プロローグ③
「アタシは、えっと、サザナミ・ミドウって言います」
「あ~、ごめん。俺はヒカル・ヒビノだ。ヒカルって呼んでくれたらいい」
テンパってしまって、自己紹介すらしていなかった。
立ちかけたフラグを自分でへし折るとか冗談じゃない。
若干、目を逸らし気味の挨拶は、元引きこもりだからじゃない。
涙ぐましい努力の賜物だ。
「悪いけど、この辺わかんなくてさ。よかったら、町まで案内してもらえないかな?」
「あの……、実はアタシも道がわからなくて」
どうやらこの子も迷子らしい。
少々がっかりだが、可愛いは正義。
すなわち、落胆した俺が悪い。もちろん顔には出していない。
「このあたりの街の子なのかな?」
「いえ、そういうわけじゃないんですが……」
「じゃあ、どうやってここまで来たの?」
「えっと、それは……」
どうにも彼女の返事がはっきりしない。
迷子になった事情を訊けば、人のいるところまで辿り着き易そうなのだが、詳しい事を話したくないようだ。
いや、単に警戒されているだけかもしれないな。
良く考えれば、「道も分からない男」がこんな危険な森の中をうろうろしているなんて不自然すぎる。
とはいえ、「異世界から来たんで」なんて言える訳も無く。
一緒に戦ったから、信用してもらえるなんて思うのが甘いのだろうか?
確かにドライな目で見れば、生き残るためには二人で協力せざるを得なかったわけだけど。
命がけで戦って信用してもらえないのはつらいが、彼女にも何かの事情があるんだろう。
大体、危険な森で可愛い女の子が知らない男と二人だけ。油断する方がダメだろう。
俺が身体の一部分をジットリ見つめていたことがばれたわけではない、……よな?
「とりあえず森を下って行くしかないかな」
「そう、ですね」
ギクシャクした会話で決まったのは、森を抜ける為に低い方へと歩くこと。
安直過ぎるが、とりあえず血の匂いのする場所から早く離れる事を優先した結果だ。
体力は回復しているとはいえ、わざわざ血の匂いに釣られるような魔獣とエンカウントしたくはない。
ふたりで黙々と歩いていく。
神経を張り詰めて周囲を窺いながらの移動は思った以上にキツかった。
魔獣の恐怖が歩みを鈍らせ、風が木の葉を揺らす音に、何度も足を止められる。
下草があまり生えていないのだけが救いだった。
時折振り返り彼女の様子を確認するが、やはり、きついようだ。息が上がっている。
声を掛けたいが、この状況ではあまり会話に気を割くわけにもいかない。
◆■◆
しばらく下ると小さな水音が耳に入り始めた。
川だ、運がいい。
下っていけば、人が住んでいる場所に辿りつける可能性も高いし、森も抜けれるだろう。
小さな丸い小石が連なる川縁に出て、流れる渓流を見ただけで、身体が弛緩していくのが分かる。
奇麗だな、なんて思う余裕がある自分に少し驚いたぐらいだ。
水と人間の生活は切っても切り離せない物、水を見ることで安心できたのか。
いや、ただ当ても無く闇雲に低い方へと不安とともに進んできた自分たちに、川を下るという明瞭な目標が与えられた事に対する安堵なのかもしれない。
俺は戦闘後にも関わらず、肉体的にはそれ程疲れを感じていなかったが、サザナミの顔には汗と疲労が滲んでいる。
勇者というクラスが体力面で優遇されているのだろう、日本に居た時の俺がこれだけ山道を歩いて平気なわけがない。
自分の考察もしておきたいが、まずはサザナミを休ませたい。
幸い、川縁の視界は開けているし、ここなら休めそうだ。
「すこし、休んで行こうか?」
「すみません。お願いします」
若い男が若い女性に駆ける言葉としては、どうなんだ?
但し、地球において特定の場所に向かう場合に限るが……。
なんて、くだらない事を考えてしまうのは、話のネタを必死で絞り出そうとしているから。
なんとか彼女とたくさん話がしたいのだが。
残念なことに、知らない森で迷子な状況で、気のきいた会話が俺にできるわけもなく。
「サザナミ、さん。ごめんな。無事に街についたら、なんとかお礼をさせてもらうから」
「いえ、助けてもらったのはアタシの方ですし」
「まあ、お礼って言っても今は無一文なんだけどね!」
「アタシもです……」
ツンデレ風にちょっとおどけてみたが、二人の間の空気が冷たくなっただけ。
こころがいたい。
空気読めよ、バカ……。
「あと……、サザナミでいいですよ?」
「へ?」
「サザナミさんって言いにくいでしょ?」
しばし、理解に苦しんでみる。
呼び捨てで呼んでいい、それは親密度のバロメーター。
今まで名字なんかで呼び合っていた男女の仲が発展する時に起きるイチャラブイベントに良くあるだろう?
モジモジしながらもお互いの名前を呼び合う二人……。
お互いの呼び方というのはそれ程大切であり、俺の脳内コンバーターが正しければ、『サザナミって呼んで……』と変換することも可能なのだ。
す、少し違うけど、間違いなく二人の距離は縮まっている!
「お、俺もヒカルって呼んでくれっ! それに、町にさえ着けばきっと何とかなる! お、俺は『勇者』なんだ!!」
しばらく目立たないように「勇者」であることは隠すつもりだったのに、あっさりカミングアウト。
かわいい子に呼び捨てしていいなんて言われただけで、華麗に舞いあがったわけだ。
要するサザナミの気を引けそうな事がそれ以外なかっただけなのだが。
とらぬ狸のなんとやらだけど、この世界での「勇者」の待遇が良い可能性は高いのだ。
「えっ!? 勇者……、なんですか!?」
イイ反応キタよ!
目線は軽く斜め下。
気分は「フッ……」って感じで、抑えた声で渋く決める。
「ああ……」
これは決まったんじゃないか? なんて思う間もなかった。
俺の単細胞生物並みの舞い上がりが、予想外な着地を決めたのだ。
「ひょっとして、ニホンって分かります??」
「――っ!! お、オダノブナガっ!?」
「……アケチミツヒデ?」
予想外の言葉に、しばらく目を見合わせたまま時が止まる。
ふたりは間違いなく目と目で通じ合っていたのだ、と思いたい。
真っ赤になって目を逸らしたのは当然俺だったが。
御堂小波、彼女の名前。
もう一人の地球からの転生者。
小波ではなくなかなかののビッグウェイヴなのだが、今はいい。
彼女は下校中に車に轢かれて、例の白い部屋っぽいところで女神さまに会ったらしい。
「――それで、さっき勇者が行ったので、聖女を作って待ってましたって言われて……」
「えっと……、勇者が行ったのでぇ~、聖女を作って~、待ってましたぁ~って感じだった?」
女神さまのマネをしてみると、くすくすと彼女が笑う。
どうやら同じ女神さまで間違いないようだ。
それより、初めてサザナミの笑顔を見れた。笑うとさらにカワイイ。
まさに女神の配剤だろう、この子が聖女なんて洒落たことをする。
彼女はクラス自由ではなく「聖女」限定だったらしい。
「はい、そんな感じでした。女神さま、可愛らしい方でしたよね」
やはり緊張していたのだろう。知らない相手でも同郷となるとやはり違う。
こちらの世界に来て初めて会った人間が元地球人ということで大いに二人は盛り上がった。
「――まあ、俺はIT系っていうのかな?」
「へえ、そうなんですか。アタシはまだ高校生で――」
俺はニートではあるが、収入はあった。
いわゆるネオニートである。
サイト運営でそこそこ稼いでいたし、IT系の仕事で間違いは無いだろう。
うん、ゲーム内でもITKの人で通っているしな。
サザナミは俺の県下じゃ有名な進学校に通っていた現役JKだった。
俺のように年齢の巻き戻しが無かったせいか、若干チート度が高いとか。
ちょっとだけうらやましい。
「よかったら、せっかく同郷なんだし、生活が落ち着くまで一緒に行動しない?」
「でも……、アタシ戦ったりできないみたいなんで、足手まといにしかならないと思うんですけど」
「そんなことないって。全然分からない世界で一人でやっていくより、二人の方が絶対いいって」
「じゃあ、お願いします。正直言うと、知らない世界にひとりぼっちってすごく不安で……」
人生初のナンパが成功した! 正確にはナンパではないが、バラ色のレールが目の前に見えたのだからそれでいい。
「きっと大丈夫。俺は、ほら、勇者だから、きっと何か支援とか受けれると思うし」
必死になって勇者と行動するメリットをアピールしまくる。
他に良い所はないのか? なんて聞かないで欲しい。
あれば言っている。無いから言えない自明の理。
と、そんな感じで舞い上がってしまった俺は、危険な森の中だという事すらもさっぱりと忘れてしまっていたため、不意に聞こえた声に驚くハメになる。
「おい、お前ら! こんなとこで何してる?」
警戒の為に視界のいい場所で休憩していた意味なんて全くない。
まだそこそこの距離はあるなんてただの言い訳にしかならないだろう。
2メートルはあるだろうガタイの良い男が大きな両手持ちの大剣をこちらに向けていた。
自分の学習能力の無さを少し悲しく思いながらも、相手も人間だろうと素直に答える。
「俺達、森の中で迷ってしまって」
「……なら、こんなとこで楽しそうにくっちゃべってる場合じゃねぇだろうが」
もみあげとあご髭が奇麗に繋がってクマのようにいかつい顔つきだが、言っていることはこのおっさんの方が正しい。
浮かれ過ぎてスマナイ。
おっちゃんは俺たちの説明に納得したのか大きな剣を背中に背負った鞘に納めた。
敵意はないらしい。
「おっちゃん、何者?」
「おっちゃんじゃねぇっ! 俺はまだ26だっ! 殺すぞっ!」
俺はついさっきまで27歳だった。
まだ若いと思っていたし、おっちゃんなんて呼ばれたら、間違いなくこめかみにバッテンが浮かんだだろうな。
だが、今はピチピチの17歳。思う所なんてない。
人間なんてそんなもんだろ。
軽くふ~ん、と返しておいた。
なんだかとても晴れやかな気分なのは何故だろう。
「ぐっ。まあいい。クラスカードオープン」
おっちゃんの左手が鈍く光ると、カードらしきものが飛び出した。
あれだ、ホログラム?
ほれ、見ろと差し出されたカードを覗き込む。
ガドゥ ゾルデ
職業:ハンター
職種:上級戦士 Lv62
種族:人族 26歳
称号:■■■■
所属:セントランド、ハンターギルド
……このおっちゃん、上級戦士でレベル62とかめっちゃ強くね?
「お前らも見せろ」
言われたままに、ふたり揃ってクラスカードオープンと唱えた。
……が、クラスカードは標準装備されてないらしく、何も飛び出しては来ない。
手品にもタネが必要だしな。
「……クラスカードも持ってねえガキが、こんな山ん中で何してやがる。死ぬぞ?」
「あの、なんとか町まで連れて行ってもらえないでしょうか?」
「ま、しゃあねぇな。もうちっとで依頼も終わるからしばらく付き合え」
ガドゥさんは故郷の村に戻るついでに、村から出ていた野犬退治の依頼を受けたそうだ。
見た目と口は悪そうだが実はイイ人っぽい。
俺なら例えついででも故郷の依頼なんて絶対受けない自信があるしな。
「ホントはこんな低レベルの依頼なんぞ受けないんだがな」
頬を掻きながら照れたように言ういかつい髭面の熊男。
まったく似合っていないその仕種が、一瞬なんとかベアみたいに可愛らしいクマさんに見えてしまうから訳がわからん。
ちょっとキュンとしてしまった自分が怖い。これがギャップ萌えってヤツか。
コワカワイイとか意味分からんと思っていたけど、異世界でようやく理解できたわ。断じてソッチの趣味は無いが。
「動くなよ、丁度いい所に出てきやがったぜ」
ガドゥさんが軽く顎をしゃくった先、森の端には3匹のワイルドドッグ。
犬どもは身を低くしてこちらを窺いながらソロリと森から抜け出ると、こちらの様子を窺っている。
やはり、本能的に強者が分かるのか、3匹の視線はおっちゃんを捉えて離さない。
レベル62なら、余裕だろうな。
自分が明らかに標的じゃないからか、さっきより考える余裕はある。
手を出す必要は無いかもしれないが、万が一ってこともある。
それに、できることがあるのにやらないっていうのは、気が咎めるんだよな。
剣を抜きながらサザナミを目線で下がらせ、わき腹を軽くさすってみる。
MP切れと思われる痛みはもう無い。
感覚的にはまた火球を撃てそうだ。
流石に殴りあうのは御免だが、魔法で援護ぐらいはやるべきか。
おっちゃんが一歩、二歩と右側に足を滑らせると、敵の視線は左に左にと流れる。
――隙だらけだ、今なら当てれる!
「【火球】!」
火の玉が飛び出す直前に、ガドゥさんも凄まじい速さで敵との距離を詰めていた。
硬直した一匹の首元に魔法が着弾し、炎が巻き上がる。
ほぼ同時に、おっちゃんの剣の一振りで二匹の首が宙を舞う。
斜めに切り上げられた大剣がキュンと軌道を変え、炎に巻かれたワイルドドッグに叩きつけられた。
まさに一瞬の出来事。
援護したつもりが、むしろ邪魔だったかもしれない。
――おっちゃんすげぇ。流石レベル62。
これがレベル制の世界。圧倒的な力の差だ。
ガドゥさんは振り返りゆっくりとこちらに歩みを向ける。
焼けたようなガドゥの焦げ茶の髪が風に揺れ、同じ色の瞳が俺を射抜いている。
その視線に縛られ、ごくりと唾を呑んだ俺の前で、ゆっくりとバカでかい剣が持ち上がっていく――。
「へ?」
これって、剣を突き付けられて……る?