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短編集

お母さんのパン

作者: 葵れい

 コンペ参加作品(落選分)。


 ちょっと暗め。



 私はパンを焼くのが好きだった。

 母も同じようによくパンを焼いていて、小さい頃から、よく手伝っていた。

 結婚した時も、パン焼き機は絶対欠かせない。電気屋さんでじっくり吟味する私の横で、崇之さんは「この機械とその機械、どこが違うの?」と終始頭の上に?マークをくっつけて、私の後についてきてたっけ。

 その時のパン焼き機には結構お世話になった。もちろん米パンもできる。色々アレンジして、母さんにも同じ物をプレゼントした。

 千夏がお腹にいる頃、他の物は何も食べられなかったのに……パンだけは平気だった。

 あんまりパンを食べてたから、アンパンマンが生まれてきたらどうしようかって思っちゃったほど。

 生まれてきた時は……焼きたてパンよりふわふわで。

 世界で一番の宝物だと思った。

 それはこの先もずっと変わらない。何があっても、絶対に。




「お母さん、昨日パン届いていたよ!!」

 病室に入るなり、千夏がパタパタ駆けてくる。

「どうだった?」

「うん、昨日の夜届いてね、カチコチだった」

「あはは、冷凍で宅配って書いてあったからね。お父さんに焼いてもらって。感想聞かせて」

「了解ー!」

 そう言って、千夏は満面の笑みを見せてくれた。

「でもすごいねー、本当に届いたねー」

 10歳になった千夏は、私のパソコンを覗きこんで目をクルクルさせている。

 ――オーダーメイドのパン屋さん。

 私がそのサイトを知ったのは、偶然の事だった。

 パンを焼くのが趣味だって話を看護婦さんにしたら、そのサイトの事を教えてくれた。

 パンを、自分の好みにオーダーメイドして注文する事ができる。

 粉や油、トッピング、塩加減まで。

 まるで自分で作るように……本当にそんな事が? と思いながら試しに登録してみた。

 最初の注文は「ききパンセット」。色んな種類のパンがくるので、それで違いを楽しんで、自分の好みを見つけてねと書かれていた。

 千夏に話したら、まだ頼んでいないのにわーいわーいと喜んだ。

「お母さんのパンだー!」

 私が焼くわけじゃないんだよ? と言っても、千夏はそれを繰り返した。

 お母さんのパン。

 ……焼いてあげられなくなって、しばらくが経つ……。

「明日持ってきてあげるね」

 私は笑った。

 千夏がお腹にいた時は、パンしか食べられないくらいだったのにね。千夏どころか、放っておいたら私もアンパンマンになってたかもしれないのに。

 ……今度は……パンすら食べられなくなっていた。




 最初の注文から数週間。

 私の日課は、調子がいい時にオーダーメイドのパン屋さんのサイトを見る事。

 千夏と崇之さんに感想を聞いて、好みのパンを探っていく。

 これが結構楽しい。面白い。

 まるで本当に自分で焼いているみたい。

 残念なのは、自分では食べられない事かな。

 でも、千夏が「美味しかった!」ってはしゃぐ姿を見るのが嬉しい。

 崇之さんも笑うようになったかな。最近暗い顔ばっかりしてたから。

 2人が元気だと嬉しい。

 ついでに、実家のお母さんの所にも配達してもらった。

 お母さんはもちろん、いつもは仏頂面のお父さんまで「美味かった」と言ってくれた。「日本人は米だ!」と言って、パンを全否定してきた父がだ。奇跡だ。

 もうこうなったら、お世話になった人にことごとくパンを届けようと思った。

 それは凄く凄く楽しい事だった。

 パンが大好きな私から届く、オリジナルの特性パンのプレゼント。

 しかもこれが、とびっきり美味しいんだもん。皆、幸せになっちゃうよね。

 嬉しいな……皆が喜ぶ顔を想像するだけで、私も幸せになれる。

 私にとってパンは、幸せになれる魔法の食べ物かな。

 夜、暗い病室で目を閉じて、一人考える。

 小さい頃、お母さんとパンを焼いた時の事。

 友達に持って行って配った時の事。

 誕生日会には、色んな種類のパンを並べて。友達皆が喜んでくれた。

 部活から帰った時、お母さんが焼いてくれてたパン。反抗期の頃は、「太るからいらない」とか言っちゃったけど。

 塾でお腹が減った時……持たせてもらったパンを食べると、ホッとしたな。

 新しいパン焼き機を買ったら、必ずお母さんと2人で研究して。大量のパンを作ると、お父さんが「わしはジャムおじさんじゃないぞ!!!」と叫び出したりして。

 就職して、……崇之さんと知り合って。

 初めて実家に招待した時、大量のパンが用意してあったからびっくりしてたけど。

 毎日私が焼いたパンを。

 これから先もずっと。

 千夏と3人で。

 ずっと、ずっと……そうやって。

 年を取って……行くのだと思って……。




「お母さん!!」

「千夏」

 ……最初にパンを頼んでから、どれくらい経ったかな。

 病室の扉が開く音よりも先に、千夏の声が聞こえてきた。私はニッコリ笑った。

 だけど、腕を伸ばせなかった。

 ゆっくり顔を向ける。ごめんね、今日は起き上がれそうにない。

 ちょっと息もし辛くて。

 でも、何とか笑った。うん。大丈夫。まだ笑えるよ。

「崇之さん……今日、会社は?」

「仕事片付いたからちょっと早目に上がった」

「大丈夫?」

「大丈夫。心配すんな」

 そう言って崇之さんは笑った。強い微笑みだった。

 この笑顔が好き。

 笑った瞬間、ちょっとほっぺがアンパンのヒーローみたくなるよ……って、言わないけどさ。あは。

「崇之さん、パン、届いた?」

「うん、言われた通りのレシピで」

「いちご入ったパンがいいな……」

「ああ。うん。わかってる」

「お母さん、お母さん」

 千夏が私の手を握ってくる。

「千夏、ちょっと珈琲買ってきて」

「えー?」

「お釣りはあげるぞ?」

「んーーーーー……わかったぁ」

 渋々と言った様子で、千夏が病室から出て行く。

「あいつ、今貯金してんだ」

「貯金? 何か欲しい物あるの?」

「あいつもさ、色々考えてんだよ。いっちょ前に」

 そう言いながら、崇之さんは傍らにあった私のパソコンに手を伸ばした。

 パンの注文を……そう言いかけた時。

「だからお前も」

 崇之さんが開いて見せたパソコンの画面には。

「……諦めんなよ」

「……」

「こんなもん、打つなよ……」

「……」

「お前……馬鹿野郎……こんなもん……」

「……ごめん……ごめん……」

「パン、取ってあるぞ」

「……?」

「お前が注文したパン。全部1つずつ取ってあるからな」

「……」

「千夏が、残しておくって。お母さんが帰ってきた時に、お母さんのパンで退院パーティーするって」

「……」

「金貯めて、お前のために、今度は自分が注文するんだって」

「……」

「……諦めんな……簡単に」

 生きる事を。

 限界を。

「決めんな」

「……ごめん……」

 ごめん、ごめんなさいと……。

 私は。

 千夏が戻るまでの間……。

 崇之さんの手をひたすら握り締めて……泣いた。



 ◇



 ◇



 ◇



 ――私はパンが好きだ。

 焼きたてパンの前には、いつも誰かの笑顔があるから。

 好きだ。

 ……お母さんと初めてパンを焼いた日から、何日が経ったんだろう……?

 ――まだ、しっかり歩けない。

 でも、必死に、地面を踏みしめるように歩いていたら。

 崇之さんが肩を貸してくれて。

 前を歩く千夏が笑っていて。

 玄関先でお母さんとお父さんが笑って迎えてくれて。

 友達とか、お世話になった……パンを贈った人達が。

 お帰りって。

 そう言ってくれたその先に。

 お皿に盛られた、たくさんの。

「……嬉しいな……」

 嬉しいな。

 お帰り、お帰りって。

 待っててくれたパンたちが。

 皆と一緒に笑ってる。

「お帰りなさい!!」

 千夏を抱きしめ。

 崇之さんに抱き締められて。

 口にするパンの味は。

 ……塩が多かったかな……ちょっと、しょっぱい。

 



 退院したら、やりたかった事。

 今度は、娘と一緒に……新しい物語を作ろう。

 



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― 新着の感想 ―
[良い点] パンというテーマ一つから、随分と広げられていますね。 いや、これを考えるのは大変だったんじゃなかろうかと。 切なくもあり、温かくもあり、良い短編でした。 どうなるのかと内心ハラハラ。 …
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