番外編~2人の出国準備②~
向こうに行ったらしばらく帰って来られないだろうから、会いたい人には会っておこうということになった。友達や会社の親しい人たち、いとこなんかにそれぞれ会って、最後に残ったのは…お互いの両親。
俺と凛の実家はそれぞれ千葉と神奈川で、別々に会いに行くのも手間だし、どうせなら一緒に食事でもしようという話に落ち着いた。そしてその食事会は親孝行の1つでもあって、お金は自分たちで全て払うことにしている。俺が出すよって言ったけど、凛も払うと言って聞かないので折半することに。
「ねえ、ほんとにこれでいいかなあー?」
「大丈夫だって。めちゃくちゃ可愛いよ」
凛は出かける直前まで服に悩んでいる。姿見で全身をチェックしては、小物を変えたりはおるものを変えたり。
俺がおすすめしたのは、あの白いワンピースにジャケットの組み合わせだけど、なんだかおとなしすぎると言って納得がいかない様子。
「そんなに気にしなくていいのに」
「だって、お義母さんの前で変なカッコ出来ないよー」
俺の母親は、ウェディングドレスのデザイナー。実は凛のウェディングドレスも、母さんにデザインしてもらったものだった。
穏やかな性格だけど、職業柄か服装にはけっこううるさいところがある。俺が子どもの頃なんて、家でジャージを着ることすら許されなかった(そもそもジャージを持ってなかった)。そのおかげで、家であってもちゃんとしたカッコをする癖が今でも染みついている。
「あ。じゃあ、アレつけたら…」
俺は寝室のクローゼットを開け、アクセサリーボックスからブルーのネックレスを取り出した。
そして凛をベッドに座らせ、うしろからつけてあげる。
「これなら白いワンピースにも合うし、デコルテも映えるだろ?」
凛が伸びあがって鏡を見て、たちまち笑顔になった。
「ほんとだー!バランスもいい感じだし、さすが大斗さんだね。ありがとうっ」
俺の方に振り向いて、首にぎゅうっと抱きついてくる。そして勢い余って(実はわざと)、凛に押し倒された。
なんとなくイイ雰囲気になってくる。
「今日、行くのやめる?」
「もう!すぐそういうこと言うんだから。…あっ!もう出ないと遅れちゃうよっ」
「あ、ほんとだ」
凛が大慌てで俺の上から飛びのいた。ちょっと残念。
クラッチバッグを持って、凛は先に寝室を出ようとする。
「凛、ちょっと待って」
「え?」
こっちを振り向いた凛の、グロスを塗った唇にそっと口づけした。そんな、キスしたくなるようなのつけてるからだよ?つけてなくてもしちゃうんだけどさ。
「…グロス、落ちてない?」
凛は少し顔を赤くして俺を見上げた。
「いったん、全部落としちゃう?」
俺の一言によって、彼女の顔はますます赤くなる。
結婚して1年ちょっと。まだまだ初々しい妻が、どうしようもなく愛おしい…。
食事会の会場に選んだのは、ちょっと高級なフレンチレストラン。
実は、俺が凛にプロポーズしたお店だったりする。そのときいろいろサプライズも手伝ってもらったから、それ以来、何かのお祝い事のときにはよく利用している。
先に来ていたのは皿池の両親だ。お義兄さんは残念ながら仕事で来られないらしい。
お義父さんは厳格な感じに見えるけどかなりおっとりしてて、お義母さんは明るくてよく喋る人。初めてお二人に会った時も思ったけど、なんだか本当に凛の両親っていう感じ。
「お義父さん、お義母さん。来てくださってありがとうございます」
「こんにちは、大斗くん。久しぶりに会えて嬉しいよ」
お二人とも笑顔で迎えてくれる。初めて挨拶をしに伺った時からこんな感じで、本当に恵まれてると思う。きっと、平手打ちの1つや2つが飛んでくるんだろうな…と思ってたから。
少し遅れて、俺の両親もやって来た。
「お待たせしてごめんなさい。道が少し混んでいて」
「大丈夫ですよ、お義母さん。お会いできて嬉しいです」
凛の笑顔につられて、2人も笑顔になる。うん、こっちもいい感じだ。
俺の両親は、一目で凛を気に入ってくれた。挨拶のために凛を実家に連れて帰ったときは、娘がいないせいか本当に嬉しそうだった。もともと人好きな2人だから、にこにこと愛想が良くて礼儀正しい凛が好かれるのは必然だったのかも。
「乾杯!」
父さんの音頭で(ほぼ無理やりやってもらった)皆がグラスを軽く持ち上げて、食事会がスタートした。さっそく、アミューズのカルパッチョがサーブされてくる。
「凛さん、そのワンピースすごく似合ってるわ。素敵」
母さんの言葉を聞いて、凛は嬉しそうに俺を見た。
「ありがとうございます。実はこれ、大斗さんがドイツでプレゼントしてくれたんです」
「あら、そうなの?やるじゃない」
よかった。俺の目に狂いはなかったみたいだ。凛に似合うものを選ぶなら、誰にも負ける気がしない。得意げな顔をしていたら、母さんが俺をちらっと見て笑った。
「私ね、大斗が私と同じ道に進むものだとばかり思っていたのよ」
「えっ、そうなんですか?」
今度は凛が驚いて俺を見る。そりゃそうか、初耳なんだから。
「ええ。この子、専門学校の試験受けたと見せかけて、実は大学受験してたのよ。ある日突然、合格通知を見せに寮から帰ってきて、大学行くからって言うの」
昔の話はなんだか恥ずかしい。ちょっと照れながら、フォアグラのソテーを口に入れる。
まわりはみんな、俺がファッションの世界に進むものだと思っていた。だから外国語学部に入りたいって言い出しづらくて、まずは決意のほどを見せるために合格しなくちゃいけないと思った。けど、母さんはじめ、まわりはあっさりと認めてくれた。
「昔から、なんでも自分で決めちゃう子だったからね。もしかしてとは思ってたの。こんな子だけど、凛さんは苦労してない?」
「はい!大斗さんはなんでも相談してくれますよ」
「そう。仲良くやってるようで安心したわ」
よく、嫁姑の不仲が原因で騒動が起こるって言うけど…うちの場合は何も問題なさそうだ。
「大斗さん、凛もいろいろ大変だったのよ」
話を聞きつけたお義母さんも、不敵な笑みを浮かべて話に加わった。
「ちょっと、お母さん!なにもこんなところで話さなくても…」
恥ずかしがる凛を宥めて、俺はお母さんに先を促した。だって、俺の昔話だけ聞くなんてずるいし、俺も凛の昔の話を知りたい。
「凛は高校生の頃、パティシエになりたいって言ってたの。小さいころからお菓子作りが好きだったから、仕事にしたいって思ったんでしょうね。それで高校卒業したら、友達のお姉さんがいるフランスのお店に修行しに行くって言い出して…、お父さんが大反対!」
俺が思わず、斜め向かいに座っているお義父さんを見ると、目が合い、お義父さんは恥ずかしそうに少し笑う。さっきサーブされたばかりのスープが、もう空っぽになっていた。
「それで凛が家出しちゃってね。といっても友達の家に転がり込んだだけなんだけど。次の日にお義父さんが迎えに行って、大学卒業した後は何してもいいから、とりあえず大学だけは出てくれって説得したの。結局、お菓子作りよりもやりたいことを大学で見つけたみたいだけど」
凛は笑いながら、お母さんを軽く睨んでいる。この母子は見ていて飽きない。
「パティシエになりたかったの?」
馬鹿にするでもなく、微笑みながら凛に尋ねた。確かに、凛ならパティシエも似合いそうだ。
「うん。でも、大学卒業して、今の会社に入ったから大斗さんに出逢えたんだし…この道を選んでよかったと思ってる」
はにかみながらそんなことを言ってくれる凛は、とっても可愛い。
お義父さんは少し顔を赤くして、ごほん、と咳払いをした。
「それにしても、優秀な大斗さんだけならともかく、凛までドイツに行くって聞いたときは驚いたわよ」
お義母さんが、フィレ肉のステーキにナイフを入れながら言った。お腹が弱い凛の分は、あらかじめウェルダンにしてもらっている。
「大丈夫ですよ、凛は優秀ですから。元上司の俺が保証します」
「そうですよ。大斗がうまくやるでしょうから、何も心配いらないと思いますよ。ドイツもいいところですし」
母さんの後押しもあって、お義母さんは少し納得してくれた様子。
「それで、向こうにはどのくらい?」
またしても1番に食べ終わったお義父さんが、会話に加わる。
「そうですね、俺の転勤の目処は一応5年と言われてますが…実際のところ、はっきりとは決まっていません。凛は向こうの専任になりますし」
「そうなの?子どもができたらどうするつもりなの」
しばらくお肉に集中していたお義母さんも反応して顔を上げた。
やっぱり、孫の問題には敏感なんだろう。
「向こうで産んで育てることになると思うよ。育児休暇の間ぐらいは日本にいるかもしれないけど」
凛が代わりに答えてくれて、少しほっとする。この答えは、俺の転勤が決まったときに2人で話し合った結果だ。すると、
「それは駄目よ。やっぱり日本で育てないと。子どもがいじめられるかもしれないし」
「まだ出来てもいない子どものことを、ここでどうこう言っても仕方ないだろう」
「出来てからじゃ遅いでしょう」
皿池夫妻が、突然言い争いを始めてしまった。俺と凛が顔を見合わせておろおろしていると、
「お二人とも落ち着いてください。海外で暮らす子どもなんて、今やたくさんいますし、良い刺激にもなります。2人なら、ちゃんと愛情を持って育てられるでしょうし、きっと大丈夫ですよ」
「そうそう。それに、長期休暇の時は日本に遊びに来ることもあるでしょうし、たまに会えるというのも1つの楽しみになりますよ」
うちの両親が宥めてくれた。やっぱり、まだまだ敵わないな…なーんて思った。
デザートは、小さなグラスに入ったパフェ。凛が幸せそうにムースを口に含むのを見て、なんだか俺まで幸せな気分になる。
そして話題は、ドイツでの生活についての話に。
「あんた、本当にやっていけるの?留学もしたことないのに」
お義母さんは相変わらず心配ばかりしている。娘が突然海外へ行ってしまうんだから当然か。
信用されてないと感じたのか、凛が少し頬を膨らませる。そんな凛を見て、俺は彼女のお皿に苺を1粒置いてあげた。
「お義母さん、大丈夫ですよ。俺がついていますし、しっかりサポートしますから」
「それでも、やっぱり心配だわ。単身赴任は考えなかったの?」
俺と凛は、困ったように顔を見合わせる。俺たちにその選択肢はもとから存在しなかった。
「私は大斗さんについていくって決めたの。それに、ただついていくだけじゃなくて、私にとってもプラスになると思ったから、支社への転勤を志願したんだよ」
「凛もこう言ってくれていますし、縁あって夫婦になった以上、ずっと一緒に暮らしたいと思ってます。お義母さんが心配なさるお気持ちもわかりますが、どうか温かく見守ってくださいませんか」
俺と凛、それからうちの両親に視線を向けられたお義母さんは、仕方ないなという風に笑って、
「何かあったら、いつでも帰って来るのよ」
と言ってくれたのだった。
そんなこんなで食事会が終わり、会計を済ませてお開きとなった。
「大斗くん」
お店を出たところでお義父さんは俺を呼び止め、凛に先に行くよう促した。凛も不思議そうな顔をしたけど、お義母さんと一緒に先に歩いて行った。
「私も実は、凛が海外へ行くことはあまり賛成してなかったんだ」
「えっ」
「君も一緒だから許すようなものだ。もし、凛が1人で行くなら絶対行かせないと思うよ」
その言葉の意味するところを想像して、俺は心の底から喜びの感情がじわりと溢れてくるのを感じた。
「しっかり頼むよ」
「はい!」
そうして、お義父さんも歩いていく。その背中を見て、俺は思いを新たにしたのだった。




