堕天使
「理解できた~あ?」
ミリーは笑っていた。口を開け、呆然と涙を流す僕を馬鹿にするようにけらけらと笑った。
「………………アーリアは」
「そう、もうこの世にいない。記憶がおかしくなっていたのは、ラク。あなた自身よ」
視界が歪む。暗い、暗い、真っ暗な暗闇。昔、懐かしい光景。
あぁ、全部。思い出した。僕はアーリアを守れなかった。そして、アーリアは――――。
「アーリアは……………死んだ」
奥底に沈みこませた記憶が浮かび上がってきた。あの夜、アーリアは死んだ。受け入れられず、偽の記憶。アーリアの幻想を見ていた。辻褄を合わせるため、アーリアの幻想は記憶がループしているように思い込んだ。
記憶の牢獄に閉じ込められていたのは、僕自身だった。
「ぁあっぁぁぁああああああああああ!」
嗚咽を吐く。視界が歪む。幻覚ではなく現実だ。眩暈だと辛うじてわかるが、呼吸が荒く、さらに、息を激しく吸い込む。立っているのが困難になり膝を付く。
視界、聴覚、嗅覚、味覚、感覚、五感全てが暗黒色に染まった。
「脆い、脆い、脆い。王殺しといわれた暗殺者も、愛する人、1人の死を受けいれればこんなもの」
笑いが止まらない、地べたに横た渡る廃人は醜い人そのものだね。
「どうして、ラクさんの過去を――――――」
死んだ魚のような目をしたリーファが尋ねる。頬を緩ましたまま、振り向き。
「あぁ、簡単なことだよ。女神の試練、どう考えても堕天使が不利でしょ。結局、元からの協力者なんていない。9対1からのスタートだった」
リーファ、ジークス、ヒサト共に元は資格者側の人間。始めから私しにに汲みしていたわけではない。
「だから、堕天使には参加する人を選びことができるの」
「えっ…………」
衝撃の言葉にリーファの全身の鳥肌が立つ。
「『虹雲』に足を踏み入れた人達は、私の『脳内具現化』を受けて貰う。そして、私が勝てると思う人達を選んだの」
身体は硬直し、嘆息が僅かに漏れた。
「まさか、自分が選ばれた資格者だと思った? 私の強い思いが女神様に通じたとでも、うぬぼれていた? まったく、違うから。あなたも、ラクもここにいたバカな9人、全員、私が勝てるように選んだ人達。自分より強い者がいないと過信する人、強さに貪欲な人、地位を力と勘違いしている人、お金にしか目がない人、自己利益しか追及しない人、年を老い、全てが見えていると勘違いしている人、血筋を恨む人、故郷のためなら犠牲を厭わむ人、愛する人が全てな人。本当に、あなた達9人は、醜い人間の集まりだったよ」
嘲笑いながら、廃人の元へ。
「ついでに種を明かすとね。どうして、私がラクの姿に化けたか。それは、ラクが一番簡単に葬れる資格者だったから。彼の記憶、封印した記憶を呼び覚ませば、彼はもう廃人同人。そうなったら、秘宝を砕くことなく」
腕を振り上げた。綺麗な黒い爪が長く伸びる。
「こうして簡単に殺せるから――――――」
黒い光沢が流れる。血しぶきが舞った。首筋に刺さった鋭利な爪は深く沈む。
「愛する人と思っている、堕天使を守り続けた結果ね」
終わった――――――。
ラクさんが殺された。私は『防衛結界』があるからここで殺されることはないけど、私の秘宝は残り5石。対してミリーの秘宝は残り10石。私1人じゃあ、破壊しきれない。次の第10フェイズで私の秘宝が破壊されて、資格者が全滅する。
身体全体が弛緩する。生を諦めた、そんな顔をしていると思う。
「うん、いい表情。絶望の顔は私が唯一好きな人間の顔よ」
そんな言葉でさえよく聞こえなかった。
「『虹雲』の時間まで10秒………………9、8、7、」
糸が切れた人形のように、地べたにだらんと座り込むリーファ、まったく笑える。
あぁ、長かった。これで私は、天使に戻れる。罪を制裁できる。
右手でそっと、黒い翼をさすった。罪落ち、汚れた天使の証。
すべては、100年前、私が人間などに恋をしてしまったから――――――。
天使、人間達は私達に神聖なイメージを持っている。別に否定はしないよ。人間の管理、スキルも生死も天界が握っているからね。でも、末端も私に与えられた仕事といえば。
突風が髪を乱す。上空、1万メートルからのダイブ。人間界の監視、それが私に与えられた仕事。ここで、下済みを積んでのちのちは女神を目指す。多くの、天使はそう願っている。でも、私は違う。女神様になるつもりはない。私はそんな器でないことは充分わかっている。
私の願い、それは…………。ただ、1つ。
降り立ったのは小さな村。『天衣』を解除、羽は透明化されて、人間でも私の姿は見える。もちろん、天使とバレないように白い衣装ではない。黒いシャツに、青いジーンズ。素朴な村娘を演じる。
「ベイル、美味しい果物取ってきたよ!」
後ろの大きな篭に色とりどりの果実を詰め込む。これが、なければ何しに来たとなる。体裁は必要だよね。
「ミリーいつもありがと」
そういって、ベイルはにこやかな笑みを浮かべる。あぁ、私はこの笑顔の虜になってしまった。ベイルと一緒にいられるなら、天使とかどうでもいい。
「ミリー、初めて見たときから好きでした」
ベイルに告白されたときは、心臓が止まるかと思った。天使は死なないのに。今までの人生の中で一番幸せな時間だった。その時間が一生続くと勘違いしていた。
「ベイル…………。赤ちゃんができたの…………」
2人で住むようになって3年。天使の業務はもう放棄していた。何、私だけじゃない。さぼり癖の天使は一定数いる。特に罰はなく女神候補から落選する。その程度のこと。幸せを手にした私にもう天使の姿など必要ない。
「本当かい!」
私の引きつった顔に気づかず、ベイルはおお喜び。私のお腹に耳を近づけ、赤ん坊の声を待つ。
天使と人間の間にできた子。この子は天使として生まれるのか、人間として生まれるのか。
それとも…………。
「うぎゃ、うぎゃ、うぎゃ!」
赤ん坊の泣き声、元気な女の子。よかった、羽は生えていない。この子は人として生まれてきた。我が子を精一杯、抱きしめた。この子とベイルがいて、私は本当に幸せ者だ。
それはいつも通り、我が子の泣き声に起こされた夜中だった。まったく、誰に似たの。こんな泣き虫で。抱きしめ、揺らし、あやす。次第に、すやすやと眠りについた。
本当に可愛い子――――――。
「ミリー、あなたは禁を犯しました」
神々しい声だった。聴いたのは、遥か彼方の記憶。確か、天使として誕生したとき。
「女神さま…………」
ゴクリと唾を飲む。全てが、女神様に見透かされていた。天界に人間界のような法や規則などない。あるのは、ただ1つ。女神様が許すか、許さないか。
「天使、ミリー。私はあなたを許しません。よって、罰として。堕ちて貰います」
「聞いて下さい。女神様、私はただ恋をしただけです。人を愛しただけです」
私はとにかく叫んだ。赤ん坊が起きて泣くのもお構いなしに、ベイルが起きることも危惧できずに。
「はい、それが罪なのです。あなたは人をわかっていない」
背中がムズムズとする。この感覚は懐かしい。ヤバイ! 開くな!
願いも叶わず、背から翼が生えた。人間界に降りるため、一生閉じると誓った。天使の象徴。
人をわかっていない? どういうことですか、女神様?
「ミリー…………。なのか――――――?」
後ろを振り向く。目を覚ましたベイルは目を開きただ愕然とする。
「ベイル…………」
私はそれだけいって、ベイルの言葉を待ってしまった。
「その翼、ミリー、君は天使だったのか――――。俺を騙していたのか?」
「違う! 私はそんなつもりじゃ…………。私はただ、ベイルを好きになった。ただ、それだけ!」
声は震えていた。ベイルの顔はみるみる曇っていき、ゆっくりと口を開く。
「この子は天使の子なのか…………」
ベイルは震える指で、赤ん坊を指した。私は小さく頷いた。
「化け物と子を作ってしまったのか…………。俺は」
「そんな!」
「うるさい!」
ベイルは肩を震わせて、目を尖らせ激昂を露わにする。
「ずっと、俺を騙していたのか。楽しかったのか馬鹿な人間だなって」
「違う…………」
違う、騙すつもりなんてない。ただ、私はベイルに近づきたいそれだけだった。
「何が違う!」
鬼のような目。こわばる顔、震える手。もう、何をいっても彼には届かない気がした。
「俺は、俺は何てことを…………」
今度はみるみる顔面が蒼白していく。目からも精気が消え、力が抜けると床に崩れ落ちた。
「聞いて、ベイル。私はあなたを騙すつもりはなかったの。ただ、一目惚れしたの。少しでもいいから会いたかった。だから、人間の姿をして――――――それで…………」
ベイルの瞳が私を貫いた。暗い、暗い、闇を塗った瞳だった。
「俺は天使などを愛してしまったのか」
天使。天から人々を見守る存在。スキルや自然の恵みを与え、人々からは崇められる存在。だけど、それは天使に畏怖が伴う。人を越えた力を所有する人達。人から見れば、天使とは化け物とさほど変わらない。
「消えてくれないか――――」
涙を流しながらぽつりと呟く、ベイルの言葉は私が天使として最後に聞いた言葉だった。
「ここは?」
暗い、暗い、視界はどこまでも暗闇が続く。記憶を遡る。ベイルに拒絶され意識が飛んだ。それから何も覚えてない。意識が覚醒していくと、背に違和感がある。
ゾッとして、翼を広げた。白い翼はほのかに光り身体を照らす。右側だけ。バクバク鳴る心臓の音を無視しながら、首を捻り左翼を確認する。
「そんな!」
純白な翼の面影はなく、真っ黒な翼はこの地と同化していた。
私は、堕天使になってしまった…………。いや、それよりも、ベイルは私のことを…………。
渦を巻く、ベイルとの思い出、全てが塵となっていく。脱力感が襲う、次第に疑問が湧いてくる。どうして、ベイルはそんなにも私を拒絶するの、天使とわかったそれだけで。「それが罪なのです。あなたは人をわかっていない」女神様の言葉が反復される。そうか、女神様は知っていたのか。人が天使とわかるとどうなるかを。ベイルが私にどんな感情を抱くかを。
だったらなぜ、天使は、女神様は、天界は人に力を与えているのですか――――。そして、なぜ人は天使を恐れるの――――。
「堕天使、ミリー。貴方はここ下界で100年の刻を過ごしなさい。さすれば、あたなにまた救いの手を指し伸べましょう」
「本当ですか、女神様」
「はい、だたそれは試練です。人間を愛してしまった天使に与えられる試練。人を騙し殺さなければ、あなたは天使に戻れません」
女神様の声は私の胸に気持ちのいいほど入り込んだ。顔が緩む。人を騙し殺す試練。そんなもの試練などではない。裏切ったベイルを私は許さない、人に力など必要ない、生きている価値もない。私は人を根絶やしにする」
『女神の試練』は堕天使が天使に戻れる資格があるのかを試す試練。人間達を欺く、殲滅させられれば天界に帰れる。そして、人間への復讐の始まりだ。
「――――3、2、1、『虹雲』発動。第10フェイズ開始です」
眩い七色の光、女神様の覇気の漏れ。さぁ、帰ろう。私がいるべき場所へ。
視界に広がる、七色は懐かしい景色だ。
「破壊。資格者、リーファの秘宝を破壊する」
桃色の光玉が、『虹雲』を突き抜けた。5石の破壊、これでリーファの秘宝がゼロになる。生きている、資格者ももういない。
私の勝ちだ。あとは時を過ぎるのは待つだけ。宙に浮かぶ砂時計、虹色の砂が一粒、一粒、落ちていく。私の勝利までのカウントダウン。思えば長かった、ようやく全てが終わり、元に帰る。
「あぁぁぁあああ!」
全身に激痛が走った。
魔流、天界人に流れる。人間の血液のようなもの。それが、静止した感覚。全身がマグマに浸かったような熱と、極寒の海に裸で潜ったかのような冷度が交互にやってくる。
「あっ、ぁぁぁああああああ!」
絶叫が『虹雲』を突き抜けて轟く。それは、残り1分。『虹雲』が終わるまで続いた。
痛い、熱い、寒い、怖い、悲しい。
なに、何が。どうして、私が死ぬ? 永遠の命を持つ、天界人が死ぬ。なぜ、なぜですか!
虹色の光が包む。死よりも苦しい苦痛を浴びながら。七色の光が収まり、痛みに耐えながら、目を開くと。そこには――――――――。
「しぶといな、堕天使」
殺したはずの存在、ラクの姿が見えた。




