闘技大会1
レンガを綺麗に張り巡らせ舗装された道に、様々な商店が立ち並ぶ大通り。見渡す限りに人が溢れ、商人が操る馬車が通り抜ける、活気溢れるこの街が王国の王都である。
その王都に全身を膝下まで覆うマントを纏い、フードを顔が隠れるほど深く被った男がゆっくりと歩いていた。時折、商店の中を窓から眺めるが、目を引く物が無いのかすぐに視線を逸らすと、また歩き出す。
「変わったな。あの小さき街がここまで大きくなるとは」
遥か昔に訪れた際に目にした光景を思い出し、人間の進化と自身が闇の中を長年過ごしていた事実を改めて認識する。当時のこの街は寂れてはいないものの、ここまで活気溢れる街ではなかった。『いつの間にか王都になっていたのだな』と、感慨深い感情に浸る。
街の中心部には権力を主張するかのように、広く高くそして、大きく構えられた城が存在する。久しぶりに大きな街に来たことで、物珍しさからあちこちに視線を配らせていたが、少し気になることがあった。
「武器防具の質が低下している」
呟くようにそう口にする。
何度か足を止め、商店の窓を覗き込み眺めた武器防具の品は一目で分かるほど質が悪い。実際に商品を手に取ってはいないが、触らなくても分かる、酷い物だと。
鉄を溶かす加熱が弱く、刃を打つ叩きも甘い剣を見た時は、『よくこの腕で店を構えようなどと思ったな』と蔑んだほどだ。
だが、どの商店も最初に見た店とあまり変わらない質の商品が並んでいることには驚かされた。鍛冶師の伝統技術が廃れたのか、または良質な鉱石が手に入らないのか、原因は不明だが人間が中級魔物に苦戦する要因の一つを知ることが出来た。
「私にとっては朗報だが……。なるほど、ハイ・オーガに強者が必要になるわけだ」
強者には実力に見合った武器や防具が必要になる。勇者や英雄に、その者を代表する武器防具が存在するように。
人間は器用ゆえに、良質な武器を操るということに長けている。種類豊富な武器を巧みに使いこなし戦闘をする。そして、自身の身を守るために創造力溢れる知恵から様々な防具を造り出す。そのため身体的特徴に戦闘の際、武器防具に成り代わる部位が存在しない人間にとって、武器防具の質が低下したことは致命的だ。
エルフ族には膨大な魔力があり、攻撃にも防御にも魔法を使う。獣人族は鋭利な爪や牙と丈夫な毛皮を持ち、種族の種類ごとに様々な特徴を持っている。龍族は鱗で覆われ身体そのものが強靭であり、他の種族とは一線を画する戦闘力を有している。……と、ここまで考え疑問が沸き起こる。
ならばなぜ、――人間が根絶やしにされないのか?――
私が知っているこの大陸は、どの種族も良好な関係を結んでいたとは言えなかった。持ちつ持たれつ、小規模には交流を続けていたようだが、それは種族ごとの戦力が均衡にあったからに他ならない。龍族には強者も多かったが、他種族に比べ著しく個体数が少ない。
圧倒的な個体数を誇っていた人間は、時代ごとに勇者と呼ばれる存在が現れ、種族繁栄の象徴になっていた。だが、人間の持つ最大の武器である道具が劣化しては戦力に差が生じるはず。『弱体化したのなら潰して、その地を自身の種族で支配する』と、考えるほどには種族間の関係は冷めてたはずだ。とてもこの状態の人間たちを生かしておくとは思えない。
『同盟を結んだのか?』
大々的に交流を始めたのなら、この大通りに他種族が姿があるはずだ。しかし、少なくとも見渡す限りには人間しか居ない。まだ他種族にとって人間は必要なもので小規模な交流が続いているのか、または人間たち同様に他種族も弱体化しているのか、リータ達の情報も重要になってくる。
そう考えを巡らせていると豪勢な馬車が目に映った。
馬車の窓からは金髪の人間の娘が、身を乗り出すように外を嬉々とした表情で眺めている。隣には緑髪の人間の女が座っており、娘が女の方を向き何事かを報告しては、また外に顔を向けた。時折、物珍しさから馬車に顔を向ける通行人に笑顔で手を振り挨拶をしているようだった。その天真爛漫さと幼いながら目を惹く容姿ゆえに、その娘に対して笑顔を向け小さく頭を下げる者、手を振り返す者が見受けられる。
「あの屋敷の娘か……」
どこかで見た顔だと気付くと、先日眺めていた水晶に写し出されていた娘だ。王都へ出向いたことが無いという話だったが、少々お転婆が過ぎるようだ。
『扱いにくいのは面倒だな』と、思考にふけて顔を伏せる。そうしているうちに、馬車が近づいてきたのか、車輪の音が近くに聞こえてきた。
『一度本物を見ておくか』
そう思うと、フードを取りながら顔を上げる。そして、ゆっくりと娘の方を向くと視線が合った。
『先のことより今だな』
あの娘のことは今は置いておく。重要なのはこれから開催される闘技大会に集中することだ。目的のためには強さを示さなければならないが、あまり強すぎてもよくない。
強すぎる力を見せれば【畏怖】を生む。どうにか人間が理解できる範囲の力で【強い】と認識させることが必要になり、【異常】や【化け物】と恐れられる力を晒しては動きづらくなるだけだ。
だが、弱すぎても目的を達成できない。事前に立ち振る舞いを決められないのは歯痒いが、実際に闘技大会に出場し、人間の力を確認する他ないと結論付け、闘技場へと足を向けた。
※
『王都はやっぱり凄いわ!!』
馬車の窓から見える王都の町並みに、興奮を抑えられない。
人で溢れかえる街を初めて見て、気分が高揚してしまい思わず身を乗り出す。すれ違う人がこちらを見ることに、少し羞恥心があるが、手を振り挨拶をすると、それに応えてくれる。それが嬉しくて、出来るだけたくさんの人と挨拶をしようとすれ違う人の顔を確認していた。
そうしていると、他の人とは違いマントとフードで身を隠した人が視界に入る。少し気になり、その人に視線を合わせると、フードを取りこちらを見てきた。
「えっ?」
思わず身体が止まる。意識が吸い込まれそうな程、深い漆黒の瞳に魅入られて。
「ぁっ……」
その瞳の持ち主はすぐに視線を外し、またフードを被ると人の波に消えてしまった。
「如何なさいましたか? お嬢様」
「う、ううん! 何でもないわ!」
声をかけられ意識が覚醒する。慌てて取り繕うが、漆黒の瞳の持ち主を探すように視線を巡らせていると、心配そうな表情でエリスがこちらに顔を向けているのに気づいた。
「お、王都はやっぱり凄いわね!」
エリスに悟られないように、初めて来た王都の感想を伝える。
「左様ですね。闘技大会もございます、一段と活気に満ち溢れています」
「そんなに闘技大会を楽しみにしているの?」
「5年に一度の歴史的な伝統行事ですから。王国各国から有権者と人が集まりますので、商いなどいつも以上に活性化されています」
「そっか。だから、みんな生き生きとした表情をしているのね」
エリスの言葉に街の人たちの表情を思い出し納得する。
「左様です。ですが、闘技大会に出場する者はそんなお祭り気分も素直に楽しめないようですよ。前回出場したソリウスは終始、苛立った雰囲気を出しておりました。……ふふ」
隣で当時のソリウスの姿を思い出しているのか、小さく笑うエリスの表情を見て誤魔化せたことに安堵し、小さく息を吐く。しかし、エリスの笑う姿は幾度となく見てきたけれど、ソリウスのことになると、心なしかその表情は綺麗になるような気がする。
「マノリ」
エリスの笑顔に見惚れていると、私たちの向かい側に座る父から声がかかった。
「はい。なんでしょうかお父様」
「今回の闘技大会でお前の護衛を1人選ぼうと考えている」
「護衛ですか?」
「そうだ。先日の魔物のこともある。それにこれからは、サルディニア家の長女としての仕事を少しずつ熟してもらうつもりだ」
「はい、お父様! いろんな場所に行くことが出来るのですね!」
他の街にも訪れることが出来る喜びが沸き起こり、嬉しさが込み上がる。
「確かにそうだが……。魔物が生息する地へと赴くこともある、そのための護衛だ」
「騎士たちではいけないのですか?」
この王都までの道にも魔物が出るため、たくさんの騎士が護衛として同行しているが、それとは違うのかと。
「もちろん、道中は騎士も護衛につける。だが、側に控えお前と行動を共にする信の置ける者が必要だ」
「わかりました。その方を今回の闘技大会で探すのですね」
父の意図に納得する。そして、私の護衛となってくれる人がどんな方か楽しみになってきた。
「あぁ、腕が立つに越したことはないが、人格も重要だ。しっかりと見極めろ」
「はい! 仲良く出来るように頑張ります!」
「そうではないのだが……。まだ先の話だが、いずれは社交会にも出席してもらう。しばらくは私も同席するが、いずれは1人でサルディニア家代表となるのだ。あまり気を抜くな」
「わかってます! お父様は心配しすぎです……」
少し過保護すぎると愚痴を言いたくなる。これでも公爵家の跡取りとして、日々教養を身に付けている。公爵というものがどれほど王国の中で重要な立場であるか、理解しているつもりだ。
不機嫌そうな私の顔を苦い表情で見つめる父を目端におさめながら、初めての闘技大会とまだ見ぬ護衛との出会いに期待を膨らませた。
※
大通りを歩き王都の東側にある闘技場に辿り着く。城ほどでは無いにしろ、この王都の中で城に次ぐ大きさを有している。建物事態は、全体がレンガ造りになっており、円状にその姿を広げていた。
入り口の前では、簡易式のテントが張ってあり、机と椅子を並べてあることから参加者用受付になっているようだ。そこでは、3人の人間の女がそれぞれ椅子に座り対応しているようだな。
「闘技大会に出場したい」
左端に座る受付の女に短く要件を伝えた。
「参加希望の方ですね。こちらにお名前と使用武器をご記入ください」
「わかった」
文字を書く際、商店の値札や商品札を見た時に使われていた言語を使用しペンを動かす。
「ガドウィン様ですね。使用武器は大剣、お間違えはございませんか?」
「ああ、問題ない」
「かしこまりました。今大会のご出場経験は?」
「ない」
「でしたら、大会のご説明をさせていただきますが、よろしいですか?」
「ああ、頼む」
「かしこまりました。明朝から予選を開始致します。予選通過者は上位16名。予選の翌日に決勝戦トーナメントを開始致します。決勝トーナメントは勝ち残り式となっており、一日目は2回戦まで、2日目に準決勝、最終日に3位決定戦ののち、決勝となっております。予選から合わせまして4日間の開催となります。何かご質問はございませんか?」
随分と大雑把な説明だ。なにか隠しているのか、と疑いの目を向ける。
「予選は何をする?」
「こちらの用意した魔物を倒していただき、その時間を競います」
「魔物とは?」
「そちらはお教えすることが出来ません。当日発表となっております」
「わかった。決勝トーナメントの具体的な説明は?」
「決勝トーナメントのご説明は予選通過者の上位16名の方に限り、担当の者が致しますのでご了承ください」
「そうか」
「こちらが参加証明書になります。当日お持ちください」
「あぁ、世話になった」
「いえ、ご健闘をお祈り致します」
世辞を言ってくる受付を横目に再び大通りへ足を向ける。
説明では、具体的な個体名は当日発表と言っていたが、魔物を予選選考に使うとはな。魔物を1人で仕留める程度には実力がないと闘技大会に参加する資格が無いということだろう。
それよりも、全日程が4日間となると、どこかで宿を取らなくてはならない、決勝までは残らないとしても、実力を証明するため準決勝辺りまでは進んでおきたい。とすると、この王都で3泊はしなければならない。だが、この人間の数では良い宿が取れるかどうか……。最悪、転移で根城に戻ればよいが、足のつかない行動は極力避けたい。大会中に姿を見せるが、終了後は毎回どこいるか分からないなど怪しいにも程がある。
少々移動が面倒だが一つ都合の良い宿がある。
「王都の外れにある宿にするか」
大通りに面している宿は客で埋まっているだろう。人間共の多い場所はあまり心地よくはない、寝られればそれで構わないからな。
最悪、床に雑魚寝でも構わない、と割り切り外れの宿に向かって歩いた。
王都の外れに古びた1軒の宿がある。人もまばらな通りに面しており、闘技大会が行われているにもかかわらず宿泊客もあまり居ず、その恩恵を受けていない様子であった。宿まで進むと古く軋み音を上げる扉を開く。
「いらっしゃいませ!」
若い人間の女が声を出す。見た目の年齢はリータと同じくらいか、と考えながら希望を伝える。
「3泊ほど世話になりたい」
「はい!! こちらにお名前をご記入ください!」
「これでいいか?」
元気な笑顔を向けハキハキとした声で対応する宿の娘に、少し煩わしさを覚える。
「はい、大丈夫です! ガドウィン様ですね、3泊で1500Gになります!」
「これで頼む」
リータが掃いて捨てるほど集めてきた通貨を懐から取り出し、宿の娘に渡す。
「はい、確かにお預かりしました。こちらがお部屋の鍵になります!」
「あぁ」
「お客様は王都へは闘技大会を観戦に?」
「いや、出場する」
「出場!? ぜひ頑張って下さい!!」
「程々にな」
身を乗り出すように応援の言葉を投げかけてくる宿の娘に、苦笑いを浮かべて応える。
「勝ち残ったら、うちの宿の宣伝してくれると嬉しなぁ~、なんて……えへへ」
「覚えていればそうする。そろそろ部屋に行かせてもらう」
闘技大会で勝ち抜いて宿の宣伝をする事があるのか、と首を傾げたくなるが、早く1人になりたいがために、受け流すように応え、階段がある方へと身体を向ける。
「はい! 食事は朝と夕方、必要であれば一階の食堂に来てご注文頂ければお出しします!」
「わかった。少しの間世話になる」
「ごゆっくりお寛ぎください!」
客が来たことが嬉しいのか、笑顔を見せる娘から視線を外し上へと向かう。
意外としっかりとした階段を登り、割り振られた部屋へ歩いて行くと、途中で他の宿泊客とすれ違うことなく部屋に着く。部屋に入り、置いてあった椅子に腰掛け一息つく。
やっと落ち着くことが出来る。久方ぶりに多くの人間と話したが、演技にも問題はなさそうだ。宿も外見は古びているが、中はそうでもない。部屋も綺麗に清掃してあり、寝るだけに使用する身としては十分に感じる。それよりも、明日から開催される闘技大会で、どこまで勝ち抜くか。
「優勝するだけなら簡単だがな」
当面の問題は、予選に参加する人間の実力をある程度把握すること。しかし、トーナメント制となると、初戦で参加する者の中で一番強い人間に当たる可能性がある。前回優勝者に勝ってしまうと面倒なことが起きそうだ。決勝戦トーナメントの組み合わせは、大会運営が適当に振り分け決めるのか、抽選をするのか……。
「考えていても仕方ない寝るか」
思考を遮断させ、椅子から立ち上がりベットへ向かう。ベットに横たわり目を瞑る、寝心地も悪くないなと考えているうちに意識が遠のいた。
※
ある深い森の中に2人の姿が見える。
1人は紅い髪をした成人手前な少女。
もう1人は蒼い髪をしたまだ幼い女の子。
到底、見た目からはその位置まで登ることが不可能な気を起こさせる、ひときわ高く大きな大樹の枝に2人で座っていた。
「はぁ~、ご主人様に会いたい……」
紅髪の少女がため息を吐きながら、ボソリと呟いた。
「ウチも会いたい。でも我慢する」
隣に座る蒼い髪を背中の半分程まで伸ばした、子供のように背の低い子が同調するように答える。
「ジェシカはいつでも会いに行けるじゃん!」
ジェシカと呼ばれた少女はその言葉に首を軽く振る。
「いつもは無理。主様に迷惑をかける」
「でもいいなー。ジェシカの能力が羨ましい」
ジェシカから視線を外し、顔を空に向ける。王都に居る主人を思っているのか、その顔は切なげな表情をさせていた。
「リータのだって便利」
気遣った様子でジェシカはリータへと視線を向ける。
「そうだけど、記憶してある場所にしか飛べないし……」
「ウチも特定の場所にしか飛べない」
「ご主人様のところに飛べればそれでいい!」
本当にそれだけでいいと思っているのか、リータは力強く言った。
「確かにそうだけど。それだと主様のお役に立てない」
リータの言葉に頷くが、視野が狭くなっている友人を諭すように言葉を掛ける。そうすると、リータは表情を歪ませた。
「ぐっ……それは、やだ」
「なら仕事する。エルフの情報収集」
コロコロと表情を変化させるリータとは対照的に、ジェシカは無表情で淡々と正論を告げる。そのことが面白くなかったのか、少し意地になったようにリータが叫んだ。
「ちゃんとしてる! ジェシカだって獣人族の方はどうなのよ?!」
「順調。……でも弱い」
リータの態度を気にした様子もなくまたも淡々と答える。そのことにリータは更に意地になったような表情を強くさせるが、ジェシカが最後に放った言葉に思うところがあったのか冷静な表情になり頷いた。
「やっぱりそうなんだ、エルフも大したことないよ」
「少し疑問がある」
少し考えるような素振りでジェシカが首を傾げる。
「ん~? なに?」
「ちょっと、弱すぎる」
曖昧に返事をするリータに呆れているのか僅かに表情を変化させるが、すぐに無表情へと戻り気にしていることを伝える。それを聞いてリータも同意見だったのか大きく頷きはしたが、ジェシカほどには重要性を感じていなかったのか軽薄な口調は変わらない。
「まぁね。でも、弱いなら別にいいじゃない」
「主様はそうは思ってない」
「えっ? なんで!?」
急に出てきた新事実にリータは表情を一転させる。心配性なジェシカが気にしすぎているだけだと思っていたが、主人が頭を悩ませているのであれば話が別だ。それに、自分が知らないことをジェシカは知っていた。そのことにも驚くと同時に嫉妬心が溢れてきているようで、複雑な表情をさせていた。
そんなリータの気持ちに気づいたのか、それともリータが知りえなかった事を自分が知っていたことが嬉しかったのか、ジェシカは少し表情を緩ませる。しかし、それ以上の情報は無いと首を振った。
「わからない。でも、なにか意図がある」
「う~ん、わかんない!」
あれこれ考えていたのか真剣な顔で思考を巡らせていたリータが、頭をかきむしると投げやりな声を出した。そして、ふと思い付いたのかポツリと一言呟く。
「エルフ族を強くすればいいのかな……」
リータにとってはなんでもない一言だったのだろう。ジェシカのほうが自分よりも主人の考えに先に気づいており、その対抗心から主人の思惑を誰よりも深く理解し、期待に応えたいと、そんな想いから呟いた一言だった。
しかし、その言葉を聞いたジェシカは、スッと黄褐色の瞳を細め、空気が揺らぐほどのオーラを小さな身体から発した。それに気づいたリータは驚愕した表情で隣に視線を向ける。それに合わせるようにゆっくりとジェシカが顔を合わせた。
――ご命令にない――
無機質で抑揚のない言葉がジェシカの口から漏れる。それを見たリータは慌てた様子で答える。
「わ、わかってる! ご主人様に命じられたことだけちゃんとする!」
「……それならいい」
リータの答えに頷くと、ジェシカから発せられていた空気が和らぐ。それに、ほっと一息ついたリータは安堵の表情を浮かべた。
「はぁ……、ジェシカもご主人様大好きだよね」
「それはお互い様」
「そうね、似たもの同士ってことかな?」
「似たもの同士」
※
宿で朝食を取り、闘技場に向かって歩く。
食事中、宿の娘に鼓舞するように声をかけれたが軽く頷き受け流した。これから行動するにあたって、もう少し愛想を持った方がよいのか? だが、それによって物笑いにされるのも癪だ。
「闘技大会に参加する者が全員愛想よく笑っているのもおかしな話しだしな」
あまり深くは考えなくてもよい、必要であればそうするだけだ。
闘技場に着き、受付の人間に参加証を見せる。人間の女はそれを確認すると、参加者控え室に連れて行くと歩き出した。少し距離を取りその後をついていく。しばらく歩くと女が立ち止まり、扉を指し示す。
「こちらが控え室になります。予選を開始する際は、こちらに担当の者が参ります」
「あぁ、わかった」
「それでは失礼致します」
そう言うと、また女は来た通路を戻り出した。その姿から視線を外し扉に手を掛け開く。
部屋の中にはもう数人が集まっており、こちらに顔を向けてくるがすぐに視線を外し自身のことに集中し始める。空いている部屋の隅に移動し、椅子に座ると顔を伏せ目を閉じる。
「・・・・・・」
その状態で集中力を高め過ごしていると、思ったより時間が立っていたのか周りの人間が増えていた。多くの人間が放つ気配から、どこか緊迫した空気が室内を包んでいる。だが、その中で余裕を感じさせる人間が数人居る。
顔を上げその数人に視線を巡らせると、気になることがあった。
『思っていたよりも参加する人間が少ない』
来るのが遅れているのか、前回優秀な成績を収めたものは予選が免除されるのか疑問は尽きないが、これだけ街を活気付かせるメインイベントにしては少々肩透かしをくらう。この部屋に集まっている人間の数は50にも満たない。
そう考えを巡らせていると通路から気配を感じ、少しすると部屋の扉が叩かれる。
「失礼致します」
人間の男が扉を開け部屋に入ると、一礼した。
「時刻になりましたので参加を締め切りました。これより予選を開始致します」
やはりおかしい、これだけしか集まらないとは、そんにも人間は魔物と戦うことを恐れているのか。
「それでは、予選ルールのご説明を致します。これより皆様にはお一人でマッドタートルと戦闘をしていただきます」
マッドタートルとはな……。予想していたことだが、現実になるとあまりに弱い相手にやる気さえ起こらなくなる。
「お名前を申し上げた方から順に場所を移動していただきますので、お呼びになられるまで今しばらくこの場でお待ちいただきます。なお、マッドタートルとの戦闘で負傷または死亡による保証は、こちらでは一切致しません。予めご了承の程よろしくお願い申し上げます」
これが参加者が少ない理由か。前回準優勝の騎士がハイ・オーガに苦戦する程度、下級魔物とはいえ魔物と戦うことが予選になるなど、余程腕に自信がなければ参加しようとも思わないか。それに、負傷・死亡の保証が全くないなど、腕試しに参加することすら躊躇われる。
「ほ、保証が無いなど受付から説明を受けていないぞ!!」
立ち上がり参加者の1人が叫ぶ。その勢いのまま担当の男に向かってにじり寄っていった。同調するように他にも5人の人間が担当の男に向かっていく。
「はい。ですから、この場で無理だとご判断された場合は棄権してください」
「馬鹿にするのか!!」
自身の誇りを傷つけられたと思ったのか、成り行きを見守っていた数人も立ち上がり担当の男をに向かっていった。
「決してそのようなことはございません」
「それなら、なぜ受付の段階で保証が無いと説明がされない!!」
最初に叫んだ男が、またも叫ぶ。
「先程申し上げました。これより予選を開始致します……と」
「そ、それがどうした!?」
「ここでお立ちになっている方々は残念ですが予選不通過になります。ご退場ください」
「なっ…?!」
男を取り囲むように立ち上がっていた人間の表情が同様に変わる。すると、開いたままだった扉から兵士たち数人が現れた。
「出ろ!」
兵士たちは立ち上がっている参加者を一瞥すると命ずるように声を上げる。
「くっ……ふざけるな!! 俺たちは予め保証が無いことが、受付の段階で説明がされなかったことに怒っているんだ! そんな理由で予選不通過など納得できるか!」
詰め寄っていたうちの1人が納得出来ないと言った表情で叫ぶ。それを聞いた担当の男は、鋭く退出を促される者たちを睨みつける。
「魔物を相手に負傷または死亡の保証が無いことは当然でございます。そのことに勇気を示すことが出来ないのでは、闘技大会に出場する資格はございません」
「っ…!」
担当の男の言葉に詰め寄っていった人間たちが俯く。それを兵士たちが部屋から追い出すように急かすと、一様に苦い表情を浮かべ部屋を出て行った。それを横目で確認した担当の男がこちらに向き直る。
「失礼致しました。この大会の噂を知らず腕試しに参加登録をなさる方が居りますので、毎回このような形で振るいにかけております。何度も出場されております皆様にはご不便をお掛けしました。」
面倒なことをする。これならば、最初から受付で説明をすればよい。こんな茶番を見せられるこちらの身にもなって欲しいものだ。
「なお、現在ご退出された方々は一時期ギルド経由での活動に制限が設けられます」
その言葉に『なるほど』と納得がいく。ギルドで仕事を受け生活している者には不利益な話だ。出ていった人間たちは、私と同じく噂を知らないか、噂を信じずに登録したのだろう。
「それでは、お名前をお呼び致します。ガドウィン様」
声に反応し立ち上がると担当の男へ向かっていく。
『最初に呼ばれるとは……些か不味いな』
初参加ということで順番が早いのか、とため息を吐きたくなる気持ちを抑えながら担当の男の元まで向かっていくと、頭を下げ外に出るように促される。
控え室の扉を開き外へ出ると、先程この部屋まで案内をした受付の女が立っていた。私に気付くと一礼する。
「ご案内致します」
そう言うと身を翻し進んでいく。それに続いて私も足を動かす。しばらく無言で通路を進んでいると女が肩ごしにこちらをチラリと流し見た。
「初参加とのことですが、出て行かれた方々のように棄権されないのですね」
「ん?」
「毎回、逃げるように去って行く方々も珍しくありません」
――聞き慣れない言葉を耳にする――
「……なに?」
絞り出したかのような声が漏れた。
【逃げる…?】
怒りが込み上げる。
【この私が?】
身体から殺気が漏れ始める。
【下級魔物如きに怯え?!】
――ギリッ――
歯噛みする音が聞こえたのか、女がこちらへと振り返る。
私の顔を見たのだろう。目を見開き怯えた表情で硬直する。全身を震わせ数歩後ずさり立ち止まる女と目を合わせた。
「ひぃっ…!」
小さく悲鳴を上げ、女の身体が一度大きく跳ねる。
「……はやく進め」
少し低い声が口から漏れた。
「……ぁ、も、申し訳ございません! こちらです!!」
謝罪の言葉を吐くと、女は私から逃げるように歩みを早め通路を進んでいく。『案内をする者から離れてどうする』と呆れながらその後に続いて足を動かす。
感情を鎮めながら通路を歩くと、大きな門が見えてくる。私たちが近づくと扉が開き、その門を潜る。門の先は空が見える開けた場所になった。地面は土になっており、円状に広がっている。そして、その土の地面を囲うようにレンガで出来た壁が円状にそびえ立ち、上は観客席になっているのか無数の席が並んでいる。だが、観客は居らず、ちらほらと大会運営の人間なのか、スーツとメイド服を着た男女が見受けられる程度だ。
『予選は見せないのか』
怒りを抑えると、冷静な思考が戻ってくる。負傷・死亡の保証が無いと言っていたからな、臭い物には蓋をするのだろう。人間の一部が飛び、身体から勢い良く血を吹き出す可能性があることや、魔物の暴走なども考えてのことか。
『あの芝居で退場した人間はブラックリストに載り、ギルドでの仕事を制限される。そのためだけに、このような予選をしているのか? 噂や芝居を使い参加者を厳選することで、本物の実力者だけがこの大会に参加するよう仕向けているのだろうか』
「こ、こちらにて開始の合図を致しますまで、少々お待ちください」
会場の中心部まで来ると、案内の女がそう声をかけてくる。
「……」
「あっ……そ、それでは、失礼致します!」
そう告げると、逃げるように入場してきた門の中へと姿を消した。それを一瞥し、入場門に背を向け合図を待つ。
女が消えてから少し経つと後ろの門が音を立てながら閉まっていき、門が完全に閉まったことを確認したのか、観客席の最前列にいる人間が立ち上がり叫ぶように声を出した。
「開始致します!!」
その声を合図に、前にある入場門の向かい側にある門が開き始める。鉄格子が完全に上へ上がると、飛び出すようにマッドタートルが姿を現した。
亀のような姿をしており、甲羅の上には数本の角のようなものが伸びている。いきり立つ様子で声を上げる口には、鋭く尖った歯が生えていた。全長2メートル程だが、走る速度はそれなりにあるようで、鋭利に尖った爪の付いた四本足を動かし、こちらに向かってくる。
「さて、どうするか……」
その場でマッドタートルが向かってくる様を眺めながら呟く。
奴の攻撃を躱しつつ、頭へと狙いを集中し、ある程度時間を稼ぎながら戦うか。
『まずは、ひと当てして様子を見る』
私との距離を詰め目の前まで移動してくると、口を大きく開き歯を突き立て噛みついてくる。それを少し後ろに跳び躱すと、眼前でマッドタートルの口が音を鳴らせながら閉じた。空を切ったことに戸惑ったのか動きが止り、頭を差し出すようにこちらに向けている。
頭に狙いを定め、軽く浮き上がるように跳躍し右拳を振り上げ、マッドタートルの頭上を地面へ叩きつけるように振り落とした。
「怒りは鎮まっていなかったのか」
なにかが砕ける感触が拳に伝わり鈍い音が聞こえてきた。
空中から着地すると、目の前には地面に頭を埋め動かなくなったマッドタートルの姿が映る。
それを見て死んでいると確信し終了の合図を待つ。が、一向に終了の合図がないことに焦れったさを感じ、観客席にいる開始の合図を出した人間へ顔だけを向けた。
「しゅ、終了です!!」
驚愕の顔を浮かべ硬直していたが、私が顔を向けると思い出したかのように言葉を詰まらせながら終了を宣言する。
それを聞き、入場してきた門へと歩みを進めると、門が開いていく。
『あの程度で死ぬな、馬鹿者』
弱すぎるマッドタートルに悪態をつきながら門を潜り抜けた。
亀進行です。