プロローグ⑤
今、俺たちはガドゥを従えて村に向かい森を下っているところだ。
実際のところは従えて、では無く後ろから監視されながら、なのだが。
当然、おっさんが現れるまであったサザナミとの和気あいあいとした空気はすでに無い。
「坊主、少ししつこいんじゃねぇか?」
「うっさい! 全部おっさんのせいだろうがっ!」
こんな感じだ。
未だケツを押さえて歩く俺におっさんがイラついた声を出すが、それは自業自得。
おっさんが変態でないと確信できたわけじゃないのに、大切なモノを無防備に晒すわけにはいかないし、歩くととても痛いのだ。
誤解されないようにあえて言っておくが、断じて大切なモノを奪われたからではない。
さっき爪が食い込む程握り込んでしまったからだ。
繰り返すが、俺は――
無事だったんだからねッ!!
お尻をさすりながら、後方の警戒も怠らない、ちょっとした一石二鳥。おっさんへの当てつけになるなら一石三鳥だ。
……しょーもない勇者と言いたければ言うがいい。
村に向かうまでにはそれなりの紆余曲折があった。
おケツを晒されるという痛ましい事件の後、しばらくの問答を経ても疑いを晴らすには至らず。むしろ疑いをより深めてしまう結果となった。
これは俺のコミュ力に問題があった、訳ではなく、異世界転移直後の人間に素性や経歴を聞いたおっさんの方が悪いと思う。
異世界から来ました! なんて言えば納得はさせられたかもしれないが、取れる手では無い。
おっさんの頭の中で、普通の人間でないイコール殺す、という等号が成立しているっぽいから。
結果――
「よく覚えてないんだ」
「ちょっと記憶が混乱してて……」
どこかの議事堂で一時期流行したようなフレーズのオンパレード。
まぁ、おっさんは某国国民ほど大人しくはなかったのだが。
サザナミも俺の思惑を理解したのか、きちんと追従してくれていた。
首をすくめた亀の子2匹にレベル62の怒声が響く。
「てめぇら、ふざけてんのかッ!」
「すみません。アタシ本当に良く分からなくて……」
「俺もなんでこんなところに居るのかさっぱりで」
チラリチラリとサザナミと視線を交わしながら、のらりくらりと質問をやり過ごし、白々しく頭を下げるばかり。
記憶喪失もどきが偶然二人揃ってしまったが、気にしたら負けだ。
証人喚問なんかじゃ良くある偶然。
これで秘書がいればパーフェクトなんだが。
「もういい……。村でクラスカード作って確認する……」
おっさんは良く戦った。
しかし、某国の最高機関でも十分に通用する戦法を選択した俺たちに勝てるわけも無く。
身元を調べる為にクラスカードを作る――俺の思惑通り、人の住む村へと向かう事になったのだ。
俺たちの為の尊い犠牲、いくらかブチ切れたであろうガドゥの脳内血管には、軽く哀悼の意を表しておく。
……遺憾の意のほうがいいんだっけ?
そうして、30分ほどで辿りついた長閑な田舎の農村。
まばらにある藁ぶき屋根の家々の中に、時折思い出したように茶色の煉瓦造りの建物が混じっている。
流れた汗に思わず天を仰げば、頭の真上に太陽がいらっしゃった。
家々から登る煙はおそらくは炊煙、今はお昼時なんだろうな。
神さまによって科学技術が規制されるだけあって、電気なんかは無いのだろう。
踏み固められた土の道を歩きながら、どこに連れて行かれるのかはすぐに見当がついた。
先に見える鐘つき塔のある建物だろう。――教会っぽいな。
何の変哲も無い村なのだろうが、俺たちにとっては新しい情報の宝庫だ。
サザナミは景色とともにゆっくり後ろに流れていく建物をじっと観察しては、時折納得したように下くちびるに人差指を当ててうなずいている。
俺に至っては一歩足を進めるたびに首の角度が変わるコケコッコーさん。
これで表情が喜色に染まれば、世にも珍しい田舎に現れたおのぼりさんだ。
そんな挙動不審な俺たちがもっと村を見たいと無言で駄々を捏ねても、どこか疲れの見えるおっさんが譲歩するわけもなく。
到着した教会らしき建物に向けてグイと背中を押され軽く躓いてしまう。
危ねーじゃねーかよ!
嫌々ながらに扉を開き、入った所は礼拝堂だろうか?
小さな村ながら、そこそこ数の長椅子が置いてあり、40人程は楽に座れそうな広さがあった。
壁や祭壇など所々に描かれているのは恐らくこの宗教のシンボルなんだろう、V字の上に丸が乗ったような紋様。
数人の老人たちが祈りを捧げるそれを、バレーボールのイメージデザインっぽいな、なんて思う俺は罰あたりだろうか。
バレー君(仮)と老人を眺めていると、おっさんがシスターっぽい女性に向けて軽く手を挙げているのが視界に入る。
「あら、ガドゥさんじゃないですか? お久しぶりです~。戻ってらしたんですか?」
「ああ。村の依頼を見て戻って来たんだ。突然で悪いが、こいつらのクラスカードを作ってやってくれ」
不思議そうに首を傾けた女性に耳打ちするガドゥ。
不審者の説明をしているのだろうが、魔族という言葉が漏れ聞こえた瞬間、女性の肩がビクッと揺れた。
やはり、魔族は怖いようだ。
その肩をガドゥがポンポンと叩いているが、魔族だなんてとんだ誤解だ。
俺に言わせれば、そこのバカでかい熊男のほうがよっぽど怖いわ。
「心配すんな、マーニ。多分勘違いだ。オレもいるし、問題無い」
「分かりました。では、ここでやってしまいましょう」
マーニと呼ばれた女性は、ぱっと見て美人というわけではないが、小柄で愛らしい。
何より内から神官服を力強く持ち上げるその大きな――、いやいや、シンプルな服装が似合っていて清楚で穏やかそうな雰囲気がとてもいい。
飽くまでもついでで蛇足ではあるが、一部暴力的なのがさらにイイ。
神に仕える職はやはりたゆんたゆん。
無駄にキリっと表情を引き締めてその隣に立つ変態クマ紳士の思惑が透けて無性にイラっイラしますが。
教会じゃなかったら、唾を吐き捨てているところだ。
マーニさんは準備をするためか、一旦奥に行くと、すぐに黒い小箱を抱えて小走りに戻ってきた。
――たゆんたゆん。
走る、揺れる、目が釣られる。
俺は自然の摂理にはあまり逆らわない方だ。
「では、クラスを調べましょう。といっても、クラスカードを作るだけなんですけどね」
いや、落ち着け。とにかくクラスカードが先だ。
ぶっちゃけクラスというより、疑いを晴らすのに種族を調べる為だろうけど。
女神さまの説明では、俺は人族で勇者のハズだ。鑑定でもそう出ていたし。
それでも少々緊張する。高校受験のときみたいだ。
まず間違いなく合格するのが分かっていたのに、無駄に緊張したものだ。
てきぱきと動くマーニさんの指示で一番前の列の長椅子に座らされた。
俺が右端でサザナミが左端、意外と遠い。
わざわざ離れて座らせたのはプライバシーの保護とかだろうか?
おっさんはいまだに疑っているらしく、俺の隣に座り込んでいる。
どうみても人間だろうが! 俺のケツまで晒し物にした癖に!
絶対にあの恨みは忘れない、ギリギリと睨みつけていたのだが、おっさんの表情がオカシイ。
にへらっと笑っているような……。
「っ!!」
大・失・態である。
数瞬でもヒゲ面を眺めていた自分が情けない。
マーニさんが俺の前に移動してきていたのだ。
俺、座る。
目の前にマーニさん、立つ。
不可抗力という素晴らしい言葉を知っているかい。
まさに色んな意味で抗えない。
ただ見上げれば、惚れ惚れするほどの雄大な山脈が、そこにはあった。
俺たちが座って彼女が立つとこういう位置関係になっただけ、極めて自然に。
無垢なる不可抗力。
自然の摂理がたゆゆん。
間近に見る大自然は斯くもすばらしい物か。
左手を出してくださいねという声に、陶然としたまま手を差し出すと、彼女は俺の手の甲に黒い金属の小箱を当て、――そのままスッと跪いた。
……山が落ちた。
揺れて落ちた。
俺の視線も落ちた。
ほよよん。
俺とおっさんの首が同時にカックンしたが、意外と趣味が合うのかもしれん。
ともかく、眼前に拡がっていた雄大な山脈を、今は眼下に見下ろしている。
変化に富んだ大自然、まさしく神の御業。
教会、万歳。
神に感謝を――。
マーニさんは、迷える子羊を簡単に救える立派なシスターのようだ。
「ちょっとチクッとしますけど、大丈夫ですからね」
「は、はひ。いくらでもやっちゃって下さい」
天然なんだろうけど、この見下ろすアングルは、とあるひとつの理想郷。
楚々とした神官服、上目遣いとその下の素晴らしい盛り上がりのコンチェルト。
まさに絶景かな、今なら何をされても許せる気がする。
しかし、いい気分なのにおっさんが近い。俺にグイグイと身体を押しつけ覗き込んでくる。
むっさいおっさんにくっつかれても嬉しくねえよ。
この感動に水を差すな。
つか、てめー何俺と一緒になって、たゆんたゆんをガン見してるんだよ! カード見るんだろうがっ。
「では……刻みし理を解き放て【クラスカード作成】」
チクリとした痛みの後、黒い小箱が離れて行く。
一拍置いて、左手の甲からホログラムのようなカードが浮かび上がった。
マーニさんも覗き込んでいるところをみると、このカードは両面から見えるらしい。
ヒビノ ヒカル
職業:にーと
職種:勇者 Lv2
種族:人族 17歳
所属:なし
称号:なし
「ふん、人族で間違いないか」
いや、おっさん。変わり身早すぎるし、見るべきところはそこじゃないだろ。
カード早く消えろっ! と念じれば素直に消えて行くクラスカード。
燦然と輝くにーとの文字は見えなくていいのだ。
「勇者、ですか……」
「ええ、俺は勇者です」
とまどった様子のマーニさんに、つい勝ち誇ったような表情を向けてしまう。
人はそれをドヤ顔と呼ぶ。
そう、あなたが勇者のクラスカードを作成するという名誉ある作業をしたのですよ?
今、俺の胸は顔より前に出ている。
フンゾリカエルというやつだ。
しかし、彼女の言葉はあまりにも――
「魔力が固着するまで、魔法は使っちゃダメですよ?」
――普通だった。
「ちょっ! 待って、勇者!! 勇者ですよ!?」
予定では「勇者さまっ!?」とかちょっとした騒ぎになって、村長なりのところに連れて行かれて歓迎されるハズなのだ。
それがテンプレなのに、彼女の反応はあまりにも軽すぎる。
「大丈夫ですよ。レアクラスでもクラスアップの際にまっとうなクラスが追加されることがありますから」
「まっとう?! 今、まっとうって言った!?」
にっこりほほ笑むマーニさん。
なんか慰められたのは気のせいなのか?
あとでまとめて説明しますね、とだけ言って早くもサザナミの手を取っている。
おかしいだろ、一体どうなってる……反応が普通すぎる。彼女はおバカなんだろうか? ガドゥはと見れば、すでにサザナミの横で手元を覗き込んでいる……振りをしながら目線はマーニさんの谷間。
うん、至って普通の行動だ。
なら、ふたり揃ってバカなんだろうか?
悩む俺が結論に至る前にサザナミのカードも作り終えたらしい。
「お二人ともレアクラスですね。これから大変でしょうけど頑張ってくださいね」
「……レアクラスって、すごいんですよね?」
さっきからマーニさんの発言が引っ掛かりすぎる。
レアと言えばキラキラだ、キラキラと言えば素晴らしい。
しかも、この二人に反応は無いが、俺たちは勇者と聖女なのだ。
スペシャルキラキラで間違い無い筈なのに。
「はぁ? 何バカなこと言ってやがる。レアクラスつったら、珍しいだけで基本的に使えねえよ」
「え゛?」
「調べては見ますが……、勇者と聖女というのは、聞いたこともないですね」
この世界には勇者も聖女も、いない――?
◆■◆
俺の目論見はあっさり崩れた、らしい。
ゲームにしろ異世界にしろ、勇者なら勇者であることを公表すれば、誰かしらの援助を取り付けることができると考えていたのだ。
この世界に慣れるまでは、それなりの余裕があるだろうと甘い事を考えていたわけで。
「ねぇ、勇者だったらなんとかなるんじゃなかったの?」
「……すまん、俺もアテが外れたっていうか」
礼拝堂の長椅子で軽く現実逃避してみても、サザナミの言葉も現状もやはり痛い。
夢でも何でもなく、俺たちには何も無い、のだ。
行くアテも、住処も、仕事も、金も……。
地球でいきなり外国に放り出されるより性質が悪い。
母国が助けてくれる可能性すらないわけだ。
勇者と聖女というクラスに価値が無い以上、今の俺たちを保護しようとする国なんてあるわけないし、保護する理由すら存在しない。
「まあ、なんとかなるんじゃないかしら?」
「ああ――」
軽く責めるように小さく口を尖らせてから、にっこりと笑って見せるサザナミ。
事態の深刻さに落ち込みかけた俺の気持ちが、サザナミの表情とシンクロするように一瞬でやる気を出す。……可愛いは正義ってホントだな。
サザナミは案外気楽だが、それは甘い。金が無いということがどういうことか、現状を正しく認識できてはいない。
何をニートが偉そうになどと思うかもしれないが、俺には脱ニートを目指した経験があるのだ。
ニート故に分かることもある。
そう、世の中は誰にでもに優しくはない――。
「俺たちには家も身寄りもない。そして、今日の飯を食うだけの金もないんだぞ?」
「ご飯も食べれない……?」
サザナミは俺の言葉をゆっくり咀嚼し眉を顰め、唇に人差指を当てた。
困った表情も絵になるのだが、今はそんなことを言っている場合じゃない。
俺もサザナミも完っ全に無一文なのだ。
そう、人間は食べなきゃ死ぬ。
サザナミは優秀な学生で、しっかりした両親もいる。
優秀ゆえに食べるのに困るなんて基本的な事が思考の埒外にあるんだろう。
勇者でも余所のタンスを漁ったらダメって女神さまも言っていた以上、無銭飲食にトライを決めるのは最終手段だ。
とにかく手っ取り早く金を稼ぐ必要があるわけだが――、心当たりが無いわけでもない。
俺はデレデレとマーニさんと話しこんでいるおっさんの耳を思いっきり引っ張ってやった。
もちろん、しょーもない勇者として小さなウサ晴らしと先ほどの仕返しの念を込める事は忘れていない。
「痛ってぇな。で、お前ら、これからどうするんだ?」
「ハンターについて教えてくれ」
おっさんの職業は「ハンター」であり、依頼を受けたと言っていた。
ファンタジーの定番、冒険者のようなものというアタリはつけている。
勇者に社会的地位はなかったが、女神さまが保証してくれた世界最強を狙えるというスペックがある。
のんびりハンターとやらをやりながら暮らしていけるはずなのだ。
「ま、お前ら下民じゃ、それしか無いわな。どのみち無理やりでも連れてくつもりだったしよ」
「は? 下民? 無理やりって……疑い晴れたんじゃねーのかよっ」
「はぁ……。お前ら、よくそんなんで今まで生きてこれたな。いいか、下民ってのはな――」
森のクマさんの話は割と長かった。
この世界では遅くても16歳までにクラスカードを作る決まりらしい。
単純に16歳が成人年齢だからだ。
そして、大人になったからには当然のように発生するモノがある。そう、税金だ。
俺たちの場合は例外的に身元の確認のためにカードを作ったが、本来ならば初回の納税と同時にクラスカードを作成し、その証明としてクラスカードに「所属」が記載される事になる。
おっさんなら「所属:セントランド、ハンターギルド」って具合に表示され、所属があることが毎年の納税の証となるわけだ。
17才でクラスカードが無い、すなわち所属の無い俺たちは「下民」と呼ばれる税金滞納者にあたる、らしい。
俺たちは16歳の時の税金を支払っていないことになっているわけだ。
しかし、驚いたことにこの世界では税を納めるも納めないも個人の自由に任されており、納税は義務では無かった。
俺たちの様な非納税者である「下民」でも牢獄直行ではないと聞いて、ひとまずほっと一息。
「じゃあ、税金なんて納める必要ないんじゃね?」
「馬鹿か、お前は。税を納めなきゃ、国は守ってくれねえってことだぞ?」
だって払わなくても罪じゃないなら払う訳ないよね?
無税の響きが妙に嬉しかったのは日本人の悲しい性か。
しかし、ガドゥの冷たい視線に晒されて、ようやく何らかの不利益があることに思い当たる。
税とその不利益を天秤にかけて、よく考えるべきなのだ。
まぁ、一文無しとしては選択の余地が無いのだが。
「具体的にはどういう事なんでしょうか?」
「そうだな……例えば坊主が持ってる剣、あれ誰のだ?」
「ヒカルの物ですけど……」
先ほどからサザナミはしっかりと要所を押さえた質問をする。
さすが現役の学生だけあってまとめ上手、税金の話がしっかり俺の頭に入っているのも彼女のお陰と言える。
それに対してくだらない質問で返すとは、おっさんは頭の中身も野生の熊に違いない。 これは女神さまにもらった大切などうのつるぎ、間違い無く俺の物だ。
ガドゥは頷くと俺に手を差し出し、剣を渡せと目で促してきた。
「じゃあ、この剣は誰のだ?」
「アホかっ! 俺のに決まってるだろうが!」
バカな熊男は渡した剣を手に取ると、バカな事を言い始めやがった。
「いや、これはもうオレのもんだ」
「フザケんなっ!!」
どこぞのガキ大将の様な台詞。
初期装備といえども無一文の俺たちにとっては貴重な財産なんだ。真面目な話をしている最中に悪ふざけがすぎる。
少々頭に血が上り、取り返そうと声を上げ一歩踏み出し――。
「ダメっ!!」
鋭い声とともに後ろから両肩を掴まれた。
グイッと引かれて振り向けば、思いもよらず真剣な表情のサザナミがいて。
「嬢ちゃんは分かったみたいだが、坊主はバカだな。なんでこの剣がお前の物か考えた事があるか?」
「他人の物盗っといて偉そうに! それは俺の剣だっ!」
「人の物を盗っちゃダメとか人を殴るなの次に母ちゃんに習うことなんだがな。なんで自分の物は自分の物で、なんで自分は生きていて殺されてないか――」
「……そんなこと当たり前のことだ!」
「ったく、17にもなってそんなこともわかんねーのか。じゃあ泥棒したらなんで捕まるかぐらいは知ってるのか?」
「いい加減に――」
「法を破ったから捕まるんだ。誰が法を決めた? 法を破った者を捕らえるのは誰なんだ? それを裁くのは誰だ? 答えてみろ」
「それは――」
矢継ぎ早の質問に思いつく答えは「誰」では無く「何」だ。
そしてその簡単な答えと今のやりとりの影に見える最悪の状況の気配に喉が動かない。 逃げても何も変わらないというのに続きを聞きたくない。
こんなだから俺はニートになったが、サザナミは違うとやや高めの声が否定する。
「国が法を作り、守らせます。そして多分、アタシ達は法で守られない……」
「そうだ。さすがに下民を無意味に傷つけたり、殺したりするのは犯罪だがな」
法に守られない――、予想通りの状況。それが如何に恐ろしい事か。
ガドゥの手に握られた元、俺の剣。
今の俺にはあの剣が自分の物だと主張できる根拠がないのだ。
財産に関する法律があり、問題を処理する裁判所、それを守らせる強制力があるからこそ、自分の財産を守れるのだ。
俺の物は俺のモノ、なんて当たり前のことを言えるのも全ては国家という強力な後ろ盾があってこそ。
俺が所有権を叫んだところで、その権利を守るべき国家にそっぽを向かれたら誰もそんな主張は聞きはしないのだ。
「ついでに言うと、揉め事は厳禁だ」
「まともな裁判も受けられない?」
「そういうことだ。国民の財産は国が守ってくれるが、国は下民なんぞ守る必要なんてないからな。下民が国民と揉めたら、身ぐるみ剥がされるか奴隷になるか、だ。金持ってるヤツが下民なんてやってねぇから、奴隷に落ちると思っときゃいい」
「いきなり、奴隷……ですか?」
さも当然のように頷くガドゥに、サザナミがさらに問う。
「もし、誰かに襲われて反撃したら?」
「理由なんて関係ねぇよ。下民は国民に手ぇ出したら終わりだ」
正当防衛すら認められないなんて、不条理すぎる。
異世界がヤバい、というより地球がぬるいのか。
産まれた時からきちんとした人権があり、場合によっては産まれる前から財産権をも与えられる日本とここは違う。
今まで空気のように意識すらしていなかったが、異世界に来てようやくどれだけ国家に守られていたかを思い知らされる。
自分が現代人で、しかも勇者ということで、どこかでこの世界を見下し浮ついていた。 「勇者」という存在が有難がられる存在ならば何とかなったのかもしれないが、実際はただの幻で出来た階段に過ぎなかった。
夢の中で階段を踏み外して目覚めた時のような嫌な感覚に襲われ、どこか粘ついた汗が腋に滲む。
「で、どうするんだ?」
「……え?」
思考も視点も定まらない。何をどうするって言うんだ?
「ハンター、やるのか?」
「だ、だけど、俺たちには金が……」
飯を食うには金が要る。金を得るには職がいる。
手に職などない俺にはおそらくハンターという選択肢しかないだろう。
だが、人権も無い下民のままじゃ到底やっていけるとは思えなかった。
「ハンターやるなら、初年度の税金ぐらい出してやるぜ?」
「な!?」
ガドゥは髭もじゃの顔を微妙に歪めつつ、片目を閉じて見せた。
おっさんのウインクなんて、正直気持ち悪いだけのモノなのに、俺にはそれがとても輝いて見えた。
出会ったばかりの他人からの優しさに思わず胸が詰まる。
俺みたいなニートには与えられる事のなかったモノ、胸の周りでほわほわと燻ぶるくすぐったい暖かさに、目じりに溜まる熱さが零れそうで――。
慣れない気恥ずかしさにぷいとそっぽを向きつつも、スルリと素直な感謝が流れ出た。
「……ありがとう。俺、勘違いしてたよ。あんた、すっげぇいい変態だったんだな」
――ゴチン、と。
気持ちを込めて言い切った俺の脳天に無言の拳骨が落ちた。俺の心からの言葉だったのに何故だ!?
頭を押さえてジト目でガドゥを睨むが、色々手遅れだ。
堪えていた涙が先ほどのショックで零れ落ち、拳骨されて泣いている残念な17歳の図が完成してしまっている。
サザナミが深々と頭を下げると、用は済んだとばかりにガドゥはそそくさとマーニさんに声を掛けていた。
「ガドゥさんはいっつもお優しいですね~」
「……村に不審者を置いて行くわけにはいかんからな」
マーニさんに褒められて、おっさんは頭を掻いて赤くなっている。
俺たちに手を差し伸べたのも、彼女にいいところを見せたかったからなんだろうな。
――それでも、救われた。
未だに修道女を口説いている髭面の大男。
ガドゥのお陰で俺たちは一歩を踏み出せる。
身ぶり手ぶりを交えて笑いながら話す大男を感謝の気持ちで見つめる。
ニートの俺が異世界で初めてもらった暖かさ。――ふるん。
それが例えおっさんのただの気まぐれ――ぷるん、のもたらした結果だとしても。
俺は決してこの――ぷるるん、感動を忘れはしない!
マーニさんの笑いとともに揺れる双丘を見つめながら。
俺を救ったぷるるんへの感謝の想いを心に刻み込む。……ん?
と、とにかくマーニさんはやっぱり立派な神の使いだったのだ!
ヒビノ ヒカル
職業:にーと
職種:勇者 Lv2
種族:人族 17歳
所属:なし
称号:なし
ミドウ サザナミ
職業:学生
職種:聖女 Lv1
種族:人族 17歳
所属:なし
称号:なし