信じる心
「なぜ……………。お前がまだ――――――」
「私、どうして生きているのですか!」
ミリーの掠れた声はリーファの声に遮られた。
苦悶の表情を浮かべるミリーの目が僅かに見開いた。秘宝を破壊し尽くしたはずのリーファが生きていたからだ。
「堕天使、ミリー。お前はアーリアになれていなかったよ」
あるはずがない現実、声を振り渋る。
「どういう――――――」
鼓膜に届く微量な声を聞き、ゆっくりと大きく息を吸い込む。
「アーリアは、例え堕天使でも殺そうとはしない。アーリアは人を、全てを信じる人だから」
もっと早く気づけばよかった。アーリアの「そうですね。みんなで堕天使って人を見つけてその人の秘宝を全部、破壊したらいいのです!」や「私は、ジークスだよ。本当はわけのわからないことをいっているリーファの秘宝を砕きたいけど。それは、自分が囮になっているだけだと思うから」という発言。始めは耳を疑ったけど、女神の試練。命を賭ける試練だ。アーリアでさえも人を疑い、堕天使を殺そうとするのかと思った。でも、違う。
アーリアは例え堕天使でも、人を何人も殺めた人物でも、信じて突き進む。僕が大好きな人だから。そう考えたとき、一筋の線が見えた。もし、アーリアが偽物だったら――――――。
ミリーは虚ろな漆黒の瞳で僕をじっと見つめていた。
「アーリアの死。自身の記憶の改善には正直やられた。ミリー、君のいう通り廃人になっていたよ。――――――――――でも、それじゃあ、アーリアに合わす顔がないだろ! それに僕にも協力者がいる」
リーファが驚き口を開く。ミリーはもう表情をつくる体力もない。
森の方からカサカサと音が聞こえてきた。リーファはピクっと身体を強張らせ、恐る恐る音の出所に視線を合わせる。
「そうビビるな。お化けじゃない」
森全体に響き渡る威圧感のある声だった。
「おっ、お化け! 大将のお化けだ!」
リーファは腰を抜かし、震える右手でザーリスを指す。
「やはり、ヒサトは――――――」
震える声、ミリーは全てを悟ったようだ。
「リーファ、見ろ。ザーリスの死体があった場所を」
まだ身体の震えが止まらないリーファ。ぎごちなく視線をザーリスの石椅子に移すと先ほどまであったザーリスの死体がない。
「俺は第2フェイズにヒサトに襲られたとき、一瞬の隙を付き目くらましをし、その隙に秘宝を発動させた。『俺を資格者から死体に見えるようにしてくれ』とな。それ事態は上手くいったが」
ザーリスの視線が僕に移る。
「そのとき、ちょうどリーファがミリーにしたみたいに、『秘宝の発動を1つ見破られるように』と願った。本当は堕天使が何かしてくると思って発動させたけど。死んだふりをしているザーリスがいた。そして、第3フェイズ、ザーリスに会いにいった。そこで僕は既にヒサトが犯人だとわかっていた。お粗末な犯行から、ヒサトが堕天使ではないという推測も。そこからはザーリスの秘宝が5石になるように調整しながら『虹雲』のときに会合を重ねた。ジークスの証拠を集めたのもザーリスだ」
「それでも、私が堕天使であるとこには辿り付けないはず」
ミリーの声は掠れていた。
「自分でもおかしいと思っていた。ジークスにも指摘された。モーテルが協力者だということ。僕が間違っていたよ。彼は協力者じゃない。そして、問題なのはならどうやってビガラの秘宝を一気に6石も破壊できたのか。第4フェイズ、堕天使側は3人の協力者がいても自由に行動できるのは3回。秘宝を破壊できるのは3石のはずだ。でも、アーリアが偽物かもしれないと考えたとき、根本的な情報が違う可能性がある。第1フェイズ終了後、アーリアから得た情報、秘宝の発動では秘宝の数をいかなる操作もできないという情報。これは僕を嵌めるために与えられた偽の情報。本当は可能だろ。発動により、資格者達に見せる秘宝の数を誤魔化すことが」
ミリーが小さく舌打ちをした。これで間違いない。第4フェイズ、誰の秘宝も減っていないと思い込んでいたとき。既に、ビガラの秘宝はおそらく、3石破壊されていた。そして、次の第5フェイズにもう3石破壊する。それで、ビガラの秘宝はゼロになる。
「第9フェイズ後、このままでは堕天使は僕の秘宝を破壊尽くすことはできない。なら、堕天使からすれば僕は直接殺しにくることが推測された。だから、秘宝を発動させ死体のふりをした。あとはザーリスがリーファの秘宝を復元させ生き残れるようにし、僕がミリーの秘宝を砕く。堕天使、お前の負けだ。死を受け入れろ」
突き付けた言葉、ミリーの白と黒の翼が朽ちていく。
これが死。本来、天界人には訪れない死か。
なぜだろう。どうして、私は人間などを――――――愛してしまったのだろう。
天界人には死は訪れない。女神様の啓示を受け、永遠の生が約束されている。唯一、破棄されるのは落ちた天使である、堕天使の救済処置である『女神の試練』だが、死というリスクを伴う。それでも天界に戻れるなら、もう、下界にいなくていいならと試練と受けた。その結果がこれか………。
ゆっくりと目を閉じた。自らの死を受け入れるように。
これであなたの元にいけます。我が愛しき、ベイルあなたは望まないだろうけど。
「目を開けろ、そして、よく自分の秘宝を数えろ」
ラクの荒っぽい声に、涙ぐみながら瞼を開ける。そういえば激痛はいつの間にか消えている。
どういうこと?
意味がわからないまま、視線を後ろの席に移す。
「えっ…………!」
目を輝かせ、驚きの声を上げる。
「勘違いするなよ。お前を許すつもりなど毛頭ない。僕はただ、アーリアならこうするだろうと思っただけだ。本当に、誰でも信じ許す、アーリアなら」
ミリーから真実の記憶を見せられたとき。廃人だったのは演技ではない。身体全体の痛覚が刺激される。爪は首に刺さり新血が吹き飛ぶ。痛みを堪えながら、ミリーに目を遣る。
堕天使は踵を返しリーファと話していた。嘲笑う卑しい声が鼓膜に響く。バレないように首元からの出血を右手で抑え、左手でポーチから包帯を取り出す。視界は歪むが、まだ命は保ってられる。
まだ、戦える。これはチャンスだ。堕天使、ミリーには僕は死んでいるようにみえるはずだ。
でも――――――。アーリアはもう死んでいるの。
脳裏にミリーの言葉は繰り返される。確かな記憶が胸を苦しませる。息ができない、心臓が痛い。何もできない。何も考えたくない。ただ、小さいなって、そのまま空っぽの無へと帰りたい。
アーリアがいない。
なら、この試練に勝つ意味は、僕が生きる意味は何があるだろうか――――――。
体温が微かに暖かい。瞼の奥に刺激が走る。虹色の光に包まれたようだ。でも、いったい何をしようかな――――――。
「おい! 小僧、大丈夫か!」
身体を揺する刺激と鼓膜を破くような大声。鬱陶しい…………。
微かに目を開ける。瞳に映るのは大男。帝国の英雄、ジークス。
「ふう、よかった。命はあるみたいだな。いくら、死体に見えるよに発動していても実際に死ぬこともある。まぁ、そこは流石、王殺しってところか」
腰に手を当てて高笑いを浮かべるザーリス。余裕綽々といったようす。
「今、時間は3分経過している。先に、リーファの秘宝は1石復元しておいた。これでリーファも生き残れる。さぁ、さっさと堕天使の秘宝を破壊しようぜ。堕天使の首は女神の試練の功労者であるお前に譲る」
ミリーの秘宝は残り10石。負けたと絶望の淵にいるリーファも最後のあがきとしてアーリアの秘宝を破壊するだろう。ザーリスがリーファを生かすために秘宝を1石復元し、ミリーの秘宝を3石破壊する。残りの2石、ラクが堕天使の秘宝を破壊する。これで、堕天使の秘宝がゼロになり、資格者達の勝利となる。
「何をしている、早くしろ! 時間がないぞ」
ザーリスが砂時計から落ちる、虹色の砂に目を遣る。経過時間は1分といったところ。
「あぁ…………」
虚ろの目をしたまま、白い秘宝に手を伸ばす。
「破壊、堕天使、ミリーの秘宝を破壊する」
金色の光体が虹色の雲を突き抜ける。虹の砂が落ち2分の経過を示す。ザーリスは既に姿はきえていた。
「破壊、堕天使、ミリーの秘宝を破壊する」
あとは、リーファがミリーの秘宝を破壊するだろう。
これで、全部終わった。それで、何だ――――――。
ゆっくりと目を開ける。
ラク、何しているの?
アーリアの声がした気がした。ゆっくりと振り向く。そこには琥珀色の瞳をした少女が笑顔でこちらを向いていた。
アーリア……………。まだ、幻を見るか、本当に僕は情けない。本当に――――。
ラク、ラク。ねぇ、ラクなら人を信じられるよ。
幻影のアーリアは変わらず、笑顔でそういった。
アーリア…………。
息を飲み込む。決意の眼差しに変わり、そっと手を伸ばす。
「復元、堕天使、ミリーの秘宝を復元させる」
ミリーは見上げる。煌めく金色の光。まるで、夜空に輝く一番星のように光っていた。
「堕天使の秘宝を復元させたのか!」
ザーリスが驚き目を丸くする。
「どうしてラクさん、その人はアーリアさんに化け、私達資格者を次々と殺していった。私なんかがいえる立場じゃないけど。殺すべきじゃあ……………」
リーファが震える声で訴えた。
「どうして、どうしてだ! ラク。なぜ、私を生かした?」
激痛で歪んだ顔は元に戻り、美人な横顔を覗かせる。立ち上がり、ただ疑問を問う。
「資格者達は生き残ればいい。何も堕天使を殺さなくても試練はクリアとなる。そうだろ」
「そういう問題じゃないでしょ!」
ミリーは大声を上げた。
「私はあなたを利用し、心までボロボロにしたのよ!」
「うん、そうだね。僕はお前を許さない。実際、初めは秘宝を砕こうと思っていたし。でも……………。アーリアなら、きっと堕天使の命も救う。お前を助けたのはただそれだけだ」
そうアーリアはもういない。でも、僕の中にいる。アーリアの声を聞かないわけにはいかない。
ミリーは押し黙った。目線は呆然と僕を見る。漆黒に染まる、この世の全てを恨むかのような瞳が少し輝いて見えた。




