戦力強化4
翌日、ティルス伯爵のはからいで、この開拓地にて、最も腕の良い鍛冶師を紹介してもらう。
当初シンリアスは、王都へと持ち帰り王国一と謳われる鍛冶師に造らせたいと言っていたが、それでは移動なども含め時間を取られてしまう。
その案は尤もなのだが、あくまでも実験であるとして、それを遮った。
高級なヴェノム鉱石を使うことを考えれば、考えうる最高の条件で製作したいという気持ちもわかる。しかし、こちらからすれば、たとえ失敗しようとも、また採りに行けばよいことなので、王都まで戻るのが面倒だと感じる気持ちの方が強くなってしまうのだ。
だが、シンリアスは納得しきれていないようで、それでも、と食い下がってくるのに対して、鍛冶師の腕と工房の設備を見てから判断すると伝えた。
シンリアスが憂う通り、腕が悪ければ断ればよい。だが、それなりの腕であると判断できれば、試作品を製作させよう。
出発前にひと悶着あったが予定通り、リータ・シンリアスと共に町ヘと赴き、鍛冶師の店へと足を運ぶ。
町と呼ぶには少々みすぼらしい景観だが、上級魔物に襲われたことに加え、そう時を置かずして、中級魔物にも襲われた。そのため、未だ復旧が進んでおらず、所々に倒壊した建物が見受けられる。町を覆うように構えられていたであろう壁も崩れており、再び魔物が襲ってくれば、すぐに町の中への侵入を許してしまう。
しかし、そんな光景でありながら、ひときわ目を引く建物があった。
遠目から確認しただけだが、損傷した様子がなく、この町の象徴であるかのようにその存在を誇示している。
「教会は無事だったのか?」
気になった建物――エブングランド教の教会を指差しながら問いかけた。
周辺の建物は酷く損傷しているが、魔物は教会だけを避けるように破壊を行ったのだろうか?
そんな疑問に、指差す方向に顔を向けたシンリアスが、首を振って答えた。
「いえ、魔物の被害にあったらしいのですが、教会関係者がすぐに復旧させたようです」
未だ倒壊したままの建物が多くあるにも関わらず、教会だけは早急に復旧させられるのか?
しかし、教会関係者が行ったのであれば普通か。一般的な建物は国の役割となっているのだろう。
「教会の復旧が終われば、町の復旧にも手を貸して下さるのですよ。かなりの人員を割いてくださりますので、こちらとしても助かっています」
沸き起こった疑問に答えるように、シンリアスが付け加える。
やはり、教会もその辺りは抜かりがないようだ。絶望的な状況で、慈悲の手を差し伸べ、施しを与える。これほど、人間の心を効率的に、多く掴む方法は限られているからな。
エトゥカンナがなにか企てていると感づいてしまった以上、その慈悲の心さえも疑ってしまう。思惑があろうことは推測できるが、それと龍族との戦争にどう関連付くのかは不明だ。
だが、疑うことも大切だが、それはエトゥカンナや教会の上層部の人間だけで十分だろう。
実際にこの町に赴いて、復旧作業をしている教会の人間たちまで疑うことはしなくてよい。たとえ教会に騙され、上からの命令によって作業をしているのであっても、その者の慈悲の行動は嘘偽りない。行動で示し、それによって助かる多くの人間が存在する。町に居る教会の人間にまで、そういった感情で見るのは的を外しているだろうからな。
復旧が進められている光景を眺めながら歩いていると、目的である鍛冶師の店が見えてくる。
「ここみたいだね!」
ティルスから受け取った地図を確認しながら、リータがひとつの建物を指差した。
剣と盾が描かれた看板が吊るしてあり、それなりに立派な造りをさせる店だ。少し外壁が崩れている所もあるが、運良く魔物の被害から逃れられたのだろう。
意気揚々と先陣を切るリータに続いて、シンリアスが後を追って中へと入っていく。しかし、それに続かずに、先程から気になっていた気配を探るように顔を後ろに向けた。そして、物陰で人の影が動いたのを確認する。
どうやら、また付けられているらしい。
マノリの時もそうだったが、町に来れば、何かと賊に縁がある。おそらく、狙われているのはシンリアスだろうが、王族や貴族は必ずその身を狙われるのか?
確かに、こんな町の状況だ、物盗りが居てもおかしくはない。しかし、それにしては狙いが的確過ぎる。価値のある人間であることで狙われているのだろうが、価値のある人間はそれ相応の護衛が居るのだ。そんなリスクをはらんだ人間を、無闇に襲っていては死に急ぐようなもの。護衛が居ようと、問題なく事を済ませられる自信があるのか。それとも、欲に目が眩んだ馬鹿か。あるいは、王族を狙う者に雇われた暗殺者か……。
「仕方がない。直接聞いてみるか」
面倒ではあるが、推測が正しければ面白い情報を得られるかもしれない。
そう思い立つと、私がなかなか入って来ないことを心配したふたりが店から出てきた。
「ガウィ! 早く入ってきなよ!」
不思議そうな顔を見せるリータが手招きして声をかけてくる。その後ろではシンリアスも、同じような表情をして首を傾げていた。
「悪い、少し用ができた。これを持って、ふたりで話を進めてくれ」
そう言いながらリータへと近づき、担いできたヴェノム鉱石を渡す。
それなりの重量であるが、リータはバランスを崩すことなく難なく受け取った。そして、事も無げに肩に担ぐと、笑顔で頷く。
「分かった! 気を付けてね!」
「あぁ、任せた」
リータも、何者かが後ろから付いて来たことに気づいている。なので、これだけで意思疎通が図れる。しかし、そんなことには全く気づいていないシンリアスは、呆気にとられた表情を向けていた。
あとでリータが説明するだろう。
途中で抜けてしまう事への詫びを含め、軽く一礼をする。そして踵を返し、人影が見えた路地へと向かった。
※
ガドウィンが去っていく姿を見つめていたリータは、その姿が路地裏に消えていったのを確認すると、くるりと振り返る。
「よし、中に入ろう!」
「え、ええ……」
状況が理解できず戸惑った様子のシンリアスを促すように、背中を押して店の中へと誘導していく。
店の中には所狭しと並べられた武器が飾られており、種類ごとに各スペースが設けられている。その中でも、剣類が大きくスペースを取っていた。需要があることも要因だろうが、他の種類の武器比べて値が張っているようなので、自信作も多いのだろう。
まずは腕前確認と、丁寧に飾られている細剣を手に取ったリータが、真剣な表情でそれを眺める。形や色、そして耐久性を確かめている姿を、シンリアスは横で固唾を呑んで見守っていた。
シンリアスとて、商品の良し悪しが分からない訳ではないが、実戦で使用しているリータに比べればその目利きは劣ってしまう。だからこそ、リータが良いと判断すればそれに従ってヴェノム鉱石を使った武器の製作を依頼するつもりでいた。
本来であればガドウィンにも意見を聞きたいだろうが、用があると抜けられてしまったので、全てをリータの判断に任せるようだ。
「悪くないよ。腕は良いみたいだね」
そう言って、リータは持っていた細剣を元の場所に戻す。
王国でも上位に入るかもしれない、という言葉に、黙って見守っていたシンリアスは頷いて応えた。
ざっと見渡した限りでも、王都で有名な職人が造ったものと遜色ないと考えていたのだろう。
ふたりは、さっそくカウンターに居る店員に話しかけ、店主を呼んでもらうことにする。
突然、品性の良い客が店主を呼びつけることに、店員は戸惑った表情をさせながらも、店の奥へと引っ込んで行った。
しばらくすると、短髪に髭を豪快に生やした、顔の濃い男が奥から出てくる。
「なんか用かい?」
訝しげにふたりに視線を巡らせたあと、店主はぶっきらぼうな口調で問いかけた。
武器屋とは不釣り合いな、若く線の細い娘が訪ねてきた事を怪しんでいるようだ。
それに対してシンリアスは、気を悪くしたような様子はなく、丁寧に頭を下げて対応する。
「お忙しい中、お呼び立てして申し訳ありません。わたくし、サナトリア王国第3王女、シンリアス・バァル・サナトリアと申します。隣に居るのは、わたくしの専属護衛騎士、リータ・オルディアです。本日はお願いがあり、この場に参上致しました」
もう幾度と無く使い込んできた取り繕った笑顔を浮かべて、名を名乗る。交渉はいつも通りシンリアスに任せて、側で控えているつもりのリータも、紹介された際にちょこんと頭を下げた。
「お……おおっ、王女様!?」
店主の後ろで成り行きを眺めていた店員が、驚愕の声を上げる。こんな辺境に暮らす人間では滅多に顔を見ることが出来ない人物に、酷く慌てた様子だ。
しかし、店主はそんな店員を一喝すると、先程と変わらない表情で答える。
「これはご丁寧に。俺の名はマレクス、この辺境で武器屋を構える変わりもんだ。……それで? こんな辺境に似つかわしくない王女様が、こんなしがない店になんの願いがあるんで?」
シンリアスに全く動じた様子を見せないどころか、皮肉めいた言葉で対応するマレクスに、後ろに居る店員は顔を真っ青に染める。「もうだめだぁ……縛り首だ……」と漏らしていると、マレクスに睨まれて口を押さえた。
だが、シンリアスは至って平然とした様子で、取り繕っている笑顔も剥がれてはいない。まだ、歳若い娘ではあるが、これでも何度も癖のある人間と接してきた。このような対応をしてくる者との対面にも慣れているのだろう。
むしろ、自分の考えを隠すことなく表情に出している時点で、シンリアスからすれば可愛いとすら思える。笑顔の内に自分の表情を隠すことに長けた貴族たちと、腹の探り合いをすることが日常茶飯事。それに比べれば、自分の感情を隠すことなく素直な表情で対応してくるマレクスは、大いに好感が持てる人物であると感じたようだ。
「実は、貴方様の腕を見込んで、長剣を打っていただきたいのです」
そう言うとリータへと視線を向ける。
心得たと頷いてから、リータは担いでいるヴェノム鉱石の入った麻袋をカウンターに乗せた。
「これは?」
「ヴェノム鉱石です」
「なっ!?」
眉間にシワを寄せて、カウンターに置かれた麻袋を見ながら問いかけたマレクスは、シンリアスの言葉に顔を驚愕の表情へと変える。そして、慌てて麻袋を開くと中身を確認しだした。
「こ、これ…! 全部ヴェノム鉱石なのか…?」
「はい」
震えた手で麻袋の口を掴むマレクスは、シンリアスの肯定の言葉に更に動揺を見せる。中に入っているヴェノム鉱石を恐る恐る触り、質を確かめるように叩いたりしている。
それを眺めていたリータがぽつりと、「シンリアスみたい」と言うと、シンリアスの取り繕っていた笑顔が剥がれ、顔を赤くしてリータを睨みつけた。
「これで俺に剣を打てと…?」
「はい。試作品ではありますが、貴方様の力をお貸しいただきたいのです」
ヴェノム鉱石に釘付けになっていたマレクスが絞り出した声に、再び笑顔を浮かべたシンリアスが対応する。後ろでは瞬時の変わり身に、リータが茶化すように感心した表情で手を叩いているが、視界に入っていないといった様子で無視を決め込んでいた。
「あ、ありえねぇ……。ヴェノム鉱石を剣の材料に使うだと…?」
これならまだ金塊で剣を造れと言われたほうが気が楽だ、と呆然とした表情で呻く。相当動揺しているようで、先までの王族にも媚を売らない威勢が嘘のようだった。
しかし長年、剣の製造に携わってきた男として、こんな滅多にないチャンスを棒には振りたくないようだ。失敗すれば、目の眩むような損失が出てしまう。その事に腰が引けてしまっているようだが、ヴェノム鉱石で剣を打ってみたいという、職人心もあるのだろう。
ヴェノム鉱石で剣を造るなど、それこそ金が有り余った王族が考えそうな馬鹿な事だと思う気持ちもあるが、同時に、剣の材料として使う鉱石の質としては十分どころか、今まで造ったどんな剣も及びつかない一品になるであろう可能性を秘めている。それを職人としての経験から感じ取り、この国で最高の剣を打つことが出来るチャンスが目の前にぶら下がっていることに、葛藤している様子だ。
「先程も申し上げました。貴方様の腕を見込んでお願いしている……と」
揺れるマレクスの心を感じ取ったシンリアスは、煽るように言葉を掛ける。
「わたくし達にも、この実験が成功するか否か判断が付きません。しかし、成功すれば、我々人間は中級魔物にも対向しうるであろう力を手にできます。そうなれば、この町は魔物の襲撃に怯えることが無くなるのです」
シンリアスが語った言葉に、マレクスはハッと顔を上げた。
マレクスの揺れる視線をまっすぐに見つめ返したシンリアスは、固い決心の篭った目を揺らがせることなく示し続ける。
「あ、あんた、なんでそこまで…?」
シンリアスの真剣な眼差しを受けたマレクスは、素直な疑問を投げかけた。
王族であるシンリアスは、この町で魔物の襲撃があろうと、身に危険が及ぶことがない。安全な王都で、豊かな暮らしを満喫していれば良い。それにも関わらず、貴族でさえ目も眩むような鉱石を持ち出して、武器にしようとする。もちろん、自分に及ぶ利益も考えているのだろうが、この実験が成功すればこの町が助かることも事実だ。この町の為だけだとは思わないが、莫大な資金が必要になるであろう事を魔物の襲撃に怯える民のために、擲とうとしている。
「わたくしとて、王族の端くれ。常に魔物に怯えて暮らす民がいることに、心を痛めています。しかし、わたくしが心を痛めているだけでは魔物の犠牲となる民は減りません。ならば、少しでも民が安全に暮らせるよう行動したいのです」
本心を吐露するように苦しい顔をさせながらも、真剣に訴えるシンリアスに、マレクスは大きく口元を緩ませる。
「王女様の決心は十分に伝わってきた。ここで、失敗を恐れて逃げてちゃ、俺の人生を否定するようなもんだ。 ――打とう…! これで! 最高の剣をっ!」
ニカッと笑って力こぶを見せるマレクスに、シンリアスは満面の笑みを浮かべると、深く一礼を返した。
※
気配をできる限り消しながら、前をゆく男の背中を睨みつける。
まだ接触していないが、その男に持った感想は、よく動き回る奴。
少し距離を取って追いながら、路地裏を進んでいくが、標的はなかなか足を止めない。
こちらに気づいている様子はないが、念を入れているのか同じ場所を何度も通っている。時折、大通りに出ては、再び路地裏へと入っていき足を止めることなく進んでいく。
その足取りからは、一切迷いを感じさせない。おそらく、予め決めておいたルートなのだと推測できる。
「ただの賊ではないな」
どうやら、突発的に犯行に及ぼうとした馬鹿ではないらしい。
シンリアスから離れたあとは、再び様子を見に行く素振りを見せず、路地裏をひた歩いている。そのままアジトへと逃げるのかと思いきや、もう1時間は歩き通しだ。
こちらに気づいているのかとも思ったが、軽く振り返りはすれど、追手を巻くための動きをさせてはいない。もし、私に気づいているのであれば、歩みを早めるか、最悪死角に身を入れた瞬間に走ってもおかしくはないのだが、この男は一定のペースを保ちつつ歩いているだけだ。
私がこの男に付けられていると気づいたのは、町に入ってすぐであった。
最初は、町へとやってくる身なりの良さそうな人間をその場で選び標的とする、突発的な手口だと考えた。しかし、犯行に及ばずにシンリアスから離れたにも関わらず、別の標的を探すために町の出入り口へと戻るわけでもなく、歩き回りながら標的を探すわけでもない。
これらの事から推測できるのは、最初からシンリアスが標的であったということ。可能性として、私かリータを狙っているとも考えられるが、おそらく限りなく低い確率であろう。
しかし、王族だけを狙う物盗りなど聞いたことがない。
誘拐、もしくは殺害が目的であるはずだが、この男だけということも考えにくい。おそらく、後ろには組織が絡んでいるはずだが、身分の高い人間を狙う組織など大小合わせれば数えきれない。
だが、これだけ念入りに逃亡ルートを決めている人間が、標的の確認といった下っ端の仕事をするような組織だ。中規模、もしくは大規模な組織と考えてもよいだろう。
様々な可能性を模索しながら、しばらく男を追っていると、尾行してから初めて1軒の店へと入っていった。そこはすでに3回以上通り過ぎている場所だが、店に入ることを迷うような素振りを見せずに、颯爽と身を滑らせていく。
「ここだな」
少々時間を置いてから、男が入った店の前まで来る。
看板には、酒場であることを示す、グラスに麦酒の入った絵が描かれていた。かなり良質な店であるようで、壁は木材ではなく石で出来ており、両開きの扉は金属が使われている。扉には、なにやら十字架のような形が付けられているが、組織のマークなのかもしれん。
このまま入ってしまってもよいが、普通に営業する店なのかわからない。組織の人間だけが使える特別な店である可能性もある。
だが、表向きは普通に経営していて、奥や上層階、または地下などがアジトとなっている可能性もある。
「このまま突っ立っていても仕方がないか……」
とりあえずは店へと入って様子見といこう。もし組織の人間だけが使える店だったとしても、その場で臨機応変に対応すればよい。
なにか面白い情報が手に入ると思ったが、ここまで用意周到となると、リータやシンリアスにも対応を相談した方が良さそうだ。
金属の取っ手を両腕で引っ張り、扉を開く。
中は看板通り酒場になっており、客もちらほら居るようだ。
だが、先程まで追いかけていた男の姿が見えない。立っている場所からは死角になっている席もあり、中の人間全部の顔を確認したわけではないが、おそらくどこかに引っ込んだのだろう。
そのまま中の様子を観察していると、質の良い服を着た店員らしき男が近寄ってきた。
「いらっしゃいませ。お客様の当店のご来店は初めてでしょうか?」
「あぁ、良質そうな店だったのでな、実入りの良い仕事で懐が温かくなったこともあって、少しハメを外そうと思い、扉を開いた」
「左様でございますか。ご来店、誠にありがとうございます。どうぞ、席へとご案内致します」
丁寧な対応をしてきた店員は、そう言うと半身になって店の中へと手を指し示す。
それに頷き、店員のあとに続きながら中へと足を進めた。途中、尾行してきた男が居ないか視線を巡らせたが、やはりどこにもその姿は見当たらない。
「ご注文は、何に致しましょう?」
案内された席へと着くと、店員がメニューを開いて聞いてくる。
「そうだな……。良質なワインと、食事を貰おうか。ワインに合う、オススメの料理を頼む」
「かしこまりました。ワインはすぐにお持ち致しますか?」
「あぁ、頼む」
「かしこまりました。少々、お待ちくださいませ」
丁寧に一礼すると、店員はその場を離れていった。
内装もかなりのもので、貴族の屋敷に慣れ親しんだ感覚を持ってしても、豪華であると感じさせる。
店内は薄暗くなっているが、食事を摂るには問題がない程度の照明が点けられており、壁には絵画が飾られいる。テーブルにはクロスを被せ、イスに至っては座り心地の良いクッションまで付いた上質な品が使われている。各テーブルを壁で仕切ることはしていないが、所々に奥へと入っていける扉が見受けられる。おそらく、常連が使うような個室があるのだろう。
「お待たせ致しました。シデルベト・プス・フィア、トゥマリク産の赤ワインでございます」
「ほぅ……」
公爵であるヴォルガが好んで飲むワインだ。
「ご存知でしたか?」
「あぁ、私はトゥマリク産であれば、エイス・ラルテの方が好みだがな」
「左様でございましたか、大変失礼致しました。宜しければ、お取り替え致しますが?」
「いや、構わん。良質なワインであることに変わりはない。素晴らしい判断だ」
「お褒めに預かり、光栄にございます」
これで無知な客ではないと、あちらも判断したであろう。
先程よりも、深く一礼を返してその場を離れていく店員を眺めてから、ワインを一口煽る。
しかし、これでは良質な店で食事を楽しむだけになってしまうな。男から何らかの情報を得たかったが、それも巧くいきそうにない。この店に入ったことは間違いがなく、この店が奴らのアジトになっている可能性は非常に高い。これだけの店を経営しているのだ、資金源は潤沢にある組織と考えてもよい。だが、個室で組織の仲間と落ち合っているだけという、可能性も少なからずありはする。
さすがに、この店の中を歩きまわって探しだすなどという真似はできない。出来るだけここに居座り、男がどこからか出てくるのを待つ他ないだろう。
不自然の無いよう、店の中に視線を巡らせつつ、今しがた運ばれてきた料理を口にする。
ワインによく合う、舌の上で溶けるような肉を使った料理を持ってきたが、これは屋敷で食べ飽きた。
舌が肥えるのも考えものだ……闘技大会の最中に泊まっていた宿の料理を、美味しいと感じていた頃が懐かしい。今では屋敷の、貴族が食べる料理に慣れてしまった。こんな店で金を払って食べなくとも、屋敷で過ごしていれば毎日食べることができる。
そう考えると、屋台の串肉でも買って食べた方が、いつもとは違った味を楽しめて有意義であるとさえ思えてしまう。……贅沢になったものだ。
そう、自身の肥えてしまった味覚に憂いていると、個室の扉から尾行してきた男が姿を現した。
そのうしろから、もうひとり。初老の男が続いて、個室から出てくる。
「――強い」
その男から感じ取れる力に動揺し、思わず声が漏れた。
明らかに桁が違う。それこそ、上級魔物ですら歯が立たないであろう人間だ。
まさか、これほどの力を持つ人間が居るとは思いもしなかった。確実に、クラウディスなど相手にならない。
――危険だ。人間最強の男よりも強い、男。これはもう、組織など関係なく、この男が危険だ。
もし、この男が、私やリータが側に居ない状況でシンリアスを襲えば、確実にシンリアスは殺される。いくら護衛に騎士がついていようと関係ない。
「まずいぞ……」
こんな人間が裏に隠れているとは、はっきり言って異常事態だ。
早急にリータとシンリアスを含め、対策を考えるしかない。
(では、トイノ様)
(はい。残念ですが、シンリアス王女は諦めましょう)
風属性の魔法を用いて、店の出入り口で声をひそめて言葉を交わすふたりの会話を盗み聞く。
異常な力を持つ男の名前は、トイノというようだ。そして、推測通りシンリアスを狙っていた。
何故、諦めるのかはわからないが、シンリアスは標的から外れたらしい。これは、不幸中の幸いだろう。
だが、シンリアスが外れたとなると、次は他の王族の者が狙われる可能性がある。もし、カーラが狙われるとなれば、クラウディスでは対処できない。
もう少し詳しい内容を聞きたかったが、トイノはそのまま外へ出て行ってしまった。そして、トイノを見送った尾行してきた男も、また店の奥へと姿を消す。
「せっかくの料理が不味くなってしまったな……」
面白い情報どころか、不測の事態が起こってしまったことに、憂鬱になる気分を抑えきれなかった。
※
「ガウィ、遅いねぇ~」
「えぇ」
マレクスに武器制作の依頼を済ませたリータとシンリアスは、ティルス伯爵の屋敷まで戻ってきていた。
ガドウィンと一緒に食事をしようと待っていたが、一向に帰って来る気配がなく、せっかく用意された料理が冷めてしまうということあって、ふたりで先に食べてしまった。
しかし、料理を食べ終わっても未だ戻ることはなく、日も暮れ始めている。
「何かあったのかしら?」
心配そうな表情で疑問を口にしたシンリアスに、リータは笑顔で首を振る。
「心配ないよ、ガウィは強いから。きっと、用事に時間がかかってるだけ」
心の底からガドウィンの安全を確信している様子で答えるリータに、シンリアスは心配していた表情を笑顔に変えて頷いた。
しかし、すぐその表情を拗ねたものへと変化させると、リータを睨みつける。
「そろそろ良いでしょう? ガドウィン様の用事ってなんなのよ」
リータはガドウィンの急に抜けた理由がわかっていた様子だったが、シンリアスにはさっぱりだった。
突然姿を消したと思えば、こんな時間になるまで帰って来ない。リータに絶対的な信頼を寄せているから、マレクスに武器の製作を依頼したことは後悔していないが、それでもガドウィンにも意見を聞きたかった。
そもそも、自分からヴェノム鉱石を使った装備を造ることを提案しておいて、途中で抜けてしまうような用事とは何なのか。
それと、リータだけに意図が伝わっていて、自分には全く伝わっていない。長い時間を一緒に過ごした訳ではないが、それでもシンリアスはガドウィンを親しい人物のひとりであると思っている。そんな人から、リータだけには伝わるような言葉を残して去られてしまい、自分は除け者扱いされたように感じて、淋しさを覚えているようだ。
「う~ん……。まぁ、いいか。これだけガウィが遅くなってるから、隠しても無駄だろうし」
少し悩むような素振りを見せてから、リータは伝えることを決心する。
それに、シンリアスは嬉々として頷くと、早く教えて、と言った表情で先を促した。
「町に入ってからね、尾行してきてた奴が居たの。多分、ソイツを追ってるんだと思う」
「えっ!?」
リータの言葉に、シンリアスは驚愕の表情で固まった。急に出てきた危険な話に、思考が止まってしまったらしい。
しかし、すぐに立ち直ったようで、慌てた様子でリータに詰め寄った。
「び、尾行って……本当に?」
「うん。武器屋に着いてから、ガウィが立ち止まってたでしょ? 多分、その時に尾行してきた奴を見つけたんだと思う」
「ど、どうして教えてくれなかったの!?」
落ち着いた様子で説明するリータとは対照的に、シンリアスは徐々に焦りを強くしていった。
彼女の頭の中では様々な憶測が飛び交っているのだろう。そして、その憶測の中で一番最初に思ったことが、ガドウィンが危険な状態にあるのではないか、ということ。
ガドウィンが用があると言って抜けてから、随分と時間が経っている。それは、帰るに帰れない状況だからではないのだろうか。尾行していた者を追い、途中でその者の仲間に捕まってしまったのではないか。
考えれば考えるほど最悪な状況しか頭に浮かんでこない様子のシンリアスに、またもリータが安心しろと言った様子で笑顔を向ける。
「大丈夫だよ。ガウィに勝てる人間なんて、私かクラウディスだけでしょ?」
まぁ、龍族の王でも勝てないけどね、と心の中で付け足して、リータはシンリアスに落ち着くよう宥めた。人間如きで、どうこう出来るような存在ではない。それがわかっているリータは、至極平然とした表情を崩さなかった。
その言葉とリータの態度から、多少冷静さが戻った様子のシンリアスは大きく息をつく。
「そうよね、ガドウィン様なら大丈夫よね……」
自分に言い聞かせるように、そう呟く。
冷静に考えてみれば、中級魔物が彷徨くような場所を闊歩できる強さの持ち主なのだ。人間しか居ない町中で、多少力のある人間に囲まれたところで身に危険あるとは思えない。
そう思ったようで、今までの気持ちが嘘のように静まった様子のシンリアスは、笑顔を見せた。
それに、リータも笑顔で返すと、扉が叩かれる。
「どうぞ!」
リータが元気良く返事をすると、今まで話題の中心であったガドウィンが中へと入ってきた。
「お帰りなさい!」
「あぁ、遅くなった」
飛びついてくるリータを抱き止めると、ガドウィンは困った表情をさせている。
入ってきて早々に人間が飛んでくるとは、おちおち扉も開けられない、と胸にうずくまって頬ずりをするリータを見つめていた。
「お疲れ様でした。申し訳ありません、ガドウィン様にはお手数をお掛けしてしまいました」
ガドウィンが帰ってきたことで、安堵の表情を見せたシンリアスは労いの言葉を掛ける。それに、リータから聞いたのか、と尋ねられ、少し拗ねた表情をさせながらも頷いて答えた。
「尾行してきた男のアジトは突き止めた」
「さすがはガドウィン様、と言ったところでしょうか」
事も無げに手柄を語ることに、シンリアスは呆れを含ませた表情で感心する。
しかし、それに対して、ガドウィンは複雑そうな表情で首を振った。
「そんな事はどうでもよくなるぐらい、異常な事態が起こった」
「えっ!?」
王族を付け狙う者たちが身を隠すアジトを突き止めた。それは、かなりの手柄だと思うが、どうでもよくなる程の異常な事態と聞いて、シンリアスとリータの表情は一変する。
「落ち着いて聞いて欲しい。――私とリータ。そして、クラウディスよりも強い男を見つけた」
「「……へぇっ?」」
ガドウィンから聞かされた言葉に、リータとシンリアスは目を丸くして固まった。
もう、ちゃっちゃと進めたい……。
まだ推敲が終わってない話数も残っていますが、それは後日に……。
時間がもっと欲しい!