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芸術家ラファエロ

この物語の主人公は誰なのだろうか? 悪魔、天使、権力者、芸術家、それとも普通の人間なのか。これがサバイバルなら、生き残るには主人公になるしかない。ある者は神に選ばれる事を望み、ある者は神を制する事を意図する。途方もなく狭い世界の一角で、囁かれる名前はただ一人。



 スペイン、バルセロナ。高層ビルやホテルの立ち並ぶ都心から少し離れると、歴史ある家屋や教会などがある旧市街に出る。大通りから一本、二本と裏道に入っていくと住宅街が並び、その一角に古く小さなアトリエが建っていた。とたん屋根は所々へこみ、紅色に塗られた外壁は色あせて、部分的にその色彩を留めているだけであった。

 めったに人の出入りが無いこの家から人の話し声がした。壁が薄い分、小さな声で話しても外に筒抜けだった。ただ、この周りは人通りが極端に少なく、会話の内容が外にまで漏れたところで聞く者は誰もいなかった。

「相変わらずの生活だな」

低く重たい声が部屋の中を伝わった。

「珍しいものだな。お宅がここに来るなんて」

ここのアトリエの主、名前をラファエロと言う。暗めの茶色い髪の毛は肩まで伸び、顎から頬まで髭で真っ黒だった。着ている紫色の半袖Tシャツは、様々な色が塗りつけられており、元の姿を留めてはいない。部屋の中には描きかけの絵が至る所に乱雑に、無造作に置いてある。

「どうせ君は来いと言っても来ないだろう。世捨て人に腰を上げさせるのは容易でないよ」

 低い声の持ち主は随分と高齢な人物だった。部屋の電気は付いておらず、部屋に一か所しかない窓から唯一の光が入ってくる。老人はその光をよけるようにして、近くに置いてあった椅子に手を伸した。

「世捨て人……か。まあ今はそれほどでもないさ」

 ラファエロはキャンバスに向かい合ったまま、老人の相手をしている。左手に鉛筆を持ち、デッサンを描き上げるほうに集中しているようだ。

「それを聞いて安心したよ。『バルセロナの壊し屋』はようやく隠遁生活を抜け出す気になったらしい」

「隠遁生活ね、まあ入った覚えも無いんだけど」

 老人はスーツの胸ポケットから一枚の写真を取り出すと、ラファエロのほうへ手渡した。右手でそれを受け取りその写真に軽く目をやると、ゆっくりと彼の鉛筆が制止した。その写真にはサングラスをかけた一人の青年が写っている。

「これをどこで?」

 表情は先ほどまでと同様に落ち着いている。だが、声のトーンが明らかに上がっていた。

「それは重要じゃないよ。それより、君は彼の事をどの程度知っているんだね?」

「まず、私の番だよ。この写真はどうやって?」

 老人は椅子から立ち上がると、胸ポケットからもう一枚の写真を出し、ラファエロに渡した。

「サラマンカ大学か。ここで彼を撮ったと」

「そういう事だ。最も、彼がこの大学に通っているのかまでは知らないが」

 サラマンカ大学はスペイン最古の大学で、学問の水準も最高峰にある。歴史、芸術の分野が特に盛んで、数多くの偉人を輩出している。

「それで、誰がこいつを?」

雲が太陽を覆い、窓から差し込む日差しが少し弱まった。部屋はさらに暗がりになり、お互いの顔がやっと見えるくらいだった。

「まあまあ、それはこちらの内緒にさせてくれ給えよ。ところで、君は人にとっての最大の恐怖は何だと思う?」

ラファエロは鉛筆をキャンバスに置き、立ち上がった。そして窓のほうまで歩くと、カーテンを閉めた。辺りを闇と静寂が支配した。まるで小さな宇宙に閉じ込められたように、閉塞感が部屋一帯を漂よった。

「これかい? 闇と静寂。人が根源的に恐怖するもの」

 静寂を破ったその一言に老人は頷く。

「人は“無”にこそ本当の恐怖を覚えるものだ。自分自身の存在を見失ってしまうその怖さに。闇から逃れるために人は火を灯し、静寂を免れるために集団で生活する事を選択する。それに比べれば、その他の恐怖などは取るに足りん」

 ラファエロは先ほど渡された青年の写真に目をやった。カーテンの隙間から、こぼれるように入ってくる僅かな光が写真を照らしている。

「だがもし暗闇にも静寂にも耐性を持ち、恐怖を操る事の出来る人間がいたとしたら、君はその者をどう思う?」

「怪物かな、もしくは悪魔か。どっちにせよヤバい奴だろ」

恐怖は人を飲み込む。思考が中断させられ、意のままに躍らせられてしまう。

「恐怖を超越した人間。悪魔に魂を売り渡したのか、あるいは人間の魂を持った悪魔なのか。いずれにせよ、そのうち私の目の前に現れる事になる」

「その前に彼の事を知っておきたいと」

 老人は椅子を元の位置に戻すと、玄関のほうへ歩いて行った。

「日を改める事にするよ。遅かれ早かれ分かる事だ。それが次来た時になる事を望むよ」 

 ドアを開けると、一瞬にして部屋の中が明るくなった。老人は思わず手で日差しをさえぎった。

「怪物に手綱を掛けるつもりで?」

そう言うとラファエロは玄関まで行き、老人を見送った。

「どちらかだよ。手懐けるか、殺すか……。ああそれと、気分が変わって話そうと思ったらここに電話してくれ」

 黒色のスーツから白色の名刺を取り出すと、ラファエロに手渡す。

「名刺ならずっと以前にも貰っているはずじゃ?」

「それは新しい物だよ。こういう立場だといちいち作り変えなくてはいけなくてね」

 老人が出て行くと、ドアは閉まり、再び部屋の中に暗闇が戻った。ラファエロは青年の写真を手にし、隣にいても聞こえないくらいの小さな声で呟いた。

「サラマンカか……」


 

前回書いていた『悪魔と天使』をリニューアルしました。ストーリー自体は同じですが、次回の話辺りから内容が少し変化するので。

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