラは静かな口を結ぶ。
「ラク、これは…………」
小言のように、アーリアが囁く。
「あぁ、最悪の展開だ」
額からうっすらと汗が流れた。資格者達から、不審はな目つきを買うザーリス。確かに、ビガラの行動は目に余る。金の力を利用し強引に派閥を作った。
「みんなも知っているだろう。あいつの正体を、ザルク家が権力を使い、何をしているかを。例えあいつが堕天使でなくても、生かして返す価値はない!」
気迫籠った口調に思わず口が籠る。ただの感情論なのは重々承知だろう。でも、沈黙は少なからず資格者達の意識にそれがあったことを意味している。四大貴族、政治は王族に任せ、軍事は軍に一任。もはや、存在の価値がない。歴史の汚点。
「そんなこと。だめに決まっています」
アーリアの天使のような顔が鬼のごとく眉が吊り上がり。ドス、ドス、ドスと音を立て、ザーリスに詰め寄る。
「あなたは命を何だと思っていますか! 確かに、ザルク家の悪行の限りは辺境の村まで伝わっています。だからって、帝国の英雄であるあなたが。誰かを殺していいなんて、いってはいけない。今まで誰よりも人を殺してきたあなただからです」
眩しい程の琥珀色の瞳は一心にザーリスを見つめる。
あぁ、最悪の展開だ。アーリアが浮いてしまう。彼女は他人のことに首を突っ込む。僕のこともそうだし、村で何か起これば、街にまで出て解決に勤しんだ。
ザーリスは深いため息を尽き、項垂れた。ゆっくり顔を上げる。アーリアの悲鳴が聞こえた。上目遣いから、獣のようなおぞましい瞳。常人から震えで立っていられない。実際にアーリアの身体は小刻みに震えていた。それでも、両手で握り拳を作り、唇を噛みしめ恐怖に耐えていた。だが、ザーリスの視線は更に野性味を帯び、全身から身の毛をよだつ覇気を放つ。
「おい、小娘。何甘いことをいっている。命をどうだって、そんなことは人様の命を大切に扱ってきた奴に当て嵌ることだ。庶民の命を石ころ同然に扱う貴族の命だと、捨てるべきだ」
吐き捨てるような言葉。血の気が走る眼光、真っ直ぐに琥珀色の瞳を捉える。
感情が籠り過ぎだ。過去に何かあったのか?それよりも…………。
「どうして…………。どうして、そんなこと……」
アーリアの瞳からは涙が溢れていた。ザーリスもこれには戸惑う。
「もういい。アーリア」
このままではアーリアがザーリスに反感を覚えてしまう。アーリアは堕天使ではない。そして、ここでこんな提案をするザーリスも堕天使ではない可能性が高い。
「どうして! 止めないで、ラク」
振り向くとアーリアは赤子のように顔をくしゃくしゃにして泣きじゃくっていた。アーリアはあの頃と変わりないな。
「2人とも落ち着きなさい」
落ち着き払った、年季の籠る声が2人の空気を弛緩させる。ザーリスの戦士のオーラは濁り、同時にアーリアの震えも止まった。しかし、涙は流しっぱなし、くちゃくちゃな顔もそのままだ。ようやく周りの様子を伺えたのか少し赤い顔を両手で隠しながらトボトボと席に戻る。
「まず、聞きたい。ザーリスの意見に賛成の者はいるか?」
フーラはアーリアがしょんぼりと席に座ったことを確認するとこれまでと変わらぬ口調で尋ねた
。
いないだろう。ビガラが堕天使だという証拠はない。だったら、僕達が無理に減らす必要はない。問題なのは――――――。
沈黙が過ぎ、風がなびく音が聞こえる。これ以上は無駄、フーラは業を煮やしたようすで溜息を漏らした。
そのとき――――。
周りを恐る恐る伺ってから、手を挙げたのはサヒトだ。
「軍と貴族の中は最悪だ。あいつら、兵を駒としか見ちゃいない。ザーリス大将の言葉に頷きぱなしだよ」
ふてくされた声で愚痴を溢すかのように喋るヒサト。周囲の視線が痛いことに気づいていない。
「そうか、サヒトだけ。合わせても2人だ。わかっていますよね。この意味、ビガラは殺せない」
ジークスの抑揚のない声にザーリスは目を瞑り唸りながらも頷く。
2人では最大でも10石の秘宝しか壊せない。ビガラの秘宝は9石。モーテルとパーミルが1つずつ復元させても11石。1石の秘宝が残る。そうなればビガラは自分が狙われていることに確実に気づくだろう。次のフェイズからは2人に5石ずつ復元させ毎フェイズ10石増える。ザーリスがビガラの秘宝を砕き尽くすことはできない。
「あと、1人いる」
「堕天使がビガラを殺すと仰るのですか?」
ジークスが仮面の奥から鋭い目つきでザーリスを睨む。眼光鋭いザーリスが一瞬、目を逸らした。
「人数が少なくなるほど堕天使が有利です。もう、一度。考え直して下さい。それに、ザーリス大将」
少し口調が変わったジークスに。ザーリスが眉を潜める。
「ここは東の果ての森林。帝都まで距離は長い。せっかく試練を突破し、願いがかなった矢先。何者から襲われるかもしれません。今までの罰が当たって」
悪意を込めたジークスの憶測にザーリスの頬も少し緩んだ。命を賭けた試練。どうして、何もかも思うが儘のザルク家の人間がどんな願いを持って参加したのかは知らないが。帰ってこなくても試練で命を失った。残された遺族もそう解釈するだろう。
軍神、ザーリスなら王都にいない何の後ろ盾もない貴族など。藁を折るのと同然だろう。そうなったら、アーリアは泣いてうるさいだろうけど。
「結論が出たかの。まったく、武人じゃのぉ。攻めるばかりで、己の窮地に気づいていないようじゃ」
フーラが深刻な面持ちで話す。
やはり、フーラは気づいていた。ザーリスが置かれている状況。命を狙われているのは、ザーリスのほうだ。
「この試練の理想は10人全員が生き残り、堕天使の試練達成を阻止する。理由は簡潔。秘宝を破壊させられたときに、復元できる人数が多い方がいい。裏を返せば、秘宝をある程度、復元できる計算があればいい。今のビガラ達のように。ビガラの狙う人物は2人。1人は堕天使。もう1人は自分に反逆の意を明示しているザーリスじゃ」
渋みのある声ではっきりと言い切る。ザーリスの顔が少し引き付いた。
「どうして、将軍が狙われる? 資格者が減ったら堕天使が有利になるのはビガラ達も同じだろ?」
くるくると首を振り回すヒサト。周りの顔を確かめる。わけが分からないと、他の資格者の顔色を伺う。
「生贄、ビガラはザーリスを生贄にするつもりだ。ザーリスの秘宝を減らし、堕天使のターゲットをザーリスに集中させる。それが、ビガラ達の狙いだろう。」
ジークスはこれまでと打って変わって低く重い口調だった。
本当に最悪だ。先にグループを作られてしまった。この試練は第10フェイズまで生き残ればいい。つまり、それまでに堕天使が他の資格者を殺してもいい。
堕天使を見つけることが難しいのは人数が多いため。それなら、堕天使に脱落者を出させ、ある程度推測材料が揃うまで待てばいい。
今回のターゲットはザーリスだろう。ビガラ派は互いに、安全圏まで秘宝を回復させる。余った時間にザーリスの秘宝を砕く。第2フェイズ、堕天使がザーリスを狙わなくても、次の第3フェイズで圏内に入るだろう。
しかも、ビガラの作戦が分かってもビガラ派の秘宝を破壊しようとすれば、堕天使の思うツボだ。それはできない。そのこともビガラは織り込み済みだろう。四大貴族の内の1人。ただのボンボンではないらしい。
「俺の命はいい……………。などどいわない。俺は必ず、堕天使を見つ出す。だから、ここは俺を助けてくれ。頼む。この通りだ」
巨大な身体が大地に伏せる。ザーリスは頭を地に伏せ頼みこんだ。
英雄ザーリスの思いがけない行動に一同、戸惑いの色を隠せない。そこには誇りたい武人の欠片もなく。ただ、命を乞う脆弱な人の姿が瞳に映る。
「1石ずつ。それが限界じゃな。自らの秘宝が確保できているうちに、発動を使いたいものもおるじゃろう。6石の復元。ビガラ派も復元に手数を回すはず。これで第2フェイズ時、死ぬことなどありえんじゃろう」
ザーリスは顔を上げた。瞳には薄っすらと涙が。とても英雄、ザーリスの威厳はない。
「僕は反対です」
「ラクっ」
アーリアが驚いた顔をしているのが見なくてもわかる。死亡者を出さないため、各自の選択の境目。フーラの提案は絶妙だと思う。でも…………。なぜ、大将ともあろう方がどうしてあんなミスを。
「どうして、あそこまでビガラに敵意を示したのです。あればなければ、きっと、グループ内で復元し合って終わったはずです」
ザーリスの視線が泳ぐ。突き刺さる幾多の視線。観念したのか、意を決して口を開いた。
「ザルク家の奴隷売り、それはあの悪魔達の副職に過ぎない」
何人か眉を潜めた。奴隷商が副職に過ぎない?
「あいつらの本業は情報売りだ。国家秘密を他国に多額の値段で売りさばいている。他国はそれを肝に、戦争を仕掛けている」
「はぁっ!」
思わず息が漏れる。目をひん剥く。一瞬の静寂が包む。驚きの余り他の資格者達も開いた口が塞がらない。
「待ってよ。そんなこと、いくらザルク家だって…………、見つかったら一家丸ごと死刑だよ」
リーファはあたふたとしながら声を発した。
「いや、ザルク家なら抜け道はある。奴隷を売り捌くのは主に貴族だ。奴らは貴族の不正も知っている。互いに秘密をばらさない悪魔の契りというわけか」
重い口調でフーラが付け加えた。
「そんなことですか…………」
怒り、悲しみ、様々な顔をする資格者の中で、ただ1人。顔が見えないジークスの一言。
「なんだと。お前!」
「いえ、どっちにしろ。貴族とか、王族とか、帝国とか。そんなものでしょう。勘違いしないでくださいね。私は、ビガラを憎んでいますし、ザーリスさんを助けたいと思っています」
ザーリスの怒りの形相が緩和された。代わりに眉を潜める。
「ジークス…………お前は何者だ?」
声は非常に冷たく。疑念を含ませていた。唯一、素顔を隠し試練に挑んでいる。気を使って、今の今まで直接聞く者はなかった。
「今はいうときではありません」
どこか気が張った言葉。ジークスはそれだけいうと口を閉ざした。
不穏な空気。ビガラ、パーミル、モーテルが独自のグループを結成し、残りの7人も意見が対立している。誰一人、口を開くことない。
「僕らはそれでいいと思います。ザーリスさんの秘宝を1石復元させる。それと僕はアーリア、リーファ、モーテルの秘宝も復元させるます。みなさんが話している途中で悪いのですか、少しばかり席を外してもいいですか」
笑みをつくり、できるだけ丁寧な口調で許しを乞うかのように嘆願する。傍から見ればかなり怪しい状況だ。ここで抜け出して2人きりになるなど、堕天使とそれを助ける協力者に映る。
思っていたとおり資格者達の目が鋭く尖った。
「理由を聞きたいのぉ」
ゆっくりと、しかし威圧的な声でフーラが口を開いた。
「今はいえません」
第1フェイズで得た情報をアーリアと共有したい。試練の間で情報を共有すれば堕天使にも情報が握られる可能性は大いにある。それと引き換えに裏で2人が何かしら行動していた事実が浮き彫りに、資格者達があらぬ疑いを掛けるのには充分な要素だろう。
フーラの細く鋭い目が注がれた。。眼力に身体が竦む。冷徹な目、ただの絵かきの眼光ではない。
「別にいいのでは、フーラさんもだいたいの検討はついているでしょう?」
睨み合う2人に割ってはいったのはジークス。フーラとは違い口調は柔らかい。
冷たい視線がジークスに移った。しばらく睨み合いあと、痺れを切らしたのかふぅと息を漏らした。
「それもそうじゃな。わかった、わしは構わんがいつか還元してくれるのじゃろ、ラク」
再び目線を浴びせてくる。先ほどの冷たさはないが、変わりに重圧が掛かる。
「えぇ、あなたが堕天使ではなければ」
ほぉほぉと笑い、温和な笑みを浮かべた。
「他の人もいいですか……?」
恐る恐るアーリアが他の資格者達に確認を取った。みな、少し顔をしかめながらも頷きは見せてくれた。ここで疑われるのはしかたない。
「よかった。じゃあ、ラクいこうか」
「あぁ」
立ち上がり資格者達を見つめる。疑惑の目は当然、降り注ぐ。
「ラク、いくよ!」
背伸びをしたアーリアがハキハキとした声で話す。疑惑の目などどこふく風だ。
「そうだな、いこうか」
例えここで疑われても堕天使を見つけさえすれば全て片付く。踵を返して疑いの目を背に浴びる。横にはアーリアがいる。それで僕は大丈夫だ。