07 『時戻りの魔女』(2)
──エリックの死を避けるために取るべき手段は?
1.過去の私に会い、ニルと親しくしないように言う。
ニルと親しくしなければニルが私を刺そうとすることもなく、エリックが私をかばって死ぬこともないのでは?
けれどニルはコニーとよく似ている。たとえ未来の私からの言いつけでも、私が彼を気にせずにいられるとは思えない。これは確実じゃない。
2.過去の私に会い、孤児院の建設をやめさせる。
上のと似ているが、こっちはそもそもニルと接触しなければ……という考えだ。
でも話を持ちかけてきたのはほかでもないパティだ。私が彼女の頼みを断りきれるだろうか。やっぱりこれも確実じゃない。
3.過去の私に会い、あの日にニルに刺されると警告する。
自分に警告し、凶行をその場で止める方法だ。
でもニルはまだ子供だ。私を刺そうとする現場を取りおさえたところで、それだけで施設に収容されることはないだろう。できるのはべつの孤児院へ移すことくらい。
それでも……あれだけの執着を私に見せた子だ。孤児院を抜けだして私のもとへいつか現れるかもしれない。そう考えると、やっぱりこれも確実じゃない。
4.過去の私に会い、エリックと結婚することをやめさせる。
エリックと私が結婚しなければレイベリー邸に私が移ることはなく、パティも近くに孤児院を作ろうとは考えなかっただろう。
これならエリックが私のかわりに刺されることはなくなる。
でも、この縁談は私のもとに唯一来た縁談だった。それを断れるだろうか? 私がいやがったところで両親によって話を進められてしまうにちがいない。
……過去にもどれるのは一回きり。それもたった六十秒ときている。
たったそれだけで未来を変えることなんて不可能なのだろうか──?
そう悩んでいたときだった。私はあることに気がつく。
自分に会っても未来を変えられないのなら、過去のエリックに会いにいけばいいのだと。
「──私に婚約の話を持ちかけてくる前のエリックに会って、私との結婚をあきらめさせようと思うのです」
私の話をパルマさんは黙って聞いていた。レモングラスのさわやかな香りが満ちている中で。
「これしか方法はありません。一番確実なのは、エリックが私と結婚しないようにすること。六十秒で、彼との結婚生活がどれほどひどいものだったかという嘘を吹きこんでこようと思うのです」
「……エリックさんと出会わなくても、あなたは自分を刺そうとしたニルという男の子といつか出会うかもしれない。パティとの縁は切れていないのですからね。そして、そのときあなたを守ってくれるエリックさんはいない。
夫を助ければ自分が死ぬ。その可能性は充分に理解していますか?」
私はそこまで考えていなかった。
でも、『自分が死ぬ』と言われても恐怖は感じなかった。『夫を助ければ』。そっちのほうが私には大切だったから。
「はい。私は、それでもかまいません」
そう、とパルマさんはまぶたを閉じてうなずく。私は彼女に言った。
「教えてください。『時戻りの魔女』は──どこにいるのですか?」
「…………」
「パルマさん」
「……そうねえ。あなたになら、教えてもいいでしょう」
「それじゃ……!」
「『時戻りの魔女』は」
パルマさんは言った。吸いこまれそうな茶色い瞳で私を見つめながら。
「ここにいますよ。あなたの目の前にね」
私はきょとんとした。
「……え?」
「ふふ、聞こえませんでした? 私が『時戻りの魔女』ですよ、シェリルさん」
「え……、えっ……?」
パルマさんはくつくつと笑う。
「魔女は山奥にいるという噂を流しておけばだれも村を探そうとは思わないでしょう。ましてや、こんなボケたおばあさんが魔女だなんてだれも思わない。あれはね、隠れ蓑として流したのですよ」
「そう……だったんですか……」
なんて聡明なひとだろう。感心すると同時にそれが魔女たるゆえんのような気がして、私は緊張で体をこわばらせる。
彼女が本物なら。
彼女がほんとうに、時戻りの力を使えるとしたら。
「──さあ、シェリルさん」
彼女は私に手を差しだす。節くれだった、しわだらけの手を。
「私の手をにぎって。もどりたい過去をイメージして。
……いまから六十秒間だけ、あなたを過去に送りこみますからね……」
そして──私は出会った。
過去のエリックに。まだ『仮面伯爵』としての噂しか知らない彼に。
「あなたとの結婚はほんとうに最低だったわ」
右手をきつくにぎりしめて。たくさん、ひどい嘘をついた。
「もしやり直せるならあなたとは結婚したくないわね。あなたと一緒にて楽しい時間なんてひとつもなかったもの。私がなにを言ってもつまらない返事しかしなくて」
素敵な時間をくれた彼に。真面目な顔で突拍子もないことを言うところが好きだった彼に。
「あなたは私になんてぜんぜん興味がなくて」
喉にいいから、と言って私のために蜂蜜を取りよせてくれた彼に。私の歌を褒めてくれた彼に。私にとって特別な花を庭に咲かせてくれた彼に。
「あなたは、私を一度として愛してくれなかったのよ……!」
私のことを、命をかけて愛してくれた彼に。
「……この結婚は失敗だったわ。あなたと一緒に……なるんじゃ……なかった」
エリックの表情は変わらなかった。……変わらなかったと、この時点での私なら思ったはずだ。
でもいまの私ならわかる。彼は未来の妻から投げかけられた言葉に傷ついていた。ショックでなにも言えないくらい。
……ああ、これならだいじょうぶ。その表情を見て私は思う。
未来からきたという私にこれだけ言われたら、彼は私との結婚をあきらめるだろう。もう二度と私の顔なんて見たくないと思うだろう。
これで──これで、いい。
彼と夫婦として過ごした時間はなくなってしまうけれど。彼は私を愛してくれるどころか、自分を傷つけた人間として私を憎むだろうけれど。
それで彼が生きていてくれるのなら。
私はもう、どうなったってよかった。
「……おかえりなさい、シェリルさん」
「…………」
私はまぶたを開ける。
欠けたカップに入っているハーブティーが視界に映り、それを見た途端レモングラスの香りが感じられて、いま自分がどこにいるかを思いだした。
「パルマさん……」
「ええ。いいのですよ、代償はもうもらいましたから」
「……え?」
「あなたの歌──とても素敵のようね。エリックさんにもたくさん褒めてもらったのでしょう?」
「…………」
「ですからあなたの歌声をもらいました。あなたが二度と歌えないように」
「歌……? 私から、歌を──!」
くくっとパルマさんは笑う。
「私は魔女ですから。それくらいはさせてもらわないとね」
私はひとりでレイベリー邸にもどった。
パティには自分が正気に戻ったと証明するため、『時戻りの魔女』には会えなかったと手紙に書いた。
しばらくして私はエリックの弟のダレンと再婚した。
『仮面伯爵』の弟は兄とは真逆の豪胆な見た目をしているけれど、心遣いが細やかなところは兄とそっくりだった。
『私は義姉さんの心が決まるまで待ちます。父と母は上手くごまかしておきますから』と言って私には指一本ふれようとせず、寝室も別にすることを許してくれた。
彼が出かけてひとりになったとき、私は裏庭のリクニスの花の前で左手を空にかざしてみた。
薬指の指輪は指に食いこんでいて自力ではもう外れない。そしてダレンはこのまま一生外さなくていいと言ってくれている。兄はほんとうにあなたを愛していたから、と。
だから。この指輪が外れるのは、未来が変わったときだけ。
私がレイベリー夫人ではなくなったときだけ。
はやくその日がきますようにと。彼が私のために咲かせてくれた思い出の花の前で、私は祈った。




