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04 ニル



 私は義理の母親からきた手紙を机の上に滑りおとした。


 レイベリー伯爵夫人となって六年。

 夫の表情は見抜けるようになったし、声色でいまの気分を察することもできるようになった。でもまだ、私たちの間に子供はいない。


「……わかってるわよ……」


 どんな手を使ってもいい、はやく跡継ぎを。

 初めは婉曲な表現だったのに、この頃義母はストレートに催促してくるようになった。エリックが固く断っているようだけれど、そうでなければ愛人を用意して私の代理としてこっそり子供を産ませようとしたにちがいない。


 私はエリックの子供を切望している。彼だってそうだ。

 なのに妊娠の兆しが見られないことがどれだけ辛いか。便箋の中の跡継ぎ、子供、という字が大きくせまってきてどれだけ私を追いつめるか。義母には想像できないだろう。


 返事をださなければいけないけれど億劫だった。いったん後回しにして、私はパティからの手紙を開く。


 彼女は三年前に孤児院の経営者と結婚していた。平民の男性だけど、とても感じがよくてパティを敬愛していることが伝わってきた。


 私は大切なパティがそういう男性と出会えたことが自分のことのように嬉しくて──でも、手紙を開くたびに『ねえ聞いて! 私、妊娠したわ』と書かれていないか真っ先に探してしまう。そしてないことを確認して胸をほっとなでおろし、そんな自分を嫌悪することをくりかえしていた。


 ──ああ、ほんとうに赤ん坊がキャベツやバラから生まれてくればいいのに!


 幸い──いえ、幸いだなんて言ってはいけない──今回のパティからの手紙にもそういったことは書かれていなかった。

 近所の他愛ない噂話と、今度、旦那が新たにレイベリー邸の近くに孤児院を開設したいと考えているという話。なので一度エリックも混ぜて話をさせてほしいということだった。


「孤児院……」


 養子、か。


 実際にもらうとしたら親戚や付き合いのある貴族の家からもらうのだろうけれど。興味が湧き、私はすぐにパティに返事を書くことにした。エリックの予定を書く個所だけ空けて。


 その夜、パティからの手紙について話すとエリックは「そうか、なら近いうちに時間を作ろう」と言ってくれた。リビングルームのソファでワイングラスを揺らしながら。


「パティさんは相変わらず精力的に活動しているようだね」

「ええ。子供たちからはパティママと呼ばれているのよ」


 エリックも私と一緒にパティの結婚式に出席している。きみと仲がいいわけがなんとなくわかるよ、と言われたっけ。


 ママ、という単語がふいに私たちを黙らせた。

「エリック、私……」グラスをテーブルの上に置いて私がつぶやくと、「もうすこしがんばってみよう」と彼が言った。


「十年目にやっと子供が産まれた夫婦を私は知っている。私たちはまだたったの六年だ。ほら、四年も猶予があるんだよ」

「…………」

「また母から手紙がきていたそうだな。なにが書いてあったか知らないが……母が私を産んだときとは時代がちがう。彼女の言うことは気にしなくていい。──すべては神さまの思し召しだ、そんなに思いつめても仕方がないよ」


 私は小さくうなずく。

 ──わかっている。わかっているの……。


 それから一年後、教会のそばに孤児院ができた。エリックも半分ほど出資したそうだ。


「いいところね」とパティに招かれて開院前の建物を夫と一緒に見学させてもらいながら私は感想を述べる。

「ああ、陽の光がふんだんに入ってきて素晴らしいな」とエリックもうなずいた。


 一階のリビングは吹き抜けになっていて、天窓から太陽の光が惜しみなく降りそそいでいた。建物自体は木造で新しい木の匂いがする。


「レイベリー伯爵がご協力してくださったおかげです」とパティの旦那が笑みを零す。

 その笑顔に寄りそうように、「自然がここの孤児院のテーマなの」とパティが言った。


 じきに孤児院の運営がはじまり、私も時間があるときは顔を覗かせるようになった。


 事故で両親を亡くした子。育児放棄をされた子。貧困が理由で家から追いだされ、あてどなくさまよっていたところを保護された子……。


 どの子も胸が痛む理由でここにきていたが、私が一番気になったのは母親から虐待を受けていたという八歳の男の子だった。

 彼は顔も体も痣だらけで、髪はほとんど抜けていた。ストレスかと思ったら母親に引きぬかれたのだという。


「どうしてそんな……」

「髪の色が別れた夫と同じ色だからだそうです。彼の髪を見ていると憎らしい夫を思いだすからと……」


 子供がいないところで孤児院の先生に聞くとそんな答えが返ってきた。

 彼は八歳なのにろくに言葉を発せず、読み書きもできず、緑色の瞳はなにも映していないかのように常に虚ろだった。


 ──私のように子供がほしくても授かれない女がいるのに。

 どうして、我が子を傷つけるようなことができるのだろう……。


 彼の名前はニルと言った。


 ある日、子供たちを庭で遊ばせている間に建物の掃除をしてしまおうと私はホウキ片手に中を掃いていた。

 そして、ニルが使っている部屋まできたところで、外にでなかったらしい彼がやっと生えてきた自分の髪を手で引きちぎっているのを見てしまう。


「──ニル!」


 私はホウキを捨てて彼のそばに飛んでいき、その手をつかんだ。

「どうしたの。こんなことしたら痛いでしょう?」と尋ねると、彼はいやいやをするように首を振る。


「どうしたの?」

「ま……い……」

「え?」

「まま、いや、いう」


 ──ママが嫌だと言う。別れた夫と同じ色の髪を。


 先生から聞いた話を思いだして私は絶句した。ニルは、母親に嫌われないために自分で自分の髪を抜こうとしているのだ。

 母親に嫌われないため。母親に愛されるために。


 ニルの母親は──彼がここに引きとられてから、顔を見せに来ることもなければ手紙をよこすこともないというのに。


「……そんなことしなくていいのよ」

「…………」

「こんなに素敵な金髪じゃない。引きぬいたりしたらもったいないわ。きっとママも伸ばしたところが見たいなあって言うわよ」

「……?」

「そう。もうしなくていいからね」


 不思議そうな顔をしながらニルは自分の髪から手を離す。

 そのときふと、私は自分の弟──コニーも金髪に緑色の目をしていたことを思いだした。


 だれかひとりを特別扱いしてはいけない。わかってはいたけれど、私はつい、ニルを抱きしめてしまう。


「だいじょうぶ。だいじょうぶだからね……」



 それが、

 悲劇を呼ぶとも知らずに。

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