拳
陸の言葉に対する反応は実にアルカナ=アルフレッドだった。好奇心を表情で表し、警戒心もなく怪しむこともなく陸の言葉を受け止める。
「ほぇ?んじゃあ、どっかで会ったのかな?と言うか、ボクは何でこんな所に居るんだろ?確か──」
「そう。アルカナ、君は半身不随を患い病室で義経達と話していた」
義経が秘技を発動するのに必要な十秒。生きてきた中で一番長い十秒を稼ぐ為にアルカナは文字通り、我が身を犠牲に闘った。
生涯に於いてたった一度しか扱えない奥義──究極闘化の代償はあまりにも酷かった。人間とは、再起不能にならない為にも脳が力にブレーキをかけている。究極闘化は、これを強制的に解除するものだ。
効果は絶大だ。この時だけは、主人公であるヨシツネの覚醒前以上の力をアルカナは得る程に。だが、筋肉は断絶し骨は砕け皮膚からは汗ではなくブチ切れた毛細血管の血が吹き出す。
アドレナリンを凌駕した痛みに耐える根性がなければショック死は免れないだろう。それだけのリスクを背負いながらアルカナは最後の戦いに挑んだ。
今思えば、一番辛い選択をさせたのかもしれない。
「なんで泣いてるのッ?」
そんな彼女が今、目の前で元気そうにしているのだ。過酷な運命に抗い、仲間の為に命を賭して闘った彼女が立っているのだ。感無量とは正にこの事なのだろう。
陸は抱き締めたい気持を堪え、涙を拭い口を開いた。
「ごめん。そして、ありがとう」
「なんで謝るのさ!ボクは何もしてないよ!」
「そんな事は無いんだ。君は、君達は俺の生き甲斐だったんだから」
「どう言う……事?」
「君達は俺が作った小せ──」
駄目だ。言えるはずがない。本の登場人物だなんて。彼女は目の前で生きている。作り物、創作物だなんて言えるはずがない。
陸はアルカナから目を伏せ、眉を顰める。
「んへ?」
「俺は……俺は、そう。君たちが居る世界を創ったんだ」
「ボク達の世界を?」
「ああ!!」
陸は我ながら何て素晴らしい誤魔化し方だと自画自賛していた。神を名乗れば、アルカナ達のことを知っていてもなんら不思議では無い。寧ろテンプレ。
「それってつまり、女神・シエルも」
「そう!!義経を召喚した女神な!!」
「……」
「いやぁ、あの天然ぶってる女神だろ?中々の曲も──」
「って事は君も……お前も……」
アルカナの声に陰が落ち、ほんの少しの敵意が陸に向けられた事を感じる。そして、自分の発言が間違いだったと気が付くにはあまりにも遅かった。
距離を取ったアルカナの双眸には明確な殺意が宿り、拳には黒い狼との戦闘の比ではない闘気が宿る。
女神・シエル。
義経を異世界転移させ、世界を救わせたかに思わせた。だが実際は、その世界を乗っ取るつもりで義経を利用していた悪の権化であり、アルカナが究極闘化を使った最後で最大の大敵。
世界を創った=小説作家ではなく【神】となるのは、至って普通だろう。
と言うか、黒い狼にすら勝てなかったのに、その狼を瞬殺したアルカナに勝てるはずもない。陸は無謀にも、両手をあげて叫ぶ。敵意がないと。悪意も害意もないと訴えるかのように。
「ちょっとまってくれ!俺とシエルは」
だが、そんな制止を受け入れるならアルカナはここまで逆上しない。当然、アルカナの目からは優しさが消し飛び、ただ一つの殺意だけが残り続けていた。
比例し上がっていく闘気。
「全力で行く──」
「……ッ!?」
そう鼓膜を掠めた頃、眼前にはアルカナの拳。正に電光石火。瞬間移動にも近いそれに反応出来る処理能力は、陸の反射神経に備わっていない。
「破砕ッ!!」
息を飲む暇もない一瞬の出来事。抵抗する事すら出来ない一方的な殴打。鋭い突きは、物凄い突風が陸を突き抜け、後方に生える木々の葉を散らした。
──寸止めだったのか。
無傷な陸を見てアルカナの表情には焦りが宿る。
「ボクの【破砕】が喰らわない……ッ?!」
【破砕】
鉱石すら粉砕する正拳突き。闘気を圧縮し拳に宿らせることにより可能とした激しい一撃。一般人であれば、弾けるように消し飛ぶ程の威力を持っている。
アルカナの言い分から察するに、彼女の破砕は間違いなく陸の顔面を捉えていたようだ。
なら何故──
「どんな手を使ったか分からないけれど、ならこれはどうだ!!」
アルカナは一度距離をとると獣のような構えをし、陸に特攻。地面は陥没し、抉れた土は激しく飛び散る。
「獣牙裂衡拳!!」
縦横無尽に駆け回り、死角からの殴打を繰り出す技。まさに獣の如き連撃だ。
「これもダメだなんて……。なら……もう使うまいと思っていたけれど」
アルカナの表情に覚悟が宿る。迷いない眼は一点に陸を見つめたまま、アルカナは右手を左胸に添えた。
「究極闘──」
「やめろ!!アルカナ!!」
陸の怒号が響き渡った刹那、アルカナの動きが初めて静止する。