3章③
廃墟の地下にある記録装置が静かに光を放つ。
ホログラムが空中に揺らぎながら、ひとつの映像を再生し始めていた。
カイが画面をじっと見つめる。
そしてその目が細められる。
「……ストップ。クリアにできるか?」
カイの声が、モニカの肩越しに届く。
映像が止まる。
光の粒子で構成されたホログラムには、リリサの背後に立つ人物の顔が映っている。
フードを被ってはいたが、顔の輪郭、鼻筋、顎のラインまではっきりと映っていた。
「結構しっかり映ってるな」
「ですが、この顔と一致する人間は、ドーム内にはおりませんわ。となれば必然的に、ドーム外──スラム人間ということになりますわ」
モニカが小さく指を鳴らすと、後方にあった小型端末が唸り始める。
周囲の機器が自動でネットワークを構築し、記録装置と同期された。
まるでこの女が場そのものを『操っている』かのようだと、カイは思った。
――検索、完了。
ホログラムの脇に、赤い文字が浮かぶ。
> 「一致なし」
「ドーム市民ID:該当者なし」
「顔形状マッチング:既知データに登録なし」
カイは唇を引き結んだ。
「変だね」
「ええ、理由を測りかねますわね」
「……ねぇ、何が変なの?」
背後の暗がりから、セラが現れた。
大丈夫かと問うカイに、セラは大丈夫とだけ答えた。
「ねぇ、なにがおかしいの?」
「ああ、ドーム内の人間と顔認証で一致する者がいない。にもかかわらず、顔を隠すなんておかしいだろ?」
「ん? 変なことってある? 犯行の記録なんて、残したくないのは誰でも一緒でしょ?」
「ええ、もちろんですわ。セラ様の言う通り、何らおかしな点はございません」
モニカが補足する。
「我々は、というよりカイ様は、『顔を隠すということは、顔自体が何かのヒントになるはず』という考えから、オリジナルの──つまりは、加工される前の映像を求め、私のところへいらっしゃいました」
モニカが続ける。
「しかし目論見がはずれ、オリジナルの映像にある実行犯は、どこの誰とも分からないスラムの人間」
「どうして、スラムの人間ってわかるの?」
「ドーム内の居住登録は、顔認証とセットだからね」
カイが疑問に答える。
「ドーム外の人物は、基本的には市民登録もされていないことが多くてよ。真に防犯を目指すのであれば、スラムの人間全ての顔と名前をデータベースに記しておくべきなのでしょうけれど」
モニカが含み笑いを浮かべる。
「つまり、『外の人間』なら、犯罪に使いやすいってことだ。たとえ映像に残ったとしても、証拠にはなりにくい。だからこそ、この映像は不自然なんだよ」
モニカは少し意味ありげに微笑む。
「ご理解いただけたかしら? だからこそ、この映像は不自然なのですわ」
「つまり、隠す必要のない顔を、わざわざ隠しているってこと?」
「その通り。隠す必要なんてないんだ。犯人を隠したければ、さっさとドーム外に逃がせばいい。なんなら殺して処分してしまってもいい。それなのに、わざわざ不可能にも近い『記録の改ざん』までして、実行犯の顔を隠してしまった。これは明らかに不自然だ。意味が分からない」
「意味が分からないの? それじゃあ、お手上げってこと?」
カイが首を振る。
「いや、むしろこれが手がかりだよ。つまり、『実行犯』の顔がバレれば、裏で手を引いている『黒幕』にも手が届くかもしれないってことだ」
「……なるほど」
セラは囁いた。
しかし何か──背後に『計算された意図』があるように思えてならなかった。
カイが壁に寄りかかり、モニカを見た。
「その顔がバレるとまずい『誰か』は、本人か代理人かは分からないが、面識があるってことだろうね」
「まさにそういう推理ですわね、カイさん」
モニカはスリムな指で、ホログラム上の犯人の顔をなぞる。
「この人物の顔を、ドーム内外の映像記録と照合できるか?」
「ただし時間がかかりますわよ? そもそも見つかる保証もありませんし、膨大な記録から探すわけですから、数日か、下手したら数ヶ月か……期日の約束はできませんわよ?」
「構わない。かかった分のお金は、俺の部署に請求書送ってくれよ」
カイは即答した。
「仕方ありませんわね」
モニカは肩を竦めると、早速手下に指示を出して作業に当たらせた。
「それまで、あなた方はどうなさいますの? どこか捜査に出かけるというのであれば、カイ様お一人で出られたほうがよろしくてよ?」
カイはセラに目配せを送ると、「そのつもりだ」と返事をした。
「とりあえず作業が終わるまで、セラを住まわせてくれるか? もちろん、お金は出す」
モニカはポケットからキーを取り出すと、セラに投げ渡した。
カエルのキーホルダーがついていて、少しイメージと合わないとセラは思った。
「そちら、客間の鍵ですわ。それから、部屋の隣には図書館がありますの。古今東西あらゆる書物を取りそろえておりますので、興味があれば、自由に読んでいただいてかまいませんことよ」
つまり、暇つぶしにどうぞ、ということだ。
しかしセラにはやりたいことがあった。
せっかく時間があるのなら、少しでも事件の解決の糸口を見つけたい。
「あの私、リリサの……映像を見たい。彼女の最後を、まだしっかり見れていないし」
カイが目を伏せる。
「本当に見るつもりか? 正直、見てもなにか分かるものでもないし、無理する必要はないよ」
「見なきゃ、ダメだと思うんだよね。私のせいで殺されたようなもんだし」
モニカは一瞬だけ、わずかに表情を和らげた。
「その覚悟、見届けさせていただきますわ。
……それと、セラさま。ひとつ、念のため申し上げますと」
「なに?」
「この『顔』が、たとえばドーム政府の誰かの親族だったり、あるいはかつて軍に所属していた人物だったり──真相が『あなたの正義』では割り切れないものだとしても、それでも、前に進まれます?」
セラの答えは、即答だった。
「関係ない。私たちを殺した。その事実が全てでしょ。過去がどうだろうと、誰が守っていようと、『犯人』は犯人なんだから」
一方そのころ――
スラム街、モニカのいる地点から東へ数十キロ離れた『暗礁地帯』。
夜でも昇らぬ太陽の代わりに、赤く毒々しいガス灯が地表を照らしていた。
そこは、都市の影が落ちる場所だった。
かつて工業地帯と呼ばれた名残すら今では失われ、腐った鉄骨と瓦礫が無秩序に積み上がるだけの廃墟が広がっている。
空気は重く、湿っていた。
遠くで排気塔が喘ぐように煙を吐き、それが風に流れもせず、赤黒い霧となって地表を這っている。肺に刺さる刺激臭が、五感より先に本能を警戒させる。ここに長く留まることは、「死に方を選べない」ことを意味していた。
あらゆる金属は酸に蝕まれ、骨のようにむき出しの配管が、錆びて軋んでいた。かつてここに人の暮らしがあったとは、誰も信じられないだろう。今やその痕跡すら、汚染に飲み込まれている。
風は吹かない。ただ沈殿する毒の海のように、大気がよどんでいる。
赤いガス灯があたりをぼんやりと照らすが、それは光というより警告だった。立ち入るな、と。命の境界は、すでに超えているのだと。
防護服なしでは三分ももたない。肌が焼けるより先に、喉が裂ける。
ドーム都市の『清浄』を維持するために、ここにすべての毒が押し込まれている。
しかし、そんな汚染が広がる町に、ひとりの男が、防塵マスクを外しながら、通信機を起動する。
「コード、ブラックフラグ04。……確認。監視対象、蘇生体・セラ=ミレア。現在、モニカ・リンクの施設に潜伏中」
ノイズの奥から、女の声が返ってきた。
《そのまま監視を継続。必要があれば排除。だが、できるだけ“傷つけずに”確保せよ》
「……面倒な注文だな」
《彼女は“鍵”なのよ。わかっているでしょう? すべてのプログラムが動き出す、その起点》
男は苦く笑い、背後に揺れる影を見やった。
砂に埋もれた輸送ポッド。中には、次の任務に向けて起動待機する機体――
無人型戦術ドール《M-レーヴァ》が冷たい音で待機音を立てていた。