黒い狼とチャイナ服
「義経……と言ったか?」
陸は彼女を知っていた。黒髪ショートカット。淡く燃ゆる夕陽のような瞳に均整のとれた体躯。蓮を基調とした刺繍を施した赤いチャイナ服を着こなし、拳にはフィンガーグローブを装備する彼女・アルカナ=アルフレッドを。
「およよ?ヨシツネを知っているの?」
「ああ。知ってるもな──危ッ!!」
二人の対話を都合よく待つ物がいるはずも無い。黒い狼は、振り返り陸を見た彼女──アルカナに襲いかかる。
陸を襲った時のような猪突猛進ではなく、左右にフェイントを入れた知性のある攻撃。目で辛うじて遅れて追えるも、間違いなく標的が陸だった場合、為す術なく噛み殺されているだろう。
黒い狼はアルカナを全力を出すに値する者だと判断したのかもしれない。
──だが。
「中々に早いけど」
無駄な動きは一切なく、最小限に抑えた動作でアルカナはひらりと躱す。そして黒い狼の太い腕に手を添える程の余裕までもっていた。
「うお。ボクが知ってるヘルハウンドよりも毛がゴワゴワだ。君、何物??」
アルカナの倍以上はあるであろう、黒い狼に対して余裕を見せるは強者故か。
「ガァァァァアッ!!」
自分が手掛けた作品のヒロインが今、目の前で先頭を繰り広げている。再現度百パーセントの実写を前に、陸は恐怖よりも興奮を覚えていた。
「おっとっと。躾がなってないワンコだねっ!!」
腕の振り上げに合わせ体を反転、勢い乗せた鉄山靠が黒い狼の脇を捉えた。力強い踏み込みは大地を陥没させるに至る。
──そして、激しい衝撃波と凄まじい打撃音と共に、アルカナの倍以上ある体躯は後方に吹っ飛んだ。
花弁を散らしながら、三~五回転した黒い狼はよろめきながらも殺意の目をアルカナに向けたまま立ち上がる。
「グルルル……」
「君じゃあ、僕には勝てない」
息も上がらず、平然とした様子を見せるアルカナ。
「グルルルル」
「それでもまだやるって言うなら。かかってきなよワンコ、三秒で終わらせる」
厨二病全開である義経がアルカナに教えた決め台詞。三秒じゃ倒せないよって発言に対し、秒数を言うのはかっこいいだとか訳の分からない理論を押し付けさせたのは良い思い出だ。
「はぁぁぁぁあ!!」
可視化された白い闘気がアルカナの全身を覆う。
魔力を一切持たないアルカナは、体術のみを極めた少女だ。故に、踏み込む一歩は誰よりも力強く、繰り出す拳は誰よりも鋭い。鍛錬と努力の賜物。無能力者でありながら、最強に限りなく近付いた一般人。
「行くよ」
この時、アルカナは初めて拳を構える。陸は彼女の背中を間違いなく視界に収めていた。黒い狼と陸に挟まれる形で立つアルカナを普通ならば見失う筈がない。だが、陸は見失う。否。見失った訳では無い。
一般人である陸が、動きを辛うじて目で追える速度を凌駕したのだ。
一瞬のうちに視界から姿が消え、気がついた時には黒い狼の頭部が弾け夥しい量の血飛沫が地面を叩き、赤に染める。
──正に瞬足。
「やれやれ。大して強くなかったなぁ」
アルカナは陸に近づくと、無垢な表情を向けて口を開いた。
「──で、君は何でヨシツネを知っているのかな?」
「ヨシツネだけじゃない。俺は君の事だって知ってる。アルカナ」