閑話
テーマはガールズトーク。
ガドウィンが眠っている部屋から、廊下を挟んで向かい側に位置する一室。
まだ明かりが灯っているその部屋で、リータが頭を抑えながらベッドに腰掛けていた。
「痛い……」
ガドウィンに小突かれた辺りを擦りながら、しょんぼりとした様子で愚痴る。
未だに痛みが引いていないのか、目には涙が滲んでいた。
「自業自得でしょ」
リータのぼやきに、隣のベッドに座っているシンリアスが反応した。
少し心配した様子を見せているが、叱られて当然だといった雰囲気で呆れた表情をさせている。
その言葉に、リータはムッとした表情で顔を上げる。自業自得だということは分かっているが、他人にそう表現されると面白くはない。
「うるさい! せっかく、ガウィと一緒になったんだから、仕方ないじゃない!」
ほとんど八つ当たりではあるが、込み上げる感情を抑えられなかったのか、リータが叫ぶように言い放った。
久しぶりにガドウィンと、ひとつ屋根の下で過ごせることに舞い上がる気持ちは分かるが、2人きりではないのだから自重して欲しい。
そんな心労を持ってか、シンリアスは深くため息を吐き、困った表情を向けた。
「リータの気持ちは分かるけれど、急にあんな――」
今度は神経を逆撫でしないよう、優しく諭すように声をかけるが、ふと何かに気づいたのか言葉を詰まらせた。そして、ブツブツと独り言を言い始め、口からは「まさか……」「でも、もしかすると……」と、小さく呟かれている。何か憶測を立てているようだが、軽く錯乱するように動揺しているのが見て取れる。
しかし、あくまで憶測の域を出ず、自分の中で答えが出せなかったのか、覗うような視線をリータへと向けた。それでも、聞くことに躊躇いを覚えている為か、なかなか言葉を発しない。その事に少し苛立った態度を見せるリータが「なに?」と、問いかける。すると、恥ずかしげな表情でシンリアスは恐る恐る口を開いた。
「も、もしかして……ふたりで暮らしてた頃は、普通だったの…?」
自分の方から男女の関係があるのかと問いかけることに恥ずかしさを感じているらしく、シンリアスの耳はほんのりと赤く染まっている。そして、言い終わると同時にサッと目を逸らし、恥ずかしさから逃げるように顔を俯かせた。問いかけた後に更に羞恥心が湧いてきてしまったのか、ほんのりと赤かった耳が色を強めた。
しかし、問われた当のリータは別段気にした様子もなく、なにがそんなにも恥ずかしいのだと言わんばかりの表情で、シンリアスの表情の変化を不思議そうに見つめている。だが、ここで変に誤解を招くような事を言ってしまえば、ガドウィンに迷惑が掛かってしまうだろう。リータとしては、ガドウィンとそういった関係であると噂が流れるのは大歓迎なのだが、そのせいでガドウィンに嫌われてしまっては元も子もない。
そう判断しようで、先ほどから答えを待つようにちらちらと視線を送っているシンリアスに、首を振って否定を示した。
「違うよ。別々の部屋で寝てたし、そんな雰囲気になったことすらない」
残念だけどね、と付け加えてからベッドに倒れ込む。ベッドのシーツの肌触りが心地よいのか気持ちよさそうに伸びをすると、身体を預けるマットの反発を楽しむように身体を弾ませ始めた。
あっけなく放たれた否定の言葉にシンリアスはきょとんとした表情をさせる。
リータの事だ。絶対に誂ってくるだろうと思っていたが、そんな素振りを見ないことに拍子抜けしてしまった。
「そ、そう……」
考えすぎであっただけだということに、どこか安堵した表情で息を吐くように相槌を打った。
シンリアスの問いかけにも特に気にした様子を見せずに、無邪気にベッドで遊んでいるリータの姿に微笑みながら「はしたないわよ」と、声をかけながらも、その口調は穏やかであった。
リータは注意されたことに間延びした返事を返すと、ベッドで弾むのを止める。そして、寝る体勢を変えるために寝返りをうってうつ伏せになろうとする。その途中、シンリアスには背を向けていて見えなかっただろうが、楽しみを見つけたような意地の悪い顔を一瞬だけさせていた。
「あまりガドウィン様を困らせては駄目よ」
「うん。怒られちゃったし、ちゃんと気をつけるよ」
「それなら安心だわ」
「でも、びっくりしたなぁ~。シンリアスまでガウィの部屋に来るから、てっきりそうなのかと思ったよ」
本当にそうだと思ったと言うような口調だが、シンリアスを誂うことの楽しさが抑えれていない。現に、声を発した時に見えたリータの口元は少し緩んでいた。
「なっ!? なにを言ってるの! そんな訳ないでしょ!」
リータの口調にまんまと騙されているシンリアスは、再び顔を赤くさせながら叫ぶように抗議する。リータの緩んだ口元も、枕に顔を埋めて隠しているため気づいていないようだ。
「えぇ~? 恥ずかしそうに真っ赤な顔して入ってきたじゃない。どう見たって、そうとしか思えないよぉ~」
思い通りの反応を返したことに気を良くしたのか、リータは更にシンリアスで遊ぼうと、その時の様子を事細かに話しだす。
ガドウィンに連れられ、小動物のように怯えながらも素直に従っていた姿は、男に寝室へ誘われるという意味を理解した上で訪れた、期待と不安の入り混じった女の姿だった、と。
その時の表情や態度を面白おかしく語り聞かせ、シンリアスの羞恥心を煽っていく。そのことで、ようやく遊ばれていると気づいたのだろう、シンリアスの身体は怒りを堪えるように僅かに震えだした。手はギュッとベッドのシーツを握り締めており、時折呻くような声を上げ、恥辱に耐えている。ここで取り乱してはリータの思う壺だと思ったのか、落ち着くように小さく深呼吸を繰り返してから、精一杯冷静な表情を取り繕って口を開く。
「バッ、バカバカしい…! そんな如何わしいことを考えてるのは、リータだけよ!」
怒りと恥じらいの感情を押し殺すように、吐き捨てるような口調で言い返した。だが、まだ鼓動が早まるのを抑えられていないようで、冷静を装っているわりには顔は赤く染まっている。
しかし、意外にもシンリアスの苦し紛れの返しが気に障ったのか、リータは勢いよく身体を起こすと憤慨した表情を向けた。
「ひっどぉ~い! 好きな人とそういう事したいって思って、何が悪いのよ!」
如何わしい女であると断言された事がよっぽど気に入らなかったのか、今までシンリアスを誂って遊んでいた愉悦感は、どこかへ飛散してしまったらしい。
「わ、悪くはないけど……。そういう事には、その……順序があるでしょう…?」
急に態度を変えて迫ってきたリータの勢いに呑まれたのか、シンリアスはしどろもどろな答えを返す。しかし、流石にいきなりは直球過ぎると、自分の考えを譲らなかった。たとえ好意に思っている相手だとしても、そういった関係を持つには段階を踏んでいく必要があると考えているようだ。
しかし、リータは納得しきれていない様子で、膨れた顔をしている。
「順序なんて気にしてたら、いつまで経っても変わらないもん」
そう言うと、フン! とそっぽを向いしまう。
「それでも……まずは、ガドウィン様に意識してもらわないと」
このままではリータの独りよがりになってしまうと思ってか、そうアドバイスをかける。
今のふたりの関係は、どう贔屓目に見ても兄と妹が関の山だろう。リータはガドウィンの事を本当に好きだということは、日頃からの言動や態度で明確であるが、ガドウィンの方はどうだろうか。家族に向けるような愛情は持っていると推測できるが、恋人や婚約者に向ける愛の感情は今までのリータへの接し方を見る限りでは感じられない。
ならば、まずはガドウィンに一人の女として見てもらえるよう、意識させる必要がある。そうでなければ、リータはいつまでも妹のままだ。その関係がこのまま変わらず、もしガドウィンが恋愛感情を抱くような女性と巡り会ってしまえば、それこそリータにとって悲惨な結末が待っている。
あり得るであろう悲惨な未来を聞かされると、そっぽを向いて拗ねていたリータの身体は、どんどんとしおれていく。ガドウィンが自分に対して異性に向ける感情を持っていないことには、リータにも分かっている。だからこそ、自分を異性として意識してもらうための行動だった。少々その行動が突拍子もなく、様々な段階をすっ飛ばした短絡的なものだったが、リータなりに今の関係を変えようと考えた結果であった。
「意識させるって言っても……例えば?」
じゃぁ、どうすればいいのよ、と言わんばかりの目でシンリアスに顔を向ける。
「そうねぇ……。色仕掛け……とか?」
顎に指を当てて考えていたシンリアスが、そう答えた。
すると、リータは顔を下に向け、すぐにシンリアスの方へ顔を向ける。そのままジッと睨みつけるように見つめてから、再び顔を下に向ける。
突然すぎる行動に意味が分からず、シンリアスは首を傾げていたが、またリータが顔を上げた。先ほどのように睨みつけるような視線を送っているが、あることに気づく。
その視線は顔よりも下。シンリアスの、これでもかと存在を主張する胸へと注がれていた。
「……喧嘩売ってる?」
「ち、違うわよ!」
胸へと視線を送っていたことに気づくタイミングを見計らっていたかのように、皮肉めいた疑問を投げかけたリータに対して、シンリアスは顔を真っ赤にさせ、その視線から逃れるように胸を隠した。しかし、羞恥心から力が入ってしまっているのか、豊満な胸は強く押しつぶされ大きく形を変えている。その姿は、どこか情欲をかき立てる印象を持たせ、よりリータを苛つかせた。
「どうせ、私は色気が無いですよぉ~だっ」
シンリアスの押しつぶされた胸を憎しみの篭った視線を送ったあと、不貞腐れるように身体をベットへと投げる。
急に重みが強くなった事を抗議するかのように、ベッドがギシリと音を立てた。
「そ、そんなことないわ! リータだからこそ、気になってる人も多いでしょ!? ほら、デュマリク家の子も!」
またしても拗ねてしまったリータの機嫌を直すため、シンリアスは必死にフォローする。その為に、リータが好意を向けるガドウィンに、呪い殺すほどの殺気を込めた視線を送っていた人物を引き合いに出した。
しかし、突然話題に出てきたセグに、リータ自身は自分が好意を向けられているなど思ってもいなかったようで、考え込むような表情をさせた。
「……そうかなぁ?」
「……どう見たってそうじゃない」
思い当たるフシがなかったのか、疑問の声を上げたことにシンリアスは気抜けしたように答える。
ガドウィンもガドウィンだが、リータもリータだ……と、ある意味似たもの同士なふたりに脱力した様子だ。
「う~ん……まぁ、いいや。私はガウィ一筋だし!」
屈託のない笑顔で、恥ずかしげもなく公言するリータに、シンリアスは眩しそうな表情を向ける。恋をしている姿が輝いて見えるようで、その眼差しは細められてはおり、どこか羨望を感じさせた。
普段はもう当たり前の事になっていて気が付かないが、好意を抱いている異性が居て、その人物に対して素直に自分の気持ちを伝えることが出来る。それが、どれだけ勇気のいる行動だろうか。子供のように、ただ無邪気に言葉にしていると言う訳ではなく、しっかりと自分の気持ちと向き合って言葉へと変える事が出来るというのは、簡単そうでとても難しい。
その事が分かっているからこそ、リータの笑顔がシンリアスにはとても輝いて見えたのかもしれない。
「前から気になってたのだけれど、ガドウィン様のどこがいいの?」
脈絡のない話題だが、不意に気になったようで、シンリアスは不思議そうな顔で問いかける。
異性を好きになるとはどういった感情なのか、未だ体験したことのない感情を少しでも知りたくて、純粋な気持ちで尋ねただけだったのだが、少々言葉が足らなかったようだ。
ガドウィンの事に関しては、常々過敏に反応してしまうリータは、一転して鋭い目つきになる。
「――どういう意味?」
真意をはかるように、少し声を落として聞き返す。もし、蔑むような内容であれば、容赦はしない。そういった感情が、ひしひしと全身から発せられていた。ついさっきまでの、抗議の為の怒りではなく、僅かではあるがはっきりとした敵意を含ませた視線にシンリアスは大きく身体を震わせる。
シンリアスとて、リータが敵意の篭った表情をさせる姿を見たことが無いわけではない。しかし、それは魔物や賊との戦闘の際に見せる表情であり、立場としては護衛対象にある彼女が、今までで受けることなど一切無かった表情だ。
もちろん、雰囲気すら感じたことが無いというわけではない。公務などの移動の際、突然魔物に襲われることは度々ある。その時に、隣に立つリータは全身から殺気を放って魔物を討伐する。可憐な剣さばきを持って魔物を討伐するその姿は、護衛対象である彼女からすればどれだけ心強いことだろう。
下級魔物の群れに囲まれたり、中級魔物と遭遇したりと、リータが護衛になる以前であれば死すら覚悟しなければならない絶望的な状況で、一切の不安を感じることなく平然としていられる。
その安心感はリータが居る、という確証から齎されるものだ。下級魔物に囲まれようと、中級魔物に遭遇しようと、彼女が居れば、問題なく事態を解決できてしまう。
「気を付けてね」と、声をかければ、「任せて!」と、返してくれる。
それは、絶望的な状況であっても、安心して送り出せる存在であり、そんな状況を請け負えるだけの存在であるということ。
今では当たり前になってきてしまっているが、リータのおかげで何度命を救われてきたか。考えてみれば、もしリータが専属護衛騎士として側に居なければ、命を落としていたであろう状況が幾度もあったのだ。リータが居たからこそ、滞りなく公務を全うでき、命の危険に晒されることなく、辺境の地へと赴くことが出来ている。
その事を忘れていたわけでは無いのだろうが、シンリアスの意識の中で薄れてきてしまっていたらしい。初めてリータから本気の敵意が篭った感情を向けられて、リータがシンリアスにとってどれだけ頼もしい存在であるか再確認したようだ。もしリータが愛想を尽かし、専属護衛騎士を辞めるなどといった状況になれば目も当てられない。
「ごめんなさい。ガドウィン様を蔑むつもりは全くないの。ただ単純に、リータはガドウィン様のどこを好きなったのか聞きたくて……」
捉え方によっては誤解されてしまうような質問をしたことに、シンリアスは強く後悔しながら訂正する。自分が好意を抱く人を蔑まれたのかもしれない、そう思ったリータの心情を考えば当たり前の反応だ。
しかし、それだけリータにとってガドウィンという存在は大きいのだろう。
「そうだなぁ~……全部?」
改めて聞かれた質問にリータは、纏っていた雰囲気を柔らかくすると自分でもうまく言葉に出来ないと言った表情で答える。
そのリータの変化に、シンリアスは一瞬安堵した表情をさせた後、呆れた表情で返した。
「全部って……」
「仕方ないじゃん! ガウィの全部が好きなんだから!」
「まぁ……リータらしいわね」
文句ある!? といった表情のリータに、納得した表情でシンリアスが頷く。
全部と言われると本当に好きなのか、と疑ってしまう事もあるが、リータのことだから本当にガドウィンの全てを好きになるのだろう。ガドウィンがどんな面を見せようと、リータはそれを受け入れ好きになる。
シンリアスなりにふたりの関係を見てきた経験から、それを感じさせるだけの理由があり納得してしまったのだ。それだけリータの愛情が大きく純粋であることに、シンリアスは深く感心する。
「あぁ~! 馬鹿にしたでしょ!?」
「全然。本当にリータらしい、素敵な答えだと思ったのよ」
疑惑の目を向けられているが、シンリアスは気にした様子もなく優しげな表情で答えた。
その表情が意外だったのか、リータは呆気にとられた様子で歯切れの悪い返事をすると顔を逸らした。どうやら照れているようで、可愛らしく頬を赤く染めている。
そんなリータを誂うことはせず、シンリアスは穏やかな表情で見つめるだけだった。
一応続いてはいますが、本編にはあまり関係ない話なので閑話にしました。