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05 ある日曜日に、



 その日からニルは私に懐きはじめた。

 絵本を持ってきたり、庭で摘んだ花を私にくれたり。私が屋敷に帰るときには玄関に立ってこちらをじっと見つめるようになった。


「あの子はだれにも懐かなかったのに……」と先生たちは不思議そうにしていた。


 (コニー)とそっくりな子が孤児院にいる、とエリックに教えると「見てみたいな」と彼は言った。「今度の日曜の午後なら時間が取れる。一緒に行ってもいいか?」


「ええ、もちろん」


 跡継ぎの問題は棚上げになっていた。

 私が孤児院での奉仕活動に勤しんだところでなにか変わるとは思えなかったけれど、一心に子供たちに尽くしていれば神さまがお恵みをくださるのではと考えていたのも事実だった。


 その週の日曜日、私はエリックと一緒に孤児院を訪れた。

 相変わらずの『仮面伯爵』に子供たちは怯えたけれど、私が笑顔で彼と話をしているうちに危険はないとわかったのかやがておそるおそる寄ってくるようになった。


 エリックは子供好きだ。子供たちが自分に慣れたと見るや、小さな子をたかいたかいしたり積み木でお城を作るのを手伝ってあげたり、率先して遊びに参加する。

 でもいつまで経ってもニルが近寄ってこない。私は周囲を見回した。


「あ、ニル──」


 すると彼はすぐに見つかった。リビングの入口に立ち、私たちを無言で見つめていたのだ。

 けれど私が声をかけようとすると音もなく立ち去ってしまう。


「……?」


 虐待されていた子供の中には大人の男のひとが苦手という子もいる。

 ニルが父親に暴力を振るわれていたという話は聞かなかったけれど、先生が知らないだけかもしれない。そう思って私はあえて後を追いかけなかった。


 日が暮れる頃に私たちは孤児院を去ることにした。

 すっかりエリックが気に入った子供たちは泣いてお別れをいやがったけれど、「また来るから。なんたって私の家はすぐ近くだからね」と言われて仕方なく彼を見送る。


 屋敷までは馬車を使うほどの距離でもない。この街は山間にあり、いまの時間は夕陽に染まる美しい山々を見られる。

 のんびり歩きながら私たちは今日のことを話しあった。


「やっぱり子供はかわいいものね」

「そうだな。ただ、明日は筋肉痛になりそうだ」

「全力で遊んでましたものね、あなた」


 男の子たちにのしかかられていたエリックを思いだして私はくすっと笑う。そのときだった。


「あら──」


 たたたたっと小さな足音が背後から聞こえてきて。私たちがなにげなく振りかえると、


 包丁を持ったニルが、


「あ」


 私めがけて、


「え……?」


 刃を、


「──シェリル!」


 突き刺してきた、と思った瞬間に私は横から突き飛ばされた。


 一瞬。なにもわからなくなる。


「エリ……」


 エリックの前にはニルがいた。なんの感情も浮かんでいない顔で、彼は「とるな」とつぶやいた。


「ままはぼくのものだ」


 エリックは自分のおなかを押さえ、その場に膝をつく。私はあわてて彼の肩を支えた。


「エリック! エリック、だいじょうぶ?」

「……ああ。へいき、だよ」


 彼のおなかからは包丁の柄が生えていた。白いシャツが赤く染まっている。

「すぐに病院へ……!」と私が悲鳴のように叫ぶと、「それよりも」とエリックがつぶやいた。


「そばにいてくれ。きみと離れることが……怖い」

「そんなこと言ってる場合じゃ──」

「シェリル。私のもとへきてくれて、ありがとう」

「なに言ってるの……」


 ニルは思考が止まってしまったかのように立ちつくしていた。私は次第に重くなっていくエリックの体を必死に支える。


「『仮面伯爵』の妻だなんて。いやだっただろう。でもきみは……私のもとへきてくれた。嬉しかった……。私はずっと、きみのことだけを、さがして、」

「待って、エリック。すぐにお医者さまを連れてくるから」

「聞いてくれ。私は……きみを、あいしている。ずっと。ずっとだよ。この七年間、私は幸せだった」

「エリック。やめて。そんな、お別れみたいな、」

「きみと一緒になれて──しあわせだった」


 彼の口から赤い血が一筋伝う。

「やめて……」私はつぶやいたけれど、彼の青い瞳は急速に光を失いつつあった。ただの人形のように。


「エリック。エリック……!」





 私は結婚からたった七年で未亡人となった。ニルは遠く離れた療養所へと連れていかれた。精神のバランスを欠いたものが行くところだ。


「あんたと結婚なんてしたから……!」


 エリックの葬儀で義母は私にそんな言葉を投げつけてきた。

 その通りだった。これは私の浅はかな行動が招いた悲劇。私なんかと一緒になったからエリックは身代わりに刺されることになったのだ。


 私さえ。私さえ、いなければ。


「やめるんだ、おまえ」

「ですが……!」

「たとえエリックがいなくなっても」義父は義母を押さえ、蛇のように狡猾な目で私を上から下までじろじろ眺める。「レイベリー家の名は守っていかなければならない。そうだろう?」


「でもあなた、エリックが……」

「頭のいかれた子供から妻を守ったんだ。あいつの名前は英雄として永遠に語りつがれるだろう」

「…………」

「シェリル。身の回りが落ちついたら次男(ダレン)と再婚しなさい。もうあいつに話はついている。そして、今度こそレイベリー家の跡継ぎを産むんだ」


 ──ほんとうにこのひとたちからあの優しいエリックが生まれたのだろうか。沈黙を返しながら私は考えずにはいられなかった。

 それとも、こんな両親を見ていたから彼はあんなに優しくなれたのだろうか……。


 パティとその旦那は目を真っ赤にしてエリックの死を悼んでくれた。

「私が孤児院の話を持ちかけなければ……」と旦那が言うので、そんなことはありませんと私は強く否定した。夫は恵まれない子供たちのために尽力できて幸せでした──と。


 旦那は一晩レイベリー邸に泊まって帰っていったけれど、パティはしばらく私のそばに残ってくれることになった。

 きっと彼女から見た私はとてもひどい顔をしているのだろう。自分ではわからなかったけれど。


「なかなかいい性格してるわね、エリックさまのご両親。エリックさまと血が繋がってるとはとても思えないわ」と私の部屋のベッドに座ってパティは言う。

 それについては同意見だけれど、いまはほかに話したいことがあった。


「ねえ、パティ」

「なあに?」

「『時戻りの魔女』って──ほんとうにいるの?」

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