2章②
セクター・シティ。
ドーム外。
そこには、法人登記すらなされていない『企業』が軒を連ねる“グレーゾーン”がある。
「今後の方針としては、そこを、目指す」
カイが、昼食のパスタを頬張りながら説明する。
彼の好物はたらこパスタ。
飲み込むより早く口に入れていくから、まるでリスのように頬が膨らんでいた。
「ドーム外でしょ。出るには許可が必要じゃ」
四人席で対角に座るセラは、対照的な丁寧な食事。頼んだのはステーキ定食。弱火でじっくり調理されており、安価ながらも濃厚な味わい。
慣れた手つきでフォークとナイフを操り、育ちの良さがうかがえた。
「俺も一応警察だから。捜査って言えば大丈夫だし、外にツテもある」
「ふーん。まかけるけど」
「それに、君のお父さんの会社に行ったことで、多分君が『蘇生』されたことも知られてしまっただろう。外に出たほうが安全かもしれない」
ドーム外は、環境汚染によってほとんど人が住めなくなってしまった。しかしあえてそこに住む人たちがいる。
ドーム内に暮らせず、宇宙にも飛べない低所得者たちだ。
外がどのようになっているのか、セラはまるで知らない。
上流階級での生活しか知らないセラにしてみれば、未知なの危険で溢れているように思えた。
「ああ、心配するなよ。ほとんどスラム街だけど、行政が入らない訳じゃないし、普通の人達もたくさん暮らしているんだよ。ただ、金がないってだけ。まぁ、金がないから犯罪に手を染める連中も多いには多いが……」
「随分、外に詳しいんだね」
「地球に来て、しばらくドーム外の治安維持を任されていたからね」
昼食を済ませ、会計を終える。
移動しながら、説明を続けた。
「ドーム外にある、情報加工会社──モニカ・リンクを目指す。ここは、表向きには映像制作会社なんだけど、映像解析にも詳しい」
「でも、警察のシステムでも戻せない私の記憶を、そんなアウトローな人達がどうにかできるの?」
「どうだろうね。でも、餅は餅屋っていうだろ? 犯罪には、犯罪者が詳しい」
それって、モニカ・リンクスが犯罪者集団って言っているようなものじゃない。
指摘するのも野暮かと思い、セラは黙った。
そうこうしているうち、ドームとドームを繋ぐ連絡通路に到着した。
ドーム間の移動はここを必ず通る。
一体何処からドーム外に出るのだろう。
セラは、生まれてから14年、ドーム外のことなんてほとんど考えたこともなかった。
外に出るなんて、想像もつかないことだ。
当然、ドームの出口も知らない。
キョロキョロと、周りを見ていると、カイがこちらをじっと見ていることに気がついた。
「な、なに……?」
「いや、綺麗すぎるなと思って」
「はぁっ!?」
突然の告白に、思わず赤面して顔を背けてしまう。
このタイミングで、一体何を言っているんだ?
カイの心理を測りかねた。
「ああ、いや、服とか肌とか、綺麗すぎるから、ドーム外だと悪目立ちするかなと思って」
ああ、そういう。
照れた自分が恥ずかしくなって、更に顔を赤らめてしまう。
見られないように少し前に出て、俯いたままカイの方を見ないように意識した。
「おい、どうした? 大丈夫か?」
「なんでもない! 近づくなバカ!」
「バカって、随分だな」
隣に立とうと、少し早歩きになるカイ。
それがよかった。
何かを予測していたわけではない、もしも後、ほんの少し間が悪ければ、最悪の結果が訪れていたのは明白。
ひゅん。
と風を切る音が、背後からした。
振り向くよりも、カイは異常を察知して、前を歩くセラに飛びついた。
しっかりと彼女を抱きしめて、そのまま地面に押し倒す。
「ちょっ! なに!」
セラは、状況が理解できていないようだった。
カイがセラを覆うようにして守ると、カァンと金属と金属がぶつかる音がした。
「痛っつ……」
カイの背中に激痛が走る。
カイの皮膚には、人工筋肉に金属繊維が編み込まれている。
戦争によって皮膚の8割を失って、緊急手術を施される際に、移植用の皮膚がなかったからと、急遽用いられたもの。
本来なら兵士に施す人体改造だが、結果的に警察となったカイにとっては、都合のよい装備であった。
ただし、軍事利用される場合には痛覚を通さないのだが、カイの場合は、あくまでも一般人への手術であったため、日常が不便にならないように通常の痛覚が機能として通されてしまった。
それによる弊害として、怪我をすることはほとんどないが、攻撃されればそれ相応の痛みを感じる身体になってしまった。
カイはすぐに立ち上がり、周りの様子を見た。
敵の姿は見られない。
どうやら闇討ちの得意な、暗殺者のようだった。
左目がぐるぐる周りだす。
索敵用に、通常の人間の視覚の、倍の領域をカバーする。
「ねえ、ちょっとどうしたの?」
状況を理解できていないセラに、端的に伝える。
「殺し屋がいる」
それを聞いてセラは、ぐっと息を飲み込んだ。
カイは考える。
守りながら戦えるのだろうか。
敵が、どんな装備を持ち込んでいるのか分からない。
姿を見えない理由は何か。
高速移動?
目に見えない程の速度であれば、ソニックブームが生じるはずだ。
であれば。
カイは視覚を切り替える。
現在は光を感知する通常の目だが、見えないものを見るための目だって持っている。
カイの視界が、対象を青から白のグラデーションで映す、サーモグラフィーに切り替わる。
急ぎ、セラの方を振り返ると、彼女にせまる白い影が見えた。
ひゅん。
三度、風を切る音がした。
「ちぃっ!」
セラの頭の上あたりに手を伸ばす。
金属と金属のぶつかりあう音。
鋭く切られたような痛みが全身に走る、傷はない。
白い影が、横へとずれる。
それとセラとの間に入るように位置取りし、攻撃に備えた。
決定打に欠ける。
あいにく、銃の所持を許可して貰っていなかった。
もともと徒手空拳での戦いに自身があるし、一対一なら、相手がどんな獲物を持っていようと、人工皮膚を貫く程の火力がない限り負ける気がしない。
しかし、守りながらとなると、攻めあぐねる。
どうしても後手後手に回ってしまう。
浅はかだったと、後悔したが、それはカイの悪い癖。
今は目の前の事案に対処する時。
余計なことを考えそうになる思考を振りほどき、この場の離脱を第一とした。
目眩ましでも、持ってくればよかった。
考えなしに攻撃してくれるのなら対処がしやすい。
しかしこの暗殺者は、自分の動きが悟られていると感じてからは、攻撃の手を緩めている。
常に一定の距離を保ち、何時でも攻撃ができるとチラつかせながら、攻めてこない。
明らかに、時間稼ぎの様相だった。
厄介だ。
仲間が来てしまえば終わり。
俺はともかく、セラが殺されてしまう。
仕方がない。
破れかぶれの特攻を仕掛けようかと逡巡した時、不意にセラが声をかけてきた。
「カイさんって、爆弾耐えられる?」
「え?」
「ここを壊滅させるくらいの爆弾、耐えられる?」
こんな時、何を言っているんだと思った瞬間理解した。
ああ、と答えるまもなく、セラの方を見ると、ダイナマイトを思わせる鉄製の筒が、今まさに作られているところだった。
カイは、白い影の方向を指さした。
かつん。
と信管がぶつかる音がして、それがカイの示した方向に飛んでいく。
カイは、爆風と熱からセラを守るように彼女に覆いかぶさると、セラも自身とカイを守るため、卵のような殻を自分たちの周りに構築した。
瞬間、弾ける。
一際おおきな衝撃の後は、何かにぶつかる感覚。
上下左右が不覚になって、ただひたすら衝撃が収まるのをまつばかりだった。
やがてコロコロと転がる感覚。
徐々に収まり、やがて止まった。
「……カイさん、大丈夫?」
「……ちょっと背中が、焦げたかもしれん」
「ごめんなさい、咄嗟だったから」
それにしては、迷いがなかった。
セラの腕輪が青く光ると、2人を覆った殻が溶けていく。
「それって何でも作れるのか?」
「うん。これにあるエネルギー分までなら」
はたから見れば、小さなビー玉にしか思えない。
「さてと」
カイが立ち上がると、周りを見渡した。
周囲には全時代の遺物が、荒廃した土地に廃墟として散らばっていた。
もう少し準備をしてから乗り込みたかったが、結果的には無事にこれたから良しとしよう。
セラもぼうっと、周囲を見回していた。
「ここが、外」
ドームの中とはまるで違う。
空気には無機質な排ガスの臭いが常に漂う。
空は淀んでいて、晴れているというのに白じんでいる。
太陽というものを、セラは知識として知っていた。ドームの天井にも、擬似的な太陽が昼間は人々を照らしている。
それと今、空の上にある本物の太陽とを見比べて、セラはこちらは随分と汚いなと感じてしまった。
「むぐっ!」
不意に後ろから、口元に布があてがわれた。
「外の空気は体に悪い。できるだけ吸わないように気をつけろ」
「だったら、ガスマスクでも作ろうか?」
「そんなもん、外の連中に見られたらひったくられるぞ」
そういうものかと、セラは納得した。
「そういえば、私が綺麗すぎるとか言ってたね。それはいいの?」
「今の自分の姿を見てみ。まだ綺麗だけど、死体から服引っ剥がしたみたいで丁度いい」
言われてセラが、自分の衣類を見直した。
爆風と砂煙、衝撃に転がされたためか、衣類の所々が破れて、大分みすぼらしくなっていた。
「なるほどね。てかそれ、冗談のつもり?」
カイの言葉に、セラはケタケタと笑う。
シャワー浴びたい、と思ったが、感性を外の住民に合わせようと思った。
「せっかくだから、二、三日着て、もっと汚しますか」
「それでいい」
カイは時刻と、太陽の位置を確認して、方角と、飛ばされたであほう向きから、おおよその現在位置を把握した。
「この後のご予定は?」
「予定通りだ。このままモニカ・リンクに向かう」
「近いの?」
「歩いて3日くらいかな」
「あららなにそれ、めちゃくちゃ近いじゃん……」
セラはうんざりしたようなジェスチャーを見せ、カイと並んで歩いていった。