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「おはよう」と言える日を。  作者: てぃーぽっと
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第一章:五話「了」



 アリシスはこちらへ向いた二つの視線に背を向けて一歩ずつ確実に進んでいった。嫌に長く感じたその短い移動もやがて終わり、静かに手を便箋へ伸ばす。封筒には入れられずむき出しのまま皺一つない紙に、どこか見慣れた文字で綺麗に文章が書き留められていた。二枚ほどみっちり書かれた文章に少し読むのが億劫だとすら思ってしまった。クローゼットの手紙と同じ文体、今度はしっかり長文で。


 「…『アリシスという人間へ。』」


 だが不思議と高揚する気分は、物語の始まりを予感してのものに似ていた。知らないはずのそれに。アリシスは見やすい手紙を端から端まで読み取ろうと目を凝らす。


 「……怖いな。予測されている上にネタにされている。僕をいや程知っている人間だ。」


 文章の始まり(一言)は比較的真面目だろう。しかしながら、突然ぶっこまれる煽り文句に手紙を持つ手に力が入る。行動がピタリと当てられるのが少し気に食わない。勝手に納得したのか「そんなことはどうでもいい」と文章を区切られ、次の話題へ移行する。なんとなく反論し損ねた気分で、不完全燃焼感が否めない。


 「…真面目な話かと思ったら今度は文句か…」


 今は存在しないヒトからの手紙かと神妙になればこれだ。上げ下げされるテンションに遊ばれていると分かっても反応しなければ、逆に疲れる。きっとこの人物が思い描いている「なんとも言えない表情」は今自身の顔に張り付いているだろう、とアリシスは心の底から諦めを引きずり出した。こちらが意地になればなるほど厄介なタイプのヒトっぽい。


 どうやらヒトではありえないほど眠っていたことに過去の彼らが関わっているらしいとか、精霊達から酷評をもらうと思っている程度には自身を変人だと思っているだろうこととか、アリシスにとっての重要な情報をさらっと流している。そして何より、この手紙の主「しがない魔法使いネア」は思った以上に情報を明かさない飄々とした人物だとアリシスは感じた。


 それに、だ。


 服のサイズについて、文面ではとても申し訳なさそうに書かれている。文章だけを読み取ったのなら。しかし文字がほんのわずかに歪んでいて、それまですらすらと綴られた文章はそこだけ違和感を持ち、どうしたのかと一瞬心配になったほどに線がぐらりと揺れていた。

 …アリシスが心配したのは一瞬だ。線が揺れ、文字の書き始めにインクが他より多く溜まって少しのシミになっていたその一文。段々とこちらを煽る言葉へ変化してゆくそれから予測できる状況は…笑いを我慢して書いたこと。断定はできない。しかし外れているとは思えなかった。

 多少の怒りと呆れを感じながらも、アリシスは流されるがまま感情を変えていく。

 



 そして読み続けるとまた思う。

 このヒトは一体何者なのだろう、と。




 「昔の僕を知っていて、尚且つ目覚めるちょっと前まで生きている…なんて、どんな人外だ。」


 手紙にはネアと名乗る自称しがない魔法使いが、ご丁寧にもアリシスの個人情報とだいぶはしょったこれまでの経緯、行動の注意点を書き連ねてあった。


 アリシスは自身が随分大切なヒトの子供だったことをはっきりと知った。


 「…人外が二人にちまっこい精霊達。そしてそれらがとても大切にしていた宝物の忘れ形見なわけか。僕は。」


 アリシスには、まだまだ知りえない自分の秘密があるのだろう。


 「しかし、まぁ。ご苦労なことだな…」


 結局、どんなに飄々としていようとおちゃらけていようと、彼の本質はきっと「過保護」の一言に集約される。

 心配、後悔、信頼、愛しさ。隠そうと思って隠してはいないネアという人物の感情が心をスッと撫でていき、そのくすぐったさに頭を振った。会ったことなど一度もない。知り合いだと思っているのは相手だけで、彼の正体すら掴めてはいないアリシスからみれば全くの赤の他人と言える。


 しかしどこか温かい彼の揶揄いが、自身の過去と密接にかかわっているのだと強く確信させた。


 ふと息を吐いて、読み終わった手紙を机の上へ置いた。


 「…ありがたいね。これからどうしていくべきか心底迷っていたところだ。

 …でもさ、別に関係ない煽り文句を書いて紙の面積それなりに埋めるのやめない?最後ちょっと文字小さくなってるの余白足りなかったからでしょ…」


 折角、しめるところ締められたはずなのに、綺麗な文字が段々と小さくなっているのが妙に笑いのツボを刺激する。文章だけが頭に浮かぶのなら、緊張感がアリシス一人のこの場を満たしただろう。生死に関わる重要な情報だ。揶揄いも温かいものだなどとは考えまい。ただ単にこちらを煽る冷たい言葉と認識したはずだ。しかしその感情がない事が、アリシスの気持ちを最も表しているようだった。


 どうやら自分は呪いにかかり眠ったらしく、それを弱体化したとしか書いていないことから、解けていないのも気になっただろう。そしてこんな人外と魔術馬鹿と書かれた人外二人目まで現れた。もう現状を飲み込むしか他はなく、笑いやら少しの怒りやら多大な呆れやらを素直に吐き出したかった。


 「…さぁ、準備しよう。」




 彼は書き残した。「愛しているよ」と。


 「時間は限られている。」


 制限付きの自由が、呪いが、なにを表しているか具体的に分かったことは余りに少なすぎる。

 けれどアリシスは一人、納得して歩き出した。何か話している精霊達の元へ戻った時、きっとネアのいう彼の最後の魔法が稼働するだろう。そしてそれは鍵の役割を正常に果たし、第三の鍵へ道をつなげる。

…簡単なことだ。アリシスがこの場所から外の世界へ一歩踏み出すには今の状態だと全く不十分であり、折角苦労して手塩にかけ育てた「彼女の子供」をみすみす本人の実力不足で殺しかねない。第三の鍵を手に入れ、確実に未来の世界で生きて行けるようにと此処には信じられないほど多くの本が用意されているのだろう。


 「多すぎるけど、足りなかったらどうしようかな…」


 学習するには適切な空間。しかし把握できる状況にも限度がある。それは今の世界の時代であったり、世界の細かい常識であったり。過去の知識だけでは生きられまい。


 「…もしここで学んだことで、人々に溶け込めなくなるなんてこと…あり得る。

 …重要なのは判断と保身の気持ちかな。」


 最悪ばかりを想定してもいいことはない。だが必要ないと切り捨てるには状況が状況である。

 この安心感に、危機を感じた。洗脳されていいように使われる可能性だって、アリシスの中には存在している。全ては信じない。けれど、その全てを拒否するほど子供にはなれない。


 「ネアの置いて行ったこの箱も、まだ開けちゃダメ…正直第二の鍵発動後、第三の鍵の正しい解除方法だってわからないのだし…」


 曖昧に繰り出される単語の嵐。混乱し、整理のつかない脳内でアリシスは一つの答えを出す。









 「正しいなんて、思ってないよ。」


 精霊を前に堂々と宣言した。


 「けれど僕はレールを嫌って踏み外した先の死を受け入れたくない。だから。」


 しがない魔法使いネア。その実態など掴む気はなくなった。丁寧な補装された道が用意されている、その先。ネアの言う「こんな世の中」が刃物を上手に使う死神そのものだったのなら、アリシスは命を対価にする誘いを断らないだろう。なぜなら生きている実感も意欲もない。だがそれは、今の話だ。


 「力が欲しい。腕力でも、筋力でもないよ。ただ、君たちの与えてくれる全てが欲しい。」


 何かを欲して生に固執する原因が、アリシスを、アリシスを作り上げた人々を、必ず救うと予感して。

 

 今は自身の感覚を頼りにしかできない赤子だと、分かっていても。


 「…ひめさま。貴方がそのような固い意志を持って、そこから出れば…歯車は止められなくなって、全てが回り始めますぅ…」


 目を見開いて、心底恐怖を宿したように瞳が揺れる。そんなヘイムシャンを結界越しに見つめ、アリシスは小さくうなずいた。


 「無理やり動かさないままにしておくことこそ、世界の天秤が傾く原因でしょ。」


 もう決めたのだと、アリシスが無言で見つめた。


 「ネアの魔法はっ…!ひまさまが起きてからも時間を稼げる、人間が作ったにしては出来すぎた魔法なのです…ぅ…」


 「だから、もう少し寝て居ろ(死んでいろ)って?」


 「…!」


 猶予はある。それが少し早まったって構わなかった。しかし、ヘイムシャンはその言葉に衝撃を受けた。

何も知らないはずの彼が、知りえぬ状況を悟ったと、つい思ってしまった。「死んでいろ」などと口にした彼に遠い記憶がフラッシュバックを繰り返す。


 「…まだ、何も知らないよ。僕は無知だから。」


 すっかり怯えた様子のヘイムシャンに淡々と言葉を連ねる。アリシスは一つの思いを抱えて、行動を始めるのだ。そんなアリシスをみて、ヘイムシャンは息をのむ。



 「…だから君たちの与えてくれる全てがとても欲しい。…それは君たちの考えも含めて。」

 


 「…へ…?」


 ヘイムシャンは勢いよく顔を上げた。いつの間にか下がっていた頭がいきなり軽くなったように素早く持ち上がる。ヘイムシャンの目に映るのは、平然と淡々と追い詰める言葉を並べた冷徹なお姫様。しかし、それだけが現実ではなかった。


 「…ひめさま…困っている、のですぅ…?」


 「うん。かなり。」


 困っている。そうヘイムシャンは認識し、アリシスも肯定した。

 表情は変わらず動かない。しかし少し前傾姿勢で片腕をヘイムシャンに伸ばし、その態勢のまま会話を進める姿には、確かな困惑があった。


「正直、君達がどんな状況で僕の前に居るのかすら分からない。僕の発した言葉でどうして怯えたのかも。」


アリシスの抱いた決意は確かだ。しかし締まらない格好が精霊達にすこしの安堵を与える。「ああ、彼は何一つ知りえないのだな」と。何より全てを管理する者達は、改めてそう思った。いくら行動が昔と似通っていようと、容姿が変わらなかろうと、既に過去の彼ではないのだ。あの過去を彼は知らない。黙っているセンテスも、彼を見つめるヘイムシャンも、僅かに瞼を持ち上げてようやく自覚した。


自分たちは認識していただけで、理解などしていなかった。


そう思った時にはすこし俯いたアリシスが、言葉を零していた。


「君達が与えてくれる知識、過去、日常を、知らなければ僕は後ろにも下がれない。下がる足場がないんだよ。」


死を受け入れるように、自殺志願者のように、ゆらりと危うい雰囲気を漂わせてアリシスは続ける。今度は、淡々と。冷たく。


「…ヘイムシャンは、知っているんだね。僕が決して「生きたい」と思えない事を。」


精霊たちは何かが肩に重くのしかかる感覚がして目の前の結界ギリギリまで手を伸ばす。ヘイムシャンは否定がしたかった。センテスは危ないと焦燥感を持って。違うのだと言いたかった。



「でもね。」



アリシスはぱっと顔を上げて二人を見つめる。先程のアリシスと専ら同じ様な格好をとって、困惑やらなんやらが顔に満ちている彼女達に少し目を細めて声をかける。「してやったり」と言うように、顔を緩めて。


「別に進んで死にたいわけじゃないし、ただ僕の身に何かあっても遺恨はないって言うか…いや、ちょっと違うなぁ…興味がない?って言うのが一番適切かな。でも、それはなんの楽しみも喜びも感じたことの無い今だからこそ、そんな気持ちなだけで、きっと外に出たら普通に「死にたくない」って思うんじゃないかな。」


これまでとは比べ物にならないほどよく喋るアリシスにぽかんとなりながら、呆けたまま独白のような言葉に耳を傾ける。


「…まぁ、つまりは…楽しみたい。」


真摯で、しかしどこか照れくさそうな言葉を吐き出すアリシスは近い未来に己が血塗れになると予想はついていた。


「痛いのは嫌です。何かに虐げられたくもないです。なんなら楽しい事嬉しい事だけで生きていきたいです。」


すん…とどこか遠い目をして口調すら変え両手を合わせて頭を下げた。アリシスはとことんふざけている。真顔で行うそれを察して、ふと精霊達の緊張感が見る間に解けていった。


(これなら、大丈夫…ですぅ…)


ヘイムシャンは年長者の自分が振り回されていると分かって、笑いを堪えられず、ふふ…と笑ってしまった。随分と考えすぎてしまったようだ。そう思える程度には、目先の人物が基本感情でしか動いていないと分かってしまった。なぜならアリシスが「やりたい事を見つけるためにやりたいようにする」と言っているのだから、その感情を尊重する他ないだろう。


アリシスは笑いだしたヘイムシャンとほっと息を吐くセンテスを眺めて続けた。


「…でもそれだけではいけないと分かってる。だから、精神的にも肉体的にも弱い僕が耐えられるように、君達から貰う全てを武器にするよ。そのために、ネアが死力を尽くしてここを残してくれたんでしょ?」



「…だいせいかい、ですぅ。ふふっ。」


結局、遠回りをしても意味は無かった。急がば回れと言う言葉があるが、アリシスには殆ど関係の無い言葉である。急ぐ事もなければ、彼が遠回りする必要もない。今に留めようとして、それが最善ならば留まり、最善でなければゆっくりヘイムシャンの手を離すだろう。今回遠回りしたのはヘイムシャンとセンテスだけ。考えすぎて、単純な彼の意思を無駄に推測しただけなのだから。


「知りすぎても、損しかなかったのですぅ。」


それはつまり、邪推のしすぎと。


「いいじゃない。あなたはそれくらい考えていた方が静かでいいわ。」


それは訳すと、気にするなと。


「…君らが何を考えていたのか知らないけれど、僕が言っているのは簡単な事だよね?」


それは、なぜこうなったと。


「「なんも分かんない。やば…とりあえず外出たいから死なない方法教えて。」って、それだけなんだけど…何だろう、この深刻そうな雰囲気って場面なかった…?」


「こちらにも事情という事情があるのですぅ。」


「アリシスが無遠慮に遠回しな台詞吐くからこうなったのよ。反省なさい。」


「なんで僕が責められるの…?」


団結した精霊たちは掌をくるりと上へ向け、アリシスへ差し出す。


もう、迷いはなく。


「さぁ、茶番はここまでとしましょうかぁ。」


「…貴方が踏み出すその先は束縛された自由よ。」


「それでも踏み出すことが当たり前だと言うのならぁ。」


「…赤子から子供くらいには成長するのでしょう。」


「尚もこの先を望むならぁ。」


「…鍵を古びた鍵穴へ刺し、新しい鍵穴を見つける時まで。」


「歩き続けるのですぅ、()()()()。」



それはまるで儀式のように精霊たちは言祝ぐ。



「…勿論。僕は求めるよ、望まれたこの先を。」






両手を伸ばし、足を踏み出す。


アリシスが精霊たちの手を掴んだ時には、パリンッとガラスの割れたような音と共に、懐かしいような鈴の音が一度鳴り空気へ溶けていった。


…アリシスは思った。この音は全て始まりに鳴る音なのだと。





第一章

〜終〜


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