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2章

 アイリス・ドーム。

 

 セクター・シティーの中では最も美しく形作られたドームで、別名は安直にも『地球最後の楽園』

 旧首都圏に築かれた、世界最大級のドーム都市。

 その名の通り、空気には常にかすかな花の香りが漂っている。

 アイリスの香気を模した人工芳香は、脳に直接働きかけるリラックス効果をもち、ドーム内の住民は慢性的なストレスから解放されているとされる。

 実際、ここの人々はほとんど怒らない。あるいは、怒る理由すら忘れたのかもしれない。


 都市機能のすべてが過剰にまで最適化されていた。通勤も買い物も、移動は歩くだけでよかった。

 足元の床面には目に見えない無数のベアリングが仕込まれており、歩行者の脳波に応じて自動的に回転する。

 意志が動けば、身体が運ばれる。

 車も電車もいらない。

 渋滞も轟音も、必要なかった。

 行政庁舎や企業本社ビルが整然と並び、ガラスと金属のファサードが空調制御された陽光を受けて鈍く光る。

 建物のすべてが沈黙し、滑らかに、精密機械のように動いていた。人間もまた、その一部に溶け込む。

 食事も、娯楽も、教育も、病気の予防も。

 すべてが自動で管理され、すべてが最善のバランスで設計されていた。

 料理の際に発生するガスや熱、呼気や排気といった人体にとってわずかでも有害となるものは、すべて細い管を通じてドームの外へと排出される。

 リスクは一切持ち込まない。

 それがこの都市の設計思想だった。


 この都市は完璧だった。華やかで、無菌で、穏やかで、暮らす者全てが、幸福だ。

 ただし、それはドームの“内側”に限った話。


 外に垂れ流された排気がどこへ行くかなど、誰も気に留めない。そこに住む人間がいるかどうかも、問題にはならなかった。汚れた世界と切り離されたこの都市では、「外」はもう、存在しないのと同じだった。

 

 ここは花の香りに包まれた、檻。

 美しい牢獄。


 セラはその完璧な清潔感に、息苦しさを覚えていた。

 カイが横で言う。



「都市の美しさってのはな、消したいものを『見えなくする』ことで保たれてるんだ」


「カイさんって、たまに詩的な言い回しするよね。口説いてんの?」


「そういうつもりはないが……」



 心を抉るような毒を吐く。

 どうやらセラも落ち着いたらしい。

 記憶が人格に与える影響を考えると、これが『素』なのか分からないが、少なくともしばらくはこうした毒を吐かれることになるのだろうか。

 カイは、ひとまず心を開いてくれているのだろうと前向きに理解した。


 二人はエレクトラ・ドームを離れ、アイリス・ドームを訪れていた。

 ドーム毎にそれぞれの特徴があり、エレクトラ・ドームは主に居住区。

 アイリス・ドームは官公庁や企業本社といった、行政都市としての機能を持っていた。

 もちろん、居住区画も存在するが、ここに暮らす者は政治家や企業のトップ、富裕層の中でも天頂にいる上澄みが暮らしていた。

 総資産を考えれば、セラの家庭も十分にこちらで暮らせるが、このドームの欠点としては、子育てに向いていないことがあげられる。

 学校は小中高とそれぞれ二つずつしかなく、未就学児を受け容れる施設に至っては存在しない。


 二人がこのドームに来た目的は二つ。

 一つは──



「君の父親の本社は、確か第三区画だったね」


「うん」


「第三区画のどの辺だ? 住所がそれしか書いていなかったが、どこを調べても出てこなくて困ってたんだ。なんか防犯的な意味でもあるのか?」


「カイさんって、地味に物事しらないよね。ホントに警察?」


「悪かったな」



 実際、地球のことはほとんど知らない。

 カイの生まれは宇宙。

 月に生まれ、火星で育った。

 両親は子どもの頃に戦争で亡くし、自身も爆撃で全身を火傷し、全身の皮膚を人工皮膚に置き換えることで生きながらえた。

 そして学齢期は、孤児として奨学金をもらいながら公務員を目指した。

 理由は公務員になれば奨学金を返さなくて済むから。

 警察になったのも、たまたまだ。

 たまたま、正義感が強くて、たまたま、困っている人を放っておけない気風が備わったていたから、警察を目指した。

 より多くの人を救いたいという思いが強くなり、刑事を目指すことにした。

 試験に合格したところ、地球のセクター・シティに配属となり、そして、今、この事件を担当している。

 巡り合わせ。

 


「全部だよ」



 唐突にセラが言った。



「え?」


「だから全部。第三区画は全部、私の父さんの会社の所有地だよ。だから住所も、『第三区画』だけ」


「は?」



 アイリス・ドームは、八つの区画によって区切られている。番号は成立順に割り振られ、第一、第二区画は官公庁で占められている。第三区画からは民間に払い下げられ、独自で開発されて行ったのだが、その第三区画は、買収と統合が繰り返され、気がつけば一つの企業が占有する区画となっていた。



「どんだけでかいんだって話だよね。研究所がたくさんあるから仕方ないんだけど。事務処理とか、代表取締役が集まるビルなら、もう着くよ」



 移動床の振動が徐々に収まり、第三区画についたことを教えめくれる。

 身体が自然に前へ押し出された。

 視界が開けると同時に、それは唐突に現れた。


 ──塔だった。


 《ケイオス・スパイン》


 第三区画の入り口にそびえ立つ、それはもはや「ビル」という語では到底表現しきれない。標高1000m、遠い昔にとある島国で作られた電波塔を、2本並べてようやく超える。

 見上げると、まるで自分の重力が一瞬、上空に吸い寄せられたような──足元がふわりと浮いて、地面との接点が揺らいだ。

 あまりにも高いそのビルこそが、今回の目的地だった。


 ビルという概念をはるかに超えた構造体は、まるで世界から切り取られた影のようで、近づくほどに現実感が薄れていく。指を伸ばせば触れられる距離にあるはずなのに、どこか遠い。近くて遠い。空間認識が狂う。視界が傾ぐ。


 目の前の空間──それがビルの「正面入口」だった。幅五十メートルを超えるアーチ型の開口部。だが、門扉は存在しない。ただ、空間が開いている。中は明るく真っ白で、壁面から透過するように照らす照明が、来るものを暖かく迎えているようだった。



「一応、『ケイオス・スパイン』ってカッコつけた名前があるんだけど、関係者はみんな『本社ビル』って呼んでるんだよね。だからカイさんもそう呼んでね」



 尻込みするカイを尻目に、まるで自分の家にでも入るかのようにツカツカと歩くセラ。

 呆気に取られていると置いて行かれてしまう。

 慌ててカイは、14歳の少女を追いかけた。

 

 受付の類はなく、また、大企業であるにも関わらず誰ともすれ違わない。その理由を、それとなくセラに聞いてみると、「連絡してあるから」と返答があった。

 エレベーターホールには、既にエレベーターが待っており、乗り込むと操作することもなく動き出した。

 高速で動くエレベーターは、それでも最上階まで15分はかかるらしい。



「まぁ今日は上まで行かないけど」



 中層階の会議室が目的地とのこと。

 それまでの時間、現状確認と今後の方針について軽くおさらいした。



「そう言えば、結局リリサとは連絡とれたの?」


「ん? あー、協力してくれるなら、連絡が来ることになっている」


「私からだと連絡つかないんだよね。まぁ世間的には死んだわけだし、蘇るまで何日か経ってるから、仕方ないかと思うんだけど」



 そんな話をしていると、エレベーターはスピードを緩め、ほどなくして止まった。

 戸が開くと、セラは先に降りたので、カイも後に続こうとしたが。



「あ、カイさんはこのまま乗って、最上階で待ってて。行けば勝手に案内してくれるから」


「一人でいいのか?」


「うん。会社の今後とか、話さなきゃいけないから」



 言ってしまえば、カイは部外者だ。

 彼が居ては話せないこともある。

 カイもその意図を納得し、セラの背中を見送ると、言われた通り、最上階を目指した。


 最上階に着くと、行けば分かる、と言っていた通り、道と扉が進むべき方向を教えてくれた。

 正しい方向の扉が開き、入るべきではない扉は開かない。

 自ずと一つの部屋に導かれた。

 そこは一面がガラスの、何もない展望室のような部屋だった。


 部屋に入ると、空気が振動したような気がした。


 次の瞬間、目の前の空間がわずかに歪む。まるで、透明な水面に指を差し入れたような波紋が、宙に広がった。


 そこに、何もなかったはずの空間から、「机」と「グラス」が音もなく出現する。ぴたりと整った形で、しかも磨かれたように美しい。


 続けて、琥珀色の液体が、グラスにゆっくりと満たされていく。上質なウィスキーだ。重く、香り立つ気配すら感じられる。

 晩酌、という時間ではないが、酒でも飲んで待てということか。



「勤務中で、酒は飲めないんだが」



 誰にでもなく呟いたのだが、その一言とともに、液体の色が瞬時に変わる。炭酸の泡が立ち、琥珀は焦げ茶へ。ウィスキーは、コーラに置き換わった。冷たさを伝える水滴が、グラスの外ににじむ。

 

 ウィスキーの構造式(C₂H₅OH+水+香気分子群)から、コーラの組成(糖類+炭酸+酸味料+香料)への再編成。

 化学反応ではなく、純粋に物質を一度、中性子・電子・陽子に「分解」し「別のもの」に組み直す、理論的には可能だが実現不可能な(はずの)超科学だ。


 驚くべきことだが、驚きはしない。

 想像できるものは、恐らくこの会社では全て創造できるのだろう。


 小腹がすいたとでも言えば、料理がフルコースで現れそうだ。


 試す勇気もないが、ひとまず、示唆された通りにここでセラを待つことにした。




    ✳




「ここが父の仕事場。願うだけで何でもできる。核融合だって実現できちゃう。ミニ太陽でも作ってみよっか?」



 セラが部屋に現れたのは、一時間程経ってからのことだった。


 入ってくるなり機能をフルに使って、殺風景だった部屋にエレクトラ・ドームにある実家の自室を再現し始めた。



「ちなみにそのコーラ作るだけで一般的な公務員の生涯年収くらいお金かかるんだよね。まぁ、うちの会社が秒速で稼げる程度だけどね。あ、料金の請求とかしないから安心してね」



 冗談なのか本気なのか分からないようなことを言う。カイはまだ飲みきれていないコーラの入ったコップを、決して溢すまいとしっかりと握った。

 人生分のコーラか。

 大切に飲もうと心に誓った。


 セラは手を伸ばし、卓上に置かれた家族写真に触れた。

 自分と父が、並んで笑っている。

 指先から、生体認証による起動信号が走る。



「会社をさ、役員連中に渡してきたよ」


「いいのか?」


「うん。別に、この会社に対して思い入れないし、経営とかできないし。もともと死んだ人だしね」



 何もない空間に、研究机が現れた。

 セラが近づくと、机の引き出しがにわかに光りだした。



「こういう話を今するべきなのか分からないが、会社者の役員が黒幕という可能性もある。内部にいた方が探りを入れやすいんじゃないか?」


「それもそうなんだけど、多分、ここの人達は違うと思う?」


「何か根拠があるのか?」


「リスクとリターンが見合わないってとこかな。推理小説風に言えば、動機がないって感じ」


「例えば、会社から追い出したかったとか、考えればきりがないと思うんだが……」


「それがリターンにはならないんだよね。うちの父さん、確かに会社で一番偉いんだけど、決定権がないんだよね。追い出したかったら、役員みんなでそう議決すればいい。それに、もっと言えば父さんは技術屋だから、開発環境だけ整えてくれればそれでいいって感じ。むしろ役員連中の方が、それじゃあ態勢が悪いからって、CEOにしてたくらいだし」


「なるほど……」



 研究机の引き出しが静かに開き、セラはその中に無造作に置かれたビー玉を一つ取り出す。



「だから、経営に邪魔だからって理由で排除するのは、リターンがない。それどころか、リスクしかない。開発環境も、商品も、基礎研究も、基本的には全部お父さんのアイディアな訳だし。むしろ大分困ってた。さっき会ったら期待するみたいに私を迎えたけど、会社渡す話をしたら落ち込んでたくらいだし」


「じゃあ、目的は果たしたってことか」


「うん、でもそれだけじゃないよ。権利の完全譲渡は1か月後、それまでに、お父さんの私物は持ち帰るようにってなってる」



 ビー玉を軽く握るとセラのインプラントが反応し、青白く光った。



「本当の目的はこっち。このビー玉。これが、この部屋の『核』」



 数秒の後、光が収まる。

 セラはそれを、腕時計のようなデバイスにはめ込んで、手首に巻いた。


 

「それは?」


「この部屋の機能を集約したものだよ。物を分解して、作り替える。神様ごっこができるってわけ。さっき見たでしょ? ウィスキーをコーラに変えたりとか」



 その時彼女はこの部屋にいなかったはず。

 ああ、あれは彼女がやったことなのか。



「武器は必要でしょ?」



 セラは、いたずらっぽく笑ってみせた。

 そしてそのまま、踵を返して部屋を出た。

 まるで、今までの自分と決別するかのように。

 あわててカイも、後を追いかける。



「これでもう、用は済んだ」


「次はどうする? 何か案はあるのか?」



 カイの問いかけに、セラは声を出して笑った。



「いや、なんで私が考えるの? カイさん警察でしょ?」


「いや、まぁ、確かに、それはそうだな」



 なんだか、ずっと主導権を握られていたから、彼女についていくのが当たり前のように感じてしまっていた。



「でも、そうだね、聞いてくれるのは悪くない」



 セラが満更でもないという風に笑った。



「ひとまず、お昼でも食べながら相談しましょう」



 そうして見せたセラの笑顔に、カイはようやく、目の前の少女が年齢相応の14歳の少女に思えた。



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