遭遇
「今日は帰り、何時ぐらいになりそう?」
シャツの襟を正してくれながら、凛が言う。うちでも直したつもりだったけど、歩いてるうちにクシャッとなってしまったらしい。
「たぶん定時には帰れると思うよ」
「じゃあ、一緒に帰れるね。遅くなりそうなら連絡して?」
「うん、じゃあね。今日も頑張ろ」
「うん!」
こんなやりとりが、俺たちの日課だ。一緒に出勤して、エレベーターで別れる。凛に合わせて、いつも少し早めに出勤するから人目も少ない。そして何より、2人きりでエレベーターに乗れることも多いのだ。
エレベーターは凛が降りる5階で止まり、彼女を降ろして再び上昇し始めた。
企画部のある12階へまっすぐ…と思っていたら、7階で止まり、男性社員が乗ってきた。俯いていたし、顔はよく見えなかった。
静かに扉が閉まり、再び上昇する。
「奥さん、可愛らしい人ですね」
「え?」
男性社員が突然話しかけてきた。俺の顔を知っていて、どこかで結婚の噂でも聞いたのだろうか。
「あんな奥さんがいらっしゃるなんて、うらやましいなあ」
男性が顔を上げ、俺に笑いかける…。あれ?この人、どこかで……。
「あの…」
俺が話しかけようとしたら、ポーン…という音がしてエレベーターが止まった。12階だ。
男性はにこっと笑って、俺に降りるよう促した。
いったいなんだろう。なんだか、妙な胸騒ぎがする。
そして、その予感が当たっていたのだということを、俺は朝のうちに知ることになる。
「おはようございます、吉川課長」
「ああ、おはよう」
オフィスに入ると、入社2年目の湯川くんが迎えてくれた。彼はいつも一番に来ている。
凛と入れ替わりで入ってきた新人で、彼に凛の穴は埋めれまい…と思っていたが、なかなか健闘してくれているし、そんな人柄のせいかみんなにも可愛がられている。
「あの、橋元常務が課長に朝一で来てほしいと仰ってました」
「常務が?わかった。ありがとう」
なんだろう。常務から呼び出しなんて。俺、何かしたかな…?
要件を想像しながら常務室へ向かう。
重役フロアにいる案内係に名前を言って、常務に取り次いでもらった。
「どうぞ」
ついていった先には橋元常務と…、名前の横に『専務』の文字のある名札を付けた、若い男性がいた。
……あれ?この人、さっき…。
少し頭を巡らせてようやく、先ほどエレベーターで会った男性が専務だと気づく。誌面でなく、実際に近くで顔を見るのは初めてだけど、たしかにイケメンだ。
「ああ、朝早くから悪いね。さっそくだが、要件と言うのが」
「ドイツのS社との合同プロジェクトに、参加してほしいんです」
常務の話を遮り、専務が強い口調で言った。