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そのごのひろかな -ever after-  作者: 水成豊
12/14

落 -familiar-

日に日に進む雪解け。陽射しがあたたかに降るとある日曜日。

久しぶりに実家に戻った香奈は、焦るばかりの気持ちを持て余して、朝からリビングを右往左往していた。

「少し落ち着きなさい。まるで動物園の新入りゴリラみたいよ」

見かねたらしい母――高遠たかとお香子こうこが、茶器を用意していた手を止め、キッチンから呆れ顔で言う。

「ちょっと! 年頃の娘に向かって、なんて例えをするのよ! 失礼しちゃう」

「だって、顔も動きもあんまり似てたもんだから……我が娘ながら見ていられなかったのよ」

「え゛っ?! そ、そんなにひどかった?」

「そうね。千年の恋も冷めそうなぐらいには」

しれっと放たれた言に青ざめつつ、慌てて表情を引き締め、着ていた服を整えた。

「そんなに構えなくたって大丈夫よ。いくらなんでも、取って食ったりはしないだろうから」

不安と焦燥もあらわな始終を見届けてなお事もなげに笑う母に、香奈は長々しく深いため息をついた。

そんなに悠長に構えていられるものか。

今日これから彼が――浩隆がここにやってくるというのに。

実に高校時代、初対面の時以来の来訪。そしてその目的が両親への挨拶とくれば、当事者たるもの、これが落ち着いて座っていられようか。

「それにしても、まさかあの時のイケメンくんとここまで発展するとはね。去年の今ぐらいだったかしら、同棲するってこっそり打ち明けられた時も、まさか男勝りでお転婆な香奈が、そんなザ・女の子みたいな真似をするなんてと思ってたけど。案外隅に置けないわねぇ」

「その言い方は親としてどうなの。娘の人生最大の転機だっていうのに、もう少し心配とかしてみせてくれたら?」

「あら失礼ね。これでもちゃんと母親として気を揉んでるのよ」

ああどうしましょうと、切迫感のまるでないのんびりした口調。わざと和ませてくれているのだろうかと一瞬勘繰るが、どうにも全力で状況を楽しんでいるようにしか見えない。肝が据わっているというかなんというか、一大事にも関わらずどっしりとして落ち着き払ったさまは、保健師として数々の修羅場をくぐり、多くの他人の人生を支えてきた、そんな歴戦の賜物なのだろうかと感じ入る。

「二人とも成人してるんだから、あたしは今更口出しするつもりはないわよ。彼とはたった一度きりの短い接点だったけど、ちょっと頑なな雰囲気はあっても、言葉づかいや礼儀もしっかりしてて、真摯な人間だってことは感じられたし。そもそもあたしがとやかく言うまでもなく、何かおかしな具合になっていれば、あの英一が黙ってるわけがないでしょ」

人を見る目、そして速やかな状況判断をしうるその客観性はさすがのものである。しかし今は同じ女性として、もう少し自分の気持ちに寄り添っていて欲しいとも思った。

なにせ今まで、父親にはろくに話をしていなかったのだから。交際のことも同棲のことも、なんとなく気恥ずかしくて、むしろ包み隠すようにしてきたくらいだ。言葉少なだが心根は温かく穏やかで、頭ごなしに怒鳴ったりするような父ではないとわかってはいるが、どんな反応をされるかが想像できず不安が募る。

「大丈夫よ」

にわかに起こったかすかな手の震えを押さえていると、やかんを火にかけながら香子が継いだ。

「親に話せない、話さない秘密なんて、別個の人間なんだから元々あってしかるべきなのよ。それでも話そうって気になってくれてるのなら、親はその勇気を買って大人しく耳を傾けなきゃ。それに自分で『この人なら』って決めた相手なんでしょう? だったらなおさら堂々と紹介しなさい。親としては、人を見る目を育て上げた自負を持ちたいし、お父さんだって、香奈が彼に決めた理由が一番聞きたい、知りたいところなんだと思うわよ」

静かに放たれたそれは、まるで心の内を読んだかのように的確で。それでいてなにより背を押してくれる絶妙な助言だった。たった一度の声掛けで絶大な支援を得た気になりつつ、香奈は結局敵わない自分が少しだけ悔しくなった。

「こういうところが、やっぱりプロなのよね」

「ん? 何か言った?」

「ううん、なんでも。ありがとうお母さん。大分落ち着いたかも」

素直に礼を述べると、どういたしまして、と笑みが返ってきた。

「そういえばお父さんは? どこにも姿が見えないけど」

「ああ……1時間ぐらい前かしら、『ちょっと出てくる』って言って出かけたんだけどね」

時計を見やれば、浩隆との約束の時間は15分後に迫っている。間に合うかしらと、独白と共に少々の懸念が覗いたと思った瞬間、玄関の扉が開かれる音がし、じきにリビングの入り口に父――高遠たかとおとおるの姿が現れた。

「お帰りなさい。どこまで行ったのかと思って心配してたわ」

香子の言を受け止めた面に、少々の戸惑いが浮く。

「いや、買い物だけのつもりが、人を案内することになってな」

「案内?」

「ああ。さ、上がるといい」

玄関に顔を向けて一言促すなり、持っていた赤い紙袋をキッチンカウンターに置いてソファへと向かう。やがて廊下からスリッパが床を擦る音が近づいてきて……次いで現れた人の姿に心底驚いた。

「こんにちは」

「えっ、ヒロ?!」

予想だにしなかった展開に戸惑っていると、スーツ姿の彼――浩隆はかすかに苦笑した。

「いらっしゃい」

一方の香子もはじめこそ驚いた様子だったが、すぐに何事かを覚ったような表情で彼を迎え入れる。

「ご無沙汰しておりました。あの、これを」

「あらあらわざわざありがとう。そんなに気を遣わなくてもいいのに」

「いえ、ほんの気持ちですから」

差し出された赤い紙袋を見つめ、香子が小さな笑みを浮かべる。

「同じ、ね」

「え」

「なんでもないわ。さあ、お客様はソファへどうぞ。ほら香奈も行きなさい」

「でも、お茶の用意とかあるし」

「香奈」

どうしたものかと迷っているところに、透から声がかかってどきりとした。

「母さんにまかせて、二人はこっちに来て掛けなさい」

「……はい」

有無を言わせぬそれに返事をした直後に少し不安がぶり返す。それに気づいたのだろうか、浩隆がふとこちらを向いて小声で言った。

「大丈夫。いこう」

意を決してひとつ頷き、歩き出した彼の背を追う。一緒にソファに腰を下ろすと、ひと呼吸置いた後で透が静かに切り出した。

「私が香奈の父親の透、そしてあちらが母親の香子だ」

先んじた名乗りに、浩隆が居住まいを正しつつ返す。

「国枝浩隆です。今日は突然お邪魔して申し訳ありません」

第一声を放ったところで、キッチンの方からダージリンの香りが漂ってくる。豊かに立つそれに、少しだけ身体の硬さがほぐれた気がした。

「君は娘と同じ大学の出身だと聞いていたが、そうなのかね?」

いつの間にそんな情報を得ていたのだろう。きっと母がソースなのだろうと勘繰りつつ、香奈は静かに成り行きを見守る。

「はい。今は製薬会社の研究所に勤めております。香奈さんとは学生時代からお付き合いをさせていただいておりましたが、今日はご両親に、ご挨拶と、折り入ってお話をしたく参りました」

そうかと返し、透がちらと香奈に視線を流す。

「君との交際のことは、娘から直接聞いたわけではないのだが、ただ何となく、相手がいるだろうとは思っていたよ。しかし、まさかこんな美男だとは、しかも英一の親友だとは思わなんだが。それで、話というのは?」

「香奈さんとのこれからのことです」

「一緒になる……結婚するつもりなのかね」

真正面から核心をつく発言に、意表を衝かれ二人して驚く。さすがの香子も、ポットに湯を注いでいた手が止まった。

「はい。香奈さんと、結婚します」

しかし浩隆もさるもの、即座にためらいなく返す。しかもそれは確認や承認ではなく、決意であり結論だった。堂々とした言いように、透はすうと目を細め、香子はひゅうと感嘆の口笛を吹いてから作業を再開する。

「君に会うのは今日が初めてだからね。なにもかもが目新し過ぎて、私にはなかなか理解が追いつかんが……どうしてそこに至ったのか、よければ聞かせてくれないか」

言葉遣いは穏やかながら、声色にひそやかな圧を感じる。浩隆は背筋を伸ばし、ひとつだけ深い息をついてから静かに語り出した。

「僕には、父がいません」

唐突な内情の告白に、透の目に訝しさが宿る。

「そうなのか」

「はい。母は僕に、父が居ない理由を教え残してはくれませんでした。けれど、今となっては、それでよかったのかもしれないと思っています」

「何故だね」

「僕はこれまでずっと、母と二人きりの家族だと思っていました。けれどそれは誤った認識だった。僕には、僕を家族だと思ってくれていた人がたくさん居たのに、長い間それに気づけずに、一人で殻に閉じこもっていたんです。その事実を香奈さんに諭されました」

「え、あたし?」

思いがけない振りに、そうだよ、と浩隆が頷く。

「香奈さんに出会う前の僕は、身勝手で自分本位で、今省みると本当にどうしようもない人間だったんです。けれど香奈さんに出会って、彼女に教えられ導かれながら、自分のことも、周囲の思いも、素直に受け止められるように変わってきたんです。そうして共に過ごすうち、香奈さんとずっと一緒にいられたらいいのに、『家族』になれたらいいのにと願うようになりました。彼女と共に在ることが自分の生き方そのものであって、そして追求すべき家族の姿なんだと、そう思うようになりました」

きっぱりとした言い切りに、香奈は目の奥がじんと熱を帯びる感覚を覚えた。

「そんなこと考えてたの?」

「うん。漠然としすぎて、うまく言葉にまとめられる自信はなかったんだけど……たった今明らかになったよ」

向けられた苦笑に、感慨が押し寄せて上手く言葉が返せなくなる。感謝ばかりが頭の中を巡って、いよいよじわりと目に涙が滲んだ。

「そうか。君の気持ちは分かった」

ふと、低い声が間を割って入る。

「だが私も父親なのでね。丹精込めて育ててきた娘を、そうやすやすと手放したくもないのだよ」

二人の視線が自分に向けられたところで、膝の上に手を組む。

「もしも私が『君にはやらん』と言ったらどうする」

鋭い気迫が満ち満ちた問いかけ。ほとんど初めて目の当たりにした父の本来の迫力に、香奈は息を飲んで身体をこわばらせ、そっと浩隆の袖を掴んだ。

「心配いらないよ」

彼がそっと手を重ねてくる。

「ならば、この場で奪うまでです」

「なに?」

「僕はもう、彼女を離さないと決めました。そのためにあらゆる手段を講じるつもりですし、その覚悟もできています。決して屈したりはしません」

揺らがぬ決意、まなざし。横顔から窺える力強さに圧倒されて、頭の中が真っ白になり、思わずため息が漏れ出した。

「惚れなおした?」

突然降って湧いた代弁にはっとする。キッチンから届いた香子のそれに、直後全身が熱くなるのを感じつつ、窺うようにもう一度透を見た。

何事かを思案しているような表情。それに向かい合う浩隆の姿。張りつめた空気に当てられて気が遠くなりそうだ。

「……まったくもう。仕方ないわねぇ」

その時、停滞をばっさりと切り裂く声が再びキッチンから放たれた。強張りを上手く削いだ香子が、ティーカップの載った盆を手にゆっくりとこちらにやってくる。

「透さんったら、そんなにヒロくんをいじめなくてもいいのに。可愛い娘が色んな意味で泣きそうよ」

その苦言を耳にした途端、透の表情があからさまにぎくりとこわばる。

「いや、そんなつもりは」

「と・に・か・く、お茶でも飲んで少し落ち着いたらどう? お互い初対面なのに、始終喧嘩腰なんて身体に悪いわよ」

そうして小さく息をつくと、カップをおのおのに渡し始める。

「はい、どうぞ」

まずは浩隆へ。緊張からしばし解放されたのか、ありがとうございますと受け取ると、一瞬の間の後で早速ひとくち含んだ。飲み込んだその直後、心底驚いたような表情がありありと浮かぶ。

「これは」

「なに? どうかしたの?」

あまりの驚きように、眉をひそめて香奈が問うと、少々の狼狽がそのまま向けられた。

「この紅茶、カナちゃんが前に淹れてくれたのと同じ味がするんだ」

「え? あたしが紅茶をって……いつ?」

「いつって、初めてこちらにお邪魔した時だよ。あの時君が出してくれた紅茶が本当に美味しくて、いつか同じ味が入れられるようになったらいいなって、それからずっと独学で色々勉強していたんだ」

いささか興奮気味の声色に、あっと当時の成り行きを思い出す。

「ちょっと待って。あれは違うの。淹れたのはお母さんよ」

「へ」

「あたしその頃はコーヒーが大好きで、紅茶なんて全然興味なかったもの。あの日は、お母さんがヒロを見るなり『あの子には、紅茶の方がお似合いよ』って言って、それで」

「そうなの? 僕はてっきり君が……だからもし君に再会できたら、その時には美味しいお茶を淹れてあげようって思ってたんだ」

「あらやだ。ってことは、娘よりも先に、私が未来の息子とその胃袋を掴んじゃったってことよね。わぁどうしましょう」

カップを配り終えるなりソファに座り込むと、香子は両頬を押さえて少し興奮気味にうそぶいた。

「でもそれを言ったら透さんだって。ハナっから未来の息子にがっちり胃袋掴まれちゃってるしねぇ?」

それを聞くなり、紅茶を含んでいた透がぐっと動きを止める。

「胃袋、って」

「ヒロくんが前に来たときに、持ってきてくれたお菓子があったでしょう? あの日の夜、透さんがそれをつまんで食べたんだけど、大層気に入ったらしくてね。普段甘いものはほとんど食べない人なのに、『これだけは別格だ』って、大切なお客様をおもてなしするときには必ず買ってくるようになったのよ」

言うなりちらとダイニングに視線を流す。カウンターの上に並べられた二つの赤い紙袋に、香奈が小さく叫んで口元を押さえた。にやにやと笑う香子の隣で、透がいかにもばつの悪そうな顔を見せ、一方の浩隆はあっけに取られて言葉を次げずにいる。

「この状況で、今更言い逃れなんてできるわけないわよねぇ?」

つい先ほどまで睨み合っていたはずの両者に向けられた、からかいを多分に含んだ事実の宣告。思わず男二人して顔を見合わせ、直後我に返り顔をそらした透の様子に、カナは意を決して口を開いた。

「お父さん」

「なんだ」

「あたし、彼と家族になりたいの。あたしが今まで包まれてきた、この家の空気と同じくらいあたたかいものを、彼と一緒に作っていきたいの。だから」

一呼吸置いて、放つ。

「あたし、浩隆さんと結婚します」

彼が最初に言いきったものと同じだけの熱意と決意を込めて。

「カナちゃん」

その行動はまったくの予想外だったらしい。透よりか、隣に座った浩隆の方がよほど驚いたような顔をしていた。顔を赤くし狼狽の窺える面に向かって、改めて自分の思いを伝える。

「あたしだってヒロと同じ気持ちだもの。それをちゃんと分って欲しいから」

重なりたゆまぬ視線。それを真正面から受け止めて強く頷いた彼に、なおのこと心が強くなるのを感じる。そうして二人して再び両親に向き直ると、無言で同時に頭を下げた。

「……あなた」

しばしの間の後、香子が気遣わしげに透を促す。

「浩隆くん」

直後穏やかに変わった声色に、希望を抱いて頭を上げる。

「はい」

「君は、日本酒は飲めるかね?」

話の流れからは随分と逸れた質問。だが、偽りなく正直に答える。

「先日生まれて初めて口にしたばかりですので、正直なところまだなんとも」

「そうか。まあ私も酒は舐める程度のものだが……それでも構わんから、月に一度はうちに来て、私の相手をしてくれ」

どこか照れ臭そうな言い方に首を傾げてはいと答えると、香子がぷっと横で吹き出した。

「このひと万事この調子なのよ。晩酌の相手をしてくれる息子が一人増えて、内心うっきうきで仕方ないのに、ホントしょうがないくらい照れ屋なんだから」

「え? 息子……」

「ヒロ」

そうして袖を掴んできた香奈の嬉しそうで今にも泣いてしまいそうな笑顔に、やっとその言葉の本当の意味を認識する。

「ありがとう、ございます」

深々と頭を下げて感謝を口にすると、鼻の奥がツンと痛んだ。じわじわと実感が胸に湧き、同時にただひたすらの歓喜が心に、身体に満ちていく。

「当然あたしにとっても息子ですからね。わーどうしましょう! いきなりこんなイケメンな息子をゲットしちゃったわ! うっかりその辺で着替えなんてできなくなるわねー」

うふふと、少し照れ混じりの香子の発言に、半ば呆れたように透はため息を吐き、香奈は眉を吊り上げた。

「いい年をして、何をバカなことを言っとるんだ」

「な、何言ってるのよ! 恥ずかしいからやめてよッ!」

「あらぁ、二人してやきもち? 揃いも揃って同じ反応するなんて、やっぱり親子よね」

「……そんなわけがあるか」

「そんなわけないでしょっ!」

「ほら、また同じー」

まるで子どもっぽい応酬に、香奈は結果そっぽを向き、透はかすかに頬を膨らませてあらぬ方向を見やる。

「ウチはね、普段からこんな調子なの。このペースについてこられないと、家族の一員としては認められないのよ?」

大丈夫? と重ねて聞いてくる。夫と娘を存分にからかい、非常に満足げな様子の義母に、浩隆は苦笑と共に、先ほどとは別な意味合いでの決意を述べた。

「覚悟しておきます」

「ちょっとヒロ! そんなこと真に受けなくていいのよ!」

「いや。むしろ、すごく楽しみだよ」

そう次いだ彼の笑顔。先ほどまでの緊迫した空気から一転、次々と発展する会話と、完全に打ち解けた場の雰囲気。

――家族に、なるんだなぁ。

今更ながらそんな実感が湧くのと同時に、やっと人心地ついた気がして、香奈はゆっくりと満たされた丸い息をひとつついた。



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