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そのごのひろかな -ever after-  作者: 水成豊
11/14

約 -found-

ぶ、ぶぶ、ぶぶ。

枕元で鳴り始めた、携帯のバイブレーションで目が覚める。

時計を見れば午前6時55分。日曜の朝から一体誰だ、と内心悪態をつきながら液晶の表示を確かめ――すぐさま飛び起きた。

「げ。なんで」

我ながら汚らしい一言だと思う。しかしそれも束の間、大急ぎでベッドを下り身支度を始めた。

「よりにもよって、なんでアイツが」

焦りのあまり非難が口をついて出る中、クロゼットの中の衣服を適当にさらう。寝起きで乱れたままの髪を手櫛で収めたところで、一息つくとベッドを振り返った。

すやすやと静かな寝息を立て続ける彼女。目覚める素振りのない穏やかな様子にほっとして、可愛らしい寝顔にひととき頬が緩んだ。

……おっと、いかんいかん。

頭を振って現実に立ち戻り、ともあれどうしたものかと簡単な対策を練りはじめたところで――


ピンポーン。


運命の、呼び鈴が鳴り響いた。



**********



「Guten Morgen. HIRO!」

ドアを開けるやいなや、底抜けに明るい挨拶を向けられる。

「ルイセ、お前……」

突然連絡をよこし5分後――実質そこまでの猶予はなかった気もするが――の来訪を強制的に通知してきた当の本人。母方の伯父の娘であるルイセが、ひらひらと手を振りつつ笑顔を見せてきた。一切悪気のないそれに、人の気も知らないでといささかげんなりする。

「日曜の朝から一体どういう了見だ。少しはこっちの都合も考えろ」

「まぁまぁ。久しぶりに会ったんだし。お小言は後でまとめて聞くから許してよ」

至極軽率に受け流し、直後漏れた盛大なため息をものともせず、彼女はドアを押さえていた腕の下をするりとくぐって中に入ってきた。

「おい、ちょっと待てって!」

「いいじゃない、減るもんじゃなし。ヒロの新しい部屋に入るの初めてだもん。たのしみー」

あっけらかんとした言動と猫のような身のこなしに翻弄される。ずかずかと遠慮なしに部屋に上がり込み、好奇心の塊よろしく、きょろきょろと物色して回るさまはまるきり子供と同じだ。自由奔放、傍若無人、大胆不敵の体現。相変わらずだなと呆れつつ玄関の扉を閉めると、リビングにとり返し改めて問うた。

「それで、『用事』ってのはなんだよ」

「あ、そうそう。そのために来たのよねあたし」

「今、本気で忘れてたろ」

「ごめんごめん。あのね、おとといママから荷物が届いたの。その中にヒロ宛てのもあったからさ」

一昨日に届いたのなら、昨日までの間に来訪を予告することもできたろうにと、改めて今日の行動が突発的な思いつきだったことを悟る。そんな溜息など露知らず、彼女はくるりと勢いよく振り向き「はい、これ」と持っていた紙袋を渡してきた。

ひとまず素直に受け取り中を検める。そこにはドイツにいた頃によく食べた、近所のコンディトライの焼き菓子と、綺麗に包装された小さな箱が入っていた。

日本への留学経験もある伯母が、わざわざこちらの文化に則って――バレンタイン用にと送ってくれたらしい贈り物。添えられていたカードを開いて、その筆跡と気遣いをしばし懐かしんだ。

「あとで伯母さんに連絡しておくよ」

「うん。それとね……様子を見てきなさいってパパに言われたから」

瞬間伯父の強面こわもてが脳裏をよぎってぎくりとする。先日電話で交わした一連のやり取りと共に、香奈にすがって泣いた夜がリフレインして、反射的に頬が強張った。

「ここで恋人と同棲してるんでしょ? どうなってるのか、本当は聞きたいんじゃない?」

けれどその言葉で、彼女が何も知らされていないことを覚りほっとする。気を取り直して紙袋をリビングのソファ脇に置くと、台所へ向かい、やかんを火にかけてティーポットを取り出した。

「今更説明するまでもないだろ。知ってのとおり、去年の春からずっと一緒に暮らしてる」

「例の……あの指輪を贈った彼女と?」

覗き込むようにして聞いてくる。他に誰がいるんだと暗に表情に含ませると、ふぅんと鼻を鳴らし、にやにやしながらいかにもからかってきた。

「仲、いいんだ」

「悪かったらそもそも一緒に生活できないだろ。それに」

「それに?」

「結婚するんだ、俺達」

え、と怪訝な顔が向けられた。

「結婚? え、うそ! ホントに?」

その発言はまるきり予想外だったらしい。目は丸く大きく見開かれ、興奮のあまり頬が上気して色づいている。

「失礼な奴だな。どうしてそこで『嘘』が先に来るんだよ」

「だってあんまり急だから。なんで」

「なんでって。お互い社会人だし、同棲し始めて一年近く経つし、結婚できない理由なんてないだろ」

「そりゃあ確かにそうだろうけど」

「それに、もうプロポーズもしたから」

「は? え?! ちょっと、うわ、なにそれ、うっわー……」

おかしな喚声を洩らすさまに、かえって神経を逆撫でされる。

「ちょっと意外。ヒロってそんな奴だったんだ」

散々な言われようにいよいよかちんときて、愛飲しているダージリンの茶葉をポットに量り入れながら返した。

「ずいぶん好き勝手言ってくれるな。年上の従兄に向かってそんな奴呼ばわりか」

怒りを含んだ声色にさすがにまずいと思ったのか、その顔がぎくりと強張り細い身体がちぢこまる。

「……ごめんなさい」

しおらしく、一気にトーンダウンして謝罪が口にされる。同時にそれまでにない重い沈黙が、湯を入れたポットから立つほのかな紅茶の香りと共にしばし場を満たした。

「それぐらい、真剣だってことなんだね」

その神妙な言いように、ささくれ立った心が少し穏やかになる。ちょっと大人気なかったかなと反省しつつ、ああと答えた。

「なんか、びっくり」

「え?」

「ヒロってさ、執着とか絶対しない人間だと思ってたから」

「なんだよそれ」

「常に一歩引いて、冷静に構えて物事を見てて。向こうに居た頃は、人づきあいって言っても、あえて上っ面のドライな関係で完結してたように見えたから」

聞きようによっては誤解が生じかねない発言に、懲りてないなと呆れながらも少しだけ苦笑する。

「俺、やっぱりそんなだったかな」

「うん。外での付き合いだけじゃなく、あたしたち家族にだって『壁』はあったよ。それなのに赤の他人に、しかも女の子にそこまで深く入れ込んじゃうとか……ともかく『気持ち』の方が先に立って進展してきたっていうのが本当に不思議でさ」

微妙な沈黙が訪れる。すっかり毒気を抜かれたらしい彼女は、リビングに突っ立ったまま、所在なげにもじもじと組んだ指先を動かしていた。

「あのね」

「ん」

「前、指輪買うときに頼まれたじゃない。『大事な人に贈りたいんだ。選ぶの手伝ってくれないか』って」

言葉に続いて、あの場面を誤解した香奈との、その後の出来事すべてが思い出された。

「あたしが知ってるヒロは、そういう時でも一人で全部リサーチして、そうと覚らせずにいつの間にか片付けてる人だったの。でもあの時はそうじゃなかった。だからあたし……ちょっとだけ悔しかったな」

「悔しい? どうして」

「だって、不安な時とか迷った時、誰かに頼ったり寄り掛かったり、そういうことができるようになったってことじゃない。パパにもママにも、あたしにだってそんな姿を見せたことなかったのに、あの時には自然にそれが出せたってことでしょ。きっと彼女さんに影響されたんだろうなって思って」

どこか感慨深げな表情に、そうだなと一度は頷いて。しかし何となくしっくり収まらなくて言い直す。

「彼女が俺を『呼び覚まして』くれたんだ」

「え?」

「頑なに封じ込めていたものを、彼女が解き放ってくれた。本当の気持ちや、ありたいと願う姿を導き示して、生きていていいんだと思わせてくれた。どんな姿でもまるごと許し受け入れてくれて……だからこれからもずっと、彼女に傍に居て欲しいと思ったんだ。俺自身も、彼女をありのままに受け入れて、すべてを見つめて愛したいと思ったんだ」

するりと本音と笑みが解け出る。不思議と照れや羞恥は感じなかった。それが本心であり真実なのだからと自信ありげに思う。

「そんなことまで、堂々と言えるようになったの」

ほへーと感嘆が洩れ出し、今度はきらきらと瞳が輝き出す。思いがけないその反応に、今更照れくさくなって、彼女に背を向け戸棚へと向かった。

「すごく情熱的ね。羨ましい」

砂糖とスプーンを取り出したところで、そんな独白が耳に届く。

「そんなふうに自慢されたら……余計に興味が湧くじゃない」

次いで呟かれたそれには、いたずらめいた好奇心が満ち満ちていて。途端背筋にぞわりとしたものが走り、すぐさまリビングに視線を戻すが、その時既に彼女の姿はなかった。

「ルイセ?」

まさか。

一瞬で最悪の想定に至り、慌てて台所を飛び出す。全速力で向かった先、寝室に手荒に飛び込むと、ある意味予想していた通りの展開が待っていた。

「ふぅん」

興味津々にベッドを覗き込むルイセの背中。その視線の先にはもちろん、香奈の寝姿があった。

「おま……っ!」

つい大きな声が出そうになって慌てて口元を押さえる。頭の中が真っ白になりつつも、とりあえずその場から引きはがし、ベッドとの間に割って入るとそれ以上の観察、いや詮索を遮った。

「すっごい美人じゃない。バッチリあたし好み」

「は?」

「ヒロって面食いだったのねー。でも、こんな美人なら確かにほだされちゃうわ」

さっきの話を聞いてなかったのかとほとほと呆れ果てる。とはいえ彼女が美人なのには違いないし……うん、確かにかわいい。いろんな意味でも、凄く、かわいい。

至極正当な評価に思わず悦に入った次の瞬間、背後で小さな唸りが聞こえ、衣擦れが次いだ。

「ん……あれ、ヒロ?」

声に振り返ると、少し身を起こした香奈の姿が目に入る。と同時に毛布の縁からあらわになった肩のまるみが覗き、心の中で絶叫しつつ、慌ててズレた毛布ごと覆いかぶさった。

「えっ?! 何!」

実質押し倒した格好になり、組み敷いた香奈の頬が即座に染まって、目が驚きに大きく開かれる。

「いや、あの」

必然近づいた顔にかっと身体全体が熱くなる。狼狽に拍車がかかり上手く言葉が出てこない。とにかく見られたくない一心で……いやまぁ自業自得なわけだが、ともかく戸惑い見上げてくる視線を受け止め続けるしかなかった。

「う、おっほん!」

背後で殊更大きな咳ばらいが聞こえ、はっとして二人で声の主を見やる。

「ニチアサから、どうもご馳走さまでーっす」

容赦のないひやかしに、もはや二の句も継げずにがっちりと固まってしまう。

「近況はじゅうぅぅぶんわかりました。ま、パパとママには適当に報告しておくから心配しないで」

たまには信用してよね、と腰に手を当てて息をつく。

「今日はこれからデートだからもう帰るけど、あとでちゃあんと紹介してください」

一転にこりと笑って可愛らしいウインクをひとつ残す。

「絶対、仲良くなれるからさ!」

まるで根拠のない自信と共に「じゃあね」としたり顔で部屋を出ていく。その動きと共に、軽くて柔らかい毛先がふわりと宙を泳いだ。

去るもの疾風の如く。姿が消え途端に静かになった室内で、香奈の小鼻がひくりと反応する。

「あ」

「どうかした?」

「この香り……」

かすかに漂いすぐに消えたのだろうそれを鋭敏に捉え、何事かを理解したらしいその表情。

「そっか、あの子だったの」

少し複雑そうなそれに、理解が追いつかずにいると、なんでもないと慌てて頭が振られた。

「ねぇ、ヒロ」

「ん?」

「あの子、指輪の時の……よね」

おそらく自分のそれと同じ場面を脳裏に映し見たのだろう。ちょっとだけ苦くひきつった口元に、ああと今更ながらに思い出して。

「そう。『あいつ』が『例』のルイセだよ」

わざと厭味ったらしく強調して紹介してやる。意趣返しに少しだけすっきりした気になり、改めてベッドに腰掛けると緩やかに身体の緊張を解いた。

「気ままだし気まぐれだし、やることなすことひどく自由でさ。突然やってきて引っ掻き回して、いろんな刺激をくれる」

言いながら、意図せず笑みがこぼれる。そうしてこれまでは表に出したことのない、本人になんて照れくさくて告げられない、けれども心の奥底には存在していたそれが今更口をついた。

「絶対敵には回したくない、僕の大事な妹だよ」

だからくれぐれも気をつけてと忠告すると、すぐさま頷きが返ってきた。

「それってヒロとまるっきりおんなじじゃない」

思いもしなかった評定に、今度はこちらが驚かされる。

「巻き込まれたら絶対に逃げられないなんて、『兄妹』揃ってホントにそっくり」

「そうかな」

「でもまぁ……慣れれば結構楽しいし、悪くはないわよ」

経験上の答えなのだろう。ぽそりと呟かれたそれににやりとする。


そんなふうに思えるのなら大丈夫。

彼女の言ったとおり、仲良くなれるよ。


きっと、君なら。


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