薔薇色じゃん
夕飯の食卓時父から発表があった。
「えー4月から本社に転勤になります、よって実家に引っ越しです。各自自分の荷物の整理を始めて、家の荷物の片付け荷造りにも積極的に手伝うように」
青天の霹靂である、高校一年の冬休み初日の事でした。
荷造り、人生で2度目に聞く言葉だ。1度目は妹が産まれてから手狭になった家から引っ越した7年前、自分が小学校3年の春休みでした。
その時はワクワクする冒険に行く感じの言葉だった様に覚えていますが、今回は高校一年生。確実に数百倍のワクワク、何故かドキドキ感も芽生えたのでした。
何故?答えはカンタン、彼女居ない歴4年に終止符が打たれるかも?と、いたって単純な「俺の人生バラ色じゃん!」などと妄想族の一員の始まりなのでした。
そんな訳で冬休み中はせっせと荷造りを始めて、たまにスキーに行く程度。あっ!程度ってのは高校生でもスキー場に簡単にバスと電車で行けちゃう土地に住んでたんです。今みたいに携帯なんか無いから家の電話に直接掛けて打ち合わせ。
必ずお父さんかお母さんかそれ以外の家の人が出るから、ちゃんと挨拶から。
たまに、お母さんと長話になっちゃって、電話の後ろから「おぃーーちょいー代われよー」と、友達の声。
身元確認&身元保証がそんな事で出来ていた時代だったかもしれませんね。
冬休みが終わり先生に引っ越しの話しをした時、「.......成績はともかくなぁ~私立から公立への転校は難しいんだよ.....」
またもや青天の霹靂なのでありました。
今は解りませんが当時の教育環境下ではダメだったんです。
選択肢は1つだけ。
下宿です。
軽やかな足取りで「俺の人生薔薇色じゃん!」の妄想族の幹部への道が拓かれた事を確認しながら職員室を後に自宅へチャリンコを飛ばしたのでした。
つづく。