表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
そのごのひろかな -ever after-  作者: 水成豊
7/14

破 -be ready.- (1)

「なぁヒロ、今から飲みに行かねぇ?」

11月のとある金曜日。時間は18時45分。同僚の突然の誘いに、浩隆はビジネスチェアごと振り向き、ひそりと眉を寄せた。

「飲み?」

「そ。ちょうどいい具合に、今夜飲み会があるんだ」

「そういう言い方だと、お前の場合、実質合コンなんだろ」

ばれた? と同期入社の田崎たざきが携帯から視線を上げて頭を掻く。つい二日前まで、共にデータの検証作業を手がけていたというのに、一体いつそんなセッティングをする暇があったのか。

「人肌恋しい時季真っ只中だし、クリスマスにリア充するためには、今のうちから色んな知り合いを集めて飲んでおくに越したことはないだろ」

身も蓋も無いそれに、やれやれとため息をつきながら背もたれに半身を預ける。

「なら俺は対象外だ。前に言っておいたろ」

「わーってるわーってる。彼女がいるってんだろ」

「『同棲してる』恋人、だ」

強調した部分が何を示すか察せない訳ではあるまいに。それでも食らいつくのはどういう了見だと胡乱うろんな視線を向ける。

「だからこそだろ。独身時代の最後の華を咲かせるにはいい機会じゃね?」

「あのなぁ」

「それにさ、もしかしたら気が変わるかもしれねぇじゃん?」

それは絶対にありえない、と鼻で笑う。彼女以上の女性なんているもんかと面影を思い浮かべて。

「ニヤけてんじゃねぇよ、色男」

顔に出ていたらしい。ごほん、と執り成し反論しようとすると、口を開く前に無理やり引っ張り上げられた。

「とにかく行くぞ。7時からだから」

「7時って、あと10分もないじゃないか」

「大丈夫大丈夫。タクシーは呼んであるし、すぐそこだから。ほら、さっさと白衣脱げ」

「ちょっと待っ……そのぐらい自分でできるって!」

襟を掴む強行手段に思わず賛同した形になってしまう。直後伺い見た田崎の顔には、してやったりといわんばかりの得意げな笑みが浮かんでいた。



******



さて、どうしたものか。

会社の裏口からタクシーに乗り込み数分。繁華街から一本入った路地にある店の前で強制的に降ろされる。そんなやるかたなさを、これ見よがしに盛大なため息に乗せて吐き出すと、田崎が苦笑した。

「やめろよ。辛気臭くなるだろ」

「お前なぁ」

「ここまできたら腹括れ。大丈夫、嫁さん候補筆頭のその子にバレないように、いざとなったら口裏合わせてやるからさ」

無理矢理引っ張り込んだ上にそれかと、勝手な言い分にイラっとする。とはいうものの、先ほど届いたメッセージを読んだところでは、彼女の方も急遽会食の予定が入ったらしい。それならばと店の入り口に掲げられた看板を改めて見上げる。

『出逢い』という名を冠したその店は、どっしりと落ち着いたレンガ造りの佇まいで、この地域では珍しいドイツ料理の本格レストランだそうだ。料理や酒の類は期待できそうな風格に、彼女と共に楽しむ時間をひととき夢想して。

「うぉっほん!」

田崎の咳払いではっと我に返る。

「ほら、さっさと入るぞ。女の子たちを待たせるなんて、紳士のすることじゃねぇ」

「嫌がる同僚を強引に巻き込むのは紳士のすることか」

「まぁまぁ」

「それに、仕事帰りに気軽に入れるような店なのか」

「そこは心配いらねーよ。何度も来てるが、見た目よりもずっとカジュアルな店だからさ」

ほらと背中を押されて中へ入ると、スタッフらしい若い女性が笑顔で迎えてくれた。

「や、しばらく」

「ようこそおいでくださいました。皆さんお待ちかねですよ」

名乗らずとも通じるやりとりに、先ほどの言葉を信ずるに足る根拠を得て少し安心する。

「こっちだ」

コートを脱ぎ荷物と共に預けた彼の後に倣う。こうなっては仕方がない、多少つまんだら帰ってしまおうと決め、短い廊下を奥へと進んだ。

そうして至ったメインホール。思った以上に広いそこには、既に多くの男女が集っていた。

「驚いたか?」

ホールをまるまる貸し切っての立食パーティー。どこからこれだけ集めたのか、華やかでにぎやかな雰囲気と人数に圧倒される。

「な、いい感じだろ?」

「ああ。驚いたよ」

「ここにいるのは、ウチと同じ製薬会社や医療機器メーカー、工業系に生物化学、それに大学の修士、博士の奴も混じってるはずだ。知り合いの知り合い繋がりっつーか、今日はそんなヤツらのごった煮会さ。大抵は話の通じる奴らだろうから、まぁ気軽に楽しもうぜ」

言いながら手慣れたようにフロアスタッフにビールを頼み、場の中央へと進み出ていく。幹事長然として堂々としたその行いに半ば感嘆のため息を漏らし、同じようにスタッフからミネラルウォーターを受け取ったところで、近くのグループ内に見知った顔が見えて心底驚いた。

「国枝先輩」

まさかの彼――嘉州かしゅう恭司きょうじはこちらに近づいてくると、相変わらずの爽やかな笑みを向けてきた。

「お久しぶりです」

「やあ」

田崎がマイクを手に挨拶を披露している間、声を潜めつつ複雑な再会の言葉を交わす。

「君が来ているとはね」

「たまには息抜きに、と思いまして。先輩も相変わらず活躍されている様子でなによりです」

「え」

「知り合い経由でよく聞いてますよ。そいつ、田崎さんの大学の後輩なんで」

後で紹介します、と返されたところでマイクの声が一層張り上げられる。

「そんなわけなんで、今夜は食べて飲んで話して、気兼ねなく皆で盛り上がりましょう」

出逢いに乾杯! との合図に辺りが一斉にグラスを掲げると、なおのこと場が賑やかになった。喉を潤し料理を取る、本格的な歓談が始まったところで、グラスの中身を一口含んでから聞いた。

「ところで君、恋人はどうしたんだ」

「ああ、由梨亜ですか」

あそこにと言って指差した店の奥、低いプランターで自然に仕切られたテーブル席に、着席している数人の女性たちが見えた。その中の一人、石沼いしぬま由梨亜ゆりあにはとある事情で以前世話になったが、こちらの視線に気づいたらしく、美しく微笑んで軽い会釈を返してきた。

「こういう場に二人で来るとはね」

ある意味豪儀でかつ堂々としたものである。田崎の目論見も詰めが甘い。

「先輩こそ、こういう場は苦手なんだろうなと思ってましたけど」

遠慮のない返し。在学中もそれ以降も直接的な関わりはほとんどなかった彼だが、やっぱりどこか苦手だなと思ったところで、背後から肩を叩かれる。

「ほら、ヒロも適当にその辺に混じれよ。そのために来たんだからさ」

幹事長の仕事を終えてやってきた田崎に促され、恭司と別れて近くのテーブルに追いやられる。何気なく選んだその卓の、料理を挟んで向こう側に立っていた女性の顔が偶然目に入った瞬間、それ以上の動きが止まってしまった。

「え」

彼女もまた驚いた表情でこちらを見ている。

「あ」

なぜ、ここに。

自分を棚に上げて色々勘ぐるが、答えが得られようはずもない。まぎれもない彼女の――香奈の姿。予想外のそれにいよいよ混乱が増し、頭の中が一瞬で真っ白になってしまった。

「はじめまして。もしかして学生さん?」

そんな状況など露知らず、隣で田崎が早速掴みを繰り出していた。違いますよと返しながらどこか嬉しそうな数人の女性たちは、どうやら会社の同僚グループらしい。それとない会話の中で互いに交わすリサーチの速さに内心舌を巻いた。

「ちなみにこいつ国枝浩隆っての。学生時代からその筋じゃ結構有名だったんだけど」

なぁ、と肩に腕を回されダシに使われる。するとゆるふわパーマの女性が、はいはーい、と右手を挙げた。

「あたし知ってます! 同じ研究畑の先輩もファンだって言ってて……ああ先輩、今日来られないなんて、あとで一生後悔するだろうなー」

感激です、と有無を言わせず手を握られる。きらきらした眼差しに戸惑いながらも「ありがとう」と返すと、相手の頬がほんのり染まったように見えた。

「噂に聞いてた通りのイケメンさんですね」

小さな呟きと共に、どこか探るような視線を向けられて思わずたじろぐ。

「さすがの有名人だな。羨ましいぞこの野郎」

横腹をつついてくる田崎をかすかに睨んだその隙に、香奈は無言で卓を離れていってしまう。追おうか追うまいかと迷っていると、今度は別の男性グループから声をかけられた。

「あの、久之義ひさのぎ製薬の国枝浩隆さんですか?」

「え、ああ」

「僕、大学の後輩なんです。葛原くずはら先生の講義で使われた先輩のレポートを、あとから全文読ませて貰いました」

「そうなの?」

「それ以来、こいつすっかり感化されちゃって。いつか先輩に会えたらいいなって、ずっと言ってたんですよ」

「教授からは、大学と外部との共同研究を橋渡しした重要人物だって聞いてました。是非その辺の話も聞かせてください!」

「……なんだか本人の知らないところで、随分と大袈裟な話にされてるな」

一部でにわかに沸いた空気に触発されたのか、次々と周りに人が集まってくる。開始前の田崎の言葉通り、居合わせた大半が話の通じる分野の人間らしかった。研究や論文の話をしながら、次々入れ代わり立ち代わりに囲まれ、挨拶やら名刺交換やらをしているうちに、あっという間に随分な時間が経過してしまっていた。

目の回るような立ち回りからやっと解放され、複雑な思いを抱きつつグラスの中身――すっかりぬるくなったミネラルウォーターを半分ほど口にしたところで、再び恭司が近づいてきた。

「さすがですね」

「何が」

「先輩のネームバリューですよ」

歯に衣着せぬ物言いに、少し心がざわついた。彼と対峙すると、どうにもペースを乱される。落ち着け、と自分に言い聞かせてから、あくまで冷静に返した。

「君のことだから、どうせ知ってたんだろ」

主語をあえて隠した皮肉交じりの問いに、彼は苦笑しておもむろに視線を流した。その先、会場の奥まった場所にある一口スイーツとフルーツが並んだ卓の前で、香奈が見知らぬ複数の男性に囲まれているのが見えた。

「なんだかんだ言って、目を引くんですよね」

そんな挑発的な言いように今度こそかちんときた。

彼女が美人なのは重々承知している。柔らかで女性らしい印象の装いに、雰囲気のあるレストランでの会食とくればなおのことだろう。声をかけ、言い寄ってみたくなる、願わくばそれ以上――そういう事後に持ち込みたいと、そんな下心を抱きたくなる心境も分からなくはない。

「内心複雑、って感じですね」

そんなにあからさまに顔に出ていたのだろうか。痛いところを突かれて思わず睨みつける。

「君だって状況は同じだろ」

意趣返しにこちらからも煽ってやると、彼は小さく息を吐いた。

「僕らはもう覚悟してますから。だから堂々とこういう場に出られるんですよ」

「覚悟だって? 一体何の」

「さて、なんでしょうね。というより、本当は先輩が一番それをわかってるはずじゃないですか?」

まるで禅問答のようにはぐらかすや、「いい夜を」とだけ残して離れていく。その背中を送りながら、思わず眉間にしわを寄せた。

「覚悟、ね」

何事をも割り切れというのだろうか。たかが社交辞令だと見て見ぬふりを決め込めというのか。

「そんなこと」

解っている。

昔から――幼い頃から学習させられ、身に着けてきたのだから。

「わかってるさ」

自らに言い聞かせるように低くつぶやき、壁際に並べられた椅子に歩み寄って腰を下ろす。

まただ。

彼女と同棲を始めてから、いや正確には上司の三上に忠告されて以降、理性の枠組みや分別を持ち出そうとするたびに、もやもやとした何かを、淀みのようなものを胸の内に覚えるようになった。

そうして少し息苦しさを覚え、逃げるように腕時計を見遣る。開始から大分時間が経ち、アルコールが回ったせいだろう、ホール全体に雑多でしまりのない雰囲気が現れ始めている。一人素面しらふのまま外野からそれを見、いよいよ本格的に合コンの体を成してきた空気に心底溜息をついた。

「苦手なんだよな、こういうの」

目には見えないはかりごとの渦に向かってうそぶくと、どっと疲労感が押し寄せてきた。そうしてそろそろ頃合いだなと引き際を確信する。

帰ろう。

でも、彼女は?

自身への問い掛けをそれこそ分別で押さえ込む。恭司も由梨亜も、彼女の同僚だって会場内に居るのだろうし、何ら問題ないではないか。彼女も自らの意思でここに来たのだから、それを尊重して邪魔せず黙って一人消える方がいいだろう。

それでいいのだと言い聞かせ、腰を浮かせかかった丁度その時だった。

「あ」

顔を上げた途端、思わず小さな声が出る。

つかつかとこちらに向かって歩いて来る人物。

そのおもてに張り付いた複雑な表情が目に入って、浩隆は無意識に動きを止めた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ