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3章②

 廃墟の地下階段を、ゆっくりと降りていく。

 灯りはない。だが、モニカの歩く足元だけが、青白く静かに照らされていた。

 彼女のブーツに仕込まれた局地照明システムが、周囲の赤外線環境に応じて最低限の視界を確保しているらしい。



「さあ、もうすぐですわ。お覚悟はよろしくて?」


「……一体、何を見せようっていうの?」


「もちろん、交じり気なしの『本物』の記録、ですわ」



 やがて階段の先に、円形の部屋が現れた。

 かつては貯蔵庫か通信所だったのだろう、壁面の一部に古びたシステムコンソールと、情報接続用の椅子が設置されている。


 その中央に、立体映像投影装置。

 まるで記憶を供養する祭壇のような、簡素で無機質な装置だった。



「もともとモニカは、スラム街に作られた映像会社の、その社長の娘だ」


「社長の娘……」


「うふふ、昔の話ですわ」



 モニカ・リンクには、その前身となる企業があった。

 元々は健全な映像加工会社であり、生業としたのは、分かりやすく言えば映画製作だった。

 設立当時、ドーム内で流行っていた娯楽映画の中には、ドーム外のスラムを舞台とした映画がいくつもあった。

 編集業務を担うなら、撮影場所から近い方が良い。という安直な理由から、モニカの父親は事業計画を作成し、世を牛耳る官庁に訴えかけたところ、見事融資を引き出すことに成功したのだ。

 丁度、政府もドーム外のスラム健全化を目指していた折で、時流がよかったという面もあるが、モニカの父親には、事業を興す才能と、それを持続させる才能があったことを疑う余地はない。

 いつも片手にメガホンを持って、まるで往年の映画監督のように、学もない荒くれた従業員を力強く指揮して整えていく。

 設立から、十二年、恙無く会社を経営できていたことが何よりの証左だ。


 しかし、転機は、突然やってくる。

 身構える隙はなく、唐突に、まるで穏やかな湖面に、空から巨大な岩が叩き込まれたように。

 現実が破れ、音が跳ね、全てを破壊した。


 モニカの父親が、何者かに殺されたのだ。

 

 当時、モニカは15歳だった。

 物事の分別は十分につき、荒れ果てた荒野を切り拓く才覚も十二分に備わっていた。

 彼女に、唯一足りなかったものは、人を疑う狡猾さだった。

 跡取りとして、会社を引き継ぐには、モニカは端的に言えば世間知らずだったのだ。


 気がつけば、モニカの手元に残ったものは、父親の形見であるメガホンだけだった。


 モニカが、全てを失いようやく気がついたのは、人間は信用できない、ということ。

 ただ唯一、真実だけが、彼女を助け、信頼の証となる。


 父親譲りの能力で、モニカは瞬く間に全てを取り戻した──父親以外だか。

 社名は自分の名前をつけ、所有者を明確にした。父親と同じように映像加工の仕事を生業とし、父親と同じようにメガホンで現場を指揮した。

 違うところがあるとすれば、モニカは目的のために手段を選ばないということ。

 

 父親が、決して手をださなかった非合法的な仕事も、平然と請け負った。

 実績を積むと、評判が良くなる。

 それは純然たる実力に基づく評価。

 遵法意識などとは、次元の異なる話。



「ところで」と、モニカが、カイとセラに声を掛ける。


「お二人は、真実、というもの、どうお考えあそばして?」



 唐突な問いかけに、セラとカイは顔を見合わせた。



「どうもこうないでしょ。真実なんて、証拠があって、事実に基づいてるものだろ。科学でも歴史でも、裏が取れること。それ以上でも以下でもないと思うけど」



 セラが答える。



「あら、ご機嫌ようですわ。とてもお行儀のよい『真実』ですこと。でも、それはまるで、つまらない岩のようですわ。動かない、変わらない、退屈なだけの――」


「退屈だからって真実じゃなくなるわけじゃないだろ。むしろ退屈なほど正しいことの方が多いと思うけどね」



 カイが言葉尻を捉えて反論した。



「うふふ、ですがカイさん。『正しい』と『真実』って、ほんとうに同じものかしら?」


「……何がいいたいのか分からないんだけど」


「たとえば、私が『この紅茶はおいしい』と申します。私は心の底からそう思っておりますけれど、セラさんには苦いかもしれません。どちらが『真実』かしら?」


「そんなの、主観の話でしょ。味覚に真実なんてない。あるのは『あなたがそう思った』って事実だけだ」


「まぁ、それはそれで愛らしいご意見。ですが、『あなたがそう思った』という事実が真実であるならば、この世には無数の真実が生まれてしまいますわ。ねぇ、カイさん。それって、矛盾ですわよ」


「だから事実と真実をゴッチャにするなって話じゃないのかな。事実は一つでも、それをどう捉えるかは人それぞれだよね」


「あら、じゃあ真実とは、解釈でございましょうか? カイさんが信じたいように信じている、それがあなたの真実でよろしくて?」


「……いや、それを言い出したら陰謀論も真実になるよね。だから検証できて、再現性とか、第三者の目から見て、同様に確からしいものが、真実、とか」



 カイの言葉が詰まる。

 一体何を伝えたいのか、カイにはモニカの心理が測りかねた。



「再現性、ですって。うふふ、それでは『初恋の気持ち』など、再現できませんものね。きっと真実ではありませんわ」


「へんな皮肉。ねぇ、モニカさん、なにが言いたいの?」


「今一度、お二方と私の認識をすり合わせて置きたく思いまして」


「……論理的に考えれば、真実は一つで間違いがないと思うよ。それで、真実がどういうものかって話だけど、実際におきた出来事が『真実』ってことでいいんじゃないか?」


「うふふ、私もその通りだと考えておりますわ。ですが、『実際におきた出来事』とは、如何に証明すればよろしいのでしょうか?」


「……そんなこと、経験したからわかるだろ」


「経験だなんて、うふふ。それこそ主観の話ではありませんか? 結局のところ、真実なんてものは、『その人にとって』という枕詞を要せずして存在しないのですわ」


「……そんな、煙に巻くような話」


「まぁ、おほほ。真実って、煙のようなものですもの。掴んだと思った瞬間に、すうっと指の間から消えてしまう。けれど、その香りは、確かに残りますわ。そして、それこそが私の仕事。嘘を嘘のまま残すなんて、ただの怠慢ですわ。私は――それを『真実』として完成させる側。世界は、信じたものが勝つのですもの」



 モニカが合図を送ると、ホログラムが起動した。映し出されたもの、セラのよく知る場所、彼女の部屋、セラが勉強している姿を、俯瞰する形で撮影している。



「この映像は?」


「貴方がたが求めたいわゆる『真実』ですわ」



 ホログラムの映像が続く。

 部屋の外から物音がして、ホログラム上のセラが異変を感じる。

 恐る恐るといった様子で部屋を出ると、その先には男性が血を流して倒れていた。

 口元を押さえて、一瞬だが驚いた様子を見せたセラが、男性に駆け寄る。

 次の瞬間、フードを被った男が背後から現れ、セラの頭を、細長い棒状のもので、殴った。

 気を失い、倒れるセラ。

 その後続けざまに数発。

 明らかな殺意をもって、何度も、何度も、男はセラの頭を殴りつけた。

 時間にすれば1分にも満たない僅かな時間。

 しかし、ホログラム上のセラの頭部は、潰れて既に原型を留めず、その凄惨な様子は、常人であれば直視できない程に残酷だった。



「……これは」



 瞬きすら忘れ、セラはホログラムを直視した。記憶と、まるで違う。

 先日再構築した映像では、勉強中に背後に現れ、確かに顔を直視していたし、自分自身、そうに違いないと思っていた。

 そして何より、セラはこの場で殺されていなかったと記録されている。

 この後拉致され、殺されていく様子が、拷問され、死んだ後も死体を陵辱される様子が、映像として残されていた。

 そしてそれが、真実だとセラは思っていた。

 しかしモニカの見せた映像では、背後から殴られ、そのまま殺されている。



「これは、本当の『真実』なのか?」


「うふふ。どう思います?」


「……お前が保管していたのなら、本物なんだろうと思うけど」



 モニカはあまり、人を信じない、それどころか、機械に対しても疑いの目を向ける。だから収集した映像の保管には、いくつかの物理的なロックをかけて、決してモニカ以外の誰かが映像を改ざんすることがないよう、細心の注意を払っている。



「もちろん、これが混じり気のない本物ですわ。ちなみに、セラ様の拷問映像を加工したのは私ですの。おほほ、まぁ仕事でしたので、それはそれとして許してくださいまし」



 カイには、元々そうではないか、という疑念があったから、別にそのことには驚きはなかった。セラはどう思ったのだろうと、セラの方をみると、セラはまるで気にしていない様子──否、聞いていない様子だった。

 彼女は、ホログラムに釘付けになっていた。

 セラが殺された後、ホログラムにはまだ続きがあった。

 犯人がセラを殺し終え、彼女の死体を見下ろしていると、玄関に来客が現れた。

 それは、セラと同じくらいの年の瀬の少女で、セラと同じ学校の制服を来ていた。



「え、これって、リリサ……?」



 インターホンを押し、扉が開くのを待つリリサ。

 当然、今中で何が起きているのかなんて知る由もなく、警戒した素振りなんて微塵も見せない。

 扉の鍵は、生体ロックが掛けられていて、出るにも入るにも、家主とその同居人でなければ開けることができない。

 男は、セラの腕を掴むと、肘のあたりを思い切り逆の方向に曲げて骨を折った後、肉の部分を思い切り棒状のもので殴りつけ、肉を切断した。

 それを何に使うのかは言わずもがな。

 扉を開いて、来訪した少女を招き入れた。



「ちょっと、待って、え、リリサって、ぶ、無事なんだよね?」



 焦った様子でカイの方を振り返るセラ。

 カイは俯いた様子で目を合わせようとしない。



「……俺も直接、連絡を取れていたわけではない。彼女の父親から、相談して決めると言われた。そもそも、リリサ=ゴルドバーンが亡くなったとか、行方不明だとか、そういう話は聞いていない」


「聞いていないって、でも……」



 ホログラムは、男とリリサが対面したところで止まっていた。続きは? とモニカに問うと、聞きたくない返事が返ってきた。



「我々は、あくまでも映像加工の会社、とだけ伝えておきますわ。素材がなければ、映像は作れませんわ」



 それが意味するところはつまり、セラが拷問された映像は、リリサを素材として作られたということ。セラは、吐き気を催し、その場にへたり込んで床を汚した。



「一応、その時の様子も保管しておりますが、ご覧になります?」


「いや、セラには少し休んでもらう。映像は後で俺だけが確認しようと思う。どこか休憩できる場所は?」


「でしたら、先ほど廊下を戻っていただければ来賓室がありますわ。プレートが掛かっているので分かるかと思います」



 カイはセラを抱き抱えると、教えてもらった来賓室へと足早に向かった。



--

 

 最初に映るのは、白。

 まるで手術室のように清潔で、人工的な静けさが支配する密室。壁は拭き取られた血のあとすらない。だがそれは、"繰り返されている"という証だった。


 カメラの視点がゆっくりと移動する。

 照明が強く、少女の体表に光が反射していた。裸のようにも見えるが、薄布が何か所かに巻かれ、逆に意図的な"演出"すら感じさせた。彼女の目は開いており、視線は焦点を結んでいない。


 その静止した肉体の横に立つのは、フードを被った人物。

 音声はほとんど拾われていない。代わりに、BGMのような電子音楽が流れていた。リズムはゆっくりと、奇妙に滑らかに――観客を誘うように鳴っている。


 刃物が映る。

 回転するカッターのような、工業用の何か。

 そして、少女の胸元に当てられ――スピーカーからは、まるで演奏の第一音のように、機械音と皮膚が裂ける音が、そして少女の悲鳴が、混ざって流れた。


 カメラは、観客の目線でそれを追う。

 腕を外す工程は見事な手際だった。一切のためらいも、感情のブレもなく。内部の筋組織、関節の開き、神経線維が透明ジェルのように引き伸ばされ、切り取られ、次の瞬間には銀色のバットに落とされた。


 だが、最も恐ろしいのは"どこまでも美しく撮られている"という点だった。


 最後、目のアップ。

 死後硬直が始まった瞳が、まるで観客を見つめているかのようだった。


 暗転。


 そこは、殺人現場だった。

 狭く薄暗い部屋。壁は剥き出しのコンクリート。

 床に散らばる書類。倒れた椅子。そして、リリサの──死体。

 バラバラに、無造作に置かれたように見せて、画角に収まるように置かれた死体は、明らかに視聴者を意識している。


 椅子の上には生首が置かれていた。自分の、切り離された死体を見下ろすように配置されたそれの、恐怖と絶望の表情は、焼き付くように鮮明だった。


 次の瞬間、フレームの端に誰かの手が映る。

 無骨な手袋。生体強化手術の跡。皮膚の一部は金属に置き換わっていた。

 その手が、リリサの身体を掴み、画面の外へと引きずっていく。


 映像が止まった。



---




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