天文部奇談
先生、私は世間で言う「罪」を犯しました。それが悪いことだと、頭の隅ではきちんと分かっています。けれど、この出来事があった当時も、そして卒業式を迎えた今日も、私がかつて犯したことへの心の痛みは何も感じないのです。そんなことを言うと、相談員としていらしている先生に心配されてしまいそうですね。
けれどもし、十年、二十年と時を刻んでいくうちに、私に良心というものが芽生えたとしたら、私の行いを咎めてくれる誰かが必要だと思ったのです。だからこの手紙を書きました。
これは「罪」の告白です。
訳の分からない理由でこんな手紙を押しつけられた、と迷惑に思っていらっしゃるかもしれませんね。それならそれで構いません。読まずに焼き捨てるなり好きにしてください。
それでは、先生。今までありがとうございました。どうかお元気で。
火取夏子
*
私の祖母はもう五年ほど前にこの世を去ってしまったのですが、事あるごとに口を酸っぱくして『星は死んだ人の魂だ』と言い聞かせていました。先生はこの言葉、ご存知でしたか? 普通なら一笑に付す程度のくだらない言葉ですよね。けれど、彼女はそれを心から信じている様子でしたので、私は最後まで星は宇宙にある屑だという真実を伝えることができませんでした。そもそも祖母は格言だとか言い伝えだとかをこよなく愛している人で、これ以外にも様々な話をしていた気がするのですが――時の流れとは無情なものです。すっかり忘れてしまいました。
さて、私は今現在天文部に所属しています。祖母の影響があって、とでも言えればよかったのですが、あいにくそうではありません。単に一緒に是非と私の友人から誘われただけです。小さな部活ですがそれでも楽しく、のんびりと、適度に部活動にいそしんでいるのですが――少し、問題が。
「ちょっと、火取さん。早く望遠鏡の用意をして頂戴」
「火取さん、私の双眼鏡を探してよ」
「お茶の用意をしてよ、火取さん」
私はそのいずれの命令にもはい、とだけ返事をしました。
どのような部活にも、どうしても傷と言いますか汚れがあるものです。それは場所によって認知度の低さだったり、厳しさだったり、部員の仲の悪さだったりと様々ですが、天文部の場合は明らかに先輩方の人柄でした。この先輩方、どういうわけか私のことをひどく目の敵にしていまして、事あるごとに文句を言ってくるのです。
「夏ちゃん、気にしないほうがいいわ」
そう言って声をかけてきたのは、私と最も仲の良い歌野美和子さんです。彼女の誘いを受けて私がこの部活に入ったものですから、むしろ私よりも彼女の方が先輩方の態度を気に病んでいるようです。私は首を振って大丈夫という合図を送りました。
美和子さんが悪いのでは、ないのですから。
*
それから幾日かした後、私は美和子さんから面白い話を聞きました。曰く、
「合宿?」
「そうなの。季節外れだけど那須高原で二泊三日ですって。崖の近くの宿に泊まるそうよ。希望制だから強要はしないけれど、どう? 夏ちゃんの予定は空いているかしら」
私は頭の中で予定を確認してから、彼女に笑顔を向けました。もとより美和子さん以外に休日を共にするような友人はいないので、たいした予定も入っていなかったのですが。
「えぇ、是非」
天文部は煙草をふかす場所だとしか考えていない愚かな先輩方は、きっと合宿なんて面倒な行事には顔を出さないでしょう。でしたら私が行っても何の気兼ねもないと思ったのです。あぁ、美和子さんとの合宿! 楽しみです。
予想は外れてしまったのですけれど。
*
「火取さん、お茶いれて頂戴」
「ちょっと、いつになったら星が見えるのよ」
「ご飯はまだなの? 早くして」
合宿当日、私の頭の中には何故という言葉しか浮かびません。何故この人たちが……。楽しみは何処へ行ってしまったのでしょうか。私は溜め息をつきたいのをどうにかこらえて、はいと言いました。下手な反論をしたら話がこじれてしまうので、できません。そう悔しさを噛み締めていましたが……。
「先輩方、火取さんにだけ何かをさせるのは可哀想だと思うのですが」
私ははっとして声のした方角を見ました。何を馬鹿なことを、と思いすぐに弁明をしようとしましたが、すでに時は遅かったのです。
「あら、歌野さん。別に火取さんがしなくちゃいけない訳じゃないのよ。じゃ、貴女が代わりにやって頂戴」
やってしまった、と思いました。次の瞬間から、先輩方の目はすべて美和子さんに向けられてしまったのです。
「ねぇ、歌野さん。ご飯をつくってよ」
「私お土産を買いたいわ。何かいい所ないの?」
「歌野さん、明日の朝はゆっくり起きたいの。支度が出来たら起こしに来てよ」
「歌野さん」
「歌野さん」
「歌野さん」
あぁ、なんてこと、と思いました。これは早急に手を打たなくてはなりません。ですが、私には美和子さんのような勇気なんてないのです。
大体、私はともかく美和子さんのお父様は先輩方の政敵に当たる人なのです。彼女たちにしてみれば些細な後輩いびりかもしれません。ですが、これが美和子さんのお父様の耳に入ったならば……。大変な問題につながると、どうして分からないのでしょうか。
本当に困ったものです。先生なら、こんな場合はどう対処したのでしょうか。
*
「夏ちゃん、先輩方を見なかった?」
翌日、遅い朝食をとっていると、美和子さんがおもむろに尋ねてきました。
「いえ? どうかしたの」
天文部は夜に活動の重点を置く部活です。昨日も夜遅くまで空を見ていましたし(先輩方は例のごとく煙を吐き出しているだけでしたが)、そうそう早くに起きることもできません。
「昨日呼びに来いって言われたからその通りにしたのだけど、部屋には誰もいないのよ」
「あら、おかしいわね」
私たちはお互いに首を傾げあいました。一体どうしたというのでしょう。そう思っていると、美和子さんがはっとした表情になりました。
「でも、昨日お土産を買いたいって言っていたわ」
そういえば。
「そうだったわね」
「もしかしたら何処かに買い物に行っているのかもしれないわ」
それは確かにあり得ることかもしれません。なにしろ先輩方はとんでもなく自分勝手に動き回るのですから。
「だとしたら夜になったら帰ってくるかしらね」
*
しかし美和子さんの読みは外れ、夜になっても先輩方は帰ってきません。
「どうしましょう」
とりあえず宿の主人に相談をしました。しかし彼はゆったりとした様子で、
「崖のすぐ真下に、若い男女のたまり場がありますから。もしかしたらそこで遊んでいるのかもしれません」
と言うだけなのです。面倒事に巻き込まれたくはないという意思がはっきりと顔に現れていました。確かに、私たちのような人間が問題に巻き込まれたとしたら、この宿の存続も危ういものになってしまうでしょう。
しかし、このままではわが部活の名誉が危うくなってしまうのです。何としてでも先輩方を連れ戻さなくてはなりません。そう美和子さんが息巻くと、ただ首を振って、
「最近なんて追いはぎまがいのこともしていますので……行かないほうが身のためだと思いますよ」
仕方がなしに私たちは先輩を抜いて部活動を始めることにしました。成程、外で望遠鏡の準備などをしていると、確かに崖下から騒がしい声が聞こえてきます。あの中に先輩方もいるのでしょうか。
本当に困ったものです。
*
本当に、困ったものです。私は人前だというのに声をあげて笑いだしたい気分でした。なんて上手く事の次第が運ばれていったのでしょうか。もはや運という言葉で片付けて良い代物ではありません。
私は昨日の晩、色々と考えました。私と美和子さんの二人を守る方法は一体何なのか、と。そして、そして考え付いたのです!
悩みの種を摘んでしまえばよいのだということを。
そう考えたら後は簡単でした。先輩方はもう二度と自らの足でこの宿に、それどころか自分の屋敷にさえも帰ることは出来ません。それは自信を持って言えることです。
よく耳を澄ませば、崖下の声は悲鳴だということが分かりました。今頃先輩方は不良少年たちに発見されているところでしょうか。かなり強く突き落としましたので、悲惨な状態になっているかもしれません。鳥が啄んでいないとも言い切れませんし、四肢が正規の状態のままである確率は低そうです。崖の下の住人には悪いことをしました。ただ、彼女たちが名実共に屑になったのは本当に嬉しく思っています。
*
「本当に、崖の下が騒々しいわ。昨日はこんなだったかしら?」
美和子さんの問いかけに、私は笑顔で首をかしげます。
「そんなことより、早く星を見ましょう」
そして、かねての目的通り、私たちは何の気兼ねもなく星を見上げます。
「昨日より星が多いわね。空気が澄んでいるのかしら?」
「さぁ、どうでしょう」
ねぇ、先生。星は死んだ人の魂だと、言いますものね。