専務の想い
「あっ…」
昼下がりのカフェスペースで、帰国して以来ずっと避け続けていた専務と鉢合わせしてしまった。
すぐ引き返そうとしたけれど、目の前にぱっと立ちふさがれてしまう。
「2週間ぶりですね。LINEも電話も無反応だし、…僕のこと、避けていたでしょう?」
「い、いえ、避けるだなんてそんな…」
「避けられると、ますます追いかけたくなってしまいます」
妖しく口角を上げる専務。どうしよう、なんだか怖い…。
ドイツで会ったときは大斗さんが一緒だったから、普通に楽しく過ごせていたけれど、こうして2人で会うと妙な違和感を感じる。
昼休みが終わって外出中の社員も多いため、カフェスペースには他に誰もいない。
「…どうして、そんなに私にかまうんですか。ドイツへも、私に合わせて滞在していたんですよね?夫のことを気に入ってくださっているのはありがたいですけど…」
「あなたが好きだからです」
「…えっ……?」
驚いて専務の顔を見ると、意外にも少し赤くなっていた。
専務が、私のことを…?
「あなたは覚えていないでしょうけど、桜並木で一目見たときから…、あなたのことが好きでした。ご主人がいるということを知ったときは、とても落ち込みましたが…。それでも、僕のほうがいい男だとわかってもらえれば、まだチャンスがあると思ったんです」
「…申し訳ありませんが、」
すぐに断ろうとした言葉を遮るように、専務の人差し指が私の唇に当てられた。そして、
「もう一度よく考えてからお返事をください」
専務はそう言って、静かにカフェスペースから出て行った。
一度オフィスに戻って、少し具合が悪いから休んでくると告げて屋上へ上がった。なんだかモヤモヤして、仕事ができるような状態ではなかった。
「「あ……」」
屋上庭園の要所要所にベンチがあって、出入り口に近いところに同期の阪本くんが座っていた。
「なあに、サボり?」
「おまえこそ」
一昨年までは一緒に企画部にいたけれど、私の部署換えのあとはあまり会う機会もなくなってしまった。久しぶりに会ってもこうやって軽口を言い合える関係に、少しほっとする。
「なんかあったの?」
「ううん。ちょっと休憩」
「そっか。俺も、なんか煮詰まっちゃって」
阪本くんの手にはアイスココアの缶が握られている。彼は相変わらず甘党だ。
「最近どう?」
「まあまあかなー。私はいま新卒採用の担当なんだけど、説明会も夏採用はほとんど終わったし、選考の日程とか結果の連絡が中心だね。リクルーターとして大学の後輩に会ったりとかはけっこう楽しいよ」
「そっか。おまえ面倒見いいから、そういうの向いてるのかもな。こっちは吉川課長がいない分、いまだにてんやわんやしてるよ。営業推進課から来た課長代理がいるんだけど、みんなとウマが合ってなくてさ」
「そうなんだ。今は1・2課合同でやってるって聞いたけど、やっぱり大変なんだね」
「うん。…あ、この前ドイツ行ってたんだろ?どうだった、課長」
たぶん、私がインスタグラムに載せた写真を見たんだろう。会社の人も見るからさすがに2ショットは遠慮したけど、観光名所や料理の写真なんかはたくさん投稿した。
「仕事はやっぱり毎日大変そうだったけど、すごく生き生きしてたよ。外国人にも全然負けてないって感じ」
「そっかー!やっぱ、さすがは課長だなあ。海外でも通用するってかなりすごいよ。そういう人だから支社も欲しがったんだろうな」
…ん?いま、なんて…?
「…え?大斗さんは、S社とのプロジェクトのためにドイツ支社にいるんだよ?」
「うん。それはそうだけど、ドイツ支社から異動の打診が来てるんだろ?…もしかして、知らなかった?最近、企画部はその噂で持ちきりなんだけど…」
どういうこと?大斗さんがドイツ支社に異動って…。今朝話したときだって、そんなこと一言も言ってなかったのに。
阪本くんは、あちゃーという顔をして手をひらひらさせる。
「ま、まあ、ただの噂かもしれないしさ!あんま気にすんなよ」
そろそろ戻るわ~と言って、彼はそそくさと扉の向こうへ消えた。
さっきまで彼が座っていたところには、中身のないアイスココアの缶がぽつんと置かれていた。




